主人公は生きづらさを感じている女の子だ。
たとえばこんな感じ。
「寝起きするだけでシーツにしわが寄るように生きているだけでしわ寄せが来る。
誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。
最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。
いつも最低限に達する前に意思と肉体が途切れる。」
さすが芥川賞受賞作品。
生きづらさをこのような形で表現している。
こんな主人公の生きる支えは推し活だ。
主人公は推しを推すことについて次のように語る。
「あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、そのしわ寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。
だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で、絶対で、それだけは何をおいても明確だった。
中心っていうか背骨かな。」
「映画を観たり、ご飯に行ったり、洋服を買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り、肉付けることでより豊かになっていくのだろう。
あたしは逆行していた。
何かしらの苦行みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて背骨だけになっていく。」
推しのライブに行った時はこのようなことを語る。
「自分自身の奥底から湧き上がる正とも負ともつかない莫大なエネルギーが噴き上がるのを感じ、生きるということを思い出す。」
「あたしは彼と一体化しようとしている自分に気づいた。
彼が駆け回るとあたしの運動不足の生白い腿が内側から痙攣する。
泣く彼を見て伝染した悲しみごと抱きとめてあげたくなる。
柔らかさを取り戻し始めた心臓は重く血流を推し出し、波打ち、熱をめぐらせた。
外に発散することのできない熱は握りしめた手や折りたたんだ太腿に溜まる」
ライブが終わった後はこんな表現。
「推しが目の前で動いている状況は舞台が終わるたびにうしなわれるけど、推しから発せられたもの、呼吸も視線もあますことなく受け取りたい。
座席でひとり胸いっぱいになった感覚を残しておきたい。覚えておきたい。
その手がかりとして写真や映像やグッズを買いたい。」
これらの感覚、推し活をしている人なら多かれ少なかれ感じていることではないだろうか。
……………………………………………………
主人公の推しに対する関わり方は次のようなものだ。
「あたしは触れ合いたいとは思わない。
現場も行くけど、どちらかと言えば有象無象のファンでありたい。
拍手の一部になり、歓喜の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。」
「あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった」
このようなスタンスで主人公は推しと一体化し、彼のすべてを理解していると思っている。
だが推しが暴力事件を起こしてしまい、主人公は自分の知らない推しの姿を見て戸惑う。
さまざまな噂も聞えて来る。
崩れる幻想。
主人公は抗う。
主人公にとって推しを失うことは生きる「背骨」を失うことを意味するからだ。
しかしメンバーとの不和なども報じられてグループは解散に……。
主人公は最高にドレスアップして解散コンサートに向かう。
推しの最後の姿を見て主人公は何を感じ、何を考えたのか?
ネタバレになるので書かないが、この時の主人公の思いや気持ちは実にせつない。
推しを失って主人公が今後どう生きていくのかも気になる。
主人公は推しの喪失をどう清算するのか?
誰もが多かれ少なかれ生きづらさを感じている。
誰もが多かれ少なかれ何かに支えられている。
主人公の姿は決して主人公だけのものではない。
「推し」を自分に当てはまる事柄に置き換えてみればいい。
自分の「背骨」は何なのか、考えてみればいい。
さて主人公の発する言葉に、僕たちは何を感じ、考えるのだろう?
たとえばこんな感じ。
「寝起きするだけでシーツにしわが寄るように生きているだけでしわ寄せが来る。
誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。
最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。
いつも最低限に達する前に意思と肉体が途切れる。」
さすが芥川賞受賞作品。
生きづらさをこのような形で表現している。
こんな主人公の生きる支えは推し活だ。
主人公は推しを推すことについて次のように語る。
「あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、そのしわ寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。
だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で、絶対で、それだけは何をおいても明確だった。
中心っていうか背骨かな。」
「映画を観たり、ご飯に行ったり、洋服を買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り、肉付けることでより豊かになっていくのだろう。
あたしは逆行していた。
何かしらの苦行みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて背骨だけになっていく。」
推しのライブに行った時はこのようなことを語る。
「自分自身の奥底から湧き上がる正とも負ともつかない莫大なエネルギーが噴き上がるのを感じ、生きるということを思い出す。」
「あたしは彼と一体化しようとしている自分に気づいた。
彼が駆け回るとあたしの運動不足の生白い腿が内側から痙攣する。
泣く彼を見て伝染した悲しみごと抱きとめてあげたくなる。
柔らかさを取り戻し始めた心臓は重く血流を推し出し、波打ち、熱をめぐらせた。
外に発散することのできない熱は握りしめた手や折りたたんだ太腿に溜まる」
ライブが終わった後はこんな表現。
「推しが目の前で動いている状況は舞台が終わるたびにうしなわれるけど、推しから発せられたもの、呼吸も視線もあますことなく受け取りたい。
座席でひとり胸いっぱいになった感覚を残しておきたい。覚えておきたい。
その手がかりとして写真や映像やグッズを買いたい。」
これらの感覚、推し活をしている人なら多かれ少なかれ感じていることではないだろうか。
……………………………………………………
主人公の推しに対する関わり方は次のようなものだ。
「あたしは触れ合いたいとは思わない。
現場も行くけど、どちらかと言えば有象無象のファンでありたい。
拍手の一部になり、歓喜の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。」
「あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった」
このようなスタンスで主人公は推しと一体化し、彼のすべてを理解していると思っている。
だが推しが暴力事件を起こしてしまい、主人公は自分の知らない推しの姿を見て戸惑う。
さまざまな噂も聞えて来る。
崩れる幻想。
主人公は抗う。
主人公にとって推しを失うことは生きる「背骨」を失うことを意味するからだ。
しかしメンバーとの不和なども報じられてグループは解散に……。
主人公は最高にドレスアップして解散コンサートに向かう。
推しの最後の姿を見て主人公は何を感じ、何を考えたのか?
ネタバレになるので書かないが、この時の主人公の思いや気持ちは実にせつない。
推しを失って主人公が今後どう生きていくのかも気になる。
主人公は推しの喪失をどう清算するのか?
誰もが多かれ少なかれ生きづらさを感じている。
誰もが多かれ少なかれ何かに支えられている。
主人公の姿は決して主人公だけのものではない。
「推し」を自分に当てはまる事柄に置き換えてみればいい。
自分の「背骨」は何なのか、考えてみればいい。
さて主人公の発する言葉に、僕たちは何を感じ、考えるのだろう?