先日、アラビア文化に詳しい田中教授のお話をラジオで聴きました。
なかなか、アラブ方面のことは知りませんよね~
仏教では彼岸は、この世での喜怒哀楽、煩悩から脱却した悟りの境地を言いますが、いまは死んでから三途の川を渡った向こう岸と言う意味ですね。
アラブ人の彼岸は、「天国は影をなす緑が生い茂り、水が懇々と湧き出ずる場所で、汚れを知らぬ乙女たちが昼夜癒やしてくれて、足元にはミルクの川が流れ、美味しい酒が飲める。」
生きてる間は灼熱砂漠をガマンして、苦しんでいるので、天国は緑と水に溢れたパラダイスと想像したのでしょう。
コーランはムハンマド滅後20年くらいたって編纂されたので、都合よく改竄されたかもしれませんが…。
エジプトにも墓はあります。大抵は遺体を砂に埋めて、頭の上に石を一個置きます。
数年もすれば石は砂に埋もれて、どこに墓があったか分からなくなります。
エジプト人には「砂から生まれ、砂に返る」と言う人生観があります。
砂漠で夜空を見上げると、水のせせらぎも虫の声も葉の擦れる音も無い。聞こえるのは、砂のささやきだけである。
「お前はどこから来て、どこに行くのか?」そんな風に聞こえます。
故に砂漠に暮らす人々は、常に“生死”と向き合って生きているのです。
なかなか、アラブ方面のことは知りませんよね~
仏教では彼岸は、この世での喜怒哀楽、煩悩から脱却した悟りの境地を言いますが、いまは死んでから三途の川を渡った向こう岸と言う意味ですね。
アラブ人の彼岸は、「天国は影をなす緑が生い茂り、水が懇々と湧き出ずる場所で、汚れを知らぬ乙女たちが昼夜癒やしてくれて、足元にはミルクの川が流れ、美味しい酒が飲める。」
生きてる間は灼熱砂漠をガマンして、苦しんでいるので、天国は緑と水に溢れたパラダイスと想像したのでしょう。
コーランはムハンマド滅後20年くらいたって編纂されたので、都合よく改竄されたかもしれませんが…。
エジプトにも墓はあります。大抵は遺体を砂に埋めて、頭の上に石を一個置きます。
数年もすれば石は砂に埋もれて、どこに墓があったか分からなくなります。
エジプト人には「砂から生まれ、砂に返る」と言う人生観があります。
砂漠で夜空を見上げると、水のせせらぎも虫の声も葉の擦れる音も無い。聞こえるのは、砂のささやきだけである。
「お前はどこから来て、どこに行くのか?」そんな風に聞こえます。
故に砂漠に暮らす人々は、常に“生死”と向き合って生きているのです。