坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ゆゆしき学生

2006年05月21日 | 坊主の家計簿
 5月21日

 雑費   缶コーヒー     120円
      タバコ       300円
 外食   回転寿司      420円
 食類   ピーマン2袋     98円
      発泡酒2本     350円
      ごぼ天        49円
      豚バラ       240円

 合計       1577円
 5月累計   118805円

 昨日は仕事終わって速攻『どとんこつらーめん』を喰いに行って、帰って速攻朝まで寝てもうたので、今日は2日分の雑用。えらい時間かかったなぁ。。。やっぱり昨日に半分くらいやって置くべきであった。。。
 んが、毎月の『一から学び直そう仏教』の所属寺の学習会をてっきり今日だと思い込んで居たのだが、第四日曜って来週なのね、良かった。。。
 あせって読んでた雲井昭善と云う人は大谷大学文学部原始仏教学科卒業らしい。っちゅうか、そんな学科があったのか?
 で、天台宗の僧侶で『天台宗勧学院長』『天台宗総合研究センター長』でもあるらしい。

 先日、『真宗』と云う大谷派機関誌を読んでたら、中折で『カルト対応の手引き』として色々書いてあった中に「ビデオや宗教関係の本を寺院が購入したということが、販売側の宣伝に使われることがあります。ご注意ください。」と云う言葉が書いてあった。
 これは要するに「ふっふっふっふ。。。天台宗の天台宗勧学院長の雲井昭善氏は大谷大学で学んだのであって、大谷大学はそれだけ凄いっちゅうわけやな。。。」っちゅう事なんだろうか?
 っちゅうか、比叡山延暦寺には親鸞も、法然も、日蓮も、道元も、栄西も「みんな延暦寺で学びました」と書いてあったが、ああいう事なんだろうか?
 っちゅうか、学習会の校長もある事を調べて学ぶ為に短期間だけだったが延暦寺に行った事があるそうである。あれも延暦寺にとっては「ふっふっふっふ。。。大谷派の僧侶だって延暦寺に学びに来るんだぜ。。。」に成るのだろうか?

 恐らく、誰もそんな事は云わないと思う。鎌倉仏教の先師達が延暦寺で学んだのは単に歴史的事実である。そして雲井昭善氏が大谷大学で学んだりしたのは多分原始仏教で良い先生が居たのであろう。で、学習会の校長が延暦寺に調べものに行ったのは単に『勉強熱心』だったからだ。
 そういう事って、ごく普通に行なわれている。ちなみに私だって原始仏教も読み始めたし、また仏教他宗の本、キリスト教の本だって買って読む。それは、例えば大谷派の安田理深先生が『生涯一学生』みたいな事を云ったらしいが、『一学生』として『当たり前』の事だと感じる。ある先輩は「無量寿経を学ぶには法華経ぐらい読んどいた方が良い」と勧めるし、実際その先輩は『大谷派僧侶』として日蓮宗の僧侶と交流があるらしい。もう、頭が痛い程勉強してはってイヤになるのだが。。。
 
 故に、上記の『真宗』に載ってあった言葉は懸念の気がするのだが。。。だって、それは、もしその教団のビデオや本等を購入した寺院や僧侶が居たとするならば、たんにそれだけ『勉強熱心』なだけではないのか?つまりは『学生』であると。
 親鸞だって、『浄土三部経』等と云いながら、実に多くの経典・本を引用している。つまり読んでいる。蓮如だって興福寺で学んだりしている。

 私は過去も現在もこれからもきっと様々な宗教を学んで行くだろうし、様々な寺院・教会にも行くだろう。で、その中で親鸞を、真宗の学びを深めて行くだろう。大谷派僧侶だからといって、大谷派だけの教えを学んで行く事などは、やなこった。

 ちなみに私の法名は『釈学生』と云って、この法名を付けた諸々の意味の中に「ゆゆしき学生になんてなりたくねえよ」っちゅうのがある。『ゆゆしき学生』とは、辞書的意味合いの話しは別にして、こういう批判文章が読んでて痛切に教え指摘される。

 【わたくしどもは、経典をよみ、あるいはその意味を詮索し、何を説いているのかを理解しようとします。その場合、自分自身をこちら側におき、経典を、経のことばを対象として向こう側においているのではないでしょうか。経典や経のことばからは、ブッタの声は響いてきません。わたくしたちがそのことばを自分自らに問いかけているのだ、と受けとめたとき、初めて経典や経のことばとの出合いがあるのではないでしょうか。】(雲井昭善『万人に語りかけるブッタ』P57より)