平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

独立行政法人の皆様へ

2010年04月30日 | 事件・出来事
 独立行政法人の仕分けが終了。

 いろいろありましたが、労働政策研究機構なんかは結構ひどい。
『野球選手とは<投げる><打つ><走る>というスポーツで……』
 と誰もが知っていることを研究し報告している。
 担当者によると、その職業に従事している人150人に聞き取り調査を行っているらしいが、それって本当?
 あるいは150人の聞き取りを行ってこれぐらいのことしか認識できないのか?
 ここに以前勤務していたというジャーナリスト若林亜紀さんに拠ると、この組織では朝の遅刻は当たり前、昼休みは2時間、部長は週1回の出勤らしい。
 何ともうらやましい限りである。
 もちろん、これら仕分けの対象になった方々にも言い分はあるのだろうが、次の点だけは聞いてみたい。

★あなたは自分のやっている仕事に誇りを持てますか?もらっている給料分の仕事をしていますか?

 『野球選手とは……』という小学生でも知っていることを研究として堂々と発表する仕事にいったい誰が誇りを持てるだろう。
 僕だったら恥ずかしくて表に出せない。
 死ぬ時に自分の人生をふり返った時に自分は何をやって来たんだろうと虚しくなってしまう。
 週一回の出勤で高給をもらうなんてプライドが許さない。

 まあ、人生は仕事だけではないという考え方もあるだろう。
 そんな下らない仕事であってもお金をもらうための手段と割り切ることも。
 しかし意味のない仕事をしている独法の方々は未来に迷惑をかけているのである。
 国の借金はいまや800兆円を超え、1000兆円になろうとしている。
 未来のこの国は借金を返すことに汲々とし、未来の子供たちはそのツケを払わせられる。
 借金を返すことに税金のほとんどが使われるから、未来の子供たちは今、我々が当たり前に受けている行政サービスを受けられなくなる。
 そしてこれら借金の元凶の一因はムダ使いをしているあなたたちなのだ。あなたたちは未来に迷惑をかけているのだ。

 消費税を上げたり、インフレにして貨幣価値を下げれば、こんな借金など何とかなると考えているのかもしれないが、冗談ではない、あなたたちのバカやいい加減のツケを払う気はない。
 民間ではバカな仕事をすれば会社は潰れる。いい加減な仕事をすればほされる。
 事業仕分けは、民間でいう<倒産>や<解雇>と同じものだと考えていただきたい。
 <倒産>や<解雇>の危機感があれば、少しは真面目に仕事をするようになるでしょう?

 最後にもう一度問います。
 
★あなたは自分のやっている仕事に誇りを持てますか?もらっている給料分の仕事をしていますか?

 これに胸を張ってイエスと答えられる方は、現在の仕事を継続していいと思う。
 ただし自分のことは客観的になかなかわからないもの。
 だから事業仕分けのような場を積極的に活用して改めていただきたい。
 事業仕分けは現状の仕事を改善していくいい機会なのだと考えてほしい。


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臨場 第4話 そこにあるはずのもの

2010年04月29日 | 推理・サスペンスドラマ
 現場にあるはずのものがない。
 何故ないのか? そこから現れる真実。
 そういう物語でした。

 現場にあるはずのものとは……
・タバコの透明の包装
・バスタオル

 ネタバレになるが、このことが物語る真実とはこう。
・犯人はバスタオルで指紋を拭き取るなどの証拠隠滅を行った。
・その際に床に落ちていたタバコの包装がバスタオルにまぎれ込んでしまった。

 このことによって犯人が判明する。犯人である証拠になる。
 これはある意味、人生ですね。

 バスタオルで証拠隠滅をしてしまったことは犯人の職業ゆえの習慣。習慣が無意識に出てしまった。
 バスタオルにタバコの包装がまぎれ込んでいたことは偶然。まぎれこんでいなかったら、犯行の証拠にはならなかった。

 人生の明暗を分けるのは、<小さなミス>であり<偶然>なんですね。
 人生のif
 行動する前にちょっと考えてバスタオルで証拠隠滅をしなければ……。
 バスタオルにタバコの包装がまぎれ込んでいなければ……。

 こんなわずかなことで人生を左右される怖さ。
 もっとも犯行がバレないことが幸せかどうかはわかりませんが。
 復讐を果たせて一時的には満足するかもしれないが、その後に残るのは自分が首を絞めて人を殺したという現実。その現実に常に悩まされる。

 ミスと言えば、詳細な似顔絵もそう。
 通りすがりの人間の顔をあんなに詳細に覚えているはずはないということから足がつく。
 しかし相手の顔を詳細に覚えていた犯人の気持ちを考えると、なかなかせつない。
 愛している男の妻。
 犯人である彼女はどんな思いで妻の顔を見ていたのだろう。
 この妻さえいなければ自分は男に愛されていたかもしれない……。そんな思いが渦巻いていたはず。

 倉石(内野聖陽)の言うとおり、犯人は捨てた男のことなど清算してしまえばよかったんですけどね。
 過去の恨み辛みにこだわるより、未来に生きる。現在を楽しむ。
 もっとも分かっていても、なかなかそれが出来ないのが人間なのだが……。

 <小さなミス>や<偶然>に左右され、<過去にとらわれている自分>から抜け出せない。
 生きるとはなかなか厄介だ。


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ロンドンハーツ AKG47

2010年04月28日 | バラエティ・報道
 AKG47
 このキイワードを思いついた時、この番組の作家はほくそ笑んだに違いない。
 想起させるのは、いわずと知れた今人気のAKB48。
 当然、視聴者は<AKB48>ならぬ<AKG47>とは何だ?と思う。つかみは十分。
 そして、その<AKG47>の意味する所は……

 <淳(あつし)が可愛いと思う女の子47人>。

 つまり番組を見ていない方に説明すると
 A……ロンドンブーツの淳(あつし)のA
 K……かわいい
 G……ガール・女の子
 おまけに47にも意味がある。全国47都道府県の47ということ。

 番組の内容は、ロンブーの淳さんが全国をまわり、各都道府県の<淳が可愛いと思う女の子>を探すというもの。
 この全国をまわって女の子を捜すというコンセプトは、同番組の「ダイヤモンドガール」という企画でも行われており、いわば、この番組の得意技。
 今回のAKGは「ダイヤモンドガール」を応用したものとも言える。

 考えてみると、この「ロンドンハーツ」という番組はこうしたオリジナルなコンセプトを持った企画をたくさん作っているんですよね。
 この<全国をまわって女の子を捜す>というコンセプトもそうだし、<格付け>もそう。何回女性をチラ見するかという<どスケベ、ホイホイ>もそう。
 <ブラックメール>などは既存のドッキリのコンセプトを流用・応用しているが、基本的に「ロンハー」はオリジナルコンセプトで考案された企画が多い。
 決して安易な<クイズ>などに走らず、オリジナルで勝負している。
 <子供に見せたくない番組ナンバー1>に常にランクされるなど、いろいろと批判も多いが、オリジナルで勝負している所がこの番組の偉大な所。
 そして、とんねるずの「食わず嫌い」やナインティーン・ナインの「ゴチになります」など、長く続く番組には必ずオリジナルコンテンツがあるのである。
 「ロンハー」が次にどんな企画を見せてくれるか楽しみ。


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龍馬伝 第17回「怪物、容堂」

2010年04月26日 | 大河ドラマ・時代劇
★まずは山内容堂(近藤正臣)。
 勝麟太郎(武田鉄矢)の海軍操練所に理解を示す進取・開明の人物でありながら、下士を犬猫だ考える差別・保守的な面もあるといった二面性を持った人物として描かれている。
 吉田東洋を殺された恨みも忘れていない。
 なかなか深い人物造型だ。
 差別・保守的な面は当時の大名としては限界。いくら進取・開明であっても、上士・下士の身分を壊す、幕府を壊すという発想までは行けなかったのであろう。
 この辺は「篤姫」の島津斉彬とは違う。
 年齢の差か?
 そして新しい時代を作っていくのはやはり若い人達。既得権を守ろうとする老人はその妨げにしかならない。
 龍馬(福山雅治)、ジョン万次郎(トータス松本)のエネルギーに満ちた笑顔と容堂の暗い顔を比べてみればいい。

★物語としては、武市半平太(大森南朋)粛正の前フリ。
 それを龍馬視点の容堂の描写、武市の妻・お富の不安で描いた。
 武市が容堂を尊敬し、信じていたことも面白い。
 <上士>に格上げされ、涙する武市。
 最後の最後まで<土佐藩>にこだわったこと、抜け出せなかったことは武市の限界。
 武市は大会社にいて、そこで出世しようとするサラリーマンに似ている。
 一方、龍馬はひとり。やがて亀山社中を作るが、自分で会社を作る起業家。
 弥太郎(香川照之)もそう。藩(=会社)など信用せず、自分で商売をして会社を起そうとしている。
 武市、弥太郎、龍馬、この三人の生き方は比べてみると面白い。
 あくまで組織にこだわる武市。
 自分で起業しようとする弥太郎。
 何も持たず自分の感性のおもむくままに生きていこうとする龍馬。
 武市はいつ粛正・左遷されるかわからない不安、弥太郎は商売がうまくいかず借金を抱える不安、龍馬は何者にもなれず、ひとりのたれ死にするかもしれない不安があるが、どの生き方にも優劣はない。
 ただ組織や何かに縛られている武市のような生き方をしている大半の我々には、龍馬の生き方はうらやましく新鮮に見える。

★佐那(貫地谷しほり)と恋バナはこれで終わりか?
 「竜馬がいく」を読んでいるさな子(佐那)ファンとしては少しさびしい。
 佐那の心の中を分析してみる。
 <自分と龍馬を繋ぐものは剣術。だから剣術をしていればいつまでも龍馬と繋がっていられる>
 <千葉道場にある坂本龍馬の木札を見ることで、龍馬を思い出せる>
 <龍馬と過ごした剣術修行の日々を糧にして生きていく>
 <坂本龍馬という人格の剣術の部分は自分が作った。それだけで自分は満足である>
 これら佐那の思いはなかなかせつない。
 せりふにあったとおり、佐那は龍馬を思って一生独身を貫き通したそうだ。
 そのひたむきな純愛ゆえに、現在、佐那のお墓参りをしている人が数多くいるという。
 龍馬の今後の活躍を聞いて、佐那は何を思うのか?
 その描写はぜひ入れてほしい。


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父親たちの星条旗~ヒーロー時代の終わり

2010年04月25日 | 洋画
 硫黄島に星条旗を立てた若者たち。
 その写真が話題になり彼らはヒーローになる。
 しかし彼らはただ丘に旗を立てただけで、少しも英雄的な行動をしたわけではない。
 作られた英雄であり、戦時国債を集め、戦意を鼓舞するための広告塔なのだ。
 その結果、壊れていく主人公の若者たち。

 歳をとれば体が壊れていくように、様々な人生体験によって人の心も壊れていく。
 特に戦争は<人の心を壊す>最たるもの。
 この作品の主人公達の後の人生もそうだ。
 国家によって戦場に送り込まれ、国家によって広告塔に利用される。
 人を殺さなくてはならない状況に置かれ、広告塔という偽りの自分を演じさせられる。
 唯一の彼らの救いと支えは仲間たち。
 仲間たちとの思い出。いっしょに海に入ってはしゃいだこと。

 かつてのアメリカ映画は無邪気だった。
 「史上最大の作戦」「大脱走」
 ドイツは悪であり、アメリカは正義。
 そのために戦う主人公はヒーロー。
 ヒーローを描いていれば拍手喝采で劇場には人が入った。
 ヒーローたちは陽気で、心は少しも壊れていない。

 ところが現在はベトナム戦争、イラク戦争の悲惨を知っている。
 映画「ディアハンター」はベトナム帰還兵の壊れた心を描き、「タクシードライバー」の主人公もベトナム帰りの心の壊れた男だった。
 いわば、この作品「父親たちの星条旗」の主人公達と同じ。
 
 戦場の悲惨は人の心を蝕み、壊す。
 国家は個人を戦場に送り込み、利用する。

 無邪気にヒーローを信じられる時代は終わったのだ。


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今、民主党がなすべきこと

2010年04月23日 | 事件・出来事
 鳩山内閣支持率急落。
 僕は何とかこの内閣を応援したいと思っているが、急落の理由は十分にわかる。

 まず普天間問題。
 誰がどう考えたって5月末までの決着は無理でしょう。
 徳之島の反対集会が示すとおり、どこが候補地にあがっても住民の反対は必至。
 現在、政府と地元がギチギチ交渉していれば、まだ可能性があると思うが、それもやっていない。
 アメリカも、住民の了承を取りつけているという状況ならば、交渉の席に出て来るだろうが、それなしに「協力をお願いする」と頼んでもナンセンス。

 国民は<昨年から状況が何ら変わっていないこと><鳩山首相が動かないこと>にいらだっているのである。
 鳩山内閣を支持した国民は、この内閣と<物語を共有したい>と思っている。
 いっしょに苦労して未来を作っていく、いっしょに悩んで解決するというドラマを共有したいのに、鳩山総理は「腹案がある」と言ってひとり相撲。
 「じゃあ勝手にやってくれよ、ひとりで解決してくれよ」と言いたくなる。
 鳩山総理は「自分は普天間の問題で、こんなことに悩んでいる。困っている」となぜ言えないのか?
 オープンに国民に問題提起をしないのか?
 今までの総理のありかたではないかもしれないが、これが鳩山さんらしさ。

 子供手当のこともそう。
 選挙前、民主党は、国の予算を特別会計も含めて組み直すことによって、子供手当の予算を捻出できると言った。
 ところが現実にはなかなか難しいらしい。
 巷間言われているように、子供手当の費用を将来その子供がツケとして払うことになるのなら意味がない。
 そういうことならば子供手当をやめて、将来にも役に立つ保育園の建設とか本当に困っている世帯への給付に変えた方がいい。

 今、民主党がなすべきこと。
 それは昨年9月の原点に戻ること。
 国民に現在の課題を明らかにし、広く議論を求めること。
 政権を担当して現実の厳しさがわかったのなら、マニュフェストを現実路線に変更して再度解散総選挙を行うべきだと思う。
 ともかく物事を動かせ。生活や世界はどんどん動いている。
 ぐずぐずが一番良くない。自閉症が一番良くない。


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臨場 第3話 説教親父・倉石

2010年04月22日 | 推理・サスペンスドラマ
 倉石(内野聖陽)って説教親父である。
 今回は9時40分ぐらいに事件が解決したから、ほぼ10分ぐらい説教をしていたことになる。
 今回の説教は<現実と向き合うこと>。

 うつの夫。
 妻の朝子(中原果南)はそんな夫から逃げている。
 子供の世話などを理由にして向き合わない。
 倉石ふうに言うと、夫に「水やり」をしていない。
 精神的に追い込まれている人間に向き合うことは大変だろう。
 会話をしても返ってこないし、こっちまでマイナスの気分になる。
 でも、倉石は向き合うべきだったと主張する。
 考えてみると倉石はあらゆるものに正面から向き合っている。
 遺体や容疑者、被害者の家族にまで。
 放っておいてくれと言いたくなるようなウザい親父だが、向き合って何かを言わずにはいられない。
 それが彼の生き方なのだ。
 今回の妻・朝子も倉石が言わなければ、また偽りの正面から向き合わない人生を送ったかもしれない。
 たとえば息子が将来困難におちいった時、逃げてしまうような。息子に対しても中途半端な<水やり>しか出来ないような。

 説教親父・倉石。
 僕はこの9時40分からの説教を聞きたくて「臨場」を見ている。

※追記
 今回はパンジーが見事な小道具だった。
 パンジーの花言葉は<未来>。
 朝子と犯人がこの花を庭に植えることで込めた想いは<幸せな未来>だったんですね。
 でも犯人の方は未来が無惨につぶされ、枯れてしまった。
 <枯れたパンジー>が犯人を現し、犯人の気持ちを物語っている。
 それが犯行の引き金にもなっている。
 見事な小道具です。
 ラストもパンジーを使って「地面に届く水やりをやれ」と倉石に言わせている。
 <花>、そして<花言葉>というのはなかなか使える小道具だ。


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ゲゲゲの女房 心地よい時代

2010年04月20日 | ホームドラマ
 見合いから披露宴まで5日間。
 布美枝(松下奈緒)と茂(向井理)がその間交わした会話は「自転車には乗れますか?」
 かつてはこれだけで結婚が決まっていたんですね。
 あまりない選択肢、父親・源兵衛(大杉漣)の「あの男はいい」という言葉への信頼といった理由もあったと思うが、布美枝たちの世代には「自転車には乗れますか?」というやりとりだけで理解し合えるコミュニケーション能力があった。

 ところが現在はいくら言葉を交わしても理解し合えない。
 たとえばフジテレビ・木曜日の「素直になれなくて」は、すれ違いのドラマ。
 主人公達はいっしょにいても砂漠のように孤独で悲鳴をあげている。
 あるいは現実では、婚カツサイト、婚カツパーティ・合コンというシステムはあるが、それらを運営するのはお金を稼がなくてはならない企業であるせいか、どこか空虚。
 夕方のニュースの特集などで知る限りだが、そこに参加する人達は年収とか職業とかに目を奪われている。おそらく茂が現代の婚カツパーティなどに行ったらきっと相手にされないだろう。義手だし、あまり有名な漫画家ではないし、四十歳に近いし。

 「ゲゲゲの女房」が描くかつての社会とそれらが壊れてしまった現代。
 昔はよかったと言うつもりはないし、現代にもいいものがたくさんあると思うが、「ゲゲゲ」の世界が豊かに感じてしまうのはなぜだろう?
 
 たとえば最近の家族5人にナイフを突き立てたひきこもりネット依存者の事件。
 報道に拠ると、父親の給料は犯人である息子が管理して、父親と母親に与えていたらしい。
 これはもはや親子関係ではない。
 いっしょに暮らしているが、彼には父親も母親もいない。
 だが布美枝には、しっかり父親・母親がいる。茂にもいる。
 だからお嫁に行く時、「ありがとう」と言葉が交わせるし、「披露宴では特級酒を用意してやろう」と言える。
 そして、これが豊かさだ。

 現代は家族さえもバラバラな<個人>の時代。
 <封建的な家族主義><国家主義>の時代よりは数倍いいと思うが、<個人>であるためには、孤独であることを引き受けなければならない。
 もはや戻ることは出来ないと思うが、「ゲゲゲの女房」で描かれる世界ぐらいが<国家主義><個人主義>の真ん中で適当だろうと思うが、どうだろう?


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龍馬伝 第16回「勝麟太郎」

2010年04月19日 | 大河ドラマ・時代劇
★長い<自分探し>の果てについに自分を見出した龍馬(福山雅治)。
 ラストの咸臨丸に乗った龍馬の歓喜!興奮!
 光に溢れ、風に吹かれ。
 身も震えるような感激というのはこういうことを言うのでしょうね。
 龍馬にとっては人生最高の瞬間と言ってもいいでしょう。
 お竜さんとの結婚、亀山社中の結成、薩長同盟、大政奉還など、龍馬は今後もこういう感激の瞬間を積み重ねて「面白い人生」を生きていくんでしょうね。

★日本はいかにあるべきか、あるべき日本のために自分はどう行動すべきか。
 この答えを勝麟太郎(武田鉄矢)に語らせるのではなく、龍馬に考えさせたのは、脚本・福田靖さんの見事な独創。
 これまで龍馬は何度も剣術で敵を追い払ってきましたが、今回導き出された答え(=強力な海軍で敵に攻め込まれないようにする)はすでに龍馬の中にあったんですね。
 勝はそれを引き出す役割をした。
 脳科学者の茂木健一郎さんふうに言えば「アハ体験」。
 無意識から意識へ、混沌から秩序へ。
 脚本の福田さんは、他人に左右されることなく<自分の行動は自分で考えて決めろ>と言っているようです。
 以蔵(佐藤健)は、龍馬とは対照的に、考えを武市(大森南朋)に委ね、考えることを放棄してしまっていますからね。

★松平春嶽(夏八木勲)との対話では、龍馬は「坂本龍馬である」と言った。
 いわゆるオンリーワン宣言。
 土佐藩士であること、攘夷論者であること、侍であること、これらでは集団の中のひとりでしかない。
 だが龍馬はこれらを否定して、「坂本龍馬である」と言う。
 龍馬はあくまで自分自身であろうとする。
 敢えて龍馬を集団のひとりとして括るなら<日本人である>ということだろうが、基本的に龍馬は組織や集団の論理に従わない。
 これも龍馬の画期的なところ。
 そのオンリーワンの生き方の継承者は岩崎弥太郎(香川照之)。
 彼もまた独自の生き方を模索する。

★「自分は何ちゃあ成し遂げとらんがです」と言ったのも龍馬。
 龍馬には「何かを成し遂げる」「何者かになる」という意識が強い。
 これは普通では満足できない、創業者・立身出世タイプ。
 これには違和感を感じる人もいるかもしれない。
 佐那(貫地谷しほり)さんは可哀想だし、「無理をして何者かにならなくてもいいじゃない」という香山リカさんの考え方もあることだし。
 最近、僕もカツマーよりはカヤマーかなと思っているし。

 だが、一方でまんじゅう屋の長次郎(大泉洋)。
 長次郎は言う。
 「日本が危機にあることを知って、いてもたってもいられなくなったとです」
 幕末もそうだが、現在の日本も結構危機。
 八百兆を超える国の借金、政治不信、先が見えない不況、格差社会、家族間の凶悪犯罪、高齢化社会、環境破壊。
 さあ、長次郎や龍馬の叫びをどう受けとめるか?


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「のだめカンタービレ」を考える。

2010年04月18日 | その他ドラマ
 ドラマの新しさというのは「のだめカンタービレ」のような作品を言うのだろう。

★まずコミック・アニメと実写の世界の完全な融合。
 昨夜「最終楽章 前編」の裏で「怪物くん」をやっていたが、コミック・アニメとの融合と言うと、どうしても子供向きになってしまう。かつらや特殊メイクが気になってしまう。実写版「セーラームーン」もそうだった。
 ところが「のだめ」はわりと自然。
 のだめがアニメの世界に入り込んでも、光線をぶつけあっても、のだめの代わりに人形が投げ飛ばされても、ほとんど違和感がない。
 これは主人公のだめがピアノの<天才>であること、変わり者の天才だからアニメの世界に入り込んでも仕方がない、みたいなキャラクター性のためだと思うが、結果「のだめ」はコミック・アニメとの融合という文体を見事に確立した。
 そして我々は今までに見たことのない色彩豊かな映像を見ることが出来た。
 このラインの作品では「ライアーゲーム」がそうだろう。
 登場人物たちはデフォルメされてマンガ的だったし、ゲームのルール紹介の映像はアニメだった。

★音楽がバトルになることを描いたのも新しい。
 映画などでピアノのコンクールを題材にしたものがあったが、指揮をバトルにしたのはこれが初めて。
 また、この作品で指揮者という職業がどういうものかがよくわかった。
 <教師><刑事><医者>などがドラマでよく描かれる職業だが、これらはいい加減手垢がついている。
 いかに新しい職業を持ってくるかは今後のドラマのポイントだ。

★このように新しいドラマを提供した「のだめ」だが、一方でこれはスポ根ドラマでもあったんですね。
 今回の最終楽章・前編を見て思ったのだが、シュトレーゼマン(竹中直人)は「エースをねらえ!」でいう宗方コーチ。
 のだめや千秋に様々な試練を与えて、彼らを成長させている。
 のだめたちはシュトレーゼマンの手のひらの上で踊らされていたわけだ。
 しかし「のだめ」の新しい所は、シュトレーゼマンを宗方コーチのような厳格な人物にしなかったこと。
 キャバクラ好きでキスを求めたり、胸を触ったりする。宗方コーチなら絶対にしない。
 逆にシュトレーゼマンが宗方コーチのようにお堅い人物だったら、これほどヒットしなかったのではないか。
 既存のキャラをどうひねるか?
 これもドラマの新しさのポイントだろう。


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