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商店街の破けたアーケードから円筒状の塔屋を覗かせているこの建物は、大正末期(大正10~12年頃・1921~23頃)に網干銀行の本店として建設されたもの。 網干銀行は明治27(1894)年に設立された銀行ですが昭和5(1930)年に三十八銀行に買収され消滅、同行も昭和11(1936)年の7行合併により新たに神戸銀行となりました。 この建物は昭和45(1970)年以降は洋装店に改装され現在まで同じ用途で活用されています。 兵庫県姫路市網干区新在家640-3 11年09月下旬
※参考『兵庫県の近代化遺産』 2006
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商店街の入り口に建つ。
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現在は女性向けの服飾店。
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レンガ造ですが赤茶のタイルが貼られRC造のようにも見せています。
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基礎の部分は花崗岩。
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櫛形のペディメントも見える。
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看板で隠れていますが玄関脇には円柱も備わっています。
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昭和5年に買収され消滅したという事は、網干銀行は昭和恐慌のあおりを大きく食らってしまったのでしょうか。
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ハーシーのキスチョコを少し扁平にしたような形のドーム屋根。
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装飾は抽象化されている感じ。
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網干銀行創設者・山本真蔵の大正10年の日記から設計施工は神戸の田中組と思われるそう。 担当・若松初三郎となっていますがどのような人物・仕事をしていたのかは分からないみたいです。
銀行が洋装店に変貌するのは珍しいと思います
その外観とのギャップが妙に面白いです
銀行建築は建物の性質上、頑丈に造られていますから、メンテさえしっかりしていけば耐用年数は長いですね。
この規模の建物だと個人商店にするには少し大きいような気もしますが上手く活用しているのでしょう。
中も見たいのですが、いかんせん女性向けの洋装店なので男一人で入るのは躊躇われます。。