毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

髭と口紅と青山通り

2008年11月10日 14時05分25秒 | 観光
 先日品川歴史館に行ったときに見かけた「特別展縄文文化円熟」。場所は横浜市立歴史博物館。縄文といえばぼくのキーワード。諏訪を訪れて以来、縄文はぼくの心に大きな地位を占めている。
 そんなわけで早速自転車で出かけることに。地図を調べると246(国道246号線、通称ニーヨンロク。人によっては青山通りだけのことだったりもするが、実際はそんなことない。ずっと西に続いている。西に進むにつれ、玉川通りや厚木街道などと称される)をベタ走りすれば近くまで行けそう。
 しかし気が進まない。昔から車でさんざ通った道である。この道が自転車に対して決して優しくない道であることも重々知っている。できれば通りたくないのだけれど、仕方がない。
 家を出てこぎ出して、意外と寒いことに気づく。いや、寒いよ、実際。もっと厚着してくればよかった、と外苑東通りで実感するものの、取りに帰るのも面倒なのでそのまま直進、青山通りに出る。


 いろんなドラマなどのロケに使われる絵画館前のイチョウ並木。まだ色づいていなかった。
 紀伊国屋の前で遠い目をしたり、表参道の交差点のタヌキがまだいるか確かめたり、そう言えば、三茶の汚い映画館でポーランド映画3本立てなんか子どもの頃見てたなあ、など案外246に思い出が多いことに気づいた。
 日曜だというのに、車の量が多く走りにくいので、駒沢で路地に入り、桜新町経由で瀬田へ。


 桜新町はサザエさんの町として知られている。長谷川町子美術館なんかもある。歩道の車止めなんかにも波平やらの顔が彫られ、細かな仕事ぶりをアピールしてる。


 多摩川。ここが県境。高いビルが東京側の二子玉。こちら側が神奈川県川崎。
 いつの間にか自転車をこぎながら「髭と口紅とバルコニー」を延々口ずさんでいた。

「時代遅れの恋の歌 今もきみは口ずさむ
 季節はずれの風が吹く 冷たい墓の上に」

 東京中を歩く「転々」という映画でも使われていて、たぶんいろんなことを思い出しながら東京を走ったので頭の中で鳴り続けていたのかもしれないな。
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浅草寺

2008年11月07日 08時59分18秒 | 観光


 多くの若者でにぎわう浅草。いや、ちょっと意外でありました。
 今は特別ご開帳中。もちろん本尊は秘仏だけれど、御前立ち観音さんの厨子なら開いてる。
 御前立ち観音の手に結ばれた紐に触ろうと多くの人たちが列を作っている。
 店の多くはどこもかしこも行列。
 鶴見線以上に浅草はやってる。
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矢切 ねぎ畑

2008年11月06日 22時55分35秒 | 観光


 渡し船で柴又から千葉へ。江戸川を渡っただけで一面畑。
 「野菊の墓」にちなんだ「野菊のこみち」というなかなか気持ちのいい散策路で矢切駅へ。


 北総鉄道矢切駅。
 ここから20分ほど電車に乗ると浅草に出られる。たった20分の乗車時間だけれど、料金は600円以上。乗り換えはしないのだけれど、浅草に行くまでに、同じ車両に乗ったまま、いつのまにか北総鉄道、京成電鉄、都営浅草線と3つの鉄道会社を乗り継ぐことになる。
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矢切の渡し

2008年11月06日 10時35分54秒 | 観光


 葛飾柴又お散歩。
 矢切の渡しに乗る。大人100円、子ども50円の渡し舟。
 静かに、なめらかに川面を進む舟、さえぎるもののない川辺の広い空。
 東京にも空はあるんだよ、って言いたい、智恵子に。
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鶴見線散歩

2008年11月05日 08時49分48秒 | 観光
 今、JR鶴見線がはやっている。
 沿線に観光名所があったり、グルメが期待できたりするわけではない。名所どころか、中には外に出られない駅すらあるのだ。
 そんな鶴見線そのものがお目当て。
 川崎の隣に鶴見駅があり、そこから鶴見線が出ている。朝夕は通勤客を運ぶためそれなりに本数もあるが、日中は1時間に2本ほど。
 海芝浦行きの電車に乗る。


 夏休みに遠くに住んでいるおじいちゃんの家に遊びに行くようなそんな線路風景。
 終点海芝浦着。この駅の外は東芝の工場なので社員以外は出ることができないのである。


 ホームのすぐそこが海。ホームで釣りをすることができる、割と珍しい駅だ。
 なんか、ちょっと千と千尋の電車っぽい感じがする。


 線路の右が海、左が東芝の工場。
 ほかに方法がないので、今来た電車で折り返し帰る。
 ぼくだけじゃない。デジカメなどを携えた人たちが結構いる。みんな折り返しの電車に乗り、浅野へ。鶴見線には海芝浦行き、扇町行き、大川行きと3種類ある。浅野で今度は扇町行きに乗り換える。小さな電車で同じ道行きをするので、だんだん顔見知りのような感じになる。

 帰り道、途中下車して国道駅へ。

 時間が止まってしまったかのような国道駅。
 この不思議な感じの鶴見線、別に昭和がいい時代だとは思わないのだけれど、それっぽいノスタルジーが感じられることは確かだ。
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青山真治「死の谷 ‘95」

2008年11月04日 19時38分48秒 | 読書
青山真治「死の谷‘95」       講談社

 車を運転していたある朝。ラジオが関西地方を襲った地震について伝えていた。死者が出たもようです、との報道に、車載のテレヴィをつけてみた。そこに映された映像は「死者が出たもよう」などというアナウンスが間抜けなものに聞こえる惨状だった。
 仕事が始まってまだ10日、それなのに1995年は唐突に惨事を用意し、しかもそれを関西にとどまらせることはなかった。
 3月には地下鉄でサリンがまかれるという前代未聞のテロ事件が起きた。
 1995年、この国は戦争以来初めて理不尽な大量死を再び味わうことになる。
 首都高5号線沿線に住んでいるぼくは、この時期、ものすごい数の自衛隊車両が何度も5号線を南下していたのを覚えている。そのたび、また永田町近辺で何かあったのか、と思ったものだ。
 死が、死者に原因があるものではなく、むき出しの不条理さで人々に無差別に迫ってきたのが1995年だ。天災であれ、犯罪であれ、この何の罪もない落ち度もない被害者たちが死んだ理由は一つしかない。
 たまたまそこにいたからだ。
  これは戦争と変わらないことなんだ。
 1995年の日本は戦時下と変わらなかった。

 この物語は、だから戦時下の日本なんだ。その状況下で語られる人と人とのつながりのあやうさ、本能が壊れた人間たち(これはわたしたち全員がそうだ。わたしたちはすべて潜在的な変態なのである)が織りなす性と死、これらを探偵=謎解きをエンジンとするリーダビリティの高さでぐいぐい引っ張って描写していく。
 青山真治は映画もいいが、小説もいい。
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品川~羽田別冊 幕末太陽傳

2008年11月04日 00時06分56秒 | 観光
 「幕末太陽傳」という日本映画の傑作がある。
 落語の「居残り佐平次」を舞台に、そこに「品川心中」と「お見立て」を加えたストーリー。ともかく、フランキー堺の快演、いや、彼に限らず、石原裕次郎以外すべて好演の上、細かなせりふがいちいち楽しい映画だ。
 タイトル通り、舞台はもちろん江戸時代なのだが、粋人川島雄三はそんなにストレートに描かない。
 冒頭、異人と小競り合って侍が落とした海中時計を拾うと、映画が撮られた頃の1957年の品川が現れる。
「東海道線の下り電車が品川駅を出るとすぐ、八ツ山の陸橋の下を通過する...京浜国道にやや並行して横たわる狭苦しい街。これが東海道五十三次、第一番目の親宿、品川宿の今の姿だ」ナレーターの解説の後ろには1957年の姿が映し出される。時代劇なのに、いきなり電車が走っているのだ。「このいたって特色の無い街で、やや目立つものと云えば"北品川カフェー街"と呼ばれる16件の特飲店...しかしこの赤線地帯も売春防止法のアオリを喰って、1ヶ年以内の閉鎖を余儀なくされている。三百五十余年の伝統をもつ品川遊廓の歴史もここに一応幕を下ろすことになるのだが.」
 そして、さがみやホテルに、米兵と入っていく日本人女性たちが映される。
 この映画の舞台は、この「さがみやホテル」の前身「相模屋」。実在の人物(高杉晋作や井上聞多など)と架空の人物、実際の出来事(御殿山の焼き討ち)と仮構の物語とがないまぜになって不思議な力をもった作品となっている。
 品川宿は鉄道が新橋-横浜間に延長されると、東海道の起点ですらなくなり宿場としての機能は衰退してしまう。その代わりとなったのが遊郭としての機能であった。
 この映画の冒頭のナレーションはそんな品川宿の本当の終焉を宣言しているのだ。
 そんな相模屋は今ではなんの変哲もないコンビニ(ファミリーマート北品川店)に変わってしまった。


 現在の旧東海道。この通りに品川遊郭があった。

「また火を無駄にして。荒神さまの罰があたるよ」山岡久乃が小言を言う。

 これがその千躰荒神さんを祀る海雲寺。春と秋に開帳が行われ、露天も出てにぎわうらしい。


 しながわ歴史館にあった相模屋の模型。塗り壁のせいか土蔵相模の名で呼ばれていた。これが「幕末太陽傳」の舞台である。しながわ歴史館はなかなか面白い施設で、なんというか作っとけばいいだろ的な郷土資料館とは一線を画す充実ぶりである。特別展の「東京湾と品川」が11月24日まで開催中だが、この展示もかなり専門的ですばらしい。「この展示も」と言ったが、こういう特別展ができるだけの意欲と学芸員の実力、つまり普段のこの歴史館が評価されるべき。いや、ほんと、面白かった。
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光の中の二人

2008年11月01日 10時59分04秒 | 写真


 春から夏は南風。こういうときは南に進む。追い風が帰りになるように。
 あるとき河川敷で風が変わったのに気づく。
 ああ、秋なんだな、と。
 でも、この日は不思議なことに南風。
 これが最後かと葛西臨海公園へ。
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