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松が峰教会は明治21(1888)年にパリ外国宣教会のカジャック神父により市内・川向町に宇都宮天主公教会として発足、後に現在の松が峰に移って明治43(1910)年には最初の聖堂が建設されました。 現在の聖堂は昭和7(1932)年にスイス人建築家、マックス・ヒンデル(1887~1963)の設計により建てられたもので、外壁に大谷石を用い双塔をもったロマネスク様式の壮麗な建物となっており、ヒンデルの日本における事実上の最後で最大の作品となっています。 栃木県宇都宮市松が峰1-1-5 08年01月中旬他
※参考『栃木の建築文化 カトリック松が峰教会』 1986
『大谷石百選』 2006 ほか
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総工費5万3千余円(当時)、延べ3万6千人余りの人員により完成。
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十字架の先端までの高さは27メートル近くもあります。
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施工は当時、横浜にあった宮内建築事務所(宮内初太郎・1892~1957)。 優秀な技術陣を擁し外国人(特に仏人)からの信頼が厚かったといわれます。
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石工棟梁は安野半吾(1872~1951)。 工事には多くの石工が参加するも細かい細工が多く加工石数が伸びない事から工事を辞退する者が続出、その為に半吾が賃金を補償する事によって石工を繋ぎとめ完成に漕ぎ着けました。
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1階は当初、幼稚園となっていましたが現在は隣接する建物に独立し、ここの扉は基本的には開かれていません。
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正面の階段を上がって2階の礼拝室へ。
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戦災により屋根が落ち内部も焼失するなど半壊に近い被害を受けましたが、戦後になって直ぐの昭和22(1947)年には早くも復元工事が完了しています。
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現在は椅子席となっていますが建築当初は畳敷きでした。 正面のパイプオルガンは昭和53(1978)年に奉献された西ドイツ(当時)製のもの。
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ヒンデルはスイス・チューリッヒのフルンテルン地区生まれ。 大正13(1924)年3月に来日し札幌で3年、横浜で13年の合わせて16年間を日本で過ごしました。 この聖堂の工事の際には敷地内に仮設の事務所を設けそこで寝泊まりし、監督や職人達に直接に指揮をしていたそうです。
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ゴム靴を履いたカエルの雨水落し。 これは建築当時の司祭が宮沢賢治と親交があったそうで賢治の童話『蛙のゴム靴』にちなんで作ったもの。
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今の様に高い建物が周りに密集する前は、この尖塔が列車の中や遠く離れた場所からも良く見えました。 宇都宮に到着した事を実感する一瞬だったそうです。
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この聖堂が完成して3年後の昭和10(1935)年5月にヒンデルは自らの建築事務所を解散、同15(1940)年には日本を離れドイツ・レーゲンへと旅立っています。 ここを最後に以後は目立った創作活動をしなかったヒンデルにとっては正に建築家人生の集大成といってもよい作品なのかもしれません。
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