京都を代表する建築家・武田五一(1872~1938)の自邸の離れとして昭和4(1929)年に建てられ、武田没後は武田未亡人の終の棲家となった建物。 母屋は昭和30(1955)年頃に現在のこの建物の持ち主であるS家が購入しましたが同37(1962)年の火災で焼失、その後に武田夫人が亡くなった為にこの離れもS家が購入しました。 昭和47(1972)年に大規模改修が行われ内部は旧情を留めていないそうです。 京都府京都市北区 13年04月中旬
※参考『京都市の近代化遺産』 2006
『関西の近代建築 ウォートルスから村野藤吾まで』 1996
※個人邸ですので見学の際は十分にご配慮願います。
東面から。 この離れは元は製図室であったという。
西面に回ると窓には幾何学模様のステンドグラスがありました。
壁には青紫色の装飾タイル。
武田五一は包容力があって人間的にも優れ、建物の実施設計を弟子達に任せて自由にやらせる事も多かったという。 中でも松本儀八(1888~1973)に対しては一際信頼が厚く、武田自邸の実施設計も松本に委ねているそうです(焼失した母屋部分、この離れへの関与は不明)。 松本は武田が教授を務めた京都高等工芸学校時代の教え子であり、大正14(1925)年に開設された大林組住宅部の部長でもありました。
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