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馬込文士村

2008年11月27日 13時23分32秒 | 観光

 大田区郷土博物館。考古学発祥の地、ということをアピールしたいのか、埴輪がお出迎え。しかし、埴輪って、貝塚の時代よりずいぶんあとだろうに。
 というわけで先日「雪が谷貝塚展」のために訪れた大森。
 展示はまあまあでした。先日の松戸とか横浜のがすごかったから、それに比べるとそりゃ仕方ない。ここんとこ縄文づいてる。

「縄文の人も脅えがあったでしょうけども、縄文の人は観念的に言うと、天地を動かそうとするところがありました。火焔土器を見ても、祈りで天地を動かそうとしていた気配があります。だから岡本太郎さんが大好きなんですよ。自分が天地を動かしているから。だけど、私らは千利休みたいに、天地にくるまって生きていることを美意識にしてきました。だから、どうも弥生式の文化の子孫であることは確かのようです」
(司馬遼太郎「時代の風音」より)

 こういう分け方は面白い。なるほどとも思う。

 ここの博物館に至るまでにこのあたりが文士村である表示がいくつか目に付いた。

 こんな風に要所要所に文士村散策MAPが装備されているのだ。MAPを手に入れて(手に入れたわけではないが)探検しないのは、ドラクエファンとは言えない。そこでさっそく文士村探訪を決行。なんというかドラクエというのは、階段を上がる音とか昔ならではザッザッザで、なんというか見た目のリアルさに欠ける。言ってみれば、ファイナルファンタジーが見た目を追求するのに対して、ドラクエは非常に象徴主義的なロールプレイングゲームと言っていい。
 「俊寛」を例にとれば、最後のシーンでの悲しみと絶望の表現。能の表現がドラクエとすれば、歌舞伎の表現がファイナルファンタジーである。と、ここで断言してしまう。
 どちらが上とか下とかそんなものはない。表現の方向性の問題である。

 で、文士村。ここまで迷いながらやって来たので、当然全部回ろうなんてことはできず、小林古径と室生犀星ゆかりの地だけ。


 古径が住んでいた家は今ではマンションに。それにしても、大森って、駅近辺は場末感ありありなのに、一歩坂を登ると高級住宅街なのにおどろき。このマンションも古径にちなんだネーミングなのがいい。ぼくの住んでるあたりも啄木だの漱石だのキリシタン屋敷だのいっぱいいろんな旧跡があるんだけれど、こうしたネーミングすらないもんな。


 こっちは室生犀星の住んでいたあと。やはりマンションになっていて、名前は「室生マンション」。いいね、大森。

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