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国内では琵琶湖に次ぐ大きさ(面積)を誇る茨城県の霞ヶ浦。 その東側に位置するのが行方市であり、2005年に近隣3町による合併で誕生した新しい市になるのだそうです。 市内には鉄道が通っておらず市民の足は専らマイカーによるものと思われますが、この建物は旧玉造町の某所、車で走っているだけでは決して見つからない所に建っています。 今回30年近く前の本に載っていた写真を頼りに訪問してみましたが、既にこの家には住み人はおらず、建物は竹林に覆われた風の音だけが聞こえる静かな空間でゆっくりと自然に還る途中のようでした。 茨城県行方市 12年02月上旬
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近づいてはいけないような気がしました。
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大正11(1922)年築。 和洋折衷の館です。
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洋館1階部分の外壁は薄いピンク色。
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2階はベランダ付き。 家人にはここから何が見えていたのでしょう。
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洋館の隣りには附属屋もありました。
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こちらにも。
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こちらも。
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最初に見えた光景。 予想していたものとは大きく違ったものでした。
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赤別荘と称されていた頃。 『常陽 藝文』特集/茨城の洋風建築 1983年12月号より
ここは多分ネット上には載っていない建物とは思いますが、
廃墟系の人達は私を遥かに凌ぐ調査力・嗅覚をお持ちですから
あるいは何処かのサイトでは既に探査済みかも知れませんね。
裏側とかにも回りもっと写真を撮ればよかったと今になって思っているのですが、
廃墟探索はした事も無く、実物を見たらちょっとビビッて足が固まってしまいました(汗)。
まあ、これぐらいのボリュームが丁度良いのかも…と納得しています。
この建物に関しては私も記事に書いた程度にしか情報は持っていません。
ただ邸名が女性の名前だったので、老齢の未亡人とかが一人でお住まいになっていて、
何らかの理由により住む事が出来なくなり、跡継ぎもなくてこのように荒れ果ててしまったのかな、という妄想を抱いております。。
廃墟を見るとき、残ってた、見ることができた、という幸運にも似た思いを感じます。行ってみたい気がしますが、こわれてしまいそう。。。
明治村のような保存建築も大好きなのですが、役目を失った建築というものに、何かぬけがら的なものを感じてしまいます。やはり、建物は使ってこそですね。
岡山の吹屋小学校、ついに今月末で閉校とのこと。資料館として残るそうです。
このように取り返しのつかないくらいに荒れ果ててしまうのもやはり考え物ですね。
適度に使用されてきた“やれ具合”の中に建物の歴史や取り巻く人々の物語を見たいと思っているので、
ここまでの状況になってしまった事にある種の無力感を覚えます。
吹屋小学校、数年前から閉校の噂は流れていましたが、ついにその時が来たかという感じです。
資料館として残るようなら内部見学も出来そうですが、現役時代の雄姿も見たかったですね。