武庫川女子大学附属中学・高校の「芸術館」として使用されているこの建物は、昭和10(1935)年に鳴尾競馬場本館として建てられたものの一部を保存・復元した施設。
鳴尾競馬場は明治40(1907)年に関西競馬倶楽部により「関西競馬場」として創設され、同43(1910)年に同じ鳴尾浜にあった「鳴尾速歩競馬場」(主催・鳴尾速歩競馬会)と合同し「鳴尾競馬場」と改称されます。 この時に「倶楽部」と「競馬会」が合併して誕生した阪神競馬倶楽部により昭和10年に現在の建物が完成、2年後に阪神競馬倶楽部が日本競馬会に統合された際には競馬場も「阪神競馬場」へと名称変更されました。 昭和18(1943)年には太平洋戦争の拡大に伴って競馬場は軍に接収され本館は飛行場(鳴尾飛行場)の管制塔に転用、戦後は米軍がキャンプ基地として使用し昭和32(1957)年からは国が管理するようになりました。 昭和35(1960)年に武庫川女子大学がこの地の払下げを受け、以降は校舎建設の中にこの本館も取り入れられ現在までその姿を残す事になっています。 兵庫県西宮市枝川町4-16 12年12月上旬
エントランス。
大きな庇があります。
中に入ると正面に大階段。
この建物を文化財として残すにあたり内部は忠実な復元が行われているそうです。
玄関を入って右側の部屋は現在は応接室。
左側の部屋へ。
こちらは展示室。
2階へ進みます。
大階段は2階までで終わり。
上がり着いた先は多目的ホール3。 奥にも小室が見えます。
払下げを受けた時には建物は廃墟のようになっていました。 現在の姿はやはり復元の力が大きいと思います。
小室は多目的ホール2。
天井の漆喰装飾は2段になっていて可憐。
3階へは脇にある階段を使って上がります。
3階の梁の装飾。
3階のホール。 左に開いている扉は増築された後背部へ出入りする為のもの。
多目的ホール4。
この部屋は気品があります。
美しい。
また階段を上がって4階のホールに来ました。
振り返ると窓があって外の景色が床に映り込む。 一気に開放感に包まれます。
この階段を上がれば…
そこは屋上。
校庭が見えています。 かつては大スタンドと1週1800メートルの馬場がありました。
古写真を見たら競馬場は平坦コースのような感じ。 大掛かりな造成工事を必要とする事も無く飛行場に転用するには都合が良かったかも知れません。
反対側はこんな景色。 庶民の平和な生活が営まれています。
先ほど通り過ぎた4階の一室でコーヒーブレイク。 西宮市主催の見学会に参加したのでした。
3階の増築部。 右手が美術教室になります。
「芸術館」という使われ方。
館内はスリッパ着用。
戦争の悲惨さを忘れ、幸せな結末。
こんなところでのんびりコーヒタイムしたいですね・・。
ああ..今年も良いお写真で心を和ませて下さいね。
ここは女子中・高なので男の私には近寄りがたい場所でした。
西宮市主催の「まちたび博」で見学が叶いましたが、最近はこの手の街歩きイベントが増えて嬉しい限りです。
「まいまい京都」や「OSAKA旅めがね」等々、こういう町興し企画に今年は積極的に参加したいと思っていますよ。
その様子をブログで伝えて各地の街の魅力を伝える事が出来れば私も嬉しいです(笑)。