旭日も 桜もみじを 染めて暮れ
中村 梅士 Baishi
早朝ジョギングかあまりにも心地よく、体中が幸福感
に満たされていた。
その割には仕事に熱中したわけではなく、雑事に遊び
すぎたかもしれない。
しかし、早朝ジョギングの幸せを見つけたことは大き
な意味があった。
新しい習慣にしたい。
明日は登城日であるが、早朝ウォーキングには出たい
と思う。
この健康感覚こそは最大のやる気である。
この健康感覚があれば、何でもできるような気がする。
もうひと頑張り仕事を進めたら、心地よい食事と睡眠
が待っている。
うれしくて仕方がない。
雪の風景も美しいが、早朝の光の世界もまた美しい。
これを壁で隔てていたとは・・・。
スポーツの世界では心と身体の関係が問われる。
唯物論は唯脳論であって、心は脳神経の発する電気的
作用にすぎない。
身体と別に、心という実態があるわけではない。
電気を通せば電灯がつくのと同じだというのである。
しかし、なぜ睡眠が必要なのかさえ説明できない脳障
害的論理である。
脳に必要なものは、栄養物質と運動によるさらさらと
した血液循環であろう。
哲学も倫理も、ましてやスポーツマンシップなども必
要ないはずである。
日本のスポーツが弱くなり、不祥事が一向になくなら
ない理由もまた、心を見失ってしまったからであろう。
唯脳論的には脳神経の故障である。
ならば、手術で治せるようになるのだろう。
本来脳神経も外部刺激に反応するする計算装置とメモ
リー装置に過ぎないのであるから、主体性など生まれる
はずがないものである。
もっとも、人間は感情で動くものだから、霊界の論理
でも心が動かなければ理解不能なのである。
死んでも、死んでいることを認めず、せいぜい、悪い
夢を見ているのだと思っているらしいのである。
それで、霊障を起こす。
スポーツマンであれば、念力が鍛えられているから、
その禍も強いものとなる。
スポーツの神聖はどうしても育てなければならない信
仰心である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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