今から約300年前、赤穂の四十七士が吉良の屋敷に討ち入りしました。その二年前に赤穂の殿様、浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかり、切腹を命じられたのです。《なぜ殿中で切りかかったかの原因は、赤穂の塩の製造方法を吉良家が知りたがったが、赤穂藩が企業秘密として教えなかった件と、もう一つ、赤穂藩が上の殿様に渡した手土産が少なくて嫌がらせを受けた…と言われてる》 その仇討ちを大石内蔵助らが雪をザクザク踏みしめて真夜中に押し入って、仇討ちを成功しました。 兵庫の赤穂では赤穂義士と言い英雄とされて、義士祭が行われてます。一般的には赤穂狼士と言われて野蛮な武士と思われてます。かたや愛知の吉良町では、吉良上野介の命日で静かに法要が行われてます。 立場や場所が変われば、正反対の様子がうかがえます。 しかし最近は赤穂市と吉良町は交流を深めてるらしいですよ! 恨み合うより分かり合う方が断然良いですね。
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