坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

旗本八万騎

2008年02月07日 | 坊主の家計簿
 2月7日

 食類  海鮮まき寿司      200円
     イカさし        100円
 雑費  タバコ2(昨日)    600円

 合計              900円
 2月累計          34709円

 さすがに2連ちゃんで遊んだので今日はヘロヘロ。仕事終わって速攻ダウン。
 しゃて、我が大阪府の新知事である橋下氏が何やら『大阪維新』とか云っているらしい。『非常事態宣言』も出したらしいのだが、まあ、多少はエエこっちゃ。ただ、税金を使ってやる事だし公共福祉面だけはちゃんとやって貰いたいもんだ。

 維新で思い出したのだが、幕末。
 徳川幕府は『旗本八万騎』とか呼ばれてた。だが、最後の将軍・慶喜は『旗本八万騎』を信じてなかった。

 鎧兜や刀は戦の為の道具である。だが、長い太平の世の中で『戦の道具』はそれ以上の意味を持ち始めた。だから捨てられなかった。
 長州には奇兵隊があった。鎧兜の武者からすると「なんじゃい、あのカッコは」の奇兵隊。まあ、鉄砲の時代に鎧兜なんぞ意味ないし。武士道も関係のない奇兵隊。あくまでも純粋に人を殺すための集団。それに対して鎧兜や刀を『武器』以上のワケの解らん何かを持った人達。そりゃ、あきまへんな。
 戦は純粋に人を殺し合う事だから、『家の伝統』とか『我が家の家宝』なんぞ足を引っ張るだけの話。
 『旗本八万騎』は最早兵士としての意味を殆どなさなくなった。だから新撰組なんぞが出てくる。

 真宗の仏壇(厳密には『お内仏』)を買うと、だいたい『御文(御文章)』がついて来る。これは蓮如が書いた手紙を集めたもの。手紙だから気安く読んだらエエのだが、殆どの家では大切に保管されている。漆塗りの大層な入れ物に入っていて、新しく仏壇を買った所に行った時にあったら「読んで下さいね」というのだが、大切に保管されている場合が多い。
 大谷派では法要等で読むのだが、え~。。。作法っちゅうもんがあって作法に則って読んでいる。読みながらも思うのだが、古文だし、独特の読み方なので多分『聞いているだけ』では何を云っているのか解らないと思う。
 読経も本来なら「経を読む」のだし、読んでるだけで意味が解らないといけないのだが、まあ、余程のインテリでないと解らないと思う。

 御経を書いたのは厳密には釈尊ではないが、釈尊は民衆語で仏法を語った。
 その御経を私は漢文で変わらず読んでいる。
 日本仏教に対する批判の最たるものとしてもっと批判されるべき、一番根本の問題だと思うのだが。

 旗本八万騎の多くは徳川幕府が崩壊する事なんぞ思いもつかなかっただろう。このままの生活、『旗本』といっても下級なら生活が苦しかっただろうが、それでも『旗本』としてのプライドを保つ事にやっきになっていたのだろう。鎧兜は武器でなく、家宝になり、武器以上の意味を持ち続ける事が大切だと思っていたのだろうし。だから、捨てられずにいた。
 他の多くの藩もそうだったのだろう。侍としてのプライドを保つ事が侍の役割だと思っていたのだろう。

 釈尊は生涯旅をした。
 法然・親鸞は山を降りた。
 蓮如は御文を書き、伝道に励んだ。
 つまり、『僧侶』である、『寺』である、とは一つの方向性を存在自体が持っている。はず。