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日光街道から少し奥まった高台に位置するこの建物は、当初は大名ホテルという名前の主に外国人向けの宿泊施設として建てられたものでした。 外国人避暑客などを相手に古美術骨董商を生業としていた小林庄一郎により明治38(1905)年に建設に着手、約35万円(当時)をかけて大正の初期頃にほぼ完成したといわれています。 「ほぼ」とわざわざ書いたのは、実は建物の外観は完成したものの内部が未完成であったとかホテルとして営業した記録が殆んど無かったからであり、資金繰りその他の関係で実際は開業に至らなかったともいわれます。 栃木県日光市中鉢石町999 13年09月下旬
※参考『栃木県の近代化遺産』 2003
『近代和風建築』 1988
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日光駅から東照宮へと向かう途中に建つ。
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南側(向かって左側)に付属棟が接続。 竣工年は大正5、同7、同14年と諸説あり現在も判明していません。
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外国人の目を引くためか外観は城郭風。 施工者は不詳、設計者は大栗某(?)ともいわれますが、それすら定かかどうか良く分からないそう。 当初は屋根に金の鯱が一対載っていたそうですが第二次世界大戦中に撤去(金属供出か)されています。
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破風の懸魚を拡大。 最初は龍かと思いましたが魚の尻尾みたいなのが見えるので…何でしょう? 鯉から龍へと変わる姿??
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次は向かって右側の破風。
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真ん中が壊れていますがこれは龍だと思います。
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左の破風を見ると龍の姿が完全に残っていました。
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坂道を登って出入口のある付属棟へ。
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建物は昭和18(1943)年に古河電工日光精銅所が買収、戦中は徴用工員宿所となり戦後は進駐軍に接収されて社交場となりました。 昭和23(1948)年に古河電工から日光町に寄付され、同27(1952)年からは町役場(現・日光総合支所)となっています。
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側面に周ると下見板が。
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更に裏手に周っていくと黄味がかった下見板の姿が現れました。
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軒下には漆喰装飾。
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日光を訪れる外国人の増加により古美術骨董商として商売は順調、小林は日光町議会議員や栃木県議会議員を経て明治41(1908)年には立憲政友会から選挙に出馬し見事に当選、衆議院議員にまで上り詰めている。
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明治30年代中頃から大正初期における日光はホテルや旅館業者が激しく鎬(しのぎ)を削った時代であり、その激戦地に参入しようとしたのが大名ホテルでした。 しかし第一次世界大戦(大正3年・1914に勃発)へと向けて世界情勢は緊迫し、日本から本国へと引き揚げる外国人の姿も目立ち始めるような時代が既に到来しており、大名ホテルが営業を始めるには余りにも遅きに失しました。
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全てが夢のままに終わる。
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