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明治9(1876)年に金居善太郎により創業された金善織物は、大正6(1917)年にいち早く力職機200台を導入、職工170人を抱えるなど織物業で栄えていた桐生市内でも有数の規模を誇りました。 このビルは善太郎の長男である常八郎が貸し店舗として大正10(1921)年頃に建てたもので、地方都市ではまだ珍しかった鉄筋コンクリート(RC)造で建てられました。 金善織物は太平洋戦争さなかの昭和19(1944)年に企業の統合整理の対象となり廃業しましたが、桐生繁栄のシンボルであったこの建物は今も昔とほぼ変わらぬ姿で街を飾っています。 群馬県桐生市本町5-345 09年11月下旬・10年06月上旬
※参考『群馬県近代化遺産総合調査報告書』 1992
『颯爽たる上州 群馬の近代化遺産』 1995
『シルクカントリー 群馬の建造物史』 2009
『群馬県の近代和風建築総合調査報告書』 2012
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玄関上を飾るモダンな装飾。
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地上4階・地下1階、1階部分は石張り・2階より上をタイル張りにして外観に変化をつけています。
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パラペットにも装飾がありました。
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屋上の塔屋に見えるのは煙突だそうです。
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こちらはかつての金善織物の居宅兼事務所。 中央3連丸窓の玄関ホールと脇の応接室は大正10年頃(?)、向かって右側の居宅が明治後期頃(?)、左のサロンが明治前期とされるようです。 サロンは吹き抜けで畳敷きのギャラリーが廻るという。
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白色と相俟って物凄いインパクトのある「顔」をしています。
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東側には道路を挟んでノコギリ屋根の工場があり主屋と地下で結ばれていました。 今は工場は無くなっています。
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現在この建物は個人邸となってます。 見学の際は十分にご配慮願います。
けたりすると『アッ‼この建物きっと建築先生
(勝手にそう思ってる・・ごめんなさいまし・・)
だったら喜ろこばれるでしょうか?なんて思ってしまいますよ・・。
いつもながらの良い写真楽しく拝見です。
先生だなんて、ワタクシにはおこがましい肩書きです。
最近はカルチャースクールなど建築の講義にも時々参加しているのですが、
やっぱり本職の先生方は建物の解説も的確ですし、時代背景や
時の芸術運動なども絡めて話をして下さるので知識が豊富で凄いなぁと思う事ばかりです。。
なので自分は古い建物が好きなだけのライトな建築ファンというポジションでこの世界と関わりたいなと思っています。
それで誰かに喜んでもらえるのなら、それはそれで幸せな事ですね。。
華やかな物語 沢山思い出します
桐生の胸を張ることのシンボルです