平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

映像で見る夏ドラマ~『花ざかりの君たちへ』他

2011年08月10日 | 研究レポート
 ドラマを映像で楽しむという方法もある。

 僕が好きなのは『ドン★キホーテ』で城田と鯖島が多摩川の土手を歩くシーン。
 風力発電のプロペラが回っている。
 おそらくCGの合成だと思うが、いいアイデアですね、風力発電を<風車>に見立てている。
 ドンキホーテと言えば、風車に挑んだ中世の騎士だが、これで城田たちが現代の『ドン★キホーテ』であることがわかる。
 おそらくメールが何であるかも知らない城田は、回っている風力発電も何であるかわかっていないだろう。
 もしかしたらドンキホーテの様に<怪物>と思っているのかもしれない。

 『それでも、生きていく』の森林と川、湖もいい。
 深い緑と豊かな水。
 デジタル映像であるため、実に美しい。
 洋貴や双葉たちの<心の嵐>とも対照的だ。
 彼らが周囲の風景を美しいと感じる日は来るのだろうか?

 最後は『花ざかりの君たちへ』
 寮の至る所に貼られた看板やポスターが、赤、青、黄色、様々な色で画面に彩りを与えている。
 学園祭の時なんかは色が入り乱れて本当にきれいだった。
 この画面に溢れる様々な色は、すなわち青春まっただ中にいる芦屋瑞稀たちの<心の風景>なんでしょうね。
 世界が様々な色で満ちている。決して単色や灰色でない。
 ともかく楽しくてしょうがない。ディズニーランドのような感じ。
 そんな画面効果を狙っている。

 この様に、舞台となる<映像作り>もドラマづくりの重要な要素。
 上にあげた三作品の様に、映像と主人公たちの心象が上手くリンクしていると嬉しくなる。
 デジタル・ハイビジョンの時代でもありますしね、これからは映像作りも手が抜けない。


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Shall we ダンス?ほか~映画の中の舞台装置について

2011年01月30日 | 研究レポート
 「Shall we ダンス?」で、夫(役所広司)が浮気をしているのではないかと疑った妻が探偵に調査を依頼するシーンがある。探偵役は柄本明さん。
 そして、その探偵の事務所の壁には、映画「フォローミー」のポスターが貼ってある。

 これは美術スタッフの遊びである。
 というのは、「フォローミー」にも探偵が登場して、同じように浮気調査をするのだ。
 おまけに両作品とも、調査の対象者が浮気していないことがわかり、探偵は夫婦の仲を取り持つために重要な役割を果たす。
 つまり「フォローミー」の探偵=「Shall we ダンス?」の探偵。
 「Shall we ダンス?」の美術スタッフは、柄本明さんが演じる探偵と「フォローミー」の探偵とを重ね合わせているのだ。
 「フォローミー」という作品へのリスペクトと言ってもいい。

 こういうスタッフの遊び心を見ると嬉しくなる。

 映画「サタデーナイトフィーバー」のジョン・トラボルタが演じる主人公の部屋には、ブルース・リー、「ロッキー」、ファラ・フォーセットのポスターが貼ってある。
 これは作品や役者さんに対するリスペクトではないが、主人公の人物像を描くために有効な小道具である。
 主人公が時代の人気者に憧れ、時代に生きていることがわかる。
 そして、現在から見ると、実に懐かしい。
 時代の雰囲気がわかる。

 壁に貼ってあるポスターでは、テレビドラマだが、こんなのもあった。

 戸田恵里香さん主演の刑事ドラマ「SPEC」。
 その刑事部屋の壁に貼ってある指名手配のポスターには、眼鏡の少年と<針井歩太>の文字。
 つまりハリー・ポッター。
 確かこの回がオンエアされていた時の裏番組は「ハリー・ポッター」だった。
 これはなかなかすごい遊びだ。ここまでやるかという感じ。

 そう言えば、こんなエピソードを思い出した。
 大河ドラマ「新選組!」
 香取慎吾さん演じる近藤勇の道場には「香取大明神」の掛け軸。
 ネットの一部では、これがスタッフの遊びではないかと話題にのぼったが、実は遊びではないらしい。
 香取大明神は武道の神様で、剣道の道場ならわりとポピュラーに掛けてあるものとのこと。

 こういうことを愉しむのも、作品を見る歓びですね。


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サンデーモーニング・年末SP~2011への提言

2011年01月05日 | 研究レポート
 昨年の「サンデーモーニング 年末SP 無縁の時代」では様々な「なるほど!」の言葉が。

★「役割があることで自信が生まれ、誇りが出て来る。他人と繋がれるようになれる」
 たとえば昔はおばあちゃんが子守をしていた。
 それがおばあちゃんの<役割>となり、<生きる意味>になっていた。

★「便利ということはさぼること。体を使わないこと。エネルギーを使わないこと」
 倉本聰さんの言葉だが、確かに。
 筋肉だって脳だって使わなければ衰えますからね。
 エネルギーは使えば使うほど湧いてくるものだし、逆に使わなければどんどん減っていく。
 そして不便は逆に楽しいこと。
 スパイスなどにこだわり材料から作った料理とレトルトの料理。
 自動車で目的地まで行く旅行と自転車で行く旅行。
 スーパーで買った野菜と自分で作った野菜。
 どちらが心の豊かさを得られるか?

★「江戸時代では稼ぎとお勤めは違った」
 <稼ぎ>とは生活費を稼ぐことだが、<お勤め>とは何か社会の役に立つことだったらしい。
 たとえば隠居してお金を稼がなくなっても老人は地域の中で智恵袋や調整事など、様々な役割を持っていた。

★「弱者=敗者は間違い」

★「もっともっとという欲望のいたちごっこはやめよう」
 一昨年の年末SPでも語られていたことだが、現在の人間がしている生活は地球のキャパを越えているらしい。キャパを越えずに生活している分には、地球は自然の力で再生していくが、今はそれが追いつかなくなっているという。

★「人間は土を育てる。自分を育てる。社会を育てる」
 土を育てるとは自然を育てるということ。
 社会を育てるとは社会に貢献すること。
 このふたつの中で自分を成長させていくことが自分を育てるということ。
 <社会の中での自分>というのは意識しやすいが、<自然の中の自分>というのも意識すべき。
 <自然>と<社会>と<自分>の三位一体。
 そうすると心が豊かになってくるという。
 確かに土をいじっていると癒される。

★「国家の目標、組織の目標、個人の目標、この三つが一致していたのが戦前。それは共同幻想であったかもしれないが、個人があれこれ自分について悩むことはなかった。そして現在は完全な個人主義の時代。昭和三十年代、四十年代にはまだ<経済成長><終身雇用><幸せな核家族>という幻想があり、個人の目標が<家族>であったり<会社>であったりと一致してしまったが、現在、個人はそれらからも切り離されてしまっている。家族は崩壊し、会社は平気で首を切る。個人は目標を持てずに個々に切り離されている。かといって戦前の時代がいいかと言えばそうでもないが」

★「結び合う矛盾を引き受けよ」
 他人と関わるのは面倒くさかったりする。というより他人と関わることは面倒なこと。
 でも、その他人の面倒を引き受けて生きるのが人間。面倒を掛け合って生きるのが人間。
 昭和の時代はこの考え方が当たり前だった。ところが現在の個人主義の時代では、この当たり前がなくなってしまった。
 なるほど。
 確かに育児放棄してしまう親などはきっと子供が面倒なのだろう。
 先程のエネルギーの出し惜しみではないが、面倒だと思って出し惜しみをしていると、どんどん追い込まれていく。

★「日本の現状について<日本は既に衰退している><家族は崩壊している>と、まず認めよ。それを認め、新しい価値観を構築しようとする所から未来は始まる」
 確かにかつてのオランダや大英帝国といわれた英国も衰退した。
 日本だって例外ではない。
 また独居老人、児童虐待、無塩社会など、家族も壊れている。
 この状況の中で、一番になろうとしたり、家族を再生したりしようとするのは間違いではないか?
 経済が一番でなくても文化的にすぐれているとか、自然が豊かだとか、食べ物が安全で美味しいとか、世界にアピールすることはたくさんある。
 家族が壊れてしまったのなら、お年寄りだけのコミュニティなど、他のものを作ればいい。インターネットのコミュニティもそのひとつ。
 まず現状を認め、自分は何をすべきかを考えるべきなんでしょうね。


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Q10のメッセージと取手バス襲撃事件

2010年12月22日 | 研究レポート
 Q10の最終回で平太の父親がこんなせりふを言った。

 「母ちゃんを愛するがごとく世界を愛しちゃってるんだよ、俺的には。つまり母ちゃんを愛するってことは、母ちゃんが産んだお前たちを愛するってこと。ということは母ちゃんを産んだ父さんと母さんを愛するんだよ、俺は。それに母ちゃんに親切にしてくれた人も愛するし、その母ちゃんに意地悪だった上司もまわりまわって今の母ちゃんの人格を作っていると思えば、それはまた愛するべきなんだよ。母ちゃんを成り立たせているもの、すべてを愛す。そういうことよ」

 ひとりを好きになれば、その人に関わる他の人も好きになる。
 そうなると好きな人がどんどん増えていって世界が愛すべきものになっていく。

 このことはたとえば<嵐>の松本潤さんを好きになったら、嵐の他のメンバーも好きになり、ジャニーズの他のタレントさんも好きになるという感覚、韓流スターやK-POPアーティストを好きになれば韓国を好きになるという感覚に似ていると思う。

 先日、また不幸な事件が起きた。
 取手のバス襲撃事件。
 斎藤容疑者は「自分の人生を終わらせたかった」と供述しているという。
 「自分の人生を終わらせたい」のならひとりで勝手にやってくれ、他人を巻き込まないでくれ、と言いたいが、もうひとつ斎藤容疑者に言いたい。

 「何かを好きになってくれ」

 何かを好きになれば、先程書いたようにどんどん好きなものが増えてくる。
 それだけで世界を肯定できるようになる。
 おそらく斎藤容疑者は<世界に絶望した>のだろう。
 絶望したから、「人生を終わらせたかった」と自分を壊そうと思い、自分だけでなくまわりの人間も巻き込んで、世界を壊そうとした。

 Q10の第2話で言っていたことだったと思うが、人をこの世につなぎ止めておくものなんて些細なものなんですけどね。
 それはタレントさんでもコミックのキャラクターであっても、趣味でもなんでもいい。
 何かを好きになれば、きっと世界を肯定できる。

 あとは、これはある程度歳を取らないと理解できない境地なんですけど、<不幸な自分を楽しむ>ということ。
 ダメで惨めな自分を「まいっか」と言える自分、冬の風に吹かれながら寂しく歩いていく自分、失恋して相手の幸せを願いながら酒場の片隅で飲む自分、そんな自分をカッコイイと思えるようになれば、かなり人生の達人になれる。

 この記事を書いていて、少し前の曲になるが<はねるのトビラ>でブレイクした「悲愴感」を思い出した。

♪女の子にはモテない
 正直ブサイクな 俺
 スポットライトは
 「あ、もったいないから当てないで下さい」

 男である以上 やるぜ
 カッコよく生きたい だけど
 出来ないことは 無理しません
 理想など語れないけど
 今度のデビューは見逃して

 悲愴感 悲愴感 このチャンスだけは
 死ぬ気で掴みたい 放せない
 悲愴感 悲愴感 最低なんて
 もう慣れっこさ

 悲愴感 悲愴感 どんなチャンスでも
 死んだら放しちゃう
 死にたくない    ♪

 こういうふうに悲惨な自分を笑い飛ばすことが出来れば、絶望はなくなる。
 カッコ良くさえある。
 現に「悲愴感」を歌っていたメンバーたちはカッコ良かったし。

 絶望しそうになった時は、「悲愴感」や「男はつらいよ」をお薦めする。
 アイドルやタレントさんを応援することをお薦めする。
 そして、これがエンタテインメントの力だ。
 政治で制度的・経済的に救えても、人の心まではなかなか救えない。
 エンタテインメントの役割はここにある。


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「医龍3」「SPEC」~消費されていく形式

2010年12月19日 | 研究レポート
 「医龍3」と「SPEC」が最終回を迎えた。
 どちらも面白かったのだが、何かが物足りない。
 この理由は何だろうと考えてみると、多分<形式>に飽きてしまったからだと思った。

 「医龍」「SPEC」とも独特の形式・演出手法がある。

 「医龍」は登場の美学と手術シーンの解説。
 困難な手術を前にして現れてほしい人が現れる。
 最終回では黒木。
 黒木が助けに来て視聴者は拍手喝采、盛り上がる。
 手術シーンの解説もお決まり。
 どんな手術かを見ている医師達が解説し、「どうするの? 朝田ちゃん」と野口が突っ込む。
 「医龍」の手術シーンは、K-1などの格闘技番組に似ている。
 アナウンサーが実況し、解説者がコメントする。
 これが手術シーンを迫力のあるものにし、独特のものにしている。

 しかし!!
 これも3シリーズ目になると飽きてしまった。
 だって朝田が手術を失敗することはないし、黒木が助けに来ることは見え見えだし。

 「SPEC」の堤幸彦演出。
 これも「ケイゾク」や「トリック」では新鮮でインパクトがあった。
 でも残念ながら、何度も見ると飽きてしまう。
 これは堤演出の両刃の剣なのだが、堤演出は人間の感情・心情を深く描くのにあまり適していない。
 登場人物はデフォルメされているし、小ネタや独特のカットつなぎが視聴者の感情移入を阻害する。
 僕などはこのドライな感じが好きなのだが、やはり飽きてくる。
 それはCGなどをいくら駆使しても同じ。 

 というわけで斬新な形式はすり減らされて飽きられる。

 かと言って古い形式もどうか?
 「黄金の豚」は完全懲悪の「水戸黄門」の形式。
 印籠の代わりに「金返せ!」と電卓を見せる。
 でも、これはそれを視聴者が待っている「水戸黄門」だからいいのであって、現代劇では使い古された感じがする。

 今のドラマは難しい局面に立たされていますね。
 バラエティでは「ワンピース王決定戦」とか新しい形式がどんどん出て来ているのに。
 たとえ「医龍」や堤演出のような新しい形式が出て来ても、やがて飽きられ、つまらなくなっていく。
 テレビは消費し、どんどん新しいものに取り替えられていくメディア。
 そう言えば、これはバラエティだが、芸人さんもどんどん消費されていっていますね。

※追記
 とは言っても「SPEC」シリーズ前半の戸田恵梨香さんの怪演?は見物だった。
 「聞きたい?聞きたい?」「推理ものはこの長ぜりふがきついんですよね」
 もし録画などが残っていたら、1話から3話くらいまでの真相を暴くシーンの戸田さんをぜひ見て下さい。60分すべてを見る必要はありませんですので。
 すごいですよ。

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「相棒」と「黄金の豚」における悪の論理

2010年10月28日 | 研究レポート
 「相棒 顔のない男~贖罪」で描かれた悪の論理。
 「一粒の麦死なば……」つまり大きな目的のためなら小さな命など失われてもかまわないという論理。
 でも大義なんてものはウソで、大物政治家・伏見享一良(津嘉山正種)の過去の汚職を拭い消すためだったんですよね。
 それを大義という別の言葉できれいごとにする。人を騙す。
 おまけに自分では手を染めずに他人を使う。実際の殺人に手を染めたのは元SAT隊員の上遠野隆彦(徳重聡)。おまけに犯行がバレそうになると、上遠野に死んでくれと勝手なことを言う。
 本当に権力者というのはどうしようもないやつらです。無恥と言ってもいい。
 大きな力を持っている人間のきれいごとこそ疑ってかかったほうがいい。

 もうひとつ「黄金の豚」第2話で描かれた悪の論理。
 「警察という組織の信頼が揺らげば、警察力は低下し治安が悪化する」「だから小さな不祥事は目をつむれ」
 これも「相棒」の「一粒の麦死なば……」の論理と同じだ。
 警察という大きなものを守るために小さなものは切り捨てられていいという理屈。
 おまけに内部告発した刑事を定年前に立ち小便で検挙し、見せしめにする。
 今回は警察署長ですが、やはり力を持ったやつというのはどうしようもない。
 力は弱き者のために使われなければならないのに、自分のために使っている。
 先日逮捕された大阪地検特捜部の証拠改ざん検事と同じ。
 警察権力というのはいつでも市民を拘束できる怖ろしい権力なのに、それを自分の出世のためとか守るために使っている。
 それに「警察という組織の信頼が揺らげば、警察力は低下し治安が悪化する」というのは本当か?
 確かに一時的には信頼や警察力が低下するかもしれない。しかし病巣を除く手術は速ければ速いほどいい。すべてが腐ってしまった時は、それこそみんな、やり放題。悪化どころではない秩序の崩壊だ。

 結論!
 上に行くと人間は腐る。
 組織にどっぷり使って疑問を持たなくなると人間は腐る。
 腐ってしまった人間にはご引退いただくしかない。
 そう言えば「黄金の豚」第一話では、社会保険機構の長官が逮捕される時「俺がいなくなったらこの国の社会保険行政はダメになる」と言っていましたが、そんなことはありません。
 あなたがいなくなっても組織はまわるし、逆に良くなっていく。
 傲慢、無恥な人間というのはどうしようもない。
 組織に必要なのは右京さんや敬礼をした刑事達のような<魂>を持った人間だ。


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Q10のロボットしゃべりについて

2010年10月27日 | 研究レポート
 世の中には様々な言葉が溢れている。
 ワイドショーのコメンテイターの言葉、国会での政治家の答弁、ドラマの主人公たちの言葉etc。
 でも、これらの言葉がどれくらい我々の心に届いているのだろう?
 言葉が自分の中を通り過ぎていくだけで、少しも心の栄養になっていないようにも思える。

 前田敦子さんを演じるロボットQ10のしゃべり方。
 ある意味、意表をつきましたよね。
 完全なロボットしゃべり。感情のない無機質なしゃべり。電気音にも聞こえる。
 表情もない。時折首を傾げるくらいで喜怒哀楽もわからない。
 アイドル前田敦子を使うのだから、もっと彼女の可愛いらしさを出すという演技の可能性もあったのだろうが、敢えてそれをしない。
 でも、賛否両論あるだろうが、これが逆に新鮮になっている。
 「前田敦子がヒロイン、ならばこう来るだろう」と言う視聴者の予想を上手く裏切っている。

 では敢えてQ10にこの無機質なしゃべり方をさせた製作側の意図は何だろう?
 僕はQ10の言葉を平太(佐藤健)やまわりの登場人物たち、そして視聴者に届くものにしたかったからではないかと思う。

 例えば
 「コレハニンギョヒメノウロコデスカ?」
 「ココハイキテイケルバショデスカ?」 というせりふ。

 これが人間の口調で
 「これは人魚姫のうろこですか?」
 「ここは生きていける場所ですか?」

 と語られたのなら、もしかしたら他のせりふの中に埋もれてしまったかもしれない。
 ギターのピックを落とした山本民子(蓮佛美沙子)の心に響かなかったかもしれない。「なにバカなこと言ってるの?」でスルーされてしまったかもしれない。

 これは<せりふは感情に溢れ抑揚があるものが素晴らしい>という今までのせりふの常識をくつがえす手法だと思う。
 手垢にまみれた言葉を輝きのあるものにするには、無機質なロボットしゃべりの方が有効な場合がある。
 未来社会ではもしかしたらQ10のようなデジタルしゃべりの方が主流になるかもしれない。

 またドラマとしては前田敦子さんがますますロボットらしくなって、もしかしたら本当にロボット?と思えるようになったらすごい。それが楽しみ。


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オトメン(乙男)の時代

2009年08月06日 | 研究レポート
 物語の主人公って時代を映す鏡。
 「オトメン(乙男)」!
 <草食系男子>という言葉が話題になっているが、ついにここまで来たか!

★80~90年代のマンガって、たとえば「シティハンター」の<モッコリ遼ちゃん>の冴羽遼が示すように、女性がいれば狼になって跳びかかっていくのが主流だった。
 「ルパン三世」なんかも不二子ちゃんに跳びかかっていったし。

★「オトメン(乙男)」と「シティハンター」の過度期の作品としては、たとえば「タッチ」。
 南のことが好きだけど、弟の和也に譲るような主人公。
 「めぞん一刻」の五代くんはヘタレ。
 響子さんのことが好きだけど、なかなか積極的になれない。
 酒の勢いでやっと「響子さん、好きだ~~!」と叫べる小心者。
 しかし女性への関心、ベクトルは十分にあった。
 ちなみに僕はこの世代。

★70年代のマンガの主人公って、梶原一騎が描いたような<男の世界>。
 男と男の戦いがメインであり、女性は蚊帳の外。
 たとえば「あしたのジョー」の矢吹丈は近所の乾物屋の女の子(名前を忘れた)に告白されても、「まだ燃え尽きていないんだ」とクールに突っぱねる。
 愛していたと思われる白木葉子にはボクシングのグローブを託して気持ちを伝える程度。
 女性へのベクトルはほとんどない。

★こう見ていくと、繰り返しになりますが、マンガは時代を映す鏡ですね。
 ところで男性の女性化は平和な時代ならではで別に悪いことではない。
 むしろ男がヒゲをはやし、威張りくさる時代は戦前を見ればわかるとおり、<戦争の時代>でかなりヤバイ。

 以前、ジェンダーに詳しい女性と話したことがあったが、男性がスカートをはけないのは抑圧されているということなのだそうだ。
 確かにスカートをはきたいと思っている男性がはけないのは不自由。
 あるニュースで紹介されていたが、男性用ブラというのが注文殺到らしい。
 男性はもっと自由になるべき。
 「オトメン(乙男)」みたいなドラマがオンエアされ、はるな愛さんみたいな方がテレビでもっと活躍してくれると、男性はもっと自由になれる。


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視聴率重視の製作を改めよう

2009年08月05日 | 研究レポート
 視聴率というのはどうなんだろう?

 たとえば「天地人」。視聴率20%をキープ。
 でも少しも面白くないし、いい作品でない。
 第31回で主人公の兼続は秀吉の朝鮮出兵に疑問を持ちながらも出兵してしまう。
 そこで描かれる行くか行かないかという兼続の葛藤はごくわずか。
 こんな情況に流され、長い物に巻かれる人物など見たくない。
 NHKはこんな妥協の人物を大河ドラマの主人公として容認しているのか?
 数字が獲れればOKなのか?
 そもそもNHKは視聴率など気にせず良質の番組を作ることに専心すべきではないのか?

 2日・日曜日の午後、フジテレビのドキュメンタリー番組で「康子のバラ」という作品を見た。
 戦時中、工場労働をしていた台湾の学生さんが康子さんという女性に恋をしてしまう話。
 康子さんはその台湾の方に「これ、うちの庭で咲いていたバラなんです。とてもいいにおいがするのよ」と言って、赤いバラを一輪与えた。
 康子さんは原爆の第二次被爆でなくなってしまうが、台湾の方はそのもらったバラのことが忘れられなくて、80歳になった今も庭で接ぎ木してバラを育てている。

 何といういい話。
 ちなみに康子さんはその台湾の方でなく、工場の中尉さんに恋していたらしい。
 何というせつない話。
 そして戦争、原爆の悲惨さというものが伝わってくる。
 ナレーションは宮崎あおいさん。
 この番組、おそらく視聴率は獲れなかったろうが、20%を獲っている「天地人」より数倍いい。

 視聴率とは違うが、映画「おくりびと」もそう。
 おそらく<数字=興行収入>という点で判断されたら、絶対に形にならなかった作品。
 でもいい作品を作りたいと思う元木雅弘さんの思いがあったから実現したし、人の心を打つものがあった。
 結果、評価されヒットにも繋がった。

 ドラマや映画の作り手の皆さん、いい加減、数字で作品の善し悪しを判断するのはやめませんか?
 青くさいようですが、たとえ数字が少なくても<心に残る作品>を作れた方がいいと思いませんか?


 
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「侍チュート」 ギャグ研究

2009年04月09日 | 研究レポート
 今、勢いのある芸人さんはチュートリアル、ハリセンボン、オードリーの3組でしょうか?
 その中の2組、チュートリアルとハリセンボンがコント番組をやるというのだから見ないわけにいかない。
 今、同じ芸人さんが作り込んだコントをやる番組ってありませんからね。(やっているのは芸人さんじゃくてSMAP×SMAPのSMAPぐらい)
 だから逆に新鮮。

 演じられたコントは『お父さん』『おくりびと』『グルメコメンテイター』『新人探偵はるか』『はるかと春菜』。
 ギャグはただ笑えばいいのでそれを解説・分析しても仕方がないのですが、コントを書きたいという未来の作家さんのために敢えて書くと……

★『お父さん』は発展型。
 街の食堂で出会ったウェイターは探していた行方不明のお父さん。
 「お父さん!」と感動の再会を果たすと、今度は行方不明の姉が現れて、叔父が現れて、産みと育ての母親が現れて、歌手のピーターさん本人が現れてと発展していく。
 あり得ないがどんどんエスカレートしていって非日常になっていくというギャグだ。

★『グルメコメンテイター』もその発展型に属するギャグ。
 ハンバーグを食べてコメントしなければならないグルメコメンテイターが次の様に思考する。
 『このハンバーグ、何てジューシー!→そう言えば正面に座ってる番組アシスタントの女の子もジューシーで美味しそう→でも少し痩せすぎてるな→やっぱり女性は少し太ってる方がいいな。17歳の時の宮沢りえみたいに』
 こう思考してグルメコメンテイターの口から出たコメントは
 「家に帰ってサンタフェ(=宮沢りえの写真集)確認しよう」
 思考が発展してグルメのコメントとは関係ないコメントになってしまう所がポイント。

 『はるかと春菜』も発展型。
 姉と妹の骨肉の争い。昼メロのパロディ。
 かたや大根を持って、かたやトウモロコシを持って戦う。
 そしてオチのナレーション。
 「この戦いの結果、トウモロコシからバイオ燃料が出来ることが発見されたのである」
 昼メロのパロディからバイオ燃料に結びつく。すごい発展です。

★一方『おくりびと』と『新人探偵はるか』はキャラクターもの。
 『おくりびと』で遺体の役をやっているのはハリセンボンの箕輪はるかさん。
 まさに遺体役にピッタリ。はるかさんのキャラクターならではの役。
 映画『おくりびと』と箕輪はるかさんのキャラクターを掛け合わせたギャグだ。
 ちなみにオチは遺体は死んだふりをしているだけで生きていて「『釣りキチ三平』もよろしく」とコメントするというもの。(ちなみにさらに解説すると『釣りキチ三平』は『おくりびと』の滝田監督の次回作)

 『新人探偵はるか』ははるかさんのキャラを逆手にとったもの。
 頼りないボケキャラの様でいて実は格闘技の達人。
 そのギャップが笑わせる。

 この様に「侍チュート」は大爆笑の30分間!
 キャラクターもののメインである箕輪はるかさんの病欠が残念だが、今後も大いに期待だ!


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