無鄰菴は明治の元勲・山縣有朋(1838~1922)が京都に築いた別荘の名称。 敷地の大半を占める池泉回遊式庭園には木造2階建ての母屋と茶室、そしてレンガ造の洋館の3つの建物が設えてあり、現在は京都市の管理の下、一般に公開されています。 京都府京都市左京区南禅寺草川町31 12年10月下旬
※参考『京都府の近代和風建築』 2009
『京都モダン建築の発見』 2002
『近代京都の名建築』 1994 ほか
山縣有朋は「無鄰菴」と呼ばれる別邸を生涯に渡って3度建設している。 郷里・長州の下関、京都の木屋町二条、そして南禅寺に近いこの場所に建設したのが明治27~29(1894~96)年といわれます。
表門をくぐって受付へ。
庭園に入って直ぐ右側にある洋館は明治31(1898)年の築。 設計者の新家孝正は旧川崎銀行水戸支店や旧学習院初等科正堂等を手掛けた建築家。
階段部分。
レンガ造とは思えぬ土蔵風の建物。 山縣は洋館を防寒室として建てたとしており、また外観も庭園と不調和である為、植栽で隠すと発言しています。
洋館の入口へ。
蔵の扉といった感じです。
展示室になっている1階は煉瓦むき出しのまま。
洋館の造り。
階段室は外から見ると意匠が微妙に異なっているのが特徴的。 増築か改築部分のような気もしますがそういう資料は見当たりませんでした。
突き当りが主室で左が控えの間になります。
主室。 金碧花鳥図障壁画で飾られたこの部屋で明治36(1903)年4月21日、午後4時から2時間に渡って日露開戦を決めた「無鄰菴会議」が開かれた。 出席者は山縣の他に伊藤博文・桂太郎・小村寿太郎の3人。
折上げ格天井からシャンデリアが吊り下がる。
この部屋は薄暗い上にフラッシュ撮影も禁止。 私が使っている名刺サイズのコンデジで手持ち撮影だとこれが限界です。
一つだけソファの色が違うのは何故でしょう?
狩野派といわれる障壁画。 これ以上ズームにすると手振れが酷くて寄れません。。
こちらは控えの間。
当時の椅子でしょうか。
洋館を出ます。
茶室は明治28年に移築してきたものらしいです。
庭園を歩く。
10月末の京都の空。
明治28年築の主屋。 明治31年と大正期に改造されているようです。
庭園は山縣が自ら設計・監督したもので、造園家・7代目小川治兵衛(1860~1933)が作庭したもの。 東山を借景にし疎水の水を取り入れた美しい庭園です。
随分と長い間コメントに返信出来なくて申し訳ありませんでした。
ここには10月の終わりくらいに訪れたのですが、紅葉の季節にはまだ少し早過ぎましたね。
それでも豊かな自然に囲まれて都会の喧騒を忘れるには十分でしたよ。
夏場は恐らく洋館は蒸し風呂状態になると思いますし冬は底冷えしてかなり寒そうです。
ゼンマイが芽吹く春先にでもまた訪れたいですね。