坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

自殺

2013年11月06日 | 坊主の家計簿
諸々の事情により昨日寝る前の連続TweetをFacebookに。

自殺は他殺なんだろうか?
自殺が自死であるのならば、自死した方を哀れむ資格が誰かにあるのだろうか?
他殺なら責任追求すればよい。しかし、他人から見てどんな精神状況であったとしても、その方が選ばれた道ならば、その事を哀れむ資格が誰かにあるのだろうか?

死はタブーである。故に『完全自殺マニュアル』は問題視された。だが、問題視した人は自殺を考えた事がないのではないのか?あの本が、あの本で生きる力を与えてくれた、という声は私だけでなく、多く聞く。

自殺問題の背後に「人は年老いて…」などという幻想はないのだろうか?『正しい死』と『正しくない死』はないのか?

「その人が生きた」という事実は変えようがない。そして、その人が、どういう形であっても亡くなられた、という事実も変えようがない。ただ、受け取る私たちが、その死に判断を下すだけだ。

「そんな事をいっても…」というのは情である。情でしかない。ある意味なんら根拠はない。だが、その『情』の部分のマイナスは人を切り裁くが、『情』があるが故に許しあえる、認めあえる。

弱い人間。自殺は弾みだと思うが、弱い人間でも構わない。その『弱い人間』を、「あの人は感性が豊かだから」と逆差別するのでなく、カスのヒューマニズムで誤魔化すのでなく、「いや、弱くってもええやん?なんで強くならんとあかんの?」と。

「頑張れ頑張れ」と煩い。そんなものは「頑張れ上田紀行!」だけで十分であり、頑張るのでなく、存在に帰れ、だろ。

弱かろうが強かろうが、その人が「生きていた」。その事を尊重する。「私たちは頑張らなければ」と自殺を否定するのでなく、弱さを情感で認めあう。
そんな事だけでも、他殺としての自殺は少なくなると思う。

とりあえず上田紀行は顔を洗って出直してこい。

緊張形頭痛が酷く、後頭部にアンメルツヨコヨコを塗ったら、カッカして寝つき悪い、悪いw

やさしくなりたい
やさしくありたい

と、追い詰める。

やさしくなんかなくてもイイよ。

と、許される。
その呼び声の世界に帰ろうとする。

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