坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「南無阿弥陀佛」というレッテル

2020年06月13日 | 坊主の家計簿
頭が割れそうな程度にイライラする事があり、酒とタバコで何とかしています。当然、酒もタバコも向精神薬という、合法ドラッグです。故に、一応は人様からゴタゴタ言われる筋合いはないのですが、最近は「健康国家ナチス」





あ、違う、「健康国家日本」なので、「酒呑み=アルコール依存症」「喫煙者=ニコチン依存症」という風潮が強まりつつあります。

病気としての認定は、個を社会の中で認証する為には必要な作業なのかも知れません。例えば、単なる対人関係が不得意な「あいつ鬱陶しいのぉ…」だった人がアスペルガーというレッテルを貼る事によって社会認知されます。排除の対象では無くなります。でも、それは同時に「治療しなければならない病人」としてです。

障害者解放運動で「青い芝」というのがありました。この人たちが見事なまでにアナーキーでパンクで、大好きだったりします。でも、青い芝の人たちは、合宿生活の中で大仏空という天台僧と共に歎異抄を学んでいました。青い芝には親鸞の精神が生きています。

私が「青い芝」系の人に初めて出会ったのは、30歳頃に働いていた共同作業所のパン屋を通じてです。そのパン屋自体も大阪の市民運動家たちが作ったものですし、代表だった脳性麻痺の人も含めて、物凄く刺激を得たのですが、所属している関連団体の集会で「青い芝」の影響をモロに得た人に出会いました。
私は支援者として参加していたのですが、あくまでも障害者の集まりです。その中で「あんたら、車椅子を押して貰ってる事を卑下したらアカンで。当たり前の事や」などと。その人は壇上で発言しました。それは車椅子を押して「支援者」として参加している私にとっては「偉そうな顔するなよ」と同時に、「アンタはアンタやろ!」と、当時はまだ求道熱心だった私の心に直撃しました。
その後に発せられた言葉、「障害を隠す必要はない」は、「アンタを隠す必要はない」と聞こえました。

レッテルを貼る事によって、理解不能な他者を排除せずに社会の仲間入り(認知)するという作業は、現状では必要な事なのかも知れません。でも、そのレッテルが「南無阿弥陀佛」というレッテルだった場合はどうなのでしょうか?アルコール依存症というレッテルでは無く南無阿弥陀佛というレッテル。ニコチン依存症というレッテルでは無く南無阿弥陀佛というレッテル。

仮にアンジャッシュ渡部だったっけ?に「セックス依存症」というレッテルが貼られて「ああ、アイツも辛かったんやろな」では無く、南無阿弥陀佛というレッテル。病気でなく、個性として、業としての認知。

数日前に「犬猫などのペットは往生出来るのか?」という記事を読みました。それは、往生する主体が他者にあるのか?それとも自分にあるのか?という設問だと私は思います。私は往生する主体は自分にあると思っているので、犬猫だろうが、往生します。私が往生する時に、排除すべき対象はありません。

故に、今日、頭が割れそうな程度にイライラした原因の言葉を発した人も同じです。私には理解不可能な事、当たり前ですね、他人ですから、でも、その人の人生の中で考えて発した言葉だっただけ。立場が違うから私は頭が割れそうにイライラしただけの話。どちらが正しいもクソもない。違うだけの話。共に「南無阿弥陀佛」というレッテルを貼られたもの同士の話。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿