平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

平清盛 第44回「そこからの眺め」~ついに武士がこの国の頂に立ったのじゃ!

2012年11月12日 | 大河ドラマ・時代劇
「とく死なばや。早う死にとうござります」
 完全な<絶望>ですね。
 ひたすら平家一門の安寧を祈った重盛(窪田正孝)。
 後白河法皇(松田翔太)を信じた重盛。
 しかし、無惨に打ち砕かれる。
 それは次の後白河法皇のせりふ。
「あい分かった。約束しようぞ。ただし、これに勝ったらな」
 そして始められたのが、すごろく遊び。
 重盛が命を削って守ろうとした一門の安寧が、すごろく遊びに委ねられたのだ。
 賽の目という偶然が支配するただの遊びに。
 こんな残酷があろうか!!
 これは同時に、重盛がひたむきに忠を尽くしたことを否定するせりふでもある。
 後白河法皇と堅い絆で結ばれていると信じていた重盛の思いは虚妄だったと思い知らされる。
 何という悲惨!!
 <一門の安寧>と<忠義>、重盛が生涯をかけて守ってきたものが、かくも無惨に打ち砕かれるとは!!
 自分の人生とは何だったのか、と思い知らされたに違いない。

 重盛の悲惨は続く。
 やって来た清盛(松山ケンイチ)と後白河法皇の40年前の話。
 自分を賭けたすごろく遊び。
 結局、重盛は遊びの賭けの対象でしかなかったのだ。
 2歳の重盛がそうであったように、重盛の生涯は、ふたりのすごろく遊びに翻弄されたものだった。
 そのことを、まさに命が尽きようとしている時に思い知らされる重盛。
 こんな生き地獄があろうか。
 重盛でなくても「とく死なばや」と言いたくなる。

 この作品は、人の人生を<残酷>に描きますね。
 決して美化したり、きれいごとで済まさない。

 それは清盛も同じ。
「ついにここまで来た。ついに武士がこの国の頂に立ったのじゃ」
 こう晴れ晴れとした顔で語った清盛だが、それからしばらくして次のような描写がなされる。
 高倉帝(千葉雄大)の間に皇子が指で開けた<障子の穴>から覗く清盛。
 そこからの眺めは、この程度のものだったのだ。
 障子の穴から見えるようなちっぽけな世界。
 何という皮肉だろう。
 これが織田信長なら安土城の天守閣から世界を見るような描写がなされるはず。
 ところが清盛は<障子の穴>!!
 意地悪でシニカルすぎますよ、脚本の藤本さん!!
 しかし、嬉々として障子の穴から世界を眺める清盛の姿に胸がザワザワするリアルを感じる。
 醜悪で、滑稽で、虚しい、人の人生というものを痛感する。

 さて、大きく負に振って描かれた清盛の人生は今後どのようにまとめ上げられるか?


 
コメント (8)
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