平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

翼の折れた天使たち ~セレブ~

2006年02月28日 | 学園・青春ドラマ
小峰奈々子(上戸彩)はこんな女の子。

週に1回、セレブ気分を味わうためにセレクトショップに足を運ぶ。
セレクトショップで服を選んでいる時だけが本当の自分を忘れ、あこがれの自分になれる時間。
この一瞬の時間を味わうために何でもする。

こんな彼女のバックボーンには、父は無職で借金取りの電話が毎日かかっていた幼い頃の想いがある。友だちと自分は何も変わらないのにお金を持っているというだで、こんなに生活が違う。
必然、奈々子はお金だけを信じるようになる。

だが、そんな奈々子にめぐみという少女が現れる。
お金持ちの娘で何でも買ってもらえる生活を送っている少女。
だが、めぐみはこんな生活は嫌いだと言う。
それに対し奈々子は「それはお金を持っている者の贅沢な願望。お金のない生活をしたことがあれば、そんなことは言えない。お金があるってことはそれだけ将来に可能性があるということ」と反論する。

奈々子が言ったことは、めぐみの母も同じように考えていたことだった。
めぐみの母は夫を亡くし、現在の金持ちの夫と再婚した。
結婚した理由は、再婚相手が金持ちだったから。
めぐみの母は言う。
「あなたも何かを得るために何かをなくしているでしょう?」
めぐみの母が言うように奈々子はお金を得るために身体を売っていた。

物語は佳境に入る。
奈々子はめぐみに出会い、自分の信じていた価値観が本当に正しいのかを疑う様になる。
「人間の幸せってなに?」と考える。

確かに今の生活は空虚だ。
ブランド品の洋服は部屋に山のように掛かっているが、別に愛着があるわけではない。それに比べてめぐみは父の形見の汚いうさぎのぬいぐるみを大事にしている。
セレクトショップでの時間も実は空虚だ。
ショップでの自分は本当の自分ではないからだ。

めぐみが病気で倒れたことにより、奈々子は「誰かを愛おしく思う気持ちが何よりも大切だ」ということに気づく。
そして、「誰かを(何かを)愛おしく思う時に自分は自分でいられる」と気づく。

奈々子はめぐみに「嘘つきになるとブスになっちゃうぞ」と言われる。
確かにセレクトショップにいる自分は嘘をついていた。
嫌なのに身体を売ることも自分に嘘をついていたことだ。
自分を取り戻しありのままの自分を見せた時、奈々子はセレクトショップの店員に言われる。
「今日の奈々子さんが一番きれい」

★研究ポイント
 主人公の価値観に正反対の価値観をぶつけ、主人公が変わっていくというドラマ手法。病気解決は安易だが。

「本当の自分を忘れ、あこがれの自分になりたい。あこがれの自分にほんの一瞬でもなるために何でもする」
「お金を持っていても幸せになれないというのは、お金を持っている者の贅沢な願望。お金のない生活をしたことがあれば、そんなことは言えない。お金があるってことはそれだけ将来に可能性があるということ」
というモチーフは他にも使えそう。

 溢れているブランド服と汚いうさぎのぬいぐるみの対比が面白い。
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レ・ミゼラブル 第1話

2006年02月27日 | テレビドラマ(海外)
「レ・ミゼラブル」の物語の根底に流れるモチーフはこうだ。

「他人のために懸命に生きる人間がどんどん不幸になっていく」
 例えば、ジャン・バルジャン。
 彼は貧困にあえぐ人たちが罪を犯さないよう働いて賃金の稼げる工場を作り、市長になって善政を敷くが、少年から過去に2フラン盗んだことでジャベールから追われる。今はすっかり悔い改めているのに。
 フォンティーヌもそうだ。
 彼女は娘のコゼットのために懸命にお金を稼ごうとする。しかし、工場長が「未婚の母」である彼女を憎んでクビにしたため、身体を売ることになる。そのお金はコゼットを預かってもらっているテナルディ一家に送られるのだが、テナルディ一家はコゼットに満足な食事も与えられていない。こき使われて悲惨な暮らしをしている。それなのに娘を想うフォンティーヌは「コゼットが病気になったから薬代で40フラン送ってほしい」という手紙を信じ、歯を売って40フランを作ろうとする。

一方、ジャン・バルジャンらとは反対の人物もいる。
「善良でないが故に私服を肥やし安楽な生活を送っている人たちだ」
例えば、先程のテナルディ一家。
フォンティーヌを騙し、お金を巻き上げている。

物語は「善良であるが故に苦労しなければならない人たちと悪徳をして安楽な生活を送っている人たち」を描いて進行していく。
作品を見る者は、この矛盾に憤り、いつか善良な人間が報われることをハラハラドキドキして見守る。
同時に「善良であるが故に苦労してしまう現実と悪徳であるか故に安楽な生活を送れる現実」を目の当たりにする。

そして作品を見ている者は考える。
「こんな世の中なら自分も悪徳に手を染めた方がいのではないか?」
「こんな善が苦労する世の中なら、悪徳に手を染めた方がいい暮らしができるのではないか?」

この「善良と悪徳」の対立図式の中で本来、悪を裁かなくてはならないのが警察なのであるが、警察のジェベールはむしろ善良なる者へエネルギーを注ぎ追いつめる。
見る者はますます「自分も悪に手を染めなければ損だ」と考えるようになる。
なぜなら警察もあてにならないからだ。
しかし、見る者は「善良なる者」の勝利を信じたい。
「悪徳がいい想いをする世の中だからこそ、物語では善良なる者が勝利する姿を見たい」と思うようになる。
そこで主人公ジャン・バルジャンの登場だ。
見る者はジャン・バルジャンを応援せずにはいられなくなる。

だが、ジャン・バルジャンはあまりにも善良だからさらに困る。
「ジャン・バルジャンが捕まった」という知らせを彼は受ける。もちろんジャン・バルジャンは彼自身だから、捕まった人間は汚名を着せられた人間だ。彼は馬車を走らせて、「自分がジャン・バルジャンだ」と名乗りに行く。もちろん、彼の中には葛藤があった。自分が捕まれば、工場の人間。自分の治める町の人間が再び迷うことになる。たったひとりの人間のために大勢の人を不幸にしていいのか?そう迷いながらも彼は本当のことを言い、「気分がいい。迷っていた数時間に比べればずっと気持ちがいい」と語るのだ。
フォンティーヌが自分の工場をクビになった時もこう考える。
「彼女がいなくなったことに気づかなかった自分が悪い」

見る者は「善なる者が報われることを願い、善なる者の過度の善良さにハラハラドキドキする」
これが「レ・ミゼラブル」の基本図式だ。
この基本図式がしっかり描かれているからこそ、この作品は見る者を引っ張っていく。
実に見事な物語づくりだ。

★研究ポイント
 見る者をグイグイ引っ張っていく「レ・ミゼラブル」の基本図式。
 どんなに悲惨であっても最後に善が報われるのを描くのが物語の役割。

★追記
 「レ・ミゼラブル」では「善を行う者と悪を行う者」の図式の上にもうひとつ重要なモチーフが描かれている。
 すなわち、「人が悪を行ってしまうのもすべて貧困が原因だ」という思想だ。

 それはジャン・バルジャンの考え方でもある。
 ジャン・バルジャンは過去「貧困」ゆえに罪を犯した。
 それゆえ罪を犯す人を「貧困」ゆえにそうせざるを得なかったと考える。
 ジャン・バルジャンは「貧困」を憎み、金持ちになって多くの人を救いたいと考えた。
 彼はフォーシルバンが荷車の下敷きになった時に言う。
 「彼が悪いのではない。彼に過ちがあったとすれば、貧困ゆえに丈夫な馬車が変えなかったことだ」
 そして、力仕事の出来なくなったフォーシルバンにパリの修道院の庭師の仕事を世話する。
 未婚の母であるが故にフォンティーヌを解雇した工場長にジャン・バルジャンは言う。
 「善か悪かを誰が決めるのですか?神でさえ貧しくて罪を犯した者は許すのに、彼女を罰するなんて神にでもなったつもりですか?その人間がどんな人間か知らずに罰するのは間違いです」
 このことはフォンティーヌが警察に捕まった時も同様だ。
 フォンティーヌは身体を売った客とのいざこざで牢獄に入れられてしまう。本当は彼女をからかった客が悪いのに、彼女の身なり・仕事で彼女が悪いとされてしまったのだ。フォンティーヌが子供のために仕方なく身体を売っていることを知っていればなおさらだ。警察はそれを見抜けなかったが、ジャン・バルジャンはそれを見抜いて彼女を救う。

 余談だが、研究者に拠ると、作者ユーゴーはあの悪の権化・テナルディ一家でさえ、貧困ゆえ罪を犯しまった犠牲者という意図で書いていたらしい。

★追記
 今回は、ジャン・バルジャン(ジェラール・ド・ペルデュー)、ジャベール(ジョン・マルコビッチ)の映像「レ。ミゼラブル」をもとにした。
 ハラハラドキドキ連続で面白いですよ。
コメント

ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ

2006年02月26日 | 洋画
今回の作品「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」の物語のテーマは次のやりとりに集約される。

「きみは僕にとって特別な存在だ」と言われて求婚をされた姉ヒラリーにジャッキーは怒りをまじえて言う。
「あなたは特別な存在などではない」
天才チェリストのジャッキーの様な音楽の才能に恵まれていないということだ。
それに対してヒラリーは言う。
「フツーの女になることはそれはそれで大変なことなのよ」
そして続ける。
「あなたからチェロをとったら何が残るの?」

ジャッキーことジャクリーヌ・デュプレは実在のチェリストだ。
天才チェリストとして世界を公演してまわっている。
彼女はこのチェロのお陰で名声を得、ダニエル・バレンボイムという伴侶も得た。
ジャッキーは「やっぱりあなたは私の味方」と言って自分とバレンボイムを結び付けてくれたチェロを愛する。
しかし、彼女に病魔が襲う。
多発性硬化症。
この病に拠り、彼女は手・脚などを末端から動かせなくなる。
チェリストとして致命的な病気だ。
少しずつ犯されていく病魔にいらついていくジャッキー。
「これを飲めば大丈夫」と意味のない薬を飲み、公演をする。
しかし、コップをうまく掴めず割ってしまったり、失禁をしたり。
彼女が「ジャクリーヌ・デュプレ」でいられたものが奪われていく。

彼女は夫のバレンボイムに訊く。
「チェロを弾けなくても私を愛してくれる?」
夫の反応は明快でない。彼はジャッキーの才能を、演奏する姿を愛していた。

チェロを失って、彼女は「普通の生活」を求めようとする。
そして、今は音楽を捨てて普通の生活を送っている姉のもとにやって来る。姉のヒラリーは、自分の持っていない「普通の生活」を手に入れている。
これに嫉妬するジャッキーは姉の夫・キーファーを奪おうとする。
これには当然ヒラリーも怒る。ヒラリーとぶつかってジャッキーは言う。
「誰かに愛されているという証拠がほしいの。誰かとセックスをしたいの」
言動もおかしくなり、ヒラリーは自分の夫と寝ることを許す。
ジャッキーはヒラリーを排除し、キーファーとヒラリーの子供たちを自分の家族の様に接する。家族が、普通の生活がほしかったからだ。
だが、夫はヒラリーのもとに戻ってくる。
自分の「普通の生活」が偽りのものであったことを知って、ジャッキーは夜中にチェロを弾きまくる。

そして悪化していく病状。
「演奏がしたいわ」というジャッキーの気持ちに応えて、演奏会が開かれる。
ジャッキーは小太鼓。車椅子に乗って、曲の最後に太鼓を打つだけの演奏。まわりが優雅に演奏するのに見とれてしまったジャッキーは、太鼓を打つのを忘れて演奏が終わってしまう。
しかし、万雷の拍手。
これがジャッキーの最後の舞台だった。

夫はパリ交響楽団の指揮者になり、帰って来ない。
マーラーの演奏会があるからロンドンに戻れないという夫の電話にジャッキーは言う。
「寂しいわ。マーラーがますます嫌いになったわ」
そして電話口から赤ん坊の声が聞こえてくる。夫の愛人の子だ。
ジャッキーは「自分の耳のせい」と言って電話を切るが、後で「ひどい男」とひと言言う。

ジャッキーは屋敷でひとり自分のレコードを聞きながら嗚咽する。
「演奏している時はちやほやして、演奏ができないと私はひとりぼっち」

冒頭の姉ヒラリーとのやりとりにあった様に「チェロをとられて、ジャッキーには何も残らなかった」。
病魔はいよいよ蝕み、ジャッキーは自分で身体を制御できず手足をばたつかせる。
そんなジャッキーを姉のヒラリーは抱きしめ、子供の頃の楽しかった想い出を語る。

「本当のジャクリーヌ・デュプレ」は、人生においてすべてを失った天才チェリストの物語だ。
この作品の特徴は、その現実に対して少しもフィクションを加えていないことにある。
普通の作品であれば、最後の演奏会の万雷の拍手で感動的に終わらせる。姉との関係をもっと感動的に描いて盛り上げることもできる。
しかし、作品はそうすることなくクールにジャッキーの現実を見据える。
唯一の脚色は、ジャッキーの子供時代の想い出で終わらせたこと。
海岸で遊ぶジャッキーとヒラリー。
まだチェロをやる前の子供のジャッキーに、大人になったジャッキーが現れて言葉をかける。
「心配しなくていいのよ」
この意味はどういうことか?
これから彼女が味わう人生の荒波について姉が見守ってくれるから「心配しなくていい」と言っているのか?
ここにわずかな救いを感じる。
この押さえたドラマ作りが、「人生の苦しさ・悲惨とかすかな救い」を見る者に与えてくれる。

★研究ポイント
 エンタテインメントは夢を見せてくれるものだが、その人物の「人生」をしっかり見据え、絵空事でない現実を認識させてくれる作品も素晴らしい。これにわずかな救いとすぐれた文体があればエンタテインメントになる。

★研究ポイント2
 この作品の文体とは「ヒラリー」の視点と「ジャッキー」の視点で描いていることである。
 まずは「ヒラリー」の視点で時間が流れる。
 続いて「ジャッキー」の視点で同じ時間が描かれる。
 これにより、ジャッキーがこの時に何を思ったかが描かれる。

 例えば、ジャッキーの言動がおかしくなり、ヒラリーの夫と寝た事件。
 最初のヒラリーの視点で、観客はジャッキーに感情移入できない。
 ヒラリーに感情移入して、ジャッキーをひどいやつと思う。
 しかし、ジャッキー視点で、そこに至った経緯が描かれると、ジャッキーの辛さが伝わってくる。
 見事な手法だ。

 ジャッキーの公演地から洗濯物が送られてきたシーンもそう。
 ヒラリーの視点のパートでは、単なる笑い話で済まされてしまったが、ジャッキーパートになると深いドラマが隠されている。
 ジャッキーは、海外での生活で衣服を洗濯することも出来ず苦しんでいたのだ。そして洗濯された衣服が送られてくると「家のにおいがする」と言ってジャッキーは泣くのだ。
 その時にチェロは雪の降る窓の外に置かれている。
 ジャッキーは自分から家族との幸せな生活を奪ったチェロを憎んでいたのだ。チェロを憎むあまり、ジャッキーにはチェロを軋む音が聞こえる。

 公演からジャッキーが帰って来た時のシーンも泣ける。
 ヒラリー視点では、恋人が家に来て戸惑うヒラリーの気持ちが描かれるが、ジャッキー視点では哀しい。
 公演中は孤独であったジャッキーはやっと家に帰れて嬉しかったし姉とも語り合いたかったのだが、恋人のせいでそれが出来なくなってしまったのだ。
 ヒラリーにとっては何でもない出来事がジャッキーにとっては身を切られるような出来事。
 ジャッキーの心情だけをシーンとして描いていたら、これほどのジャッキーの哀しみ・孤独は伝わって来なかっただろう。

 視点の変化がドラマを深くした。
 見事な手法だ。
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Deep Love アユの物語

2006年02月25日 | コミック・アニメ・特撮
アユは「売り」をしている女子高生。
親父たちは自分の身体を求めて金を払う。
金のためのセックス。ほんの一瞬のこと。しかし、別にお金がほしいわけじゃない。
こんな汚い街に埋もれて汚れている自分も感じているアユ。
教師と面談したアユは言う。
「じゃああんたはなんのために生きてるの?」
「幸せになるためだろう」
「幸せってなに?なんなきゃいけないの?」

すべてが溢れている時代。同時に金にむしばまれている。
お金だって身体を売れば簡単に手に入る。
アユは空虚だ。

そんなアユが、ある独り暮らしのおばあさんに出会う。
ひとつ作って30銭の報酬が得られる内職をしているおばあさん。
花の芽が出るのを心待ちにして水をやっている。
おばあさんは「がんばれば、芽を出して咲く」と信じている。
舌を切られた子犬に涙を流し、看病して育てるおばあさん。
アユは苦しむ子犬を見て死んでしまった方がと言う。
「こんな腐った世界で生きるより死んでしまった方が幸せ」と考えたからだ。
しかし、おばあさんは言う。
「この子犬は生きようとしている」
また、このおばあさんは一夜しか過ごさなかった特攻隊で死んでいった夫のことを愛して生きている。
心臓の悪い義之という青年の手術台を貯めているおばあちゃん。
アユはそんなおばあさんの温かさに安らぎを見出す。

しかし、アユはホストでクスリ中毒で借金している恋人の窮地を救うためにおばあさんが手術台で貯めていた150万を盗んでしまう。

そしておばあさんの死。
150万のことでの罪の意識・おばあさんへの想いから、アユはおばあさんの遺志を引き継ぐ決心をする。義之に心臓手術を受けさせるのだ。
そのためにお金を貯める。
身体を売ってではない。アルバイトをして。
死んだおばあさんは、アユが身体を売っていることを知って泣いてくれた。
それを裏切ることが出来ないからだ。

義之の手術代のために生きること。
これがアユの生きる目的になる。初めて生じたアユに生きる目的だった。
義之とも心を通わせて、義之のことが好きになる。
アユは「自分は売りをやっていて汚れているから、義之に触れない」と言うが、義之はアユがきれいだと言う。
そんな義之の言葉が嬉しいアユ。
同時に守りたいものができて、アユは優しくなる。
友だちのレイナは強姦されて子供が出来たが、子供を産むことを勧め、祝福する。
子供用の服をプレゼントする。

しかし、義之は病状悪化。
義之に早く手術を受けさせるために、アユは再び「売り」を始める。
親父に触られて、初めて気持ち悪いと思う。
親父に抱かれて一度も泣いたことのなかったアユが初めて泣いた。
「ごめんね。おばあちゃん、約束守れなかった」と天国のおばあちゃんに謝る。

そしてエイズ発病。
やせ衰え、湿疹が出る。
「なんなのよ!消えてよ!こんなとこで止まってらんないの。まだ稼がなきゃいけないのよ」
醜い姿になっても義之のことを思うアユは、浮浪者に自分の食べているパンを分けてやる。
浮浪者はアユのことを「天使だ」と言う。

そしてクリスマス。
永遠の愛を保証するペンダントをアユは義之に贈る。
義之は自分のメッセージを吹き込んだMDを贈る。
「……アユ……元気にしてる?まえは一人で見上げる空で充分だったけど、今は一人じゃダメなんだ。アユがいないとダメなんだ。だから、今度は僕がアユを沖縄へ連れていくよ。また、一緒にあの空を見よう。ね、アユ」
そして倒れるアユ。
「ありがとう……。最高のクリスマスプレゼントだよ……。パオ(犬)……もしかして、あたし…死んじゃうのかな…?おばあちゃん……、あたしね、まえはいつ死んでもいいって思ってたけど……今は死にたくない……義之の病気…治さなきゃ……おばあちゃんの…かわりに……。あたし……まだ死ねないよ……」
雪の降る中、死んでいくアユ。

義之は自殺した自分の父親の保険金を使って手術をし、生かされる。
そして、おばあちゃん、アユのことを思い起こす。
「アユは……、おばあちゃんはなにを見た?」

レイナの子供は「アユ」と名づけられた。
レイナは子供がアユの生まれ変わりであると信じている。

★研究ポイント
 Yoshi原作の話題作をコミックで読んだ。
 内容は典型的なメロドラマ。
 道具立ても、病気(エイズ)、乱暴で荒んだ父親(義之の父)、持病を持った青年など古典的。
 主人公の死というのも泣かせで一番安易な方法。
 おまけに雪に、MDのメッセージ。
 しかし、この作品がウケた。ヒットした。
 主人公が「売り」をやっていて、腐った街を彷徨っている少女だからか?
 このヒットの理由は?
 確かにアユの心情はせつないのだけれど。

★追記
 いくつかのショッキングなシーンも。
 
 ヤク中で借金取りに追われていたアユの恋人。
 アユがおばあさんから盗んだ150万を借金返済に充てず、クスリを買ってしまう。しかし、クスリから抜け出せない苦しさで、マンションで自殺してしまう。

 レイナを買うリストラされた中年親父。
 しかし、それは死ぬ前の快楽。
 レイナを抱いて、中年親父はホテルから投身自殺する。

 まわされて写真を撮られるレイナ。
「チクったら、こればらまくからね」
「こいつイッたの?ああ、何度もね」
「犯されてイッてんじゃねえよ」
 ふとももにシャープペンシルで突き刺され「売女」と書かれる。

 エイズが発症するアユ。
「寒気がする。熱でもあんのんかな」
 ウンドウに映っているアユの姿はやせている。
 街行くカップルは「今の子見た?脚超細いんだけど」「あんなんキモいって。拒食症じゃねえの」と会話していく。
 それでも中年親父は「それ欲しいの?買ってあげようか」と声をかけてくる。
 親父に抱かれながら「まだやれる。まだ使える。この身体は」と思うアユだが、親父にやり逃げされてしまう。
 そして皮膚に現れる湿疹にアユは愕然とする。
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山本周五郎 「青竹」

2006年02月24日 | 短編小説
井伊直政の家臣・余吾源七郎。
彼はまっすぐ伸びた「青竹」の様な性格だった。
彼の信念はこうである。
「すべてはわが主君のため」
そこに出世、功名などの私心はない。

彼は関ヶ原の折、敗走する島津惟新義弘を守って戦った亜多豊後惇盛を討ち取った。その論功について源七郎は言わなかったが、1年後、本多忠勝の主張により論功が再びなされる。
論功を主張しなかった源七郎の理由はこうだ。
「わたくしはただひとすじに戦うだけでございます。戦がお味方の勝ちになればよいので、ひとりでも多く敵を討って取るほか余念はございません。さむらい大将をひとり討ったからとて功名とも思いませぬし、雑兵だからとて詰まらぬとも存じません」

すべては主君のため、自分の功名を騒ぎ立てることなど取るに足りないことなのだ。
この点、同じ主君のために働きながら、功名を求め家を盛り立てようとした「功名が辻」の山内一豊とは違う。

源七郎は関ヶ原の折、この亜多豊後を討ち取った功績で500石の加増を主張してほぼ認められそうになる。だが、ひとり反対する者がいた。
竹岡兵庫という老臣だ。

物語はこの兵庫との関係で進んでいく。

兵庫は500石の加増について言う。
「かような事は前例となるものでございます。合戦が終わって年数が経ちましてから、あの功名はおれのものだと、てんでん勝ちな論争が出ました場合、いかがあそばしますか」
これにより、500石の加増はなくなる。
源七郎の顔も曇った。
しかし、源七郎の顔が曇ったのは加増がなくなったからではなかった。
兵庫の言ったことは正しく、一瞬でも加増を喜んだ自分が恥ずかしかったからだ。

ここで恥ずかしいと思うか、兵庫を恨むかで物語の展開は大きく違ってくる。
山本周五郎は「恥ずかしい」と思う源七郎を描いた。
物語は進んで大坂夏の陣。

源七郎は大阪城の天王寺口の攻めを担当する。豊臣側の必死の抵抗に源七郎の部隊は壊滅的な打撃を受ける。
いったん退散するように軍令が出る。
それでも源七郎は引こうとしない。
しかし、この源七郎の抵抗が敵を怯ませた。
源七郎の旗印は「墨絵かぶらに数珠」
これが不退転の象徴、悪鬼羅刹の旗印に見えたのである。
敵の動揺を見てとった前田利常と片桐かつもとは源七郎の確保した攻撃路をひた押しして天王寺口を突破する。

これで大阪城は陥落した。
そして、この源七郎の軍令違反について審問が開かれる。
直孝は「軍令か聞こえなかったのではないか」などと助け船を出すが、源七郎はそれに応えない。
「まったく源七郎の不所存でございます。何卒掟どおりの御処分をお願いします」と言う。
結局、源七郎の処分はこうなる。
「軍令にそむき、二百余騎の兵を喪った罪によって切腹を申し付くべきところ、祥寿院さま(直政)以来の功に免じ、食禄めしあげその身は追放に処す」

これに対してまた、老臣・竹岡兵庫が異論を述べた。
「恐れながら軍令にそむきました点のお咎めは承りました。しかしまだ源七郎の手柄に対しての御恩賞の沙汰はうかがいません。ご失念かと存じます」
源七郎はこれで500石の加増になり、罪も免れる。
源七郎の一途な忠義が認められたのである。

兵庫が源七郎を救った。
物語的に言えば、関ヶ原で落ちて大阪夏の陣で上がった。
このうねり。
これが物語を読む楽しさだ。

山本周五郎は最後に物語をこう落とす。
関ヶ原での加増の件がなくなった後に、兵庫は源七郎に自分の娘と結婚しないかと申し出ていた。源七郎の侍ぶりが気に入ったからである。
しかし、「上役の娘をもらうことは他の家臣の妬みにもなる」と言ってこの無骨で自分の信念に妥協しない男は断る。源七郎は兵庫の娘を一目見て好きになってしまったにも関わらず。
結局、娘は病で死んでしまい、源七郎は自らの旗印に娘への想いを込める。
源七郎の旗印はもともと「墨絵かぶら」であったのだが、その下に「数珠」を付けたのである。
この旗印の所以は、小説のラストで明かされる。
そこに描かれる哀しみ。
源七郎は自分の信念に生きたが、その裏には失ったもの・哀しみがあった。
「無器用な信念の男・源七郎」という作品モチーフに「その信念を貫き通したが故に大切なものを得られなかった哀しみ」が加わって、見事な小説になった。
「無器用な信念の男」を描いただけでは、この様な見事な作品にはならなかっただろう。

★研究ポイント
 小説に「うねり」をつける。
 短編小説の場合は、「うねり」に関わる人物は絞った方が効果的だ。この作品の場合は竹岡兵庫。
 そして「うねり」の他につける「オチ」。
 このオチをつけると作品に深みが加わる。
 今回は「信念に生きる男の清廉さ」を描くと同時に「哀しみ」も描くことで、「信念に生きることの裏表」を表現した。

 ひとつの事象には必ず裏と表がある。栄光の背後には陰がある。
 これを描くことで大人の小説になる。 

★追記
 この作品は小道具の使い方が見事。
 源七郎の旗印もそうだが、「青竹」もそう。 
 関ヶ原で亜多豊後を討った時、源七郎は青竹の槍を使った。
 通常の槍はいったん敵に刺すと引く抜くことが難しく、次の働きができないからである。源七郎は部下に30本以上の竹槍を持たせ、自分の後についてくるように命じた。竹槍を敵に刺して討ち取ると、部下から新しい竹槍を受け取って戦う。
源七郎の合理的な面を描いているが、同時に主人公の「青竹」を割った様な性格も象徴させている。
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24 シーズン2 第15話

2006年02月23日 | テレビドラマ(海外)
第15話

核爆弾の起爆装置が外せない。外せば爆破してしまう。
政府は最も被害の少ない場所で核爆弾を爆破させる決定をする。
そして候補地が挙がった場所は海と砂漠。
海は海洋汚染の怖れと偏西風によって放射能が運ばれる可能性がある。
結局、砂漠が選ばれるが、的確な場所に落とさないと被害が予想される。
的確な場所に落とすためには、パイロットが飛行機もろとも突っ込む必要が。
ジャックは大統領からの要請に対し、「志願者は何人かします」と答える。
実際には確認をしていない。
パイロットになるのは自分だと決心しているからだ。

このシナリオライターは、本当に次から次へと困難をジャックたちに襲いかからせる。爆破させるのが海なら何の問題もないのに砂漠にしてしまう。

そしてドラマ。
ジャックは死の飛行をしながら娘のキンバリーと携帯で話をする。
「お前が幸せなら何も言うことはない。もし、望むならママが自慢と思う娘になってほしい」
「おまえはパパの一番の宝だ。いつも見守っている」
「私もパパの子でよかった。パパ大好き。つらく当たってごめんなさい」
「ぎくしゃくしていたのは俺のせいだ」

そして次のドラマ。
その飛行機にCTUのチーフを解任されたジョージが乗っていた。ジョージは朝の事件で被爆して、明日をも知れぬ命だ。
ジョージが代わりに突っ込むという。
ジョージの被爆の伏線がこんな所で活きてくる。まさにすごい構成。
ジャックとジョージ、せりふのやりとりもうまい。
ジョージが乗っているのを気づかれて「こんなサービスが悪いのにつき合ったんだぞ」と言う。ジョージは狭い飛行機の後部に隠れていた。これをサービスが悪いと言ったのだ。
「いつ意識を失うかもしれないおまえには任せられない」と言って操縦を替ろうとしないジャックにジョージは言う。
「おまえはテリー(ジャックの妻)が死んだのを悔やんで、死に場所を探している。そして今回は絶好の死に場所だ。だが、ジャック、ヒーローになりたかったら生き延びろ。娘に立ち向かい、国のために尽くせ。自分を取り戻せ」

キンバリーとのドラマ。
ジョージとのドラマ。
まさにドラマの二段重ねで見事!

そしてジャックは飛行機からパラシュートで降り、ジョージの操縦する飛行機が突っ込んで爆弾が爆破する。ジョージは意識を失いそうになるが、オートパイロットで水平に現地まで飛び、角度30度に保って飛行機を急降下させた。

★研究ポイント
 ひとつのモチーフに絡む様々な人物とのドラマ。
 ドラマの2段重ね。
 今回はジャックの決死の飛行にキンバリーが、ジョージが絡んでドラマを形成した。

★追記
 しかし、これで事件は終わらなかった。
 アリのハードディスクから、今回の核爆発に関して話をしているアリと中東3カ国の要人との会話の音声が見つかったのだ。
 こんな音声を残していた理由は何だと訊く大統領に、政府高官は「アリは疑り深く3カ国が裏切らない様に音声を録音していたのだ」と説明する。
 そして、声紋鑑定が指示される。
 「もし、これが本物なら宣戦布告の決議を議会に求めるつもりだ」と洩らす大統領。
 既に軍隊は有事の侵攻作戦の計画を進めている。
 中国、ソ連が介入してきたら第3次世界大戦になる。
 この音声は本物なのか否かが、これからのドラマのテーマになる。

★追記
 第16話では中東の要人から大統領に電話が入る。
「今回の核爆発の件で制裁・報復の声が挙がるだろうが、あなたは賢明な判断をされる方だと思っています」
 それに対して大統領は言う。
「そうならないよう現在、証拠固めをしています」
 証拠固めとは、この場合、音声テープが本物か否かということだ。
 裏表、駆け引き、政治家の会話である。
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炎のランナー

2006年02月22日 | 洋画
「炎のランナー」は1922年のパリ・オリンピックでの英国陸上選手の姿を描いた秀作である。

テーマは走ることの原動力は何か?

ハロルド・エーブラムズは、「ユダヤ人に対する偏見」だ。
ユダヤ人の彼は周囲の目に憤り、屈辱を感じてきた。
現にケンブリッジの寮長たちは、時計が12回鳴るまでに校舎の内庭を1周するカレッジ・ダッシュというイベントで、ユダヤ人の彼が勝ったことを苦々しく思う。
彼は走ることで、その偏見が間違いであったことを認めさせようとする。
彼にとって、走ることは「戦うための武器」なのだ。

一方、スコットランドのエリック・リデルは神父、神を讃えるために走る。
「人が活きるとは走り続けること。ゴールまで走る力は我々の中から湧き出る。その力は神を信仰する人間の中にある」
それを証明するために彼は走るのだ。
彼は走ることで、神の喜びを感じる。

いずれも走ること(生きること)の原動力。
こうした心がなくては、走る(生きる)という戦いに耐えられない。

しかし、栄光は簡単にやって来ない。
彼らに困難が襲う。

エーブラハムズは、競技会でリデルに負ける。
そこでプロのコーチ、サム・マサビーニについてトレーニングを始める。
エーブラハムズの家は金持ちでコーチを雇うことができるのだ。
それをケンブリッジの寮長たちは非難する。
いわく。
「紳士の敗北は金の勝利よりはいい」
「テクニックを求め、個人的栄光を求めている」
それに対しエーブラハムズは言う。
「栄誉を求めるのは家族のため、大学のため、祖国のため」
「探求を重ね、自己を高めたい」

彼の恋人も彼の勝つ事への執念に悩む。
エーブラハムズは「自分は負けるために走るのではない。勝つために走るんだ」と言い、激しいトレーニングに打ち込む。
そんな彼のことに悩む恋人にエーブラハムズの友人リンゼイは言う。
「世界を相手に戦っている彼には恋人は見えない。戦いが終わるまで待っていてくれないか。彼はバカだな。俺ならずっと君のそばにいるのに」

一方、スコットランドのリデルの困難はこうだ。
リデルも「走ることに熱中し過ぎて神を忘れている」と妹に非難されている。
そしてパリ・オリンピック。
リデルの出場する100メートルの予選が安息日である日曜日になってしまう。
リデルは出場を辞退する。3年間、走ることに打ち込んで来た集大成であるオリンピックに出ることが出来ない。しかし神の教えを否定することは出来ない。彼にとって苦渋の選択だ。
説得をする国王やイギリスのオリンピック委員会とはこんな議論をする。
「頑なだな。たまには国のために折り合うことも重要だ」
しかし、リデルにとって重要なのは国より信仰、国王より神だ。
それをある英国貴族は傲慢だと言うが、リデルは「個人の信仰に立ち入ることこそ傲慢です」と自分の信念を貫く。
結局、リンゼイが400メートルの出場権をリデルに譲り、リデルは400メートルに出場する。
後にある貴族は反省する。
「国の栄誉のために人格を殺そうとしたわれわれが間違っていた」
これぞ英国紳士だ。

そしてエーブラハムズは100メートルで、リデルは400メートルで勝利する。

パドック、シュルツといったアメリカの名選手に勝って金メダルを獲得したエーブラハムズは、勝って喪失感を感じる。目標が失われたからだ。
しかし、彼は100メートルを走る10秒間の中に自分をしっかりと確認した。

リデルは400メートル。
もともと100メートルの選手だっただけに持久力が心配されたが、彼は「心」で走る選手。神の力を得て、翼を与えられ、400メートルを走って少しも揺るがない。ぶっちぎりで勝つ。

★研究ポイント
 葛藤して生きる人間を描いたスポーツ映画。
 テーマは信仰と差別。
 スポ根、ギャグ以外にこういうスポーツの描き方があった。
 スポーツと恋愛を絡ませたのが「ロッキー」。
 他にどんな絡ませ方があるか?

★追記
 エーブラハムズのコーチ、サム・マサビーニがカッコイイ。
 マサビーニは競技委員に「エンジョイ ザ ゲーム」と言われて憤慨する。
「ゲームだと?これは果たし合いだ」
 コーチを頼むエーブラハムズにサムは言う。
「コーチを引き受けるのは私から頼む時だ」
 そしてエーブラハムズがリデルに負けた時にサムはやって来る。
「あと2歩は私が保証する」
 エーブラハムズはリデルに1歩差で負けたのだ。
 サムはフォーム改造を行い、メンタルトレーニングを行う。
「リデルの姿を目に焼きつけて、目を閉じてもその姿を思い出せる様にしろ」
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茨木のり子さんの詩

2006年02月21日 | 事件・出来事
 詩人の茨木のり子さんが亡くなった。
 茨木さんを知ったのは、作家の氷室冴子先生が茨木さんを好きだと書いていたのがきっかけ。

「自分の感受性なんて」

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮らしのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性ぐらい
 自分で守れ
 ばかものよ


●メチャクチャに強い。
 人は自分の心のドロドロした理由を、自分以外に求めたくなるもの。
 この心境になるまで、どの位、心の葛藤を乗り越えていかなくてはならないのだろう。

「倚りかからず」

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない 
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

●ともかく強い。
 人間は何かに寄りかかりたい。
 お金、宗教、名誉……。
 それが自分の拠って立つものは何もないと言う。
 この心境も自分はまだまだ。

「廃屋」

 人が棲まなくなると
 家は
 たちまち蚕食される
 何者かの手によって
 待ってました!とばかりに

 つるばらは伸び放題
 樹木はふてくされて いやらしく繁茂
 ふしぎなことに柱さえ はや投げの表情だ
 頑丈そうにみえた木戸 ひきちぎられ
 あっというまに草ぼうぼう 湿気にむれ
 魑魅魍魎をひきつれて何者かの手荒く占拠する気配

 戸さえなく
 吹きさらしの
 囲炉裏の在りかのみ それと知られる
 山中の廃居
 ゆくりなく ゆきあたり 寒気だつ
 波の底にかつての関所跡を見てしまったときのように

 人が
 家に
 棲む
 それは絶えず何者かと
 果敢に闘っていることかもしれぬ

●これはよくわかる。
 人は何かと闘って自分を支えている。


「汲む」

 大人になるというのは
 すれっからしになることだと
 思い込んでいた少女の頃
 立居振舞の美しい
 発音の正確な
 素敵な女のひとと会いました
 そのひとは私の背のびを見透かしたように
 なにげない話に言いました

 初々しさが大切なの
 人に対しても世の中に対しても
 人を人とも思わなくなったとき

 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

 私はドキンとし
 そして深く悟りました

 大人になってもどきまぎしたっていいんだな
 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
 失語症 なめらかでないしぐさ
 子供の悪態にさえ傷ついてしまう
 頼りない生牡蠣のような感受性
 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
 外にむかってひらかれるのこそ難しい
 あらゆる仕事

 すべてのいい仕事の核には
 震える弱いアンテナが隠されている きっと…
 わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
 たちかえり
 今もときどきその意味を
 ひっそり汲むことがあるのです

●「倚りかからず」を別の形で表現したもの。

  子供の悪態にさえ傷ついてしまう
  頼りない生牡蠣のような感受性

                  が嫌だから、人は何かに寄りかかる。

  それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

                  と言い切れる強さ。


「苦しみの日々 哀しみの日々」

 苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 わずか五ミリぐらいではあろうけど

 さなかには心臓も凍結
 息をするのも難しいほどだが
 なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
 あれはみずからを養うに足る時間であったと

 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
 やがては解るようになるだろう
 人の痛みも 柘榴のような傷口も
 わかったってどうなるものでもないけれど
       (わからないよりはいいだろう)

 苦しみに負けて
 哀しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである

 受けとめるしかない
 折々の小さな刺や 病でさえも
 はしゃぎや浮かれのなかには
 自己省察の要素は皆無なのだから

●これもすべてを受け入れる強い覚悟。

 苦しみに負けて
 哀しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである

 の一節が好きだ。
 別の詩にこんな一節も。

「極小の一分子でもある人間が ゆえなくさびしいのもあたりまえで
 あたりまえすぎることは言わないほうがいいのでしょう」

 ともかく人間のありのままの現実を受け入れようという姿勢。
 でも、人はあがき苦しんでしまう。

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あいのり 2/20

2006年02月21日 | バラエティ・報道
ハンガリー。
南京錠をいっしょにかけたカップルは幸せになるという言い伝え。
それを求めるMIE。
戸惑うスーザン。
スーザンはMIEの想いに、それをここまで受け入れていいのかと迷う。

MIEから距離を置こうとするスーザンにMIEはなおも近づこうとする。
「ここにいるだけでいいから、何も話さなくていいから、ここにいていい?」

すごいせりふだ。
「あいのり」は「真実の愛」だけを求めて行われる旅。
参加者の行動は恋愛をするためだけに集約される。
世間体や日常の雑多な用事はない。
だから、こんな想いが、こんなせりふが絞り出される。
MIEの無器用なすごい純粋さを感じる。
タカノは面白かったけど、やはり無器用な純粋な想い。
自分の想いに純粋に向き合える時間、それが「あいのり」の旅だ。

ふたりでパスタを食べるシーンも面白かった。
人はあんなに涙を流して哀しくても、相手のコップに水がなければ注いであげるし、テーブルの紙ナプキンに鼻水が付いていないかを気にする。
これがリアルな哀しみのシーン。

★研究ポイント
 恋愛を純粋に突き詰めていく「あいのり」の旅から、様々な気持ちの表現を学ぶ。

★追記
 今回、アウトローが提起した「レンタルビデオの愛」。
 これは「永遠の愛」を求める「あいのり」の旅とは正反対の価値観。
 アウトローがどう自己表現していくか、どう変わっていくかも注目したい。
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功名が辻 5

2006年02月20日 | 大河ドラマ・時代劇
今回の「妻の覚悟」は、千代が成長する話。

信長の上洛で一豊とその臣下は岐阜を離れる。
その間に、身重の新右衛門の妻が流産して死んでしまう。
新右衛門の妻に十分な注意を払えず、死なせてしまったことに悩む千代。
おまけに次男の徳次郎が母を失ったことから反抗する。
山の洞穴に閉じこもった徳次郎を単身迎えに行く千代。
洞穴の中の徳次郎は熱で倒れており、千代は屋敷に連れていくと徹夜で看病する。

家臣のことに自分の責任を感じる千代。
家臣の抱える問題を身を以て解決しようとする千代。

こうした体験を通して、千代は「山内家のお方様」として自覚し成長していく。
後に三好征伐で出陣する一豊たち。
「戦場に行くことがわたしと亡くなった新右衛門の妻の願い、ただし命を落としてはいけません」
「(新右衛門の)子供たちのことは私に任せて下さい」
と言って送り出す千代の顔は「山内家のお方様」の顔だった。

★研究ポイント
 人物が成長すること、変化することがドラマ。
 一豊の恋人から妻へ。
 夫への愛から家臣や家臣の家族への愛へ。
 雨の中、単身洞穴に行き徹夜で看病するというのはオーソドックスな解決方法だが、千代にはこの様なドラマがあった。
 今後、どの様なドラマが用意されているか楽しみ。

★追記
 新右衛門の妻が亡くなるシーンは「人の死のシーン」のお手本。
 まず、夫に自分の死を伝えないでほしいと千代に告げる。
 理由は「戦場での心の乱れは命を失うことに繋がるから」
 そして子供たち、ひとりひとりに言葉を遺す。
 長女には「父上は寒くなると膝が痛みます。そんな時は琵琶の葉を与えて下さい。裏山にある琵琶の葉が一番いいです」
 次女には「あなたはきれい好きです。父上の下帯がいつも真っ白である様に洗ってあげなさい」

 このシーンにぶつけて京での新右衛門が描かれる。
 妻へのお土産(におい袋)を選んでいるのだ。
 「そんな物より米を買え」と諭されるが、新右衛門は妻の喜ぶ顔が見たい。
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