Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

眼鏡

2013年09月10日 | 日記
近眼の私にとって、眼鏡は体の一部である
朝起き上がったら眼鏡をかけ、半分開けたカーテンの間から外を見る
最近は目が覚めても暫くは起き上がりたくない
それは心地よいもう少し伏せていたい程の涼しさだから
床を離れたら洗面以外には殆ど眼鏡を外す事は余りない
外す時は近眼なので新聞やPCに関わる時ぐらい、PCも最近老眼鏡を
作ったので、非常に快適だ。
ピアノの練習の時以前は楽譜の指定指の番号がぼやけて、調子が今一だったが
今は老眼鏡のお陰でらくちんです。

今迄の眼鏡は全てガラス製で、今回初めてプラスチックにしてみた
軽い、確かに、しかし熱に弱いし、寿命も4年位だそうだ、傷が付きやすい
し、余りメリットは無い様だ。
ガラスは高いけど、熱に対してや傷には強いしかもコンクリートの上に落とした
ことが数回あるが、全く割れる事は無かった。
掛け心地は少し重たいような感じは有るが、ド近眼でレンズが厚く無い限り
後々の使い勝手を思えば、ガラス製が良いと思う。

若い頃は近眼の人は老眼に成らないと勘違いしていていたが
歳を経てまさか二つ眼鏡が必要だとは思わなかった。

遠近両用めがねと言うのを眼鏡やさんで試して見たが、とてもとても
私には適応出来る代物では無かった

まあ近眼の私にとっては、近眼の眼鏡を外せば新聞なんか読むには
何の支障も無いが40cm位離れると、それ以上はぼやけて来るので
近眼の眼鏡は必需品だ。

今日は午前中嫁さんの実家の草刈りをした。



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