毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

北関東横断2 足利学校

2009年04月08日 19時31分48秒 | 観光
 江戸っ子にとって足利は、なんというかアンビバレントな場所である。
 徳川家(「とくがわけ」でなく「とくせんけ」と読んだあなた、そう、あなたっすよ、あなた、好きですねえ、お仲間ですな)と平将門公を大切に感じている江戸っ子にとって足利は好きであり、嫌いであり。
 徳川家と足利の関係は良好である。


 徳川家も保護した足利学校。ザビエルが「日本国中最も大にして、最も有名な板東の大学」と評し、フロイスも日本唯一の大学として紹介している。しかし、たぶん、どちらもこうした学校がキリスト教布教に役立つことを思う反面、足利学校が儒教中心の学問であることには警戒心を持ったことだろう。


 足利学校の名声に誘われたのか、学校の書籍などが豊臣秀次によって持ち出されてしまう。秀次切腹後、資料の四散を防いで足利学校に返還したのが徳川家康だった。以後徳川家は足利学校を保護し、修理や増改築などの費用は幕府が受け持つことになった。
 そんなわけで足利学校書院には徳川歴代将軍の位牌が安置されている。

 このように足利と徳川の関係は良好なんだが、平将門公と足利の関係はちょっとイマイチ。将門公を討ち取ったのは、ムカデ退治で有名な藤原藤太。この人の勢力が足利周辺にあり、子孫は足利氏を名乗ることになる。室町幕府を建てた源氏由来の足利氏と場所がかぶっただけで血統のつながりはない。
 足利の街を歩く。観光名所近辺はパヴェになっていて、いい感じ。おしゃれな店もある。しかし、全体的に漂う薄ら寒さは、やはり地方の元気のなさを象徴しているかのよう。シャッターの閉まった店もちらほら見えた。
 このパヴェを歩いて、次回は難読漢字寺の鑁阿寺へ。
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北関東横断1 岩舟

2009年04月08日 11時04分12秒 | 観光
 いつか一度乗って見たかった両毛線。栃木と群馬を結び、北関東の東西を連絡させる路線。今回は栃木の小山から両毛線に乗り、ところどころ途中下車しながら群馬の前橋まで旅をして行こう。
 池袋から湘南新宿ラインで1本なんだけれど、時間が合わないので、池袋から埼京線で赤羽、赤羽から宇都宮線で小山へ。われわれの世代は、「あれま、おやま、小山遊園地ぃ~」というCMが頭の中で流れ出してしまう、なんというか厄介な世代だ。
 小山から早速両毛線に乗る。

 単線の風景がなんだか懐かしい。不思議だ。考えてみたら、単線って大人になってから初めて乗ったものなのに、どこかでこうした景色が懐かしいんだと刷り込まれていたのだろう。
 思川、栃木、太平山下を経て、岩舟駅が最初の下車駅。全部で10名に満たない乗降客に混じって、降りる。地元民ぽくなくて、なんだかとても怪しい人のようだ。借りてきた猫のように足音を忍ばせ、無口に無人駅の改札を出る。


 この途中下車の目的はここ、岩舟山。数多くの映画、ドラマ、特撮もののロケ地としても有名だけれど、何よりここは地上にある他界なのである。山形の山寺と似ていると言ってもいいかもしれない。死者の魂が集う場所。


 何気ないところにも祈りの造形が置いてある。
 山頂には立派な寺が鎮座していた。境内には血の池などもあり、魂が彷徨する場所であることを示していた。水子供養の地蔵尊も多かったが、ぼくはあの供養にどこかうさんくささを感じてしまうのだ。もともとそんなものは存在しなかった。死産も多かったし、間引きもあった。ある程度豊かな時代になると、子どもを失った親が悲しみの中何かしたくて、つまりニーズができて供養が誕生した。供養誕生当時は子どもを亡くした親、その人の精神衛生のために存在したのだが、「水子の霊魂」という概念の発明によって脅迫的なものになってしまった気がする。悪縁だの、因縁だの、とつけ込む輩もいるし。
 そんなわけで両毛線の佐野には下車しない。テレビCMまで使って水子供養を訴えることに強く反発を覚える。だいたいぼくは厄年のお祓いだってしていないけれど、無病息災である。ブラッド・ピットはぼくより確か一つ上だったと思うけれど、彼も厄よけしてないだろう、本厄も前厄も後厄も。でもちゃんと活躍してるしぃ。


 次の電車の時間を7分勘違いして、乗るべき電車が目の前を通過して行ったときには、少しめまいがしたが、余った時間で駅付近を散策。石の資料館を見つけて見学。「日本一小さい」との自己申告があったが、最盛期を過ぎた岩舟石採掘の歴史をとどめる貴重な資料館だと思う。面白かった。


 資料館近くから岩舟駅を見る。
 さ、次の下車駅は足利。何年か前にお蕎麦を食べに来たことがあったけれど、あのときはただ蕎麦を食べただけで帰ってしまった。足利一茶庵
 では、次回は足利編。
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桜の樹の下には

2009年04月07日 22時52分53秒 | らくがき


 坂口安吾は鈴鹿峠に咲く満開の桜の恐ろしさを物語り、梶井基次郎は桜の樹の下には死体が埋まっていると主張した。

「これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。これは信じていいことだ」(梶井基次郎「桜の樹の下には」)

 咲き乱れる桜の常軌を逸した鮮やかさに人の心が惑わされるのは当たり前と言っちゃ当たり前だ。非日常を目の当たりにして、人は非日常の世界に引き込まれざるを得ない。だから桃の花の下ではなく、桜の花の下で人は非日常的な宴を張る。
 ぼくも桜の花の異常な光に不思議なものを感じていた。非日常の世界は日常を活性化する。死は非日常側にあるわけで、だから逆説的だけれど、死は生を活性化する力を持っている。満開の桜も死も同じ非日常の世界の存在であり、ぼくは昔から桜ほど卒塔婆が似合う花はないんじゃないかと思っていた。
 写真はソメイヨシノ発祥の地と言われる、染井霊園。高村光雲・光太郎、宮武外骨、二葉亭四迷などが眠っている。隣接する慈眼寺には、芥川龍之介、谷崎潤一郎、司馬江漢、本妙寺には歴代の本因坊、遠山の金さんたちが桜を愛でてる。


 歴代本因坊を従えるような形で家元制度最後の本因坊秀哉の墓がある。川端康成の「名人」がとても好きだが、あれは秀哉の引退碁を描いたものだった(なぜか木谷實が弟子の大竹という名字になっているが)。
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週末新潟

2009年04月06日 17時59分04秒 | 

 市場経済は需要と供給のバランスによって成立する。需要曲線と供給曲線とが交わるところに交換価格が誕生するのだ。
 その考えでいくと、ガンバ大阪、浦和レッズ、FC東京、横浜Fマリノスとの比較的集客が望める対戦カードだけ価格を高く設定するヴィッセル神戸のやり方は大変理にかなった方法と言える。子どもからも500円高く徴収しようとするその姿勢は市場経済的にまったく正しい。
 しかし世の中には市場経済にあまり馴染まない事柄が存在することをヴィッセル神戸は知らない。あるいは知っていても知らないふりをしている。知らなきゃバカだし、知っててやってるならなおたちが悪い。
 4日、アルビレックス新潟対横浜Fマリノスの試合を見に、新潟まで車を走らせた。帰りの車の中で3時間近く愚痴ったので、試合内容、結果についてはここに書かない。それよりアルビレックス新潟のチケット販売について触れたいのだ。
 前売りを買うためにアルビレックス新潟の料金表を見てびっくりした。なんと小・中・高校生まで、どの座席も一律1000円なのだ。ゴール裏は確かに熱い応援が繰り広げられ、興奮という点ではここに勝るところはないのだが、サッカーを組織的に見るには距離が圧縮されてしまうので不的確である。その点、SS席やバックスタンド中央などは大変見やすいので、今現役でサッカーをやっている子どもたちにとっては有益な場所だ。だが、その分料金設定が高い。Fマリノスの場合、自由席は小中学生900円、バックスタンド中央は1100円(SSなどは大人料金のみ)。しかし、アルビレックス新潟は高校生までどの席も1000円。この高校生までという点も高く評価できるところだ。地元の子どもたちと伸びていこうとするその姿勢が素晴らしい。
 球団が地元を大事にするから、地元は2003年J2なのに観客動員数の新記録を達成させる形でその気持を返した。まさに地元と球団とが相思相愛で結ばれており、そこには市場経済至上主義(しゃれじゃないよ)とは別の球団経営の形が示されているように思われる。
 試合は負けちゃったし、何一つ観光もしないトンボ帰りだったけれど、アルビレックス新潟のあり方に少なからず感動を覚えた週末でありました。

 写真は雨に濡れながら応援していた、姉妹の一人。90分ずっと立ったまま、重い旗を振っていた気持に試合結果が応えられずに、他人ながらかわいそうでありました。
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土合駅

2009年04月01日 17時24分58秒 | 観光
 お久しぶりっす!
 土合駅へ行ってきました。「どあい」と読みます。
 東京からだと高崎で上越線に乗り換え、水上でまた乗り換えて2つ。
 周囲には何もありません。
 こんなとこぼく以外誰が降りるんだよ、と思ってたら、わらわらと降りる乗客が10人ほど。あんたも好きねえ。


 下り線地下ホーム。ここから駅舎に行くには10分かかる。


 そう、この階段462段(338m)、それから143mの連絡通路、最後に階段24段登ってようやく駅舎にたどり着く。上り線ホームは駅舎すぐにあるのだけれど、複線化するときに下り線ホームをトンネル内に造ったため、こんな構造になってしまった。「日本一のモグラ駅」だと胸を張る。


 駅舎と下りホームとは川を隔てているため、こんな連絡通路が必要なのであった。


 上り線ホーム。この駅に来ることだけが目的だったので、次の上り線で折り返し帰る。ところが12持26分発の電車が30分を過ぎても現れない。吹きすさぶ冷風が、陸の孤島感あおりまくり。標高663mの北国。寒いのだ。電車が来る様子はない。
 ホームで上り線を待つ者をのぞいて生き物の気配がない。このホームの上の人間を残して世界中が滅亡してしまったと言われても、反証できる材料は何一つない。
 無人駅に到着の遅れを知らせるアナウンスなどない。
 当たり前のことがどれだけありがたいことなのか、などという教訓的な言辞をよく耳にするけれど、いや、雪の中の孤立したホームに立っていると、電車がやって来るという当たり前のことがどれだけありがたいことなのか、実感する。
 結局理由も何もわからないまま15分遅れて電車がやって来た。何一つ無茶なことなどやっていないのに、なんだか雪山で救助された感があるせいか、怒る者は一人もいない。

 そんなわけでまたブラブラとあちこち行って参ります。ちょっと今週はまた多忙モードに入ってしまいますが、来週あたりからまたよろしくお願い致します。
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