坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『グッバイ、レーニン』

2007年06月19日 | 坊主の家計簿
 6月19日

 食類   鯖きずし           100円
      寿司             200円
      蟹&かずのこ飯        200円
      カップうどん2        138円
      ノンフライ麺5×2      396円
      もやし             45円
      発泡酒            175円
 雑費   レンタル4          720円

 合計                 1974円
 6月累計              61167円

 レンタルは
 宮崎あおい『ギミー・ヘブン』
 宮崎あおい『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』
 『ミリオンダラー・ベイビー』
 『グッバイ、レーニン』
 の4本。

 宮崎あおいちゃんが結婚する事によって人気が落ちるとかの報道があったが、それは勘違いである。
 あおいちゃんはアイドルではなく女優である。アイドルを拒否するが為に『NANA2』を蹴って『初恋』に出たわけやし。んなもん、興行収入なんぞ最初から決まってまんな。同様にアイドルを拒否するが故の結婚なのだ。
 同時に、あおいちゃんには恋愛モノが多い。しかも、最近借りようか迷って居る作品なんぞ、観ると必ず頭が痛くなりそうな作品だし。それが故の結婚なんだろう。別に結婚しても私がファンである事を辞める気もないし。ただ、結婚は許さんが。断固として許さん。
 
 と、まあ、すっかり中年オヤジは頑固オヤジである。

 今日は、夕方のお参りを済ませて、諸々の雑用後に『グッバイ、レーニン』だけを観る。文句無しの名作。今まで観た映画の中で5本の指にも10本の指にも入らんが、15番以内には入る映画やな。
 どうでもエエけど、この「5本の指に入る」とは、かなり健常者意識に立った問題発言やな。指摘も含めて、そのまま置いとくが。

 50年後には時代がすっかり変わって今では当たり前の事が問題になっていると考える。仏華は最初造花だったらしいが、今は切り花だし。あれも変わるだろう。諸々、諸々変わって行く。変わらないものなどありゃしない。戦前の英雄は戦犯になる。
 優秀な人は変われる。鈴木邦男なり、塩見考也なり。変わって、どっちが右翼だか左翼だか解らんようになっている。時代の変化と共に生きれている。

 では「変われない人」はどうしたらイイのか?戦前の価値観なり、全共闘の価値観なり、バブルの価値観なり。
 引きずる。引きずらずにおれない。
 そんな人を切り捨てた所に親鸞が成り立つとは思えない。浄土教が成り立つとは思えない。釈迦が成り立つとは思えない。
 同朋会運動が成り立つとは思えない。
 菱木が、戸次が、尾畑が、玉光が、藤場が成り立つとは思えない。摂取不捨の運動論が成り立つとは思えない。敬称を全て外したがそれら『先生』から、今も生きている『先生』達がそんな事を云ったら、私は「私はそんな事を先生達から学んだ記憶はありません」と批判する。

 親鸞は、自分を流罪にした側の為に祈れといった。
 批判と切り捨てる事は全然違う。

 何処までいっても自己中心的である。んなもんは墓場まで(私に墓はないだろうが)持って行くもんだ。
 自己中心的な、『執着する存在としての衆生』=『凡夫』=『ただの人』を『われら』として見出せるかどうかの話ではないのか?
 その為のサンガ=正定聚での相互批判ではないのか?

 変われない、変わる事が出来ない、という哀しみを他人事でなく、私事としての親鸞ではなかったのか?
 互いに如来から大悲される存在であり、その『場』で互いに尊敬しあい批判し合える関係ではなかったのか?