平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

その時歴史は動いた もう一度聞きたいあの人の言葉

2007年03月31日 | バラエティ・報道
 「その時歴史は動いた」で紹介された「もう一度聞きたいあの人の言葉ベスト10」は次の様な言葉。

★第10位……白洲次郎
「われわれは戦争に負けたのであって奴隷になったわけではない」
 占領下の日本にあってマッカーサーに『従属ならざる男』と言わしめた白洲次郎の気概。
★第8位 ……石田三成
「ちくま江の芦間に灯すかがり火と共に消えゆく我が身なりけり」
 石田三成辞世の句。
★第7位 ……杉原千畝
「私のしたことは外交官としては間違っていたのかもしれない」
「私は大したことをしたわけではない。当然のことをしただけだ」
 千畝が発行したビザは2139通。助けられたユダヤ人は6000人。
★第6位 ……織田信長
「是非に及ばず」
 僕は本能寺の時の言葉だと思っていたが、実は浅井・浅倉に囲まれて逃げる時に発せられた言葉だそうだ。そして後日、本能寺の時にも同じ言葉を発したらしい。
 意味は「仕方がない」ということ。すべてを自分の責任とする潔さを意味する。
★第5位 ……戦艦大和の乗組員
「破れて目覚める。日本の新生に先駆けて死ぬ。本望じゃないか」
 沖縄で動かぬ砲台となるため片道の燃料を積んで出航する大和。(天一号作戦)
 その特攻の際に乗組員が発した言葉。
★第4位 ……坂本龍馬
「日本を今一度せんたくいたし申候」
 姉にあてた手紙。せんたくという言葉を使ったことが斬新。
★第3位 ……山本五十六
「百年兵を養うはただ平和を守るためにある」
 開戦前の日米協議がまとまれば、真珠湾攻撃を中止するつもりだった五十六。
 戦争にはやる軍人たちを前に言った言葉。
★第2位 ……諸葛孔明
「志がなければ学問の完成はない」「学ぶことで才能は開花する」
★第1位 ……高杉晋作
「面白きこともなき世を面白く……」
 これも辞世の句。下の句はなし。

 これらの言葉の順位は視聴者からの投票によって決められたものらしい。
 コメンテイターの黒鉄ヒロシさんも言っていたが、高杉晋作が一位というのが面白い。10年前なら龍馬か?
 晋作と言えば、長州が四カ国から攻められ負けて賠償金を求められた時の対応。晋作は長州の全権大使として交渉に臨み、賠償金を突っぱねた。
 これは10位の白洲次郎にも共通する態度。
 今の日本人は、進展しない拉致問題・六カ国協議など複雑な国際関係の中にあってストレスを感じているのかもしれない。世界に対してはっきり物を言える日本というものを求めているのかもしれない。それが龍馬や大和の乗組員の「新しい日本」というものに通じる。千畝が選ばれたのも同様。「日本人」としてのプライドを千畝に重ね合わせているのかも。
 そう言えば安倍首相は「美しい国」「愛国心」という言葉を発したっけ。
 今僕たちは左翼的見方、右翼的見方含めて「日本」という国はどうあるべきかを考える時期に来ているのかもしれない。


  
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親指さがし 山田悠介

2007年03月30日 | 小説
 オーソドックスなホラー小説。
 オーソドックスというのは、パターンに沿って物語が描かれているからだ。
 そのパターンとはこう。
★主人公のまわりで起こる怪異な現象・殺人事件。
★その原因を追う主人公。
★その原因は過去に起こった陰惨な事件の被害者の怨念。
★その原因がわかり事件は解決したかの様に見えたが、怨念は続いていて……。

 「リング」から始まるこの物語のパターンは「呪怨」、そしてこの作品「親指さがし」まで連綿と受け継がれている。
 小説の一読者としては少し辟易。
 マンネリの感が否めない。
 この物語の場合、子供の頃、戯れで行った「親指さがし」という幽体離脱をもたらすゲームが原因となって連続殺人事件が起こるというものだが、「親指さがし」という衣装をまとっているだけで本質は他の類似作品と何ら変わらない。
 主人公のまわりの人間が殺していく犯人は主人公の友達で悪霊に取り憑かれた由美だが、(悪霊に取り憑かれたとはいえ)犯人が人間である分、呪いのビデオや呪いの着信音の様な怖さはない。
 あとのこういった作品の怖さといえば、悪霊がどの様な怨念を抱えて死んでいったかだが、これも実にオーソドックス。それはある狂人の殺人犯が屋敷に忍び込み殺された少女の怨念。
 このパターンのホラー小説の場合、この怨念の部分をいかに怖く描くかが作者の腕の見せ所なのだが、単なる狂人の殺人で終わらせてしまっている。現代社会であれば、もっと人の心の闇を描けるはずだ。
 唯一、ひとひねりしているなと思える点は、『狂人の殺人犯が体をバラバラにし、理由はわからないが左手の指を切断してどこかに隠していること』『それがゲーム「親指さがし」に繋がっていること』の2点だ。
 また、この作品、主人公があまり魅力的でない。
 一応、事件を追う動機は悪霊に取り憑かれ8年前、行方不明になった由美を探しだすというものであるが、8年前の事件になぜ今頃固執するかが見えて来ない。そして主人公はどこにでもいるような普通の少年だ。

 この作品、映画化までされて期待をもって読んだ作品だったが、何ら新しさを見出せずに読み終えてしまった作品だった。
 そろそろ作家さんは「リング」の亜流のホラー作品はやめて、新しいホラーを生み出してほしい。
 もっと人の心の闇を描き出してほしい。


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宮崎駿 新作に挑む100日

2007年03月29日 | コミック・アニメ・特撮
 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で放送された「宮崎駿 新作に挑む100日」では、新作「崖の上のポニョ」の最初の1カットが作られるまでが描かれる。
 その創作過程はこうだ。
 「頭の中に釣り糸を垂れる」形で頭の中にあるイメージを絵(「イメージボード」)にしていく。宮崎さんはアニメーター出身だけあって発想はまず絵。始めにストーリーありきではなく、絵ありきなのだ。
 そしてイメージボードを何枚も描いていき、作品の世界、全体像を作っていくのだが、そこで留意するのは「風呂敷を広げること」。決して体裁よくまとめようとしないということ。宮崎さんは「まとまったものはつまらない」と言う。また「何を訴えたいかが明確である作品などいかがわしい」と言う。
 この言葉で僕が最近の宮崎作品に抱いていた疑問が晴れた。
 その疑問とは「宮崎作品の物語は破綻している」「後半は言葉足らずなことが多い」「結局何を訴えたかったのか?」。
 宮崎さんは風呂敷を広げるだけ広げ、小さくまとめようとしないからそうなるのだ。
 発想が右脳であり、左脳で理屈・論理としてまとめようとしないからそうなるのだ。
 宮崎さんは言っていた。
「子供たちが見て面白くないと言われない様にまとめるだけで精一杯」
 『まとめるだけで精一杯』という言葉もそうだが、『子供たちが見て面白い』という点も重要。子供たちは論理・理屈でない右脳で生活している。だから宮崎作品が楽しめるのだ。
 宮崎作品は右脳で楽しめばいい。

 番組では、さらに新作に挑む宮崎さんの創作の苦しみ、葛藤が描かれる。
 イメージボードを描いていく作業ではこうだ。
 なかなか納得するイメージが描けない。
「どこが違うということはわからないが、違うということだけがわかっている」。
 これは凄まじい生みの苦しみだろう。
「どこが違うということがわからない」
 宮崎さんであってもそうなのだ。
 宮崎さんはご自分の年齢のこともおっしゃっている。
「握力は若いころの半分になった」
「(筆圧が弱くなって)昔はHBの鉛筆を使っていたが、今は5Bを使っている」
「頭の中から出て来る(イメージの)蛇口が狭くなっている」
 そして苦闘の末、たどりついた「ポニョ来る」という1枚のイメージボード。
 この1枚のイメージが生み出されたことで、やっと作品の全体像が見えてきたと言う。それまでの試行錯誤と苦しみはテレビの映像を見ている我々にはなかなか伝わらないが、宮崎さんの中では壮絶なものがあったのだろう。
 たった1枚のイメージをひねり出すための苦闘。
 安易な妥協の多い生活を送っている僕などには想像もできないこと。
 そしてそれが一流の流儀ということなのだろう。

 その他には番組中こんなことを宮崎さんは語られていた。
 以下は宮崎語録。
「プロフェッショナルというよりは半分シロウトでありたい。シロウトというのは自分のやりたいという気持ちを大事にすること」
「理想ある現実主義者でありたい。今は理想のない現実主義者が多すぎる」
「今が大事。今の仕事がすべて。過去の作品は直せないし、直したいとも思わない」
「映画は裸になって作る。自分に正直に作らないと、自分にダメージが来る。映画が作れなくなる」
「現実にはできないけど、この一本で世の中を変えてやろうという気持ちで映画を作る」
「僕は不機嫌な人間でいたい。(他人に笑顔など向けることなく)自分の考えに浸っていたい」
 どれも含蓄のある言葉だが、やはり僕が印象に残ったのはこの言葉。

「違うということだけがわかっている」


 
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今週、妻が浮気します 最終話

2007年03月28日 | ホームドラマ
 悪戦苦闘したハジメ(ユースケ・サンタマリア)が最後に得たものはもとの暮らし。
 だが、もとの暮らしとはいえ、その質は違っている。妻と子がいて共に過ごし、共に食事する一瞬一瞬が大事であることを知っている。
 思えば「東京タワー」も同じモチーフであった。母の病気と死を目の当たりにして、共に過ごす時間が大事であることを認識する。
 「東京タワー」では雅也とオカンの母子関係が他の人間に影響を及ぼし、母子関係を考えるきっかけを与えるが、この点も同じであった。ハジメが悪戦苦闘する姿を見て、まわりが「人を愛するとは何か?」を考えるようになった。結果、轟(沢村一樹)と玉子(ともさかりえ)の関係が成立する。

 最終回はともかくハッピーエンドが満載だ。
 ハジメらの関係はもとに戻り、「現代公論」は存続、ハジメは編集長に。そしていくつかのカップルが成立。
 いささかウソっぽさを感じる。
 登場人物に視聴者が感情移入できなくなった時に物語はウソの作り物になる。
 ハジメは浮気相手の顔がちらついて陶子(石田ゆり子)にキスできなくなるが、現実は果たしてそうか?いったん離婚までさせようという作者の意図を感じてしまう。
 ハジメは嬉しいことがあった時に電話するのが陶子であったことを思い出して、彼女の大事さを確認するが、それだけで今までの離婚までした気持ちを翻していいのか?
 「現代公論」はいい雑誌ということで存続が決まるが、どの様にいい雑誌なのか?表紙には「宗教的生活のすすめ」と書かれていた。
 Q&Aサイトのハジメのやりとりでまわりの人が勇気づけられたというが、誰がどの様に勇気づけられたのか?作品中では寄せられたコメントが文字で紹介されるだけである。
 ハジメの姿を見て、人を愛するっていいことだなぁ、自分も恋愛してみたいという気持ちにさせたというが本当なのか?
 このあたりが気になり出すと物語についていけなくなる。

 この作品で僕がハジメに感情移入できたのは、陶子の浮気現場に乗り込むシーンとその後である。
 Q&Aサイトでも様々な意見が飛び交い、ハジメはどう対応するのか?という点で感情移入できる。浮気相手の妻に浮気のことを告げたシーンも、ハジメにしてみれば仕返しをした瞬間、快哉をあげることが出来る。
 だが残りのエピソードはハジメという人物が勝手に動きまわっている感じがする。主人公と見ている視聴者はイコールではないから、100%感情移入することは難しいだろうが、ハジメの場合はどうしても空まわり感が否めなかった。


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007 カジノ・ロワイヤル

2007年03月27日 | 洋画
 “00(ダブルオー)”の地位に昇格したばかりのジェームズ・ボンドの物語。 任務は世界中のテロリストの資金源となっている“死の商人”ル・シッフルの資金稼ぎを阻止すること。
 ル・シッフルの資金稼ぎの手法はテロリストから金を預かり、航空機事故などを起こして株価を操作し、利益を得るというもの。しかし、それがボンドに阻止されて、カジノでの高額掛金1500万ドルのポーカー勝負になるわけだが……。

 この作品、ボンドの人間像が最初とラストで大きく変わっているのがいい。
 最初のボンドは獲物を追いつめるハンター。
 目的のためなら手段を選ばない。ワイルドで荒っぽい。
 今までのボンド像である英国紳士の優雅さなどかけらもない。
 お得意の情事も情報が得られれば、相手の女性を平気で放っていく。
 女性は情報を得るための手段・道具であり、愛することをしない。

 そんなボンドが変わるのは掛金1500万ドルの監視役として財務省から送り込まれた女性ヴェスパー・リンドが現れてからだ。
 ボンドは彼女を恋する様になる。
 本気でのめり込む。彼女のためならスパイの仕事を辞めてもいいと思う。
 駆け引きと裏切り、まわりはすべて敵だと思わなければならない不信の世界に生きているボンドにとって彼女は「鎧をまとわなくてもいい」存在だった。
 しかし……。(以下、ネタバレです)


 彼女はボンドを裏切る。
 自分の愛する人がル・シッフルに囚われの身になり、協力する。
 ボンドがポーカーで得たお金を引き出そうとするのだ。
 そのためにボンドを愛するふりをした。
 裏切られたボンド。
 しかし人間とは矛盾を抱えた生き物。
 彼女は恋人のためにボンドを騙したが、同時に愛し始めてもいる。
 わざと敵と通信をした携帯を残し、自分が裏切ったことをボンドに告げる。
 事件の黒幕をボンドに教える。
 こうした行動をとったのは、ボンドを愛するがゆえだ。
 この作品は矛盾したふたつの心を抱えた人物像を描き出した所が素晴らしい。
 
 そしてボンド。
 この裏切った彼女、ヴェスパー・リンドのことで、彼の「女性像」「女性観」が形作られる。
 ボンドの女性像・女性観とは「女とは愛すべき存在であるが、同時に愛のために平気でウソのつける存在」。
 以後、ボンドはこれまで描かれてきたボンド像となる。
 彼は女を愛するが決してのめり込まない。
 いつも片目をつむって女を愛している。
 女を平気で裏切ることのできる存在として見据え、そんな存在である女を可愛いと思っている。
 それはある意味、大人の余裕。
 ボンドの女性に対する優雅さの理由はここにある。

 そんなボンドだが、ここで一歩踏み込んで考えてみれば、こんな解釈も出来る。
 ボンドは彼が愛して死んだヴェスパー・リンドを永遠に求めているのだ。
 以後の事件でボンドが愛した女たちは、みんな彼を愛して裏切った。
 ボンドはそんな女たちの中に、ヴェスパー・リンドを求めているのかもしれない。
 あるいは彼を愛して決して裏切らない女性を求めているのかもしれない。
 そう考えてみると、ボンドの心の中は非常に孤独でせつない感じがする。
 ボンドはスパイであると同時に愛の放浪者でもあるのだ。

 ジェイムス・ボンド誕生秘話であり、ボンドの心に新しい解釈を加えたこの作品、実によくできている。
 以後はこのボンド像で行くのだろうか?


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風林火山 第12回「勘助仕官」

2007年03月26日 | 大河ドラマ・時代劇
 山本勘助(内野聖陽)は42歳。
 ずっと自分の居場所を探していた。
 最初に見出した居場所はミツ(貫地谷しほり)。
 しかし信虎(仲代達矢)に殺されてしまった。
 以後、彼の生涯は復讐にとらわれるのだが、信虎が追放されて間接的だが、その目的も果たした。もはや信虎には怒りや憎しみは感じず、哀れのみを感じる。
 そんな勘助が見出した新しい居場所は武田晴信(市川亀治郎)。
 前から気になっていた存在であった。
 彼の言うこと、なすことが反論を含めて引っかかる。
 そして信虎追放の時に見せた手腕。
 作品中では描かれていないが、勘助は晴信の力量を試してみた。
 青木大膳(四方堂亘)に板垣信方(千葉真一)を襲わせる。自分が助ける。
 それを晴信はどう読むか?
 晴信は自分の意図を理解してくれた。
「自分の仕官の意思は直接晴信に伝えなければならない。普通に仕官を願い出ても板垣はそれを揉み潰すだけ。それでは板垣が取りつがなくてはならない状況を作り出そう」
 それが青木の板垣襲撃だった。
 晴信はそんな勘助の意図を理解・看破する。
 海ノ口城のあざやかな攻防やこの様な意図が見え見えの愚作を使ってくる男、今川が使いこなせぬと怖れる男、「この様な男を使いこなしてみたいものだ」と晴信は言う。
 そして勘助。
 意図を看破した晴信を自分の「真の理解者」だと思う。
 今までミツ以外、誰にも理解されなかった勘助には嬉しいこと。
 自分の居場所とは「自分を理解してくれる人のいる場所」なのだ。
 勘助はふたたび自分の居場所を見出した。
 勘助の人生にとっては最も嬉しい瞬間であっただろう。
 おまけに金200貫、足軽25人を擁する足軽頭という破格の待遇。
 出仕の際の着物まで用意してくれ、名前の「晴」の字まで与えてくれると言う。
 勘助は「力」ではなく「心」で晴信に感服させられた。

 しかしそんな待遇に反発もある。
 武田生え抜きの重臣たちだ。
 重臣たちは勘助の仮面を引き剥がそうとする。
 各国の事情、陣取り・城取りに通じている。剣では「行流」の使い手。
 重臣たちは勘助に質問し、陣取り・城取りに何の実績もないことを暴露する。
 勘助は自分の知略を披露するのは晴信が初めてと居直る。
 さらにいくさの極意とは闘わぬことと語る。
 重臣たちの失笑。
 晴信は「海ノ口城での密約で駿河に行かせ、信虎を駿府まで無事連れていく様に指示した」と偽りの勘助の実績をフォローするが。

 そしてラスト。
 勘助に全面的に信頼を寄せているかに見えた晴信が意外な行動を取る。
 剣で闘わせ、行流の使い手であることもウソであることを暴露しようとする重臣たち。
 勘助は真剣でなければ闘わぬと言って拒絶するが、晴信は猛将・原美濃守虎胤(宍戸開)と真剣で闘うことを許す。
 この晴信の意図は何であるかはここでは明らかにされない。
 勘助を重臣たちに認めさせるために何かを意図したものなのか?今までの信頼はウソで勘助の心を弄んでいただけなのか?
 ドラマを見る視聴者は、使えるべき主君、自分の居場所を見出した勘助に「よかったね」と言いたい。「よかったね」と言わせて感動したい。
 しかし、ミツの時もそうだったが(勘助はミツに居場所を見つけるがラストは矢を彼女に向かって引く信虎で終わる)、この作品の作者はそれをしない。
 なかなか意地悪な作者である。

★追記
 武田家で家督を継ぐ時は「楯無しの鎧」と「御旗」に向かって誓いを述べる。
 晴信は家臣に向かって言う。
「我に真がない時はいつでも諫めよ」
 信虎とは180度違う家臣に対する態度だ。

★追記
 第13話では勘助と原の対決。
 まともに戦っては勝てない勘助は知略を使う。
 船の上での果たし合いを提案し、原が船に乗り移った所で船に穴を開ける。
 勘助は別の船に乗り移って、原は泳ぎができずに降参。
 見物の家臣たちは笑い転げるが、勘助は自説を披露。
「戦わずして勝つ。兵を損なわず、知謀のもとに戦うがいくさの上策」
 晴信も「家臣の命を救うことが上意」と返す。
 これで勘助が今までにいないタイプの人材であることを家中に示した。

★追記
 晴信は言う。
「光ある者には陰がある」
 晴信は勘助に陰の部分を背負わせる様子。
 果たして勘助の人生は?
 興味深い。


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透明人間 浦賀和宏

2007年03月25日 | 小説
 目の前にある現実をどう解釈するか?
 この作品はそういう小説。

 小田理美の目の前で起こる奇怪な殺人事件。
 ひとつは理美が子供の頃。
 雪の降る神社の境内で父親が死んだ。
 死因は転落死。警察がそう判断理由は、雪の上の足跡。
 雪の上の足跡は父親のものと、第一発見者の理美のものだけだった。
 しかし、生前に父親が何かに怯え逃げようとしていたことから他殺の可能性も捨てきれない。
 2番目の事件は連続殺人事件。
 場所は理美の自宅の地下。
 実はそこには巨大な地下研究所が存在した。
 それは旧日本軍が作った研究のための地下施設(ここで旧日本軍は人体実験を行なった)。
 幼かった理美は知らなかったが、ある研究をしていた理美の父親はこの地下施設に目をつけ、その上に自宅を建て、地下で自分の研究をしていたのだ。
 そして十年後。
 理美が大人になった時、弁護士と父親の同僚だった男たちが現れ、「地下室にお父さんの残した研究資料があるかもしれないから」と言って、地下研究所を調べ始める。
 そこで連続殺人事件が起こる。 

 物語はこれらの事件をどう解釈するか、という形で描かれていく。
 まずは合理的解釈。
 理美の友人でもある探偵役の安藤は、理美の語る事実の断片を繋ぎ合わせて、父親殺しと地下での連続殺人事件を解釈する。
 ネタバレになるのでその詳細は書かないが、それはかなりの奇想。
 空を飛ぶ理美の父親。
 動く地下通路の階段。
 他にもあった隠し部屋。
 その推理自体がぶっ飛んでいて実に楽しい。
 だが、作者はそうした合理的解釈の他にもうひとつ別の解釈を提示する。
 それは透明人間がすべてやったこと。
 理美の父親は「人を透明にする」研究を行っており、透明人間が一連の殺人を行ったことという解釈だ。
 推理小説は目の前の現実をどう解釈して犯人を特定するかという小説ジャンルだが、探偵役の安藤が提示したものとは別に、実に空想的な解釈を提示した所が面白い。
 そのふたつの解釈のどちらを選ぶかは読者に委ねられる。
 そして主人公の理美。
 彼女は透明人間説を信じる。
 理美は孤独な女性であったが、透明人間が自分の側にいて守ってくれていると思うことで救われる。
 自分には見守ってくれている人がいると思えることで救われる。
 作者はこの透明人間説を提示することによって、理美の心のドラマを描き出すことが出来た。
 この点が実に興味深い。

 思えば、人間の精神の営みもこれと同じ様なものである。
 例えば、ある自然現象を物理現象として捉えるか?神が起こしたものとして捉えるか?
 例えば、恋人との出逢いを数学的な確率の結果生まれた偶然と捉えるか、運命によって導かれたものとして捉えるか?
 例えば、何かの判断をする時、合理的な理由で結論を出すか?占いの様なもので結論を出すか?
 そして多くの場合、理美がそうであった様に合理的でない後者の方が人の心は救われる様だ。例えば恋人との出逢いを数学的な確率の問題と捉えるよりは運命の出逢いと捉えた方がワクワクする。

 この様に合理と空想といった視点から、殺人事件を解釈してみせたこの作品。
 ある意味、推理小説の新機軸であるとも言える。


★追記
 自宅の地下に存在した地下施設というのは実にロマン溢れる設定だ。

★追記
 主人公の理美は孤独で誰にもその存在を認められない人間。
 その孤独ゆえ彼女は何度も自殺を企て、また人に顧みられない自分を「透明人間」ではないかと思ってしまう。
 作品中、こんなエピソードがある。
 理美が歩いているとティッシュを配っている人がいる。
 自分が透明人間ではないかと思っている理美はティッシュをきっともらえないだろうと思ってしまう。
 果たして理美はもらえないのだが、こんな何気ない日常の出来事で主人公の心象を描いてしまうのは優れた作家の感性だ。


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薔薇の名前

2007年03月24日 | 洋画
 キリスト教の世界観・価値観が支配していた中世。
 そんな中世のキリスト教に反旗を翻す勢力がある。

 この物語は絶対的権威を持つ中世のキリスト教とそれに異を唱える者たちのドラマだ。
 では異を唱える者たちとは誰か?
 まずは異端者たち。
 修道院のサルヴァトーレやレーミオ。彼らは密かに異端であるドルーチェ派を信仰している。ドルーチェ派は黒猫や黒い鶏を使って儀式をするなど、悪魔崇拝に近い教義。
 しかし異を唱える勢力は異端者だけではない。
 熱心に信仰していると見える修道院の僧たちも悦楽に耽っている。
 ある者は男色を楽しみ、ある者は自らの体を鞭打ち、ある者は村の女と交渉を持つ。
 ショーン・コネリー演じる主人公ウィリアムはフランチェスコ派だが異を唱えるという点では同じだ。彼とフランチェスコ派の仲間は現状の教会のあり方に異を唱えている。
 彼らの主張はこう。
「現在の教会は富を蓄え民を苦しめている。それは違う。僧侶は財産を持たずに清貧であるべきだ。自ら持っている富を民衆に分け与えるべきだ」
 なぜ、この様な異を唱える動きが出て来るかと言えば、現状の教会の権威・力が大きく重苦しいからだ。
 人間は抑圧されれば、それから解放されたいという欲望を持つ。
 その解消の仕方が、異端信仰であり、男色であり、新しい教義の探求(=フランチェスコ派)であるわけだ。
 陰と陽の対立と言ってもいい。
 物語はこの様に絶対的権威を持つ教会とそれに反する勢力という対立軸で展開されていく。
 修道院内で起こる連続殺人事件もこの対立構造に起因している。
 現在の教会に異を唱える勢力があれば、教会はそれを力で抑え込もうとする。
 ネタバレになるので詳しく書かないが、犯人の殺人の動機は「反教会勢力の抑え込み」である。
 キイとなるのは「アリストテレスの詩書 第2章」。
 ここで描かれていることが公になれば、信仰は失われ世の中はカオスに陥ると犯人は考えている。
 この様にこの作品の優れている所は「当時の社会の対立・矛盾をひとつの修道院の中に集約させ、さらに殺人事件として描いたこと」にある。それが修道院という特殊な舞台装置と相まって独特のエンタテインメントとして結実した。
 もっとも犯罪は社会の矛盾を一番顕著に映し出す鏡であり、犯罪の動機を追及していけば社会が反映されるのは当たり前と言えば当たり前なのだが。
 そして目を転じて、現代のミステリーが何を社会の矛盾として描いているかを考えてみるのも面白い。

 さて、この作品のもうひとつ面白い点は、人間の情欲について描かれていることである。
 修道士は女人との交渉を禁じられている(女は男の魂を奪うと信じられている)が、ウィリアムの弟子のアドリは村の娘に迫られて姦通の罪を犯してしまう。
 その時のアドリのリアクションが面白い。
 彼は罪の意識に悩みながら、一方で思う。
 女性は実に神々しい。
 恋に似た感情を抱き、彼女を貧しさから救い、魔女の汚名を着せられた彼女を救いたいと思う。
 このアドリの思いには師であるウィリアムも適切な指導ができず、こう話すのみである。
「神が美徳を与えずに女を作ったとは思えない」
「ただし情欲のない生活は平穏だ」
 このせりふにはウィリアムの限界が示されている。
 逆に娘に心ときめかしたアドリは新しい世代の代表と言える。
 アドリは名も知らない村の娘を忘れられない存在として一生思い続ける。 
 現代の心象に近い若者とも言えるだろう。

★追記
 異端審問官のベルナール・ギーは教会権威そのものである。
 彼の言葉は絶対で異を唱える者は異端のレッテルを貼られ、罪を問われる。
 この抑圧の象徴である彼は「殺人者は別にいる」と主張するウィリアムを弾劾するが、修道院の塔が火事になり村人の暴動が起こった時、村人に殺されてしまう。
 過剰な抑圧は反動を呼び、やがて自分に返ってくるのだ。(「風林火山」の信虎などもそう)。


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ファイヤーフォックス

2007年03月23日 | 洋画
 冷戦時代。
 ソ連の最新鋭戦闘機ファイヤーフォックスを奪うアメリカ人パイロット・ガント(クリント・イーストウッド)の物語。
 このガントの人物造型がいい。
 まず陸ではまったくシロウトなのだ。
 彼はパイロットでスパイ活動などはやったことない。
 そんな彼を助けるのは、アメリカが送り込んだ地元の諜報部員たちだ。
 彼らの役割はガントをファイヤーフォックスまで連れていくこと。
 ガントは彼らの指示に従って言われるがままに行動する。
 偽のパスポートで商人スプラグと名乗りモスクワに潜入するがKGBの追及は厳しく、ガントは地元の諜報部員たちが用意した偽パスポートを使い、別の人物になってかわしていく。
 しかしガントは陸のシロウトだからミスも犯す。
 そんな時は地元の部員から「無能」呼ばわりされる。
 実に精彩に欠ける。 

 そんなガントだが、ファイヤーフォックスを奪い、空に出ると人物が一変する。
 プロフェッショナルになる。
 旅客機とわざとニアミスを起こし、飛んで行った方向を偽装する。
 これのせいで奪われたファイヤーフォックスを追うロシアの軍部は一時、ガントは南に飛んだと勘違いする。
 ガントの飛行技術と最新鋭のファイヤーフォックスのテクノロジーで、ガントは無敵になる。途中、ミサイル巡洋艦と遭遇するが、放たれたミサイルも迎撃して難なくかわす。
 彼はファイヤーフォックスを評して言う。
「イカす機械だ」
 そんな無敵のガントだが、やはり障害は出て来る。
 障害があるからエンタテインメントになる。
 最初の障害はファイヤーフォックスの燃料だ。
 マッハ5で飛ぶファイヤーフォックスだが、飛行距離は4000キロ。
 燃料補給が必要になってくる。
 その燃料補給をいかに行うか?
 ここはアイデアだ。
 エンタテインメント作品では、障害を乗り越えるためのあっと驚くアイデアが必要になってくる。
 それは北極の永久氷原から浮上してくるアメリカの潜水艦。
 ガントは氷原にいったん着陸して潜水艦から補給を受ける。
 しかし、ロシアの追及も激しく「貴艦はそこで何をしているのか?」と問いつめてくる。潜水艦は「気象観測をしている」ととぼけるが、敵の巡洋艦から飛び立ったヘリコプターが迫っている。ヘリに補給をしていることを目撃されたらアウトだ。
 ここでタイムサスペンスが生まれる。
 間一髪、補給は間に合い、ファイヤーフォックスはヘリに目撃されずに飛び立つことが出来るが、飛び立つ時、「世話になったな」と語るガントに潜水艦艦長はこう返す。
「とっとと消え失せろ」
 普通なら「ご無事で」とか「気をつけろよ」と返す所だが、敢えて憎まれ口を言う。実にかっこいいせりふだ。
 こうして飛び立ったファイヤーフォックス。
 もはや帰還するだけでガントは「もう大丈夫だ。ビールを冷やして待ってろ」と軽口を叩くが、最後に大きな障害が待ち受ける。
 ファイヤーフォックスの2号機だ。
 同じ性能を持った戦闘機どうしのドッグファイト。
 実にサービス精神旺盛だ。
 こうして見応えのあるエンタテインメント作品が誕生した。

★追記
 ガントは飛行記録を残すため飛行時に行った行動をすべてブラックボックス(ボイスレコーダー)に録音する。
 これが思わぬ効果を生んだ。
 戦闘機操縦のディティルが見ている者に伝わるのだ。
 うまい使い方だ。

★追記
 ガントのトラウマ(ベトナムで罪もない少女が殺されたこと)については作品中あまり深く描かれていない。これをもっと突っ込んで描けばガントのという人物がさらに魅力的になるのだが残念だ。
 原作で確認してみたい。


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風林火山 第11回「信虎追放」

2007年03月22日 | 大河ドラマ・時代劇
 第11回 「信虎追放」。
 信玄の人生の中の見せ場のひとつ。
 前半はサスペンス。
 父親追放の謀反を企み根回しをする。
 ここで寝返って信虎(仲代達矢)に内通するものが出て来るのではないかというサスペンスが生まれる。
 ポイントは信虎派と見られていた重臣・小山田信有(田辺誠一)や諸角虎定(加藤武)。信虎から可愛がられ家督を継ぐと見られていた晴信の弟・信繁(嘉島典俊)。
 そして彼らのリアクションで、それぞれの個性が出る。
 まずは信繁。
 彼は「よくぞ背かれた」と言って兄・晴信(市川亀治郎)の決断を支持する。自分は器量で兄より劣っているから、父上から家督を継ぐように言われていたが戸惑っていたと語る。これで信繁はこの若さでおのれの分をわきまえた聡明な男という印象が見ている者に伝わる。
 続いてリアクションするのは諸角虎定。
 彼はこのクーデターが間違っていると反論する。しかし、その反論の根拠は彼が家督を継ぐ信繁の後見人だからだろう(=信繁が家督を継げば、自分は武田家で権力を握ることが出来る)と指摘され、言葉を返せない。これで諸角の俗物性が浮き彫りにされる。彼は利に動き、態勢に流されやすい男だということが分かる。
 そして小山田信有。
 彼は今回のクーデターのすべてを見抜いていたかの様。もしこのクーデターに自分や信繁が従わなければ国は乱れ、他国に侵略されていると先を読んでいる。また襖を開けて控えている重鎮たち以外の武田のその他の家臣たちを見据えて、見事に根回しされたという。
 これで彼が先の読める頭のいい男であることが分かる。
 この三人三様の描き分け、見事である。

 そしていよいよ信虎追放。
 その前に今川家で和歌の会があり、クーデターを匂わされるが、奢れる信虎は自分のことだと気がつかない。
「晴れし心に戻る甲斐なし」
 信虎は「晴れし心」を晴信になぞらえていると考える。晴信には「戻る甲斐なし」ろ考える。義元は「晴れし心」を信虎になぞらえていたのだが。
 そして国境にやって来て目の当たりにする光景。
 晴信が立ちはだかり、追放を通告。
 次に信繁が現れ、続いて板垣信方(千葉真一)・甘利虎泰(竜雷太)・飯富虎昌(金田明夫)ら武田家譜代家臣たちが登場。
 今まで信虎につき従っていた兵隊も門の中に駆け込み、信虎ひとりだけに。
 信虎がなおも歩を進めると、足軽隊が槍を構える。
 すべての人の出入りが的確に計算され、まるで歌舞伎の舞台を見ている様だ。
 派手なCGの映像もいいが、こうした舞台を見るような映像もいい。
 逆に新鮮だ。
 そして伝わってくるのは、すべてに裏切られすべてを失った信虎の孤独・絶望。
 「本能寺の変」もクーデタードラマだが、信長が裏切られたのは光秀のみ。
 子供・家臣を含め、すべてに裏切られた信虎の心中は計り知れない。
 この信虎追放は日本史の名場面のひとつである。


★追記
 信虎を演じた仲代達矢さんは信虎をこう分析している。(風林火山HPより)
「権力者というのはとかく行き過ぎてしまう。人間は権力を持つと、だんだん客観的な目というものがなくなってくるのでしょう。自信がついて自信過剰にもなっていく。信虎も甲斐を平定したところで止めておけばよかったのが、領地を広げていくうちに欲望をコントロールできなくなってしまった」
 大井夫人との関係についてはこう。
「大井一族を打ち負かした信虎が、人質同然に略奪してきた女性が大井夫人です。しかし略奪結婚とはいえ、信虎は非常に愛していただろうと思うんです。
 ただ、大井夫人にそんな信虎の思いは通じていなかったのかも知れない。それどころか、さぞかし恨んでいるんだろう。きっと『お父さんは悪いヤツなんだよ』と言って、晴信を育てたんじゃないか。いつか、この俺から甲斐を奪い取り、追放しようと思っているんじゃないか。そんな疑心暗鬼に駆られていた」
 疑心暗鬼にとらわれる信虎を弱さを持った男だと分析している。
 どんな暴君も自分のしてきたことに負い目があり、不安なのだ。
 ミツを矢で殺してしまうような信虎の狂気を単なる狂気として描かず、こうした背景・理由があってのものであると分析しているのがいい。
 最後に「天下を制する者は晴信だ」と信虎が言ったセリフについては、演出家とこんなやりとりがあったという。
「演出家にも『追放された負け惜しみで言ったのでしょうか?』と聞いてみたのですが『いや、これは本音でしょう』と。やっぱり今まで出せなかった思いを、あそこですべて出したということですね」
 信虎はその才能を怖れるがゆえに、自分がやがて放逐されることを怖れるがゆえに晴信を遠ざけたのだ。
 そう考えて、この「追放」の場面を見てみるとさらに信虎の悲劇が伝わる。


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