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コスモスの夕暮れ

2005年09月27日 16時29分14秒 | 写真


昭和記念公園
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大野和士指揮ベルギー王立歌劇場管弦楽団

2005年09月27日 16時11分09秒 | 音楽
9月26日(月)東京オペラシティ・コンサートホール


 ベルギー王立歌劇場管弦楽団、通称モネ劇場。モネ劇場の「モネ」はクロード・モネにちなむものではなく、フランス語の「モネ」(お金の意味。英語で言うマネーです)にちなむらしい。
 演奏が始まる前、オーケストラの団員もいないステージに現れた指揮者の大野さんがマイクを片手にいろんなことを語ってくれました。劇場のこと、今日取り上げる曲、とくにフィリップ・ブースマンス作曲「ゲオルク・トラークルの詩による歌曲集」について。
 ときにユーモアを交えながらも、的確な表現で様々なことを伝えてくれる話し方に、指揮者としての豊かな才能を感じました。
 さて、いよいよ演奏の始まりです。
 初めて聴くブースマンスの曲。響きがアルバン・ベルクの「ヴォツェック」を思わせます。「ヴォツェック」の原作はゲオルク・ビューヒナー。彼は医学者で、実際に起きた殺人事件の犯人ヴォツェックの法医学鑑定をもとに戯曲を描きました。ヴォツェックが錯乱しているので、行動のつじつまがあわなかったり、不可解であったりするのだけれど、それがドイツ表現主義の時代に再評価されました。一方トラークルと言えば、ドイツ表現主義の申し子。「妹萌え」「ロリコン」、アキバ系の元祖である。音楽そのものは時が隔たっていますが、どちらもドイツ表現主義っぽい音と響きと詩。
 ソプラノのエレーヌ・ベルナルディも初めて聴く歌手でしたが、不安や畏れをうまく表現していたように思え、曲・演奏ともに感銘を受けました。
 休憩をはさんで、マーラーの交響曲第5番。初めて聴いて以来、なぜかしっくりこなかった曲。なんというか、いろんな要素がごしゃごしゃ入っていて、統一感がない。そのくせ第4楽章だけがえらく美しい。あれ聴くと、きらきらした海岸で右手を挙げてポーズをとるビヨルン・アンドレセンを思い出してしまうし。「タッジュウ!」である。「ヴェニスに死す」である。ヴィスコンティなのである。
 なわけで、なんだかよくわからないなあ、といつも思っていたのですが、これって、人間の生が雑多であるような雑多さなんじゃないか、と演奏を聴きながら思いました。管楽器や打楽器の力強い響きが英雄的であると同時にコミカルであったり、弦楽器がバトンを渡すようにパート、パートで分かれて(コンサートで聴くのは初めてで、その辺も面白うございました)、その効果が視覚的に楽しめたり。マーラーのやったいろんな仕掛けがとても面白いんです。
 そして演奏はきびきびとしたリズムと豊かに歌う響きが全体を貫き、大変な質の高さを感じました。
 何度ものカーテンコールに、何度も管楽器を立たせてましたが、納得。素晴らしい管楽器たちでした。でも、アンコールが管楽器抜きのアダージェットというのも、なんだか面白かったなあ。
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