Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

阪神淡路大震災のころ

2018年01月17日 | 日記

阪神淡路大震災
その日の朝は6時の目覚ましのラジオの音で目が覚めると、何か中継地からのリポートの様子
ウン?未だ良く目が覚めて居ず、事の次第が分かるまでに、少し間を要した。
リポーターはとにかく叫んでいた記憶が有る。
平成7年1月17日(火) 
当時の会社の本社は大阪だったので、本社の知り合いに状況を聞いた、幸いな事に細々した被害は有ったが甚大なものでは無かったようだ。
こちらの仕事場へ出勤しテレビを見ると次第に被害の状況が映しだされて行く。
夜のテレビの画面には若い女性が泣き声を絞り出すように「おかあ~さ~ん」と言いながら
探している様子が今でも思い出されます。
この日から数か月後本社へ出張する。
余震が、大きい余震が間を置いて有り、とても
怖い思いをしました。
以前何度も通った駅(宝塚?)のガードは落下し、通りのビルは倒壊している写真が新聞に掲載されていました。
又数年後西宮の方に有る震災の慰霊碑を
偶然見かけました。
そこには亡く成られた方のお名前がビッシリと書き込まれ、改めて被害の大きさを感じました。
あれから今年で23年、しかし町は復興しても
人の心は癒せない、震災を知らない世代が大人に
成って被害の状況を伝え続け、身を守る手立てや災害に強い体制を作る努力を次の世代へ繋ぎ続けなければいけないでしょうね。
一昨年の此方の熊本地震でも直ぐに阪神淡路大震災の事が頭に浮かびました。
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