11月8日
雑費 缶コーヒー 120円
タバコ10 3000円
外食 回転寿司 525円
薬局 浅田飴 268円
胃薬 718円
食類 無添加ワイン 480円
大根 88円
プルコギ 300円
鶏肉 350円
白菜 100円
合計 5949円
11月累計 32874円
タバコを買おうと思ったら、万札しかなかった。。。店のおっちゃんに両替して貰おうと思ったんやけど、「ん?そういやしばらく忙しいねんや」と云う事でワンカートン買い。ライター2個呉れた。
んが、タバコをまとめ買いすると安心して吸いまくる弱さが私にはあるので注意やな。
後、何故か安かった大根と、鶏肉に目が行ってしまい、「保存食、保存食」と煮込み出す。。。タンパク質と食物繊維は外食で取り難いし。と言い訳なんだが。。。
違う晩ご飯喰って、アイロン掛けしたりしつつ、「うお!こんな時間やんけ!」で、報恩講の練習。まあ、職分やし、ちゃんとやらんとアカンし。
気になる事を、ちょこっと。
私は『僧侶』である。ただし、真宗大谷派だけでしか通用しない『僧侶』だろう。だって、授戒してない『僧侶』なんぞ、例えばタイの仏教徒にしたら「はあ?」の話なんだろうし。
私は真宗大谷派の同朋会運動と云うのが好きである。『好き』という言葉だけでは語りきれないくらいの恩義がある。同朋会運動がなければ、それこそ私は「腐って死んでた」んだろうし。
まあ、教団内政治によって変わるのかも知れないけど、現状の大谷派教団は同朋会運動教団でもある。それ位にでっかいものだと思う。
この辺が、例えば西本願寺(本願寺派)教団とは違う点なんだろうし。
まあ、ようするにでんな、多くの仏教教団数ある中で、真宗教団は授戒していない(そんなものがない)と云うだけでもかなり変なんだが、大谷派には同朋会運動っちゅうのがあるので、もっと変か。
どれだけ変な教団かと云うと、同朋会運動が哀しいかな今よりも熱かった時代、当時に大谷派の『教団問題』があった頃に、ある『御門徒さん(あえて)』が、こんな事を云われたそうな。
【この(大谷派宗憲)9章の問題は、『僧侶』と『門徒』と規定されていますね。僕は『門徒』と云う言葉には、いわゆる広義な意味で(広い意味で)『僧侶』も含んだ内容に置いて全部が『門徒』である、という考えと、それから『在家門徒』だけが『門徒』である、という表現があると思うんです。それは二つあってもいいんですけども、今度の宗憲の中に「門徒とは」「僧侶とは」と云う事を明確に分けてしまっていいのかどうか?やはり今までの『法主』を『門首』と改めている以上、基本的には『門首』『門徒』そういうのを含めて門徒、という形が望ましいのではないのかと?しかるに宗憲の中に「僧侶は僧侶」「門徒は門徒」と、いう別な規定というか制約が書いてあります。そうすると広い意味での『門徒』と云う意味があったのに、いわゆる宗憲の中で定義付けてしまって、それが大変な権威に成ってしまって、将来『僧侶』『門徒』とはこういうものだ、という方向に行ってしまうのではないかと。それが本当に同朋教団としての真宗なのか。だからこういう言葉を使っていいのか知れないけども、宗祖の精神に帰るという事であるならば『門徒』というのは、『僧侶』も『在家門徒』も含めて『門徒』であるという言葉の方がいいのではないかと申しあげて来たのです。】(某学習会で、ある先生よりの聞き書き)
多分、この方が危惧されていた状況に、今、まさしくあると感じる。
雑費 缶コーヒー 120円
タバコ10 3000円
外食 回転寿司 525円
薬局 浅田飴 268円
胃薬 718円
食類 無添加ワイン 480円
大根 88円
プルコギ 300円
鶏肉 350円
白菜 100円
合計 5949円
11月累計 32874円
タバコを買おうと思ったら、万札しかなかった。。。店のおっちゃんに両替して貰おうと思ったんやけど、「ん?そういやしばらく忙しいねんや」と云う事でワンカートン買い。ライター2個呉れた。
んが、タバコをまとめ買いすると安心して吸いまくる弱さが私にはあるので注意やな。
後、何故か安かった大根と、鶏肉に目が行ってしまい、「保存食、保存食」と煮込み出す。。。タンパク質と食物繊維は外食で取り難いし。と言い訳なんだが。。。
違う晩ご飯喰って、アイロン掛けしたりしつつ、「うお!こんな時間やんけ!」で、報恩講の練習。まあ、職分やし、ちゃんとやらんとアカンし。
気になる事を、ちょこっと。
私は『僧侶』である。ただし、真宗大谷派だけでしか通用しない『僧侶』だろう。だって、授戒してない『僧侶』なんぞ、例えばタイの仏教徒にしたら「はあ?」の話なんだろうし。
私は真宗大谷派の同朋会運動と云うのが好きである。『好き』という言葉だけでは語りきれないくらいの恩義がある。同朋会運動がなければ、それこそ私は「腐って死んでた」んだろうし。
まあ、教団内政治によって変わるのかも知れないけど、現状の大谷派教団は同朋会運動教団でもある。それ位にでっかいものだと思う。
この辺が、例えば西本願寺(本願寺派)教団とは違う点なんだろうし。
まあ、ようするにでんな、多くの仏教教団数ある中で、真宗教団は授戒していない(そんなものがない)と云うだけでもかなり変なんだが、大谷派には同朋会運動っちゅうのがあるので、もっと変か。
どれだけ変な教団かと云うと、同朋会運動が哀しいかな今よりも熱かった時代、当時に大谷派の『教団問題』があった頃に、ある『御門徒さん(あえて)』が、こんな事を云われたそうな。
【この(大谷派宗憲)9章の問題は、『僧侶』と『門徒』と規定されていますね。僕は『門徒』と云う言葉には、いわゆる広義な意味で(広い意味で)『僧侶』も含んだ内容に置いて全部が『門徒』である、という考えと、それから『在家門徒』だけが『門徒』である、という表現があると思うんです。それは二つあってもいいんですけども、今度の宗憲の中に「門徒とは」「僧侶とは」と云う事を明確に分けてしまっていいのかどうか?やはり今までの『法主』を『門首』と改めている以上、基本的には『門首』『門徒』そういうのを含めて門徒、という形が望ましいのではないのかと?しかるに宗憲の中に「僧侶は僧侶」「門徒は門徒」と、いう別な規定というか制約が書いてあります。そうすると広い意味での『門徒』と云う意味があったのに、いわゆる宗憲の中で定義付けてしまって、それが大変な権威に成ってしまって、将来『僧侶』『門徒』とはこういうものだ、という方向に行ってしまうのではないかと。それが本当に同朋教団としての真宗なのか。だからこういう言葉を使っていいのか知れないけども、宗祖の精神に帰るという事であるならば『門徒』というのは、『僧侶』も『在家門徒』も含めて『門徒』であるという言葉の方がいいのではないかと申しあげて来たのです。】(某学習会で、ある先生よりの聞き書き)
多分、この方が危惧されていた状況に、今、まさしくあると感じる。
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