坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

鬼はウチ

2008年02月03日 | 坊主の家計簿
 2月3日

 今日も1円も使ってません。

 2月累計           5289円

 御仕事忙しく、しかも寒い!小雨やし、早朝はミゾレやったし。え?「うちは大雪やった?」そら大変でっせ。この辺りは雪降ったらガキから大人まで、ホームレス状態労働者とガードマン以外は大喜びでっせ。珍しいし。
 っちゅう事で、仕事から帰って来て外出するのがイヤだったので残り物&保存食で過ごす。

 昨日は御仕事がヒマだった。早めに終わったので久々に最初から吉本新喜劇を観る。大阪では毎週土曜の昼間は『吉本新喜劇』と大昔から決まってまんねん。
 なんと!なんと!ヒロイン役に宇都宮まきちゃん!抜擢早や。さすがは吉本。芝居はまだ未知やすえよりも下手やけど、まきちゃんだからエエのだ。
 芝居が下手でセリフも云えなくてもまきちゃんが吉本新喜劇の舞台上に居るだけで観に行きたくなるではないか。
 しかも『吉本新喜劇』である。蜷川作品ではない。いくら蒼井優ちゃんが蜷川作品に出てもチケットが取れなくてはどうしようもない。
 蒼井優ちゃんのオナラはきっと臭くなく、まきちゃんのオナラはきっと臭いだろうがイヤではない。
 あばたもエクボである。

 『あばたもエクボ』の反対は何というのかな?

 中国が日本と同じ事をしてても中国バッシングをしてる人達がいるし、私ならオーストラリアである。ジェフ・ウイリアムスの手前戦争なんぞ出来ないがオーストラリアになら勝てるぞ。オーストラリアはレアメタルもある。しょぼい軍隊で調子に乗りくさりやがって、何が「鯨を喰うな!」じゃ。シバクぞボケが。お前等には異文化に対する尊敬っちゅうのがないのか?単純な脳味噌しやがって。強姦魔めが。とは云え、私はジェフ・ウイリアムスという素晴らしい人を知っているので別に『全てのオーストラリア人』とは云わない。除くジェフ・ウイリアムスである。ジェフ・ウイリアムスの恩義は生涯忘れない。

 と、まあ、書いたりする。私の事をよく知っている人や好意を持ってくれている人なら「また何時ものジョークネタが」なんだろうが、私に悪意を抱いている人はそうはいかない。これが面白い。これだから面白い。
 言葉の揚げ足をとって、文章の一部分を抜き出して「エロ坊主は戦争を賛美している!」と(笑)
 死ねばイイのに(笑)

 煩悩具足の凡夫。偏見の塊。目覚めた人では決してないし、冷静な判断等も出来ない。
 当然、相手の言葉や相手が書いたものを色眼鏡でしか見れない。単純な話だ。それが煩悩具足の凡夫だから。
 だから、キライな人や、敵が鬼になる。鬼畜米英になる。
 被差別者になり、場合によっては隔離する。「鬼は外。福は内」である。
 「鬼は外。福は内」をやっている人達を『旧軍部の人達』『右翼の人達』『過激派の人達』等と外の問題にしてしまう事を確か『外道』と云う。『外道』を他人の問題にしてしまう人を『外道』と呼ぶ。
 偏見以外では物事を判断出来ず、「鬼は外。福は内」とやってしまっている差別性を他の誰でもなく私の事である。と自覚で来た瞬間だけが『まとも』なのであって、そういう感動かってすぐに慢心になる。と感じる。下げた頭はすぐに調子に乗り出す。煩悩はしたたかなもんでっせ。

 「鬼は外。福は内」それが実態である。
 好きな人のオナラはイヤではなくても「お父さんの洗濯物と私の洗濯物を一緒に洗わないで!」であり、「蕎麦を音を立てて食べるのがイヤ」と云う。お前の父ちゃん、ラーメン屋で育ったんとちゃうんけ。蕎麦もラーメンも麺類なんぞ汁飛ばして音立てて食べるもんやろ。
 しかし、イヤなものはイヤなんだろう。
 相手がする事、言葉、書く事の全てがイヤ。相手の存在がイヤ。だから些細な事で大騒ぎする。
 人間らしい、差別者たる人間らしくてエエ話や。

 「鬼は外。福は内」
 自分達が好きな先生達は『内』であり、オナラも臭くない。
 自分達がキライな先生達は『外』であり、何をやっても許せない。きっと蕎麦を食べてても文句云うのだろう。

 鬼。昔なら朝廷の敵。
 しかし、鬼にとって朝廷こそが『鬼』だっただろう。
 過激派にとっては機動隊や国家が鬼。

 「鬼は鬼ではなかった。」
 と云うのがシムクガマとチビチリガマとの違いである。
 シムクガマでは「鬼は鬼ではない」が故に集団自決せずすみ、チビチリガマでは「鬼は鬼である」が故に集団自決した。

 『鬼は外。福は内』
 ミナミの夜の街で働いて居た私なんぞは『夜回り先生』からすると『鬼』なんだろう。深夜まで働いてたし、朝まで飲んでたし。きっと私の敵=鬼である有閑マダムのモラリストなんぞが「あんな所に行ったらダメです!」と云う店をやってたし。今でも行くし。

 長らく行ってないが、今でも大谷派本山・同朋会館に『仲間意識が仲間外れを作り出す』やったっけ?そんな言葉が書いてあるのだろうか?非常に『同朋会館』らしくて好きな言葉だったし、教師修練での感話で使ったからよく憶えている。
 
 セクト主義では『鬼は外。福は内』は問題にならない。そんなもん、平気で差別してる人に聞いてみい。
 「女は男に従って当たり前」
 「ハンセン病患者は隔離されて当たり前」
 「ホームレスは好き勝手に生きて来たから当たり前」
 とか云いよんぞ。それが偏見だとは思わんぞ。あるいは「偏見かも知らんけど、そりゃしゃーないで」とか云いよんぞ。問題にせえへんぞ。
 という人達を、また『鬼は外。福は内』にしてしまう。他人事にしてしまう。
 徹頭徹尾、そんなもんや。力が強いか弱いかだけの話。
 
 『鬼は外。福は内』と互いに偏見を持つ身だからこそ相互批判は大事だが、セクト主義からの怒りに疑いを持たない限り、『鬼は外。福は内』を再生産し続けて行くだけ。
 弱者を利用するのは旧軍部と全く同じ。
 弱者、社会的弱者を利用して自分の御都合主義に当てはめる。正義の味方の『鬼は外。福は内』
 
 だからこそ

【長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を斎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間をいたはるかの如き運動は、かえつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬することによつて自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業の殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、温かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢のうちにも、なほ誇りうる人間の血は涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
 吾々がエタであることを誇りうる時が来たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間をいたはる事が何であるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。】(宣言より)

【『華厳経』(入法界品)の偈に云うがごとし。もし菩薩、種種の行を修行するを見て、善・不善の心を起こすことありとも、菩薩みな摂取せん、と。已上】(『教行信証』より)