エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

神代植物公園の薔薇

2014年05月26日 | ポエム
素晴らしく咲き、素晴らしく匂う。
薔薇の花である。



この薔薇は、馥郁たる香りを放っていた。
おそらくバラ園全体を覆う。

渾然一体となった薔薇の園は、堪らなく感性が痛い。
それが薔薇なのだと知らなければならない。



このバラ園に至る径は、オゾンに溢れている







「香を辿る林の先の薔薇の苑」







薔薇の感性の相克・・・そんなオマージュを深く抱いた。
交配技術が進み、人によって作られた薔薇が多くなって楽しみが増えた。

だがしかし、実生を人に提供する市波は減ってきた。
オールド・ローズが、珍重される所以である。



色と香り。
その生命の昂りを以て良しとしよう。



       荒 野人

カラスの子

2014年05月25日 | ポエム
カラスの子育てが、終った。
晩春から初夏似かけて、カラスは子育てをする。

昨年の今頃、一日かけてカラスを観察した。
従って、昨年の今頃の句である。




 鴉の子 十句

屋根に降り影の小さき鴉の子
子鴉の来て鳩の群れはじけたり
鴉の子鳩の群れには近づかず
子鴉の飛び去る高さ変えもせず
二回り命小さき鴉の子
雨も無く萎れる木々の鴉の子
子鴉の行く当ての無し空茜
鳩帰り子鴉二羽の鳴き立てり
子鴉の夕日に染りし濡羽色
子鴉のまだ呼びている夕焼けかな




 
 季語探勝「鴉の子・子鴉」

鴉は学習能力を備えている。だから念のいった悪戯もする。夏、鴉の子育てと子鴉の親離れの時期である。
巣立ちを促す声と甘える鳴き声が交差する。地方都市では当たり前の風景である。反面、都会ではなかなか見られなくなったが、公園に行くと出会うことがある。一回り小さな子鴉が、降り立って歩く様は可愛い。一夫一妻の鴉。子育ては愛情に満ちているが、親離れを促す時期には父鴉も母鴉も厳しい。ケルト神話やギリシャ神話に登場する鴉である。その鴉が吉兆の象徴から転落して久しい。もし鴉を害鳥と言うなら、その責めは人にある。


 鴉の子自句自解

  屋根に降り影の小さき鴉の子
ビルの屋根に営巣しているのだろう。時折親鴉が来ては、また飛び立っていく。小さな影が羽を広げて歩いている。そろそろ巣立ちなのだと知れる小さな影である。
  子鴉の来て鳩の群れはじけたり
公孫樹並木の一本の枝に数羽の鳩が留っている。まるで五線譜に描かれた音符のようだ。そこに子鴉が来て一声鳴いた。鳩は慌てふためくように乱れ、飛び去った。
  子鴉の夕日に染まりし濡羽色
濡羽色は、女性の黒髪の艶やかさを例えて言う。鴉の羽は生まれた時から黒々として鮮やかである。その子鴉の黒い羽が、夕日に染まった。けれども夕日の赤と交じり合うこともなく、漆黒の闇を描き出した。
  雨も無く萎れる木々の鴉の子
並木の木々が、空梅雨に喘いでいる。嗚呼、雨がほしい。そう思ったのである。そこに、一羽の子鴉が飛んできた。子鴉は、生命力にあふれて並木に元気を与えた。
  子鴉の飛び去る高さ変えもせず
親鴉は、帰巣する時高い空を飛ぶ。時として、それが鴉なのかと訝る。子鴉は、そんな高さは飛べずただ巣の周辺を羽を広げて歩きまわっていることが多い。巣立ちの時、子鴉は一定の高さで飛ぶ。そう見えたのである。


上記の原稿は、主宰から言われて書いたのである。
「うん、これで良い!」
と言われた。

何が「これで良い!」のか,未だに不明である。
人に原稿を書かせて、そのままという事の多い主宰であった。



      荒 野人

栴檀の花

2014年05月24日 | ポエム
栴檀の花が見頃である。
友よ・・・見上げてごらん。



この季節を遡ると、栴檀の花で下手な句を読んでいた。
殆ど、人には見せられない句である。

だがしかし臆面も無く、ブログに載せていた。
恥ずべき所業であった・・・それでもその時点の野人俳句である。







「風の声ひときわ高く花あぶち」







栴檀の満開の下に立つと、空の蒼さが際立ちつつ、白い花弁と赤味を帯びた蕊が優しく目に入ってくる。
加えて、緑の葉である。

栴檀の花の「花言葉」は既に書いたけれど・・・。
「意見の相違」である。

ぼくは、昨日「からまつ」への決別を決めた。
その顛末は、追って明らかにする。



だがしかし、ぼくは俳句と決別はしない。
いまは、時ならぬ嵐があったりするけれど、その嵐を楽しみたい。

あらゆる事柄に「責任」を持つ。
その気概こそが、文学乃至俳句結社には必須だ。
責任を持つ者がいない「打ち合わせ」は、必要無い。
時間の無駄だ。



嵐に遭遇しても、ぼくは断じて散らされない。
落ちるのではなく、新たなステージで輝くのだ。

満天の栴檀。



どこを伐りとっても栴檀の花。
満天の栴檀に憧憬する。

かくありたいのである。



      荒 野人

ベニバナトチノキ

2014年05月23日 | ポエム
赤い花がそろそろ終わる。
そもそも論で言えば、白い橡の木の花が先ず咲いて、次いで赤い花が咲いてくれる。
長く花を楽しませてくれる。
従って、街路樹にこの木を植える市町村が増えているのである。







「橡の木の紅き花びら花けだし」







この映像は、昨日である。
東久留米駅の駅前通りである。



昨日は、大気が乱れた。
空もおどろおどろしていたのだ。



こんな雲。
近頃見た事が無い。

恐ろしいまでに、枠上がっている。
しかも、高く広い。



雲の色が目まぐるしく変わって、不吉な予感のみが湧いて来たのであった。
そして、夕方からの驟雨は凄じいものであった。

雨のち晴れ。
ぼくの俳句の道もそうなりそうである。



       荒 野人

紫陽花は・・・

2014年05月22日 | ポエム
紫陽花は、まだ咲かない。
いま、準備中である。

零れる前に、蕾を固く握りしめている。
それが愛らしい。







「紫陽花のまだ準備中蕾かな」







この花は何色だろうか?
そう、思索を巡らすのも楽しいではないか。



いまは、沖縄地方と奄美諸島が梅雨に入っている。
奄美の梅雨明けに、島を訪れようと思ってエアーとホテルを予約をした。

だが紫陽花が綻び始めるころ、ぼくはきっと新しいステージに立っているだろう。
6月はぼくの誕生月でもある。
示唆に富む旅立ちになるはずである。



そうであらねばならない。
もう・・・あと何年感性が生きているだろうか?

少なくとも、唾棄する存在にはなりたくないのである。
作品の陳腐化も、避けなければいけない。

感性を削る、残る日々でありたいのだ。
キーワードは「リスペクト」である。




      荒 野人