坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

士気

2008年02月21日 | 坊主の家計簿
 2月21日

 雑費  レンタル3        315円
     もち巾着2        100円
     豆腐            88円
     大豆もやし         55円
     粉唐辛子         198円
     豚肉           313円
     めんスープ        228円
     キムチ           88円
     壬生菜          128円
     タバコ2         600円

 合計              2113円
 2月累計           84890円

 レンタル3は
 『サイレント・ワールド セカンド・アイスエイジ』
 『ネプチューン』
 『モンスター』

 『サイレント・ワールド セカンド・アイスエイジ』だけを観る。イマイチ。

 昨日は睡眠不足だったし、夕寝するよりも一気寝したいので珍しく日付が変わる前にブログ、と。
 
 しかし、どのテレビニュースでもイージス艦の事故の事が取り上げられている。
 ちなみに私もビックリした。「イージス艦ってぶつかるのか?」
 報道ステーションを見てたら、行方不明の方々の親族が出てた。周囲の仲間達も。不謹慎な言い方になるが、相手がイージス艦でなくても同じ。自衛隊でなくとも同じ。親族にとっては事故を起こした相手が自衛隊だろうが、イージス艦だろうが関係ない。それが親族や仲間達にとっての気持ちなのではないだろうか?
 親族の方が「この事を政争の道具にしないでもらいたい」みたいな事を語っておられたが、それは当たり前だろう。
 ついでだが、多分、こういう自衛隊がらみの事件が起こると、事件を利用して「だから自衛隊をなくさないとダメなのだ」と叫ぶ人がいると想像出来るのだが、これは基本的に船舶同士の事故である。だから直接関係のない話である。廃止を叫ぶのなら別機会に叫ぶべきだ。今回の事故を利用すべきではない。

 だが、この事故はやはり自衛隊絡みの話である。特にイージス艦の話である。
 イージス艦は最新ハイテク兵器である。日米同盟でも重大な位置を占めている。
 石破防衛相は軍事オタクで有名である。当然、事故を起こして被害をあわせてしまった組織のトップとしての責任もあるのだろうが、『防衛相』としての立場もある。防衛相としての立場では、今回の事故はやはり致命的である。自衛隊の艦船、特にイージス艦はぶつかってはならない艦船である。それは他の艦船と同じ意味も持ち合わせるのだが、やはり戦闘をする為の兵器だし。
 多くの人が感じた事だろうし、多くの人がテレビでも喋っていたが、「もし相手の舟に爆弾を積んでいたらどうするのだ?」と。今回は漁船で灯をつけていたみたいだが、灯のつけた漁船にぶつかったのである。そういう意味でも致命的である。防衛相としての立場ならそちらの方がデカイ。単なる事故では済まない。

 当然、イージス艦の乗組員もそれを感じただろう。単なる事故ではなく、自衛隊の艦船としての責任。詳しく知らないが、最新鋭のイージス艦の乗組員ってエリートっぽいし。自衛隊員としての責任感が強ければ強い程、単なる事故を起こしただけのショックにプラスして『自衛隊員』としての責任感が出て来て、ますますパニックになってしまったのではないだろうか?
 船舶の交通ルールは当然守られるべきなんだろうが、相手側がイージス艦を目指して突っ込んで来てもそれを回避する事を求められるのが『自衛隊のイージス艦』なんだろうし。

 石破防衛相が勝浦の漁協へ訪問途中で交通事故をおこしたらしい。
 これが『故意』であれば、それはそれで凄いのだが、まあ、仮に『故意』であったとしても、これまた日本の防衛省の能力を問われる出来事だ。
 防衛大臣が乗った車が交通事故って、多分、軍事オタクの石破防衛相は腑煮えくりかえっているのではないのか?石破防衛相だけでなく、自衛隊を自衛軍にしようとしている人達には。
 石破防衛相は防衛省のトップである。トップが乗った車が交通事故って、これまた相手が爆弾積んでいたらどないしまんねん。この事故も兼ね合わせて「だから自衛隊を自衛軍に」とは私はならないが、そういう世論作りには役立つであろう。故に『故意ではないか?』と先程書いたわけだが。

 今後、きっと議論されるのであろう事の一つは、「何故、イージス艦の乗組員の士気が下がっているのか?」だろう。何やらテレビ報道によると自動運転してたらしいし。
 士気が下がって当然である。自衛隊は自衛隊として存在している事に意味があるのであって、戦闘してはいけないのが自衛隊だから。
 
 少し前に元防衛省・守屋氏と同期らしい元防衛庁幹部がテレビで云ってたが、自衛隊自体が目的外支出。守屋氏の事件の時に確か「そこから議論しないと意味がない」と云ってはった。使わない事を目的とした人を殺す兵器。『?』の話である。
 何かの本で読んだのだが、何処かの国の拷問方法で砂山を移動させる、というのがあった。
 大きな砂山がある。その砂山を少し離れた所に移動させる。この『移動させる』と云う事に意味があればこの拷問方法は成り立たない。砂山を移動させたら、「では元の位置に戻せ」と命令するらしい。それを何度も繰り返すらしい。自分が砂山を移動している事に全く意味がない。到達感がない。この拷問方法はかなり効くらしい。
 自衛隊も災害救助なので頑張って下さっているが、エリートになれば成る程、こういう『拷問』的な感情を持たれる方も居られるのではないか?つまり士気が下がる。自分達の存在理由に意味を持てなくなる。戦闘してはいけない軍隊なんだから。

 私は自衛隊廃止論者だが、自衛隊に意味が災害救助以外に意味があるとするならば、つまり人を殺す兵器を、軍隊を抱えながらも決して闘わない軍隊がある事が意味にはならないだろうか?
 軍隊のない国も平和的だが、戦闘能力がありながらそれを決して使わない事もやはり平和的だと思うのだが。
 強くても絶対に闘わない。って、結構カッコよくない?

 今回の事故はイージス艦がイージス艦として機能していれば絶対に起こりえなかった事故である。一般艦船よりも遥かに注意しなければいけない、一番『ぶつからない』はずの艦船なんだから。自衛隊の艦船は。
 混雑する海域でも、向こうからやってくる大型艦船が自衛隊の艦船であれば安心して他の船舶が航海出来るようにして頂きたい。
 混雑する海域を自動操舵で進むというのは自衛隊としても大問題である。