坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

2006年05月24日 | 坊主の家計簿
 5月24日

 雑費   缶コーヒー    120円
      タバコ      300円
 酒    栗焼酎     1785円
 食類   牛バラ      197円
      春キャベツ    100円
      バナナ      100円
 
 合計       2602円
 5月累計   129544円

 今日は人類最後の日らしい(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000031-jij-biz)。昼過ぎにラジオで聞いてショックだったので、今日は「まだ出してるのか?」のコタツ布団を片付けて、お膳に変身。現在コタツ布団は干してる最中。また、人類最後の日らしいので部屋掃除と、衣替えを済ます。孫一に乗る時にも着ないであろうジャンパー系と冬バージョンの衣の洗濯。コタツカバーも洗濯。布団カバーも洗濯。洗濯、洗濯、洗濯。。。普段の洗濯もあったので、人類最後の日に私は何回洗濯機を廻したのだろうか?っちゅうても、ジャンパー&法衣は手洗いだが。
 と、人類滅亡の日を迎える準備は万端である。ちなみにコタツの下に敷いていたマット(?)がボロボロに成って居たので捨てる事に決定。あれを修理する技術は私にはない。しかし、次のゴミの日が金曜日なので人類滅亡には間に合わないのだ。しかし、コタツのマット(?)は捨てるのだが、これからの時期に活躍してくれるであろう薄手のジャンパーのボタンが取れていて、しかも一つ無くなっていたので少し前に手芸用品店で買った木製ボタンに付け替えていた。
 と、人類最後の日は、家事バッカリやっていて、少ししか勉強出来なかったのだが、まあ、勉強はエエとして、水でジャブジャブやったり、コタツが無くなったせいか、なんか熱っぽいぞ。大丈夫か?そんな事で人類の滅亡を迎えられるのか?とりあえず、今日買った栗焼酎・宮の舞をお湯割りにしてみよう。体がかなり冷えている。まあ、窓開けっ放しやったしなぁ。。。

 【80年代が終わりそーなころ”世界の終わりブーム”っていうのがあった。「危険な話」が広まって、いちばん人気のあったバンドがチェルノブイリの歌を歌って、子どものウワサはどれも死の匂いがして、前世少女たちがハルマゲドンにそなえて仲間を探しはじめた。僕たちは「デカイのがくるぞ!」「明日世界が終わるかもしれない!」ってワクワクした。
  だけど世界は終わらなかった。原発はいつまでたっても爆発しないし、全面核戦争の夢もどこかに行ってしまった。アンポトウソウで学生が味わったみたいに、傍観してるだけの80年代の革命家は勝手に挫折感を味わった。
  これでやっとわかった。もう”デカイ一発”はこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる。ハルマゲドンなんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。
   (中略)
  三島由紀夫は自伝的小説『仮面の告白』のなかで、「戦争より『日常生活』のほうが恐ろしかった」って書いた。僕たちはガマンにガマンを重ねながら、この「身ぶるいするほど恐ろしい日常生活」を生きていく。
   (中略)
  こうして無力感を抱きながら延々と同じことをくり返す僕たちは、少しずつ少しずつ、”本当に生きている実感”を忘れていく。】(鶴見済『完全自殺マニュアル』より)

 リカオさんは伊丹の駅前でコロッケを店員が揚げてるのを見て何を感じたのだろうか?うちの近所で云うのなら肉屋のオッさん、オバはんがコロッケを揚げている。リカオさんは、その人達に「成りたかったのか」。それとも、いつまでも甘い夢を見ながら、店先で毎日コロッケを揚げる人生を馬鹿にしていたのか?まあ、後者やな、きっと。
 「絶望しろ。それでなければ何も変わらない。」

 『80年代はカスだった』と云う別冊宝島の名著がある。検索したら見つからなかったので、少しタイトルが違うのかも知れない。まあ、某セクトの流れをくむ宝島らしい。
 なら、60年代もカスだったのではないのか?結局日米安保はそのままだ。やりたかったことは最大級に評価する。が、「共産党は武力闘争を捨てて、政治闘争に向かった」やったっけ?ゲバ棒で自衛隊と米軍に勝てるつもりだったのだろうか?まあ、時代の『夢』だったのかも知れないが。さっさと『絶望』すれば良かったんだ。

 何時までも借金を返さない客に対して、サラ金業界では「あいつを往生させてこい」と云うらしい。つまり、「そのうちなんとかなりますから」と云う客に対して、「そのうちなんてない」と、現実を叩き付けるらしい。そう、「そのうち」なんてない。「そのうち」がある人がサラ金から金をつまんで延滞するわけが(ほとんどの場合)あり得ない。

 救世主なんて来ない。白馬に乗った王子様も来なければ、2億円当って人生が急激に変わることなどあり得ない。仏壇に宝くじが置いてあることがよくあるが、気持ちは解るが、そんな力が仏壇にあるわけがない。

 絶望するがイイ。絶望して、自分の人生を変えるのは自分しか居ないと云う事を思い知るがイイ。
 朝起きても何も変わらない。神社に賽銭を居れようが、坊主に幾ら御布施を渡そうが、何も変わらない。そんな事で変わるのなら日本の仏教界が戦勝祈願したのにも関わらず何故米軍に負けたのか?何故未だに半植民地なのか?を考えるがイイ。そんな力などない。

 おまけの絶望の歌。

 ♪僕の話を聞いて呉れ 笑い飛ばしてもいいから
  (真島『チェインギャング』より)

 夢に力などない。あるのは夢が破れて『現実』に立ち返った時の『底力』だ。