坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

自殺者として生きる

2006年05月13日 | 坊主の家計簿
 5月13日

 雑費   タバコ     300円

 合計       300円
 5月累計   83241円

 昨日の深夜に喰った『カップスター・味噌味』が腹にもたれる。。。あたり前や、っちゅうねん。。。深夜にカップ麺喰ったらどうなるかくらい、人生で何度経験してまんねん。。。。
 プラス、体がだるい。。。まあ、温度変化も激しいし、激痛の中、仕事だけはこなしてたしなぁ。。。かなり負担がかかっているやろうし。。。
 っちゅうか、その前に、東京で歩き疲れたっちゅうのもあるやろうし、その前にも休みが素っ飛んでもうて疲れてたし。。。って、俺は何時から疲れてるねん。。。

 テレビ(NHKか?)で自殺の問題をやってた。他にゴチャゴチャしてたのでちゃんと観てないが。。。
 親しい自殺したヤツ等を思い出してみると、共通するのは『甘い』。と一言で言い切ってやる。別に同情しなければならない義務もないし。泣いても仕方がない。
 昨年、坊主バー三代目マスターが自殺した通夜の席上で、タチの悪い私たちは「次は誰が自殺するのか?」と賭けをしてた。まあ、賭けが成立しない倍率、つまりディープインパクトが優勝するよりも遥かに高い可能性で「あんたは賭けが成立せえへん」とか(笑)きっと真面目な人なら激怒しそうな場面なんだが、まあ、そんなもんだ。その場に居た、要するにその話しに乗っかった人達は、私を含めて『自殺』と云う事をわたくし事として考える人だっただろうし。まあ、自殺者の通夜らしいシーンでんな。

 『甘い』を言い換えると『夢』と言ってもいいのかも知れない。「こういう風になる『はず』だ。」とか、「私は何故こういうめに合わなければならないのか?」とか、アマアマ。傲慢そのもの。落ち込む事は傲慢である。自殺は傲慢な殺人者である。思い通りにならない自分を殺す殺人鬼である。

 殺人鬼にも人生がある。それまで生きてこられたかけがえの無い人生がある。よって治療方法としては死刑廃止運動なんかに関わるとイイと思うのだが、冷静に考えると三代目は死刑廃止運動にも関わって居たなぁ。。。まあ、あの人は『僧侶』と云うレッテルが張られる事によって新たな『苦』が生じたのだろうが。。。まあ、プライドが高かったし、『僧侶』と云う『ブランドがプライド』に成って追い込んだんだろうが。。。

 自殺って、『お涙頂戴物語』よりもクールに『殺人』の問題として考えた方が良い。殺人を犯した人の大多数が「気の迷い」であった。確信犯であっても、最近テレビでよく「彼を死刑にしないのであれば私が彼を殺します」であっても、頑な自己に対するマインドコントロールが抜けた後には後悔ぐらいするだろう。
 加害者が、被害者に対して「生きてても仕方がないだろう。。。」と云うのは結構悲しい話しだが、基本は傲慢以外の何ものでもない。
 「役立たず」
 「ダメ人間」
 「お前なんか生きてても意味がない」
 自分の『思い』を裏切る、一番身近な他者の『自分自身』。
 基本は優生思想。

 とは云え、殺人を犯した人と同じく、自殺した人を必要以上に追い込んでも仕方がない。そいつの人生で色々あったんだろう。まあ、アマアマだが。

 繊細である事。
 感受性が豊かである事。
 が、持てはやされる。まあ、金持ちの道楽やな。
 未成年の自殺は、こういう頭の悪い風潮が根幹にある気がしてならない。
 本当に繊細であるのなら、ささやかな『私」に気配り出来るはずだ。
 本当に感受性が豊かなら、どんな状態の人であっても受け入れる事が出来るはずだ。
 それが出来ないのは、単にアマアマの安物の『繊細』であり『感受性の豊かさ』であり、昼メロとかマンガのヒーロー&ヒロインものの話しだな。

 自殺しそうに成った時は、つまり殺人を犯しそうに成った時は
 【全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです。復活、そう復活です。ぴくぴくと生きている生命が肉体を獲得するのです。新しい人間生活はそれから始まるのです。】(北条民雄『いのちの初夜』より)
 の『癩者』を『自殺者』に置き換えてみるこった。
 んで、気が向けば
 【あなたの苦悩や絶望、それが何処から来るか、考えて見て下さい。一たび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしようか。 】(北条民雄『いのちの初夜』より)
 なんて云ってもイイじゃん。