毎日が観光

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北関東横断4 岩宿(前編)

2009年04月13日 13時35分12秒 | 観光
 三度両毛線に乗り、岩宿で下車。

 知ってるでしょ、みなさん、習ったでしょ、子どもん頃。
 そう、ここは日本にはないと言われていた先土器文化(旧石器文化)の遺跡が初めて発見された場所。発見者は相沢忠洋さん。


「学歴は尋常小学校の夜学しかありませんでした」岩宿博物館で、係の人がついてきて説明してくれる。ぼくはなぜか人の説明欲をそそるらしく、いろんなところで説明される。ありがたいことである。彼女の説明は、相沢忠洋に対する尊敬と敬慕に裏打ちされていて、好ましいものだった。「私の知ってる相沢さんは納豆売りのおじさんでした」

 展示の最後は当時狩りで使われた落とし穴の模型。動物の大きさに比べてかなり小さな穴。こんなんじゃ落ちないだろ?
 「この穴に片足を突っ込んで転ばせるんです」あー、なるほど!「足を折って動けなくなって弱ったところを捕まえたんでしょう。穴に落としちゃうと引き上げるのも大変ですし」
 「すごい。ぼくなんかよりずっと頭がいい」
 「そりゃ、そうです。生きるためには今なんかよりずっと頭も身体も使わないといけませんから」
 彼女の話を聞いていて、ぼくは内田樹のこんな文章を思い出した。

 「今の日本では、「子どもをどうやって社会的に生き残らせるか」という問いは「子どもにどうやって金を稼がせるか」という問いに書き換えられる。「生き延びる力」と「金を稼ぐ力」は私たちの社会ではイコールに置かれているからである。
 繰り返しここでも書いていることだが、これは人類史の中ではごくごく例外的なことである。人類史の99%において、「生き延びる力」とは文字通り「生き延びる力」のことであった」(内田樹「こんな日本でよかったね」)

 そして「生き延びる力」が別種の意味を持つようになって、人間は別種のことで死ぬようになる。

 「ローンとか生活態度とか進路とかいじめとかいうのは、すべて社会関係の中で起きている「記号」レベルの出来事であり、生物学的・生理学的な人間の存在にはほとんど触れることがない。
 でも、そのような記号レベルの出来事で現に毎日のように人間が死ぬ。
 社会が安全になったせいで、命の重さについて真剣に考慮する必要がなくなった社会では、逆に命が貨幣と同じように記号的に使われる。
 社会はあまりにも安全になりすぎると却って危険になる」(同書)

 われわれの社会は、外部の社会によって映し出されたとき、今まで当たり前で気づかなかった姿をかいま見ることができる。空間的視点(たとえばモンゴルから見た日本とか)、時間的視点(平安時代から見た現代日本とか)の異なった鏡は、社会の内部にありながら社会を把握するという、自己言及にとって不可欠なのだ。
 考古学は古いものを調べるだけでなく、私たちの現在を照らす学問でもある。
コメント
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