坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

絶望出来るほど強くない

2007年06月06日 | 坊主の家計簿
 6月6日

 雑費  缶コーヒー        120円
 食類  鯛飯           200円
     焼きタラコ        100円
     イカ&鮭ハラス刺身    100円

 合計               520円
 6月累計           14226円

 最近一番の問題だったniftyメールが解決。なんかフリーメールがなんとかかんとか、3ギガがなんとかかんとかで、新しいシステムにしたのかどうか知らんが、まあ、ようやくうちのパソコンにも対応してくれるようになったわけやね。昼過ぎにちょい時間があったから試してみたら大丈夫やった。

 で、その次が大丈夫ではなかった。。。
 法要の準備をしてて、仏花。涼しげななんかの枝を今回は芯に使うらしい。。。
 「え~。。。出来ません。。。」
 半分(2つ)やる予定が、「すいません、できません」で、一つになり、その一つも「すいません、ギブアップです。。。」と単に邪魔してただけの気がするのだが、まあ、色々と試す事が出来てよかったのだが、無茶苦茶疲れた。。。

 しかし、なんであんな無茶苦茶な方向に曲がりまくった、つまり「私を仏さんの前に供えて」という様な真っ直ぐに育った枝ではなく、「ケ!別に俺等は供えられる為に生まれて来たわけじゃないんだよ!」と云うような曲がりまくった枝で芯を作って花を差し込んで見事な作品に仕上げていくのかが解らん。あれは魔法やな、きっと。
 なんとか見よう見まねで試してはみるのだが、全然形にならん。

 と云う事で非常にお疲れモード。

 年を取ると頭が固くなるらしい。それは当然身体的な事もあるんだろうけど、やっぱし新しい事は疲れまっせ。
 やっぱし、私なら39年か、39年生きて来てて、それなりに諸々の事を当然経験して来たし、39年なりの人生経験もある。
 出来る事は楽しい。
 出来ない事は辛い。

 例えば、今回メールの件で腹を立てて「プロバイザーを代えてやる」気分だったのだが、プロバイザーなんぞ代えた事がない。だいたいniftyを選んだのもniftyのシュップがあったから「とりあえず入りたいねんけどどうしたらエエねん」と直接聞けるし。メールとか電話のやり取りで、解約して、新たに加入するなんぞ面倒で面倒で。 
 携帯電話会社を代えた時も、シュップのネエちゃんに全部やってもらって、「基本動作を教えて」と直接教えて貰ったからエエようなもんの、分厚い説明書なんぞ読む気もならん。『赤外線』っちゅうのかって、この前行ったバーのマスターから教えて貰ったから出来たわけであってやな、んなもんやる気も起こらんかったぞ。

 お参り先には爺ちゃん婆ちゃんが沢山いる。パソコンとか携帯電話の話をする事もあるのだが、まあ、今までの人生で別に必要なかったわけだし、当然「あったら便利らしい」事は知ってはるのだが、やはり面倒らしい。「面倒」っちゅうよりも「辛い」のかも知れん。どんどん、どんどん年老いて新しい事をやるのは。
 うちのオカンだって、オカンの実家は能登半島だし、兄弟の多くは能登半島だし、しかも定年しているのでヒマなのか長電話をよくしてる。大阪の友達達とも長電話をよくしている。喋りやしな、うちのオカンは。
 だったら「IP電話にしたら通話料タダやんけ!」なんだが、無理らしい。パソコンなんぞワケの解らん謎の箱ぐらいにしか思ってないのかも知れん。そこまで必要としていないのだろうし。

 新しい事、新しい経験。
 個人的にどんどん、どんどん保守的になって来ている事を今日は思い知らされた。
 まあ、筆ペンやってても苦手だから無茶苦茶ストレスが溜るのだが。あれだって保守的になっている証拠だろう。

 学生時代の恩師の一人。元学校の先生。確か坊さん学校に行った時には30半ばを過ぎていたはず。
 お寺生まれでなくて、でも、仏教、真宗に関心があった。本を沢山読み、信国先生と云う憧れの先生が居る専修学院にどうしても入りたかったらしい。でも、入れたのは30半ば過ぎ。
 ちなみに私が入学した時は確か28歳。人生経験もそこそこあって、かなり色んな経験をしていた。坊主バーという店を辞めた後に入ったので、結構「煩い」。その数年後に私がその専修学院の別科に出戻りした時に、その先生の授業を受けるようになった。生徒4人の小さなクラス。
 結構、先生込みで喫茶店に行く事が何度かあった。移動学習でんな。コーヒーとケーキを御馳走になって、それぞれが今考えて居る事なんぞを世間話しで話したりする。まあ、4人のクラスだし(笑)そんな時か、何時だったか忘れたが、その先生が「仏教は若いうちに学ばないと解らないものなんですよ。。。」と呟かれた事があった。私が専修学院に入ったのが28だったので表面上はすまして他人事として聞いていたのだが、内心は無茶苦茶反抗してたので、その言葉は覚えている。
 でも、その先生も30代半ばだった。『他人事』として批判する事を徹底的に嫌っていた先生なので、それから数年経って「ああ、あの先生は自分の事を語ってはったんだな」と思うようになった。
 そして、それがあの先生にとっての原点なんだな、と。

 だいたい、私が別科時代に22、3ぐらいのクソ生意気な兄ちゃんが同じクラスに居た。こいつがもう、ものの見事に勉強しない。授業中もそうなんだが、部屋(4人同室です)に帰って来ても勉強してる所なんぞ「ほぼ見ない」。
 私は「せっかく1年間仕事せんと(夏にバイトはしたが)勉強出来るねんから」と自習もかなりやった。

 4人1クラスではレポートを書いて研究発表みたいな事も多くあった。私はかなりの分量の資料と、かなりの意見・感想を書いて『解説してた』。
 でも、そいつが書いたレポートは資料なんぞ殆どなく、ただ、感想に書いてあった言葉が、その『教え』を学び身につけたらそういう言葉が出てくるであろう言葉が書いてあった。あれにはやられた。ビックリした。
 当然、『テスト』とかの成績なら私の方が上だ。でも、私にはあの言葉は書けない。

 「仏教は毛穴から入ってくる」とかいう言葉があるらしいが、あいつは授業中に授業内容を熱心にノートしていたわけでもない。ただ、「その場に居ただけ」と私には思えたのだが、あれにはやられた。

【故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、往生必定すべしとてえませたまいしをみまいらせ候いき。ふみざたして、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまでおもいあわせられ候うなり。】(末燈鈔より)

 を見事に証明しやがったわけだ。きゃつは。
 まあ、当然、この話は本人にとっては関係のない話で、きゃつには、きゃつの問題があるのだろうが、私にとってはそうだった、という話なんだが。

 「仏教は若いうちに学ばないと解らないものなんですよ。。。」
 と云った先生は、その事が力になったんだろう。「自分には解らない」と云う事が『力』になったんだろう。と勝手に思う。今年の夏にでも会ったら聞いてみよ。

 竹中先生は「だからこそ」と云う言葉をよく使われていた。
 
【仏智うたがうつみふかし
 この心おもいしるならば
 くゆるこころをむねとして
 仏智の不思議をたのむべし】(正像末和讃より)

 か。この和讃もよく紹介してくれたし。

 「大変な時代になって来ましたね。この頃は『妻』とか『奥さん』とか『家内』とか云ったらダメになって来まして、大変な時代になって来ましたね」
 とかって、和田先生は笑ってた。
 ネットとか携帯電話とかは持たなかっただろうが、でも、若かったなぁ。。。

 仏花、筆ペン、ネットの契約解約だけでなく、やはり諸々が面倒なのだ。やっぱし、39年間の人生を誇りたいでんがな。
 「俺はあんな事をやって来た」とか。
 今も「俺はこんな事を学んで来た」と書いてるわけやし。誇ってるわけでんな。見事に。

 「だからこそ」と竹中先生なら云うのだろう。
 その前に「あなたは傲慢な人ですね。」なんだろうが。。。

 と、全く出来なかった仏花でお疲れモードやし、夕寝してない→早く寝たいのでエラい酔ってまふ。酔って、よって、毎度ながら話は流れまくっとるのぉ。。。

 しかし、まあ、なんだ。上記の文中に
 「個人的にどんどん、どんどん保守的になって来ている事を今日は思い知らされた。」
 とか、書いてるが、きっと別科時代の班坦なら「ホンマか?」とか突っ込みよるんだろうなぁ。。。ホンマに「思い知った」なら、こんな文なんぞ書けるわけないし。
 んなもんや。まあ、プライドを回復する為に書いてるわけやね。