平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 最終回「龍の魂」

2010年11月29日 | 大河ドラマ・時代劇
★無私の理想主義者・坂本龍馬(福山雅治)。
 あまりにも立派すぎて、僕には荷が重かったなぁ。
 まず無私にはなれない。
 目指すべき理想社会って何だろうって思ってしまう。
 あるいは龍馬は弥太郎(香川照之)に「自分の出来ることを思うようにすればいい。やるべきことは必ずある」と言ったが、<やるべきこと>がなかなか見つからないのが現代ですからね。
 弥太郎は「まぶしすぎる光は腹が立つ」と語ったが、僕が「龍馬伝」の龍馬を立派すぎると感じてしまうのも、そんな所かもしれない。

 それでも比較的共感できるのは死に際の中岡慎太郎(上川隆也)とのやりとり。
 「わしは命を使い切ったかぇ?」「まだまだじゃ」
 テーマはこのくらい身近な方がいい。

★さて暗殺のシーン。
 まず「愛知県知事選」のテロップで興醒め。
 放送法のことはわからないが、僕がNHKの担当者だったら入れない。報道よりもドラマを優先する。
 朝鮮半島で戦争が始まったのならともかく最終回の一番のクライマックスでこれはない。視聴者は一年間見続けているのだし。
 暗殺の描写も、これは事前知識を持っていることの弊害なのですが、龍馬暗殺の詳細を検証した民放のバラエティ番組を見てしまっていたため、物足りない。
 他の襲撃シーンでは活劇調でしっかり見せていたのに、今回は襲撃から暗殺者が去るまで30秒ぐらいしかないだろう。
 また近江屋のご主人やおかみさんがどうなったかなんてことも気になってしまう。
 ついでに言うと、弥太郎役の香川さんと暗殺者の市川亀治郎さんって実生活では確かいとこ同士だったよな、みたいな余計なことを考えてしまう。

★そしてラストシーン。
 シナリオ学校などでは起承転結の<結>はテーマの定着などと教えられるが、結局「龍馬伝」は龍馬と弥太郎の物語だったんですね。
 でも「龍馬はこの世で一番嫌いなやつだった」という弥太郎の愛情裏返しのせりふは以前にも聞いているので、今更繰り返されても全く劇的でない。
 こういうせりふは最後の最後に言うから効果がある。

 物語を弥太郎の語りによる<弥太郎視点>にしたのもどうだろう?
 この手法を取るとどうしても龍馬と弥太郎の物語にせざるを得なくなってしまう。
 しかし<龍馬と弥太郎の物語>が上手く描かれていたかというとはなはだ疑問。
 たとえば今回龍馬は弥太郎に「お前はわしのことが嫌いなのか」ととぼけたことを言っていたが、そんなことはお元(蒼井優)が長崎奉行に捕まりそうになる回でわかっていること。
 なので、このシーンはもっと緊張したふたりを描かねばならないのにそれがない。
 龍馬と弥太郎の関係はいつも同じことの繰り返しだ。

 またラストカットの弥太郎の死に様も何を意味しているかわからない。
 絵としては、だらしなく口を開いて結構滑稽無惨な死に様でしたよね。
 この死に様で作家は何を描こうとしたのか?
 <日本一の会社を作ってたくさんの人を幸せにした男>の死に様にはとても見えない。
 では、出世栄達の無情を描こうとしたのか?
 よくわからない。

 そう言えば、龍馬の遺体を足元からカメラが舐めて映していくカットがあったが、肝心の龍馬の顔が物に隠れて見えなかった。
 ここは龍馬の顔を見せるべきでしょう。
 龍馬が満足して死んでいったのか? 思いを残して死んでいったのか?
 おそらく演出意図としては、視聴者の皆さん、どちらなのかはあなたが考えてみて下さいという所なのでしょうが、こういう気取りは不要。
 満足した顔をしていたのなら、高杉の死に様のように後の人間に自分の思いを託したんだと納得できますし、無念の顔をしていたのなら「太陽にほえろ!」の松田優作の殉職シーンの様にインパクトがあった。大河ドラマでこれをやったか、と評価もする。
 作家はここの描写を放り出してはいけないと思う。

 ということで総括すると、この結パートが示す様に「龍馬伝」が全体として何を描きたかったのかがよくわからない。
 突きつめていくと冒頭に書いた<無私の理想主義者>という言葉に行き着くのだが、そういうことでいいんですかね、福田靖さん?


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Q10~「ただいま」と「お帰り」

2010年11月28日 | 学園・青春ドラマ
 「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
 何気ない言葉ですが、人生で大切なのはこういう言葉をかけてくれる人がいることなんですね。
 それは人の生き死にでも同じ。
 生まれてきて「お帰り」、亡くなって「行ってらっしゃい」、そうやって迎えられ送り出されれば人は心満たされる。

 今回はこのテーマの変奏。
 恵美子(高畑充希)と影山(賀来賢人)のエピソードは上手いですね。
 「せめて映画だけでも幸せに撮ってくれるかな。あたし、こんなに幸せになりましたみたいな」
 そして演じられる「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
 彼らは別れという現実から逃れて、ウソの世界に一瞬の幸せを求める。
 ウソだとわかっているが、求めずにはいられない。
 哀しくて嬉しい。
 僕はこういう感情を描ける作家さんというのはすごいと思うんですよね。
 哀しかったり、嬉しかったりという単独の感情は普通の作家なら誰でも描ける。
 でも<哀しくて嬉しい>という感情を描くのは大変。
 恵美子役の高畑充希さんも上手い。
 <哀しくて嬉しい>表情を見事に作れる。
 笑っていてもどこか哀しいという表情。
 根が素直というか、地の表情が哀しげなんですよね、彼女は。

 平太(佐藤健)とQ10(前田敦子)のエピソードも「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
 「イツイカナルトキモQ10ハヘイタヲシンジマス」(いついかなる時もQ10は平太を信じます)。
 Q10はどんなことがあっても平太のそばにいてくれる存在。
 常に平太をまっすぐに見つめ、信じてくれる存在。
 今回はQ10を漁船の中に残し、ぽっかり<空洞>が空いてしまったわけだが、ちゃんと戻って来てくれた。
 「ただいま」「お帰り」と心通わせることが出来た。
 こういう存在がいることだけで人は救われる。
 人間は欲望の塊だが、実は「ただいま」「お帰り」というやりとりだけで幸せになれたりする。

 「ただいま」「お帰り」、こう言って過ごせる時間を大事にしよう。


※追記
 もうひとつのテーマは<人は生きて何かを残し、死んでいく>ということ。
 残すものとして一番わかりやすいのが<子供>だが、それは<橋>でも<言葉>でも何でもいい。
 自分は何を残すか?
 
※追記
 表情豊かな恵美子と対照的なのがQ10。
 人工筋肉の限界で豊かな表情を作れない。
 だが物語の文脈の中で、嬉しさや哀しさをしっかり表現している。
 第5話で、自分を中尾(細田よしひこ)に譲って歩いていく平太(佐藤健)を見つめた時なんかは本当に哀しそうだった。
 計算つくされた見事な演出。

 表情といえば同じ木皿泉作品の「野ブタ。をプロデュース」。
 いじめられてきた野ブタは笑うことが出来ない。
 おかしい時は口の端をピクリと動かすだけ。
 最終回のラストのせりふは「あたし、笑えるようになったよ!」だった。


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AKB48~推しメンは柏木由紀さん!

2010年11月26日 | アイドル
 少し前のTBS『スパモク!』で、AKB48と松本伊代さん、国生さゆりさんらの新旧アイドル対決をやっていた。
 面白かったのは、イケメン俳優とデートをするというシチュエーションで、彼女らがどれくらい男性を<胸キュン>させられるかというゲームコーナー。
 司会のロンブー田村淳さんら男性陣が彼女らのせりふや仕草で<胸キュン>した場合、スイッチを押し、その合計得点を競うのだ。

★まずはAKBのバラエティ担当?峰岸みなみさん。
 デートに遅れてきた理由として彼女が言ったせりふは
「びっくりしたんだけど、あなたと同じ香水の人がいたからついて行っちゃった」
 デート中の他の女性から電話がかかってきた時に言った行動とせりふは
 隣にいるのに相手の携帯にわざわざ電話をかけて
「この番号以外に出ちゃイヤだな」
 そしてキスを求めるせりふは
「家に帰ってからあなたを思い出せるようにお土産を下さい」
 峰岸さんは少女マンガが好きらしいが、まさにその世界。
 なかなか可愛い。

★次に女子人気もある板野友美さん。
 イトーヨーカドーのCMの「行ってみよーカドー」の彼女。
 デートに遅れてきた理由として彼女が言ったせりふは
「ごめんね。今日は遅くなった代わりに何でもするよ」
 デート中の他の女性から電話がかかってきた時に言ったせりふは
「あのさ、友といる時は友だけを見て」
 そしてキスを求めるせりふは
「ファーストキスの味ってレモンの味って言うでしょう? それって本当かな?」
 板野さんは、国生さゆりさんが「下からのぞき込む顔が可愛い」と言っていましたが、オトコ心をくすぐる魅力を持っていますね。
 彼女に見つめられたら、オトコはクラクラする。

★そしてお天気キャスターもしている柏木由紀さん。
 デートに遅れてきた理由として彼女が言ったせりふはお天気に掛けて
「今日天気予報で雨って言ってたから、てるてる坊主を作ってて遅れちゃった」
 デート中の他の女性から電話がかかってきた時に言ったせりふは
「あたしのこと見ててくれないと、てるてる坊主になっちゃうよ」
 そしてキスを求めるせりふは自分のくちびるを指さして
「乾燥注意報」

 何を隠そう僕は柏木由紀さんのファンである。
 可愛い、美しい、少しシャイ。
 他のメンバーが大口を開けて笑っても、彼女だけは必ず手で口を隠して笑っている。
 でも芯は強そう。

 アイドルグループはこの様に応援する<推しメン>(推しメンバー)を作ると、入り込めますね。
 歌を歌っていても応援している人の動きを追ってしまうし、<推しメン>の人から他のメンバーへも関心が移る。
 現在、CSなどでAKBの過去映像が流されたりしているが、彼女らの成長も確認できる。
 いっしょに<物語>を共有できる。

 「人は何を好きになってもいい」は前田敦子さんがヒロインを演じる「Q10」の言葉。
 「好きならば好きだと言おう」はAKBの楽曲「会いたかった」のワンフレーズ。
 同じアホなら踊らにゃ損損、いくつになってもこうありたいですよね。
 「いいオトナが」という周囲のひんしゅくを買いながら僕は<ゆきりん>を応援していきます。


※追記
 最近、おばさま方が氷川きよしさんや韓流スターを応援する気持ちがよくわかります。


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「彦霊山秘録」 半村良~歴史の裏で活躍した<ヒ一族>

2010年11月24日 | 小説
 日本の歴史を想像力で解釈しなおしてみるのも面白い。
 半村 良の伝奇小説「産霊山秘録」がそうだ。

 この小説によると、日本の歴史の裏には<ヒ一族>という超能力集団が暗躍している。
 彼らは天皇家を支え、この国に安寧をもたらすために働いている。
 神社や仏閣は日本のパワースポットに置かれた建物であり、三種の神器・鏡、剣、勾玉はかつてはすべての神社に置かれていて、<ヒ一族>がテレポートしたり念力を使うための道具だった。
 では、彼らは日本の歴史にどう関わったか?

 戦国時代の争乱を鎮めるために<ヒ一族>は織田信長に力を貸した。
 明智光秀は<ヒ一族>のひとりで信長の覇業に手を貸す。
 上洛する武田信玄を念力で殺したのも<ヒ一族>だ。
 しかし信長は慢心。
 霊山である比叡山を焼き討ちし、天皇にとって代わろうとした。
 そこで<ヒ一族>の光秀は<本能寺の変>で信長を殺し、家康に力を貸した。
 そして江戸幕府。
 江戸は強力なパワースポットであり、光秀の弟であり<ヒ一族>である天海僧正は江戸のパワーを使ってこの国を平和をもたらそうとした。
 そして幕末。
 再び乱れたこの国を安寧にするために現れたのが坂本龍馬。
 龍馬は実は<ヒ一族>だった。
 坂本家の家紋が明智光秀と同じ桔梗であることが示すとおり、坂本家の出自は<明智家>=ヒ一族であったのだ。
 だから龍馬は幕末の混乱を鎮めるために活躍をした。

 といった具合である。
 なるほど、何となく筋が通っている。
 ここに要約したことより原作はもっと複雑で、海外のパワースポットの話や月の引力の話まで加わって壮大なストーリーになるのだが、実に痛快だ。
 実際、現在の科学では月の引力がなければ現在の地球はなかったとされているし。

 歴史を想像力で別の視点で解釈してみること。
 現実を        〃        。
 これはなかなか愉快な遊びだ。いや、遊びとは言えないかもしれない。
 なぜならかつて人間は地球が丸いなんてことを考えもしなかったのだから。
 現在の我々が正しいと思っていることなど、実は根拠の曖昧な頼りないものなのかもしれない。

 もしかしたら自分たちの隣に<ヒ一族>がいるかもしれない?


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龍馬伝 第47回「大政奉還」

2010年11月22日 | 大河ドラマ・時代劇
 大政奉還の時の龍馬(福山雅治)って、実はもう何もすることがないんですよね。
 なので、そこをどう描くか?

・永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判
・勝先生の(武田鉄矢)の来訪
・弥太郎(香川照之)の商売の話
・藤吉に六分儀を見せて世界を往く話

 弥太郎のエピソードは龍馬への愛憎が描かれていて面白かった。
 藤吉に夢を語る話も龍馬らしい。星や空や海、これらは龍馬によく似合う。
 永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判は唐突かな? 今まで描かれて来なかった人だし。
 勝先生の来訪は<勝が新選組から身を挺して守る>というエピソードに集約させて描かれたが、もっと師弟の情みたいなものが描かれてもよかった。
 個人的には勝が「顔を洗って来いや」と言うシーンが好き。同じ<師弟の情>を描くのでもこういう何気ない日常のやりとりの方がスッと伝わってくる。<新選組から身を挺して守る>というのは時代劇的ですからね。
 あるいは龍馬が弱さを見せてもよかったかもしれない。
 ハードな交渉の日々、師である勝に出会い、張りつめていた糸が切れて思わず弱音を吐くみたいな。

 テーマとしては<個人>の力。
 組織の中にいると、組織に縛られてなかなか自由な発想が出来ない。
 しがらみなく行動できるのは個人。
 しかし個人の力には限界がある。お金もないし兵も動かせない。発言力も弱い。
 その個人の限界を越えて<大仕事>を成し遂げた所に龍馬の凄さがあるのだが、現代の日本に<坂本龍馬>は現れないだろうか。
 勝は幕府をなくすことは「二万人の幕臣が役目を失うことだ」と言う。
 現在で言えば、公務員二万人をクビにすることだ。
 それが正しいことかどうかは議論の分かれる所だが、現在にも龍馬のような<理想の社会のために孤軍奮闘する個人>は必要。

 もっとも何が<善>で何か<悪>かはわかりづらいんですけどね。
 司馬遼太郎は、明治の世を<善>とした。
 山田風太郎は、明治の世を<悪>とした。何しろ明治はこの国を太平洋戦争まで至らしめた出発点なのだから。
 となると、明治を作る一翼を担った龍馬は<善>であるか<悪>であるか。
 先程の「二万人が役目を失うこと」だって失う側にしてみれば<悪>ですからね。
 <善>や<悪>という世の中の価値観などこんなもの。
 ここに現在の<政治の混迷>や<物語が成立しにくい>要因がある。

 結局、人は世の中の流れに身を任せて、自分の正しいと思うことを半分疑いながら生きていくしかないのですが。
 最後はテツガクや人生論の話になってしまいました……!


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Q10~別れのための処方箋

2010年11月21日 | 学園・青春ドラマ
 大事な人との別れ。
 それは心の中にポッカリ空洞が出来ることなんですね。
 今まで側にいて、話をして、笑っていた人がいなくなるわけですから。

 今回、藤丘(柄本時生)がいなくなった。
 恵美子(高畑充希)は影山(賀来賢人)との別れを決意した。
 このままだと影山から恵美子はいなくなり、恵美子から影山はいなくなる。
 民子(蓮佛美沙子)は久保(池松壮亮)に「絶対にいなくならない」と宣言しておみくじを結んだ。
 そして平太(佐藤健)はQ10(前田敦子)と「ずっといっしょにいる」ことを願う。

 民子と影山の関係は深いですね。
 <恋人になってほしい>というわけではなく、ただ<生きていてくれればいい>、出来れば<側にいてくれればいい>という関係。
 相手が生きていてくれれば、それだけで嬉しいという気持ち。
 普通は<キスしたい>とか<もっと自分のことを見てほしい>とかを望むのに、多くを求めない。
 <キスしたい>とか<もっと自分のことを見てほしい>とか思うのは、まだ心に空洞があるからなんでしょうね。空洞をキスとかで埋めようとしている。
 でも民子と影山はそんなことなしに繋がっている。
 本当に強い繋がりだ。
 恵美子と影山も相手が元気で生きていてくれれば嬉しいという心境になれるだろうか。
 そう言えば、前回はQ10を誰が<所有>するかという話がありましたね。
 <所有する愛>から<生きていてくれればいいという愛>。
 愛の形も様々。

 さて、今回からは<別れ>というモチーフが新たに加わった。
 藤丘、恵美子、影山。
 Q10は月子(福田麻由子)に奪われそうだし、久保は死んでしまう?
 いずれは死んでしまう人間にとって<別れ>は必然。
 若くても事故や災害で明日死んでしまうかもしれないわけで。
 その<別れ>という必然に対する処方箋は何か?

 まずは堺正章の「さらば恋人」。
 ♪いつも幸せ過ぎたのに気づかないふたりだった♪
 一緒にいる時は自分が幸せであることになかなか気づかない。本当は貴重なことなのに。
 だから<かけがいのない現在を大事に噛みしめながら生きよう>という姿勢。
 もうひとつは
 「カナシクナッタラ、ヘイタノコトヲオモイダシテワライマス」(哀しくなったら平太のことを思い出して笑います)という姿勢。

 平太はQ10と<一緒に虹を見たこと>や<世界を見つけたこと><ガーンと一緒に落ち込んでくれたこと>などを思いだして、きっと笑うのだろう。


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ドラマのヒロインたちのファションについて

2010年11月19日 | キャラクター
 ドラマの愉しみ方として、登場人物たちの服装を見るというのがある。

 「黄金の豚」の堤芯子(篠原涼子)がアーミージャケットにブーツ。
 ラフに着こなしてカッコイイ!!
 最近はアーミージャケットを着ていない様だが、いかにも<不正>と闘う女という感じだ。
 こういう着こなしが出来る女性って素敵ですね。

 「医龍3」の加藤晶(稲森いずみ)もカッコイイ!!
 白衣の下に黒のピッチリしたセーターにパンツ。
 医者の必須アイテムである白衣を着ながら、しっかり加藤先生らしい自己主張をしている。
 オトコ目線で言うと、今期のドラマでは加藤先生が一番セクシーかな?
 何と言っても白衣。
 そう言えば、「もやしもん」というドラマで加藤夏希さんが演じていた研究生は白衣にSMの黒いボンデージ衣装を身につけていましたね。
 何でボンデージ!?
 あり得ない服装ではあるが、もの凄いインパクトがある。見て絶対に忘れない。
 キャラクター作りにはこういうインパクトも必要。

 ダサい服装といえば「Q10」のQ10(前田敦子)。
 ダブダブの制服の上着、膝が隠れる長いスカート。
 でもインパクトがある。
 Q10が教室の中で異質な存在であるという効果も出しているし、「アイドル前田敦子がああいうダサい格好?」という見事な裏切り方もしている。

 さて、今期のドラマで一番のお薦めのファッションキャラは「SPEC」の当麻(戸田恵梨香)。
 彼女もダサいリクルートスーツに丈の長いスカート。
 おまけに片手を包帯で吊って(←これにはちゃんと理由があった)、何が入っているのかわからないキャリーバッグをゴロゴロ転がしている。
 そして眼帯をしたり、絆創膏を顔に張ったり。
 インパクトとして十分である。
 そんな当麻がぎょうざの大盛りを喰らい、食べながら箸で物理学の本をめくるから「こいつ、一体何者?」という興味が湧く。

 キャラクターを描く上で、服装への配慮って大切なんですね。
 逆に服装に遊びのない作品ってつまらない。
 リアリティを追求して普通の服装をしている登場人物でもどこかひとつ遊びがほしい。


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ロンドンハーツ 有吉先生の進路相談

2010年11月17日 | バラエティ・報道
 ずい分前のオンエアになるが、ロンドンハーツ「有吉弘行先生の芸能人進路相談」は面白かった。
 コンセプトは、将来の先行きが見えない、伸び悩んでいる?タレントさんに毒舌の有吉先生が進路相談をするというもの。

★まず話題に出たのが<代表作>。
 そのタレントさんの名前をあげれば、視聴者が「あの○○○の」と思いつくようなもの。
 例えば織田裕二さんだったら「踊る大捜査線」や「東京ラブストーリーの」みたいな。
 上原美優さんだったら「貧乏大家族の」みたいな。
 さて毒舌・有吉先生は各タレントの<代表作>をどの様に表現したか?
 たとえば、グラビアの夏川純さんの代表作は<年齢詐称>。熊田曜子さんは代表作なし。
 ズバズバ斬りまくっているが、なかなか的確だ。

★<ターゲット>という話題も出た。
 磯山さやかさんや熊田曜子さんは、今までの男性ファンと共に女性ファンという新しいターゲットを獲得したいらしい。
 ちなみに磯山さんはダイエット、熊田さんはsex。
 いずれも女性誌などで頻繁に扱われている内容。これで女性ファンを掴もうというわけだ。
 しかし有吉先生は容赦しない。
 磯山さんは「そのポッチャリしたしまりのない体が男性ファンのニーズになっているのに何で痩せるんだ? これでは既存の男性ファンが逃げてしまう」とグサリ。
 熊田さんには「いいセックス? ふざけるな! 大したセックスもしていないくせにお前にセックスのことなど語ってほしくない」「世の女性はお前のことをダサいと思っている」とグサリ。
 これも何となく当たっているようでさすが有吉先生という感じですね。

 それにしても芸能界で生き残っていくのは大変ですね。
 事務所のバックアップがあるとはいえ、あくまで個人をアピールしていかなくてはならない。
 世間のニーズと自己イメージが上手く合致すればいいが、先程の磯山さんと熊田さんのようにズレていると、たちまち悩むことになる。
 おまけにこの「ロンドンハーツ」のような形で自分をどんどん切り売りし、壊していかなくてはならないなんて。

 番組では<一周>という言葉も出ていた。
 各局のバラエティ番組に1回ずつ出ることを言うらしいが、そこで<二周>=2回以上呼ばれて出演することはかなり至難の業らしい。
 つまり一周目で面白くなければ、二回目はないのだ。

 「メチャイケ」の新メンバーオーディションもそうですが、芸能人って大変ですね。
 見られて自分を曝して……。
 とんでもないエネルギーと業がなければやれない仕事だ。


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龍馬伝 第46回「土佐の大勝負」

2010年11月15日 | 大河ドラマ・時代劇
 幕府、大名、侍がなくなる世界。
 そんな世界を土佐藩主・容堂(近藤正臣)が是認するだろうか?
 詰まるところ、自分の持っているものをすべて捨てるということですからね。
 権力者は自分の既得権を守り、権力を手放さない。
 家臣の生活だってある。
 容堂が「大政奉還」を認めたのは、次のような感じではないか?

・幕府が滅びるのは時間の問題。
・土佐も薩長の勝ち馬に乗りたいが、徳川家への恩義もある。
・だから大政奉還。大政奉還を成し遂げることで土佐が政治の主導権を握りたい。
・これにより徳川家が滅びず、国の政治に参加する可能性も残される。

 この方がリアルな権力闘争のように思われる。
 というわけで、僕は今回の話にはノレなかった。
 このあたりを司馬遼太郎さんはどう描いているのだろう。「酔って候」あるいは「最後の将軍」あたりを読んでみようかな。

 ラストの浜辺で空を見上げる龍馬(福山雅治)のシーンはきれいだった。
 大仕事を成し遂げた男の顔。
 今は亡き父親と自分の未来について話した場所でもあった。
 あの父親と話したことがついに実現したのだ。
 幕府を説得しなければならないという難事業は残っているが、後は家族を連れて蒸気船で世界をまわるだけ。

 そして龍馬は坂本家の家督を継ぐと宣言。
 龍馬には権力は似合わない。
 普通の人間なら新政府で実権を持ちたいと思うのだろうが、龍馬にはその発想がない。
 その潔さとさわやかさ。
 でも……!!
 最近、それってどうなのだろう?と思っている。
 今までの世の中の仕組みを壊すだけ壊しておいて、後は知らんぷりの無責任。
 新しい世の中の仕組みとして「船中八策」を書いたが、構想して書くのは簡単、これを形にすることの方が何十倍も難しい。
 というわけで、かつて愛した龍馬が最近色褪せてきている。
 これは「龍馬伝」とは関係がなく、僕の物事に対する見方、考え方が変わったせいなのですが。
 でも、もし龍馬が生きていたら引退などせず、後の戊辰戦争や明治の世を憂いて奮闘していたでしょうね。


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Q10~心臓の音

2010年11月14日 | 学園・青春ドラマ
 <人が生きる>ということはどういうことなのだろう?

★まずは電線の鉄塔。
 鉄塔は現在生きている人間たち。
 それは電線という形で繋がり、関わり合っている。

 平太(佐藤健)、影山(賀来賢人)、河合恵美子(高畑充希)、民子(蓮佛美沙子)、久保(池松壮亮)、藤丘(柄本時生)、中尾(細田よしひこ)。
 彼らは<学校>という電線で繋がっている。

 影山と恵美子、民子と久保のように太い電線で繋がれている関係もある。
 藤丘は校長(小野武彦)と繋がっている。
 小川(田中裕二)は柳(薬師丸ひろ子)と繋がりそうだ。
 今回の平太と中尾のように切れてしまいそうな危うい電線もある。

 電線を伝わってくる電気というのは<人の言葉>や<愛情>なのかもしれませんね。
 <言葉>や<愛情>という電気が伝わってこなければ、人は生きていけない。
 何かがあれば簡単に切れてしまう頼りない電線だけれど、繋がずにはいられない。

 今回、平太はQ10(前田敦子)との電線を切断しようとした。
 マンガの『ガーン』というシールを貼っていっしょに落ち込んでくれる存在なのに。
 中尾はQ10との電線がうまく繋がらなくて、屋上から飛び下りて自殺しようとした。
 もう一度繰り返しますが、人は<言葉>や<愛情>という電気が伝わってこなければ生きていけないんですね。

★もうひとつは人間の心臓の音。
 この作品は<何かを叫びたくてもうまく叫べない若者たち>を描いているが、<心臓の音>こそが究極の叫び。
 心臓の音を鳴らしながら、人は<自分はここにいるよ><自分は生きているよ>と叫んでいる。

 この作品では<心臓の音>も<言葉>。
 好きな人といっしょにいればドキドキするし、キレて怒っていればキリキリする。
 Q10は<心臓の音>で、人の心を理解しているんですね。
 だから平太を助けに来た。

 平太の家族が平太の心臓の音を聞いて微笑み合うシーンや久保が民子の心臓の音を聞いて微笑むシーンはなぜか涙が出る。
 <心臓の音>でその人を感じるなんて何という感性!
 感覚としては、母親のお腹の中にいる感じでしょうか。
 人が記憶している一番最初の音。
 母親のお腹の中にいる時は守られていて愛情に包まれていて、だから心臓の音は人を穏やかにする。
 自分は孤独でないことを思い出させてくれる。
 言葉は行き違いがあったりして頼りないけれど、心臓の音は確かなもの。
 心臓の音というのは、究極の音、宇宙の音なのかもしれませんね。

★ラブストーリーも進行中

・まずは影山と恵美子。
 影山が卒業したらカナダに行くことを知って恵美子は
 「影山君に出会う前に戻りたい。期待も希望も何もない昔だったら平気だった。ずっとそうやって傷つかないように用心深く生きてきたのに。……あ、バチ当たったんだ。ブスなのに調子こいたから…」
 「何でそっち行く? 全然ブスじゃない…」
 「ほら、そうやって信用させておいてすぐドブに叩き落とす…」

 上手いせりふですね。
 恵美子の性格がよく表れている。
 個人的には「ブスなのに調子こいたから…」が好き。
 影山と恵美子はラブコメパートですね。

・一方、久保と民子。
 ネットで悪口を書かれて民子は
 「声出して言えないから、あたし、違うって言えないんだよね。言えないのにウソのあたしがどんどん作られていく。あたし、どこで言えばいいんだろう。そんなんじゃないんだって誰に向かって言えばいんだろう。……声出して笑えよ! 声出してなじれよ! ふざけんな! ……でも届かない」
 すると久保は民子のギターを指さして
 「これ。歌で自分はそんなんじゃないって言うのはどう? そんなウワサ叩きつぶすようなやつ(曲)作ってさ。で、俺に聴かせてよ」

 民子の必死の叫びもすごく伝わってくるが、久保の控えめな感じも心に染み込んでくる。
 「で、俺に聴かせてよ」というラストのひと言が効いている。


※追記
 この作品、深すぎて、書いていて抜け落ちてしまうことがたくさんある。

・「壊すつもりなんでしょう、今ある世界を。本当に壊しても良い世界なのか、決して壊してはならない世界なのか、それを見極められないうちは力は使ってはならない」
 月子(福田麻由子)の言葉。
 「エヴァンゲリオン」ですね。
 <自分が生きている世界を愛するべきか憎むべきか>というテーマは、第1話で<世界>が見つかって以来、この作品に延々と流れている。
 エンディングの最後に出て来る<地球儀>も今回登場した。

・「恨んでもひとつも良い事はなかった。だから『この世は不公平なものだ。それで良いんだ』と思うことにしたんだ。そうしたら、そういう目にあっているのは俺だけじゃないんだって事に気づいてさ。そうやって俺は恨みとか、嫉妬とか、そういうものを少しずつ小さく折りたたんでいったんだと思う。でも、きっと今も自分の中にあるんだと思う」
 平太の言葉。
 これも<世界を愛するべきか憎むべきか>というテーマを表現したもの。
 以前の平太は世界を憎んでいた。


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