平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

年末のバラエティ番組あれこれ。笑っていいとも、オモバカなど。

2010年12月31日 | 洋画
 年末のバラエティ番組。

★「笑っていいとも! 年忘れ特大号」
 冒頭のコーナーでロンドンブーツ、田村淳さんの高校時代の元カノが登場。
 淳さんはメチャクチャ照れていた。
 高校時代は純情であったらしい。
 告白する際は直接呼び出せず友達に頼み、つき合ってからは自分の吹きこんだ歌を彼女に贈ったりして。
 でも歌を彼女に送るって……。
 これじゃあ「ロンドンハーツ」で口笛付きの歌を贈った狩野英孝さんと同じだ。
 淳さんにもこんな時代があったんですね。
 こういう体験が淳さんの下地にあるから、狩野さんやフルーツポンチの村上さんたちに恋愛ドッキリを仕掛けても嫌みにならない。
 また淳さんは攻撃は得意だが、自分に関わることで防御にまわると弱い。
 先程の高校時代の元カノ登場や、爆笑問題の太田さんに「元カノ登場? もしかして安室ちゃん登場?」と突っ込まれて困惑する淳さん。なかなか可愛い。
 これがロンブー淳さんの人柄。
 いたずらっ子で実はシャイで。
 こういう所が淳さんの人気の秘密なのだろう。
 
★昨日やっていた「お笑い総合格闘技オモバカ」
 これは従来のお笑いネタ番組から進化した新しいスタイル。
 たとえば「エンタの神様」や「レッドカーペット」と比べてみるといい。
 「レッドカーペット」では得点という対決色はあったが、それはどうでもいい、とってつけたようなもの。
 ところが「オモバカ」は、相手のギャグに笑ったら負けという完全なガチバトル。
 おまけにリングを造り、セコンド、解説者、レフェリーまでを置いて完全な格闘番組。
 今年ノーベル化学賞を取った異質なものを掛け合わせて新しい物質を作るという<触媒の理論>ではないが、「オモバカ」ではお笑い番組と格闘番組を掛け合わせている。
 そして、その掛け合わせの結果、生まれたのがセコンドやレフェリーの今田耕二さんとのやりとり。
 これが思わぬ副産物としてギャグを生んでいる。
 「M-1グランプリ」記事でも書いたが、新しいものを作るには既存のスタイルを壊すことが必要。
 「オモバカ」はそのいい例だ。

 そして紅白って……。
 六十年以上も同じスタイルですよね。

★最後は偶然テレビをつけたらやっていた「ごきげんよう」
 明石家さんまさんが出ていた。
 この人は本当に<お笑い怪獣>ですね。
 司会が小堺一機さんなのに司会を奪ってしまう。
 当たり目のコーナーでゲストに質問を出すロボット・コロ助に「お前、テンポが悪いねん!」とダメ出し。
 番組を笑いでどんどんぶち壊している。

 こんなシーンがあった。
 さんまさんと小堺さんが悪乗りして歌を歌い踊り始める。
 お笑いの世界では、ここで「もうええわ! いい加減しろ!」と止めるのが定石だが、hitomiさんらゲストの方は黙って見ている。
 するとさんまさんは「なんで止めないのや!」とダメ出し。

 さんまさんは既に五十歳半ばだと思うが、すごいですね、この人は。
 このパワー、ギャグへの執念!!

※追記
 こんなシーンもあった。
 久本雅美さんがゲストの時、久本さんがバラの花をもって「これどっちが私かわかる?」というギャグをした後、さんまさんはこれに乗っかる。
 テーブルの白いおしぼりを持って、自分の歯を見せ、「これどっちが歯かわかる?」
 あらゆることをギャグにする人だ。


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M-1グランプリ スリムクラブの衝撃!

2010年12月29日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 今年のM-1グランプリ、やはり<スリムクラブ>は衝撃だった。
 これまでの漫才は限られた時間の中でいかにギャグの数を詰め込んでいくか。
 だがスリムクラブは逆だ。
 沈黙……、長い間……。

 たとえば『勘違いする人』というネタではこんな感じ。

 「すいません。間違いだったら失礼ですけど、あなた、以前に私といっしょに生活していましたよね?」
 「……………………………………………………してません」
 「毎晩、お話してくれたでしょう? この世で一番強いのは放射能だって」
 「……………………………………………………僕じゃないです」
 「お話してくれたでしょう? この世で一番弱いのはうずらだって」
 「……………………………………………………それも僕じゃありません」

 僕の知り合いの噺家さんに拠ると、笑いは間がすべてだそうだが、スリムクラブの間はすごい。
 あの長い間が逆に緊張感を生み、観客に次の言葉を期待させる。
 そして溜めに溜めた間により大爆笑が起きる。
 これは今までの漫才の常識を180度くつがえしたコンセプトだ。
 得点をつける審査員が「これを漫才と言っていいのか」とコメントしたのもうなずける。

 そして思うのは<エンタテインメントには新しさ>が必要だということ。

 正統派漫才の<銀シャリ>。
 面白いのだが、やはり古さは否めない。

 今回優勝した<笑い飯>。
 交互にボケをやるというダブルボケはやはり今までの漫才のコンセプトをぶち壊した。
 こうやって毎年見てしまうと、ダブルボケも当たり前になって色褪せてしまうが、<笑い飯>の個性、スタイルであることには違いない。

 <ハライチ>。
 フリの言葉がどんどんスライドしていき、ボケがそれを身振り手振りでどんどん膨らましていくスタイル。
 たとえば『なりたかったもの』というネタでは

 刑事→ベテラン刑事→インテリ刑事→冷酷な刑事→スケバンの刑事→ほろ酔い刑事→ニコラスの刑事→ぬかみそのケーキ→笹カマのブーム→筆箱にチーズ→ひとりだけビーフ→笹カマのセール→下駄箱にチーズ→毒グモのポーズ→三つ編みの坊主→笹カマの映画→肌荒れにいいの→傷口にいいの→ヘルニアにいいの→

 などど刑事が次々とスライドしていく。
 そしてこれに対するリアクション。

 「ほろ酔いの刑事って、あいつに運転させちゃいけなかったんだよ」
 「ニコラスの刑事って、あいつ、来日してたの?」
 「筆箱にチーズって、誰が詰めたの?」
 「ひとりだけビーフって、みんなフィッシュ頼んだんだ?」
 「毒グモのポーズって、シャーッ!!」

 などなど。
 これも新しい。

 芸人さんに限らず、あらゆることには新しさが必要なんですね。
 それも今までの常識をくつがえすような。
 AKBだってあの人数ですからね。
 モーニング娘。だって多すぎると言われていたのに、それをはるかに越えている。
 だが逆にそれがあの華やかなステージになっている。

 そして、もうひとつ必要なのはスタイル。
 <笑い飯>といえば<ダブルボケ>とすぐ思い浮かぶ。
 <スリムクラブ>も<ハライチ>もそう。
 みんな独特のスタイル。

 もっともどんな衝撃的な新しいスタイルでも、消費されてやがては色褪せてしまうんですけどね。
 それにしても<スリムクラブ>はすごかった。


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坂の上の雲 「広瀬、死す」

2010年12月27日 | 大河ドラマ・時代劇
★広瀬(藤本隆宏)はロマンチストですよね。
・アリアズナとの恋
・船に書いたロシアの友人たちに贈るメッセージ
・危険を顧みず部下を助けに行く行為
 すべてが詩的で、ロマンチック。まるで小説の世界から飛び出したかのよう。
 こういう日本人がいたこと自体が驚きだ。
 夏目漱石なんかはロンドンで引きこもり生活を送っていましたからね。
 僕はこういう人物、なかなか好きです。

★広瀬の死の描き方もいい。
・カッターに乗って福井丸から離れる広瀬。
・おそらく夜明けが近かったのだろう、アリアズナと<朝日>の話をしたことをふと思い出す。
・すると敵の砲弾。
・広瀬の体は一瞬にして消える。
・海底に沈んでいくアリアズナの懐中時計。

 ここには何の感傷もない。
 <朝日>と<懐中時計>はいささか感傷的だが、適度なさじ加減。
 平凡な作家なら海底に沈みゆく広瀬がアリアズナや真之(本木雅弘)にメッセージを語ったりする所だが、それをしない。
 一瞬にして消え去るだけだ。
 それが実に非情で無機質。
 逆にすごく心地いい。
 せりふで饒舌に語るより多くのことを伝えている。

★さて歴史の話。
 戦前の国語の教科書では、広瀬の死を次のように描いている。

『広瀬中佐
 とどろく砲音、飛び来る弾丸
 荒波洗うデッキの上に、やみをつらぬく中佐の叫び。
 「杉野はいずこ、杉野は居ずや」
 船内くまなくたずぬる三度、呼べど答えず、さがせど見えず、船は次第に波間に沈み、敵弾いよいよあたりにけし。
 今はとボートにうつれる中佐、飛び来る弾丸に忽ちうせて、旅順港外うらみぞ深き、軍神広瀬と其の名残れど』

 杉野を助けに行った広瀬の行為自体はヒューマニズムに溢れる立派な行為だ。
 しかし権力者はこれを利用する。
 まず彼は<軍神広瀬>という神にされた。
 戦後GHQによって壊されたが、<広瀬神社>が造られ、現在の神田と秋葉原の間にあった万世橋駅には、広瀬と杉野の<銅像>があった。
 この様に権力者は広瀬を<神>に祭り上げたが、この作品で描かれたような<アリアズナとの恋>や<ロシアの友人たちの話>は国民に知らせていない。
 広瀬の真意は<グラマラスティ>=<人がお互いを慈しみ合う>ことにあったのだが、それも語らない。
 権力者は自分に都合のいいことしか伝えないのだ。
 自分の死がこのように利用されて、広瀬としては浮かばれなかったことだろう。

 またラストのボリスやマカロフによって広瀬が埋葬されるエピソードは史実かどうかわからないが、まさに<グラマラスティ>。
 この作品は広瀬の死を<グラマラスティ>として描いている。
 権力者に利用され<軍神>となった自分とロシアの友人達によって埋葬された自分、広瀬にとってはどちらが嬉しかったのだろう。
 僕には後者の方だと思えてならない。


※追記
 広瀬神社のことを書いていて、<乃木神社>と<東郷神社>のことを思い出した。
 これらの神社は現在も明治神宮の近くにある。
 これの意味する所は<明治天皇を乃木希典と東郷平八郎が守っている>ということらしい。
 歴史は様々な形で残っているんですね。

 余談だが、明治神宮は<陰>、神宮外苑は<陽>の場所として設計されたらしい。
 明治神宮には<陰>を意味する針葉樹・常緑樹が植えられ、神宮外苑は<陽>を意味する絵画館や洋式庭園、青山練兵場などが造られた。
 結局、明治神宮は針葉樹が足りなくて広葉樹も植えられたようだが、その設計には<陰と陽>が考慮されていた。

 初詣で明治神宮に行かれる方もいらっしゃるだろうが、そんなことを考えながらお参りするのも面白い。


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フットルース~若さとは? ダンスとは?

2010年12月26日 | 洋画
 レン・マコーミック(ケヴィン・ベーコン)がやって来た町は、ユタ州の片田舎の保守的な町。
 読むべき本は「トムソーヤ」、聞くべき音楽はハイドン。
 だが、若者の溢れるばかりのエネルギーはそれを潔しとしない。
 出口を求めて、自由に恋愛をしたいし、ダンスもしたい。
 そこで主人公のレンは<ダンス禁止>の町のルールをたたき壊そうとする。

 まず若者について。
 僕も若者だったのはだいぶ前のことだったので忘れてしまいましたが、<若さ>ということは<エネルギーに溢れていること>なんですね。
 刺激や楽しいことを求めて行動せずにはいられない。
 自分を抑えつけるものには反抗せずにはいられない。
 音楽で言えば、ハイドンよりはベートーヴェン、ベートーヴェンよりはロック。
 恋愛やセックスも重要な要素。相手を求め、走りまくる発情期。

 一方、中高年になるとエネルギーが枯れてきて、穏やかなものや秩序・安定を求める。
 常識に縛られ、異質なものを受け入れることが出来なくなる。
 そして、自分自身にも<若い時><発情期>があったのを忘れて、自分の価値観を若者に押しつけようとする。

 この作品を見たのはだいぶ前だったが、今回改めて見て<若者>とはこういうものだったんだなと気がついた。
 若者のすることに眉をひそめ、自分が抑圧する側にまわってはいけないんだな、と思った。

 若者はエネルギーに溢れ、時に無意味なことをする。
 オトナから見ると無為に時間を過ごしているように思える。
 でも、それはオトナの人生の残り時間を数えてしまうから。
 オトナは残り時間が少ないから、無為な時間をなくして、意味のあることをしようとする。
 でも若者には死など考えることもない無限と思える時間がある。
 だから無意味なこと、無為なことが出来るのだ。

 そして繰り返すが、オトナは若者がそういうものだと理解しなければならない。
 あるいはオトナが若さを取り戻したいと思ったら、無意味なことをしよう。
 心の安定、穏やかさを捨てて、感情の嵐に浸り、血湧き肉躍る興奮をしよう。
 そのための有効な手段としては<ダンス>がある。

 これは映画「マンマミーア!」や「shall we dance?」のテーマにも通じるが、ダンスは<若さ>を取り戻す手段である。


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Q10のメッセージと取手バス襲撃事件

2010年12月22日 | 研究レポート
 Q10の最終回で平太の父親がこんなせりふを言った。

 「母ちゃんを愛するがごとく世界を愛しちゃってるんだよ、俺的には。つまり母ちゃんを愛するってことは、母ちゃんが産んだお前たちを愛するってこと。ということは母ちゃんを産んだ父さんと母さんを愛するんだよ、俺は。それに母ちゃんに親切にしてくれた人も愛するし、その母ちゃんに意地悪だった上司もまわりまわって今の母ちゃんの人格を作っていると思えば、それはまた愛するべきなんだよ。母ちゃんを成り立たせているもの、すべてを愛す。そういうことよ」

 ひとりを好きになれば、その人に関わる他の人も好きになる。
 そうなると好きな人がどんどん増えていって世界が愛すべきものになっていく。

 このことはたとえば<嵐>の松本潤さんを好きになったら、嵐の他のメンバーも好きになり、ジャニーズの他のタレントさんも好きになるという感覚、韓流スターやK-POPアーティストを好きになれば韓国を好きになるという感覚に似ていると思う。

 先日、また不幸な事件が起きた。
 取手のバス襲撃事件。
 斎藤容疑者は「自分の人生を終わらせたかった」と供述しているという。
 「自分の人生を終わらせたい」のならひとりで勝手にやってくれ、他人を巻き込まないでくれ、と言いたいが、もうひとつ斎藤容疑者に言いたい。

 「何かを好きになってくれ」

 何かを好きになれば、先程書いたようにどんどん好きなものが増えてくる。
 それだけで世界を肯定できるようになる。
 おそらく斎藤容疑者は<世界に絶望した>のだろう。
 絶望したから、「人生を終わらせたかった」と自分を壊そうと思い、自分だけでなくまわりの人間も巻き込んで、世界を壊そうとした。

 Q10の第2話で言っていたことだったと思うが、人をこの世につなぎ止めておくものなんて些細なものなんですけどね。
 それはタレントさんでもコミックのキャラクターであっても、趣味でもなんでもいい。
 何かを好きになれば、きっと世界を肯定できる。

 あとは、これはある程度歳を取らないと理解できない境地なんですけど、<不幸な自分を楽しむ>ということ。
 ダメで惨めな自分を「まいっか」と言える自分、冬の風に吹かれながら寂しく歩いていく自分、失恋して相手の幸せを願いながら酒場の片隅で飲む自分、そんな自分をカッコイイと思えるようになれば、かなり人生の達人になれる。

 この記事を書いていて、少し前の曲になるが<はねるのトビラ>でブレイクした「悲愴感」を思い出した。

♪女の子にはモテない
 正直ブサイクな 俺
 スポットライトは
 「あ、もったいないから当てないで下さい」

 男である以上 やるぜ
 カッコよく生きたい だけど
 出来ないことは 無理しません
 理想など語れないけど
 今度のデビューは見逃して

 悲愴感 悲愴感 このチャンスだけは
 死ぬ気で掴みたい 放せない
 悲愴感 悲愴感 最低なんて
 もう慣れっこさ

 悲愴感 悲愴感 どんなチャンスでも
 死んだら放しちゃう
 死にたくない    ♪

 こういうふうに悲惨な自分を笑い飛ばすことが出来れば、絶望はなくなる。
 カッコ良くさえある。
 現に「悲愴感」を歌っていたメンバーたちはカッコ良かったし。

 絶望しそうになった時は、「悲愴感」や「男はつらいよ」をお薦めする。
 アイドルやタレントさんを応援することをお薦めする。
 そして、これがエンタテインメントの力だ。
 政治で制度的・経済的に救えても、人の心まではなかなか救えない。
 エンタテインメントの役割はここにある。


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坂の上の雲 「日露開戦」

2010年12月20日 | 大河ドラマ・時代劇
★<自転車>が真之(本木雅弘)と季子(石原さとみ)を繋げるいい小道具になっている。
 大声で笑う真之なんて実にひさしぶり。これだけで彼のウキウキした気持ちがわかる。
 上手い小道具としては<どじょう>もそう。
 律(菅野美穂)と季子を結ぶ小道具になっていると共に律の気持ちも描いている。
 律にしてみれば「どじょうもさばけないないような人が淳さんの嫁になっているの?」といった思いが多少はあっただろう。
 それは律が真之の松山時代の話をする所も同じ。
 「あたしの方が淳さんのことを何から何まで知っているのよ。あたしの方がつき合いが長いんだから」というライバル心があったはず。
 しかし季子はやはり華族のお嬢様なんですね。そんな律の気持ちには全く気づかない。
 むしろ無邪気に「もっと聞かせて下さい」と言う。
 こういう三角関係の描き方は見事!
 後は小道具としては、子規の<下駄>。
 元気に歩きたかった子規の代わりに真之が歩く。
 そんなことを象徴している。

★あと見事なのは会話の描き方。
 ドラマではふたりが面と向かってただ話しているのはつまらない。何か他のことをしながら話すと面白くなる。
 山本権兵衛(石坂浩二)と東郷平八郎(渡哲也)の会話は<釣り>しながら。
 児玉源太郎(高橋英樹)は日高壮之丞(中尾彬)は<取っ組み合い>をしながら。
 好古(阿部寛)とロシア騎兵達は<腕相撲>をしながら。
 これらが机を挟んで会話しているだけだったら単なる説明シーンになってしまう。

 特に好古のシーンはいいですね。
 敵同士であっても同じ<騎兵>として繋がっている。
 この頃の戦争にはこうしたのどかな面があった。
 後に描かれるだろうが、旅順要塞攻略戦で死者が大量に出た時は両軍でいったん休戦して遺体を収容し、埋葬する何日かを持ったそうだ。
 旅順が陥落した時は日本兵、ロシア兵が互いに健闘をたたえ合ったと言う。
 ところが今は核兵器を一発。戦いの後には何も残らない。

★さて歴史の話。
 伊藤博文(加藤剛)を始めとする日露戦争の指導者たちが見事なのは、<戦争を終わらすこと>を考えていたこと。
 ドラマでは伊藤がルーズベルトの同窓生である金子堅太郎を渡米させ、「アメリカが講和の仲介をするよう働きかけよ」と指示する描写があった。
 伊藤は開戦前からいかに戦争を終わらせるかを考えていたのである。
 ところが後の日中戦争、太平洋戦争は?
 一億玉砕。まったく終わらせることを考えていない。(かろうじて終戦間際にソ連に仲介を頼んだようが)

 <諜報>を重要視していたのも日露戦争。
 今回登場した明石元二郎。
 彼は今でいうスパイ。
 そして明石が虐げられたロシアの民衆に内乱を起こさせたから、ニコライは終戦時に圧倒的な兵力を持っていたにもかかわらず、講和に応じざるを得なかった。
 <諜報>が戦争で十分に機能した例である。

 また、日露戦争の指導者たちが見事なのは<日英同盟>を結んだこともそう。
 これによりドイツやフランスはロシアに加担できなくなった。

 この様に日露戦争の指導者たちは用意周到でしたたかであった。
 ドラマでは開戦までのシーンも描かれたが、開戦を急いだのもシベリア鉄道で大量の兵士が動員されたらとても勝ち目がないから。

★司馬遼太郎さんが「坂の上の雲」で日露戦争を描こうと思ったのも、昭和の戦争との対比を描きたかったからでしょうね。
・開戦時に戦争を終わらせること考えていた政治家。
・<諜報><外交>、あらゆる手段を使って戦おうとした政治家・軍部。 
・政治家と軍部が一体となって遂行された日露戦争と政治家の発言力がなくなり軍部が独走した昭和の戦争。
 そして、この日露戦争の勝利が国民の冷静な理性を狂わせ、昭和の<神国・日本>という幻想を持たせることになったこと。

 朝鮮半島が緊張し、中国・ロシアとの領土問題が課題になっている現在、この作品が描かれることの意味は大きい。


※追記
 列車の窓からウォッカを飲みながら、ロシアの騎兵を見る好古。
 前回は中国酒で今回はロシアの酒。
 好古には酒がよく似合う。

※追記
 次回は<軍神・広瀬>ですか。
 戦前の教科書で美談として描かれたこのエピソードはどの様に描かれるのだろう。


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「医龍3」「SPEC」~消費されていく形式

2010年12月19日 | 研究レポート
 「医龍3」と「SPEC」が最終回を迎えた。
 どちらも面白かったのだが、何かが物足りない。
 この理由は何だろうと考えてみると、多分<形式>に飽きてしまったからだと思った。

 「医龍」「SPEC」とも独特の形式・演出手法がある。

 「医龍」は登場の美学と手術シーンの解説。
 困難な手術を前にして現れてほしい人が現れる。
 最終回では黒木。
 黒木が助けに来て視聴者は拍手喝采、盛り上がる。
 手術シーンの解説もお決まり。
 どんな手術かを見ている医師達が解説し、「どうするの? 朝田ちゃん」と野口が突っ込む。
 「医龍」の手術シーンは、K-1などの格闘技番組に似ている。
 アナウンサーが実況し、解説者がコメントする。
 これが手術シーンを迫力のあるものにし、独特のものにしている。

 しかし!!
 これも3シリーズ目になると飽きてしまった。
 だって朝田が手術を失敗することはないし、黒木が助けに来ることは見え見えだし。

 「SPEC」の堤幸彦演出。
 これも「ケイゾク」や「トリック」では新鮮でインパクトがあった。
 でも残念ながら、何度も見ると飽きてしまう。
 これは堤演出の両刃の剣なのだが、堤演出は人間の感情・心情を深く描くのにあまり適していない。
 登場人物はデフォルメされているし、小ネタや独特のカットつなぎが視聴者の感情移入を阻害する。
 僕などはこのドライな感じが好きなのだが、やはり飽きてくる。
 それはCGなどをいくら駆使しても同じ。 

 というわけで斬新な形式はすり減らされて飽きられる。

 かと言って古い形式もどうか?
 「黄金の豚」は完全懲悪の「水戸黄門」の形式。
 印籠の代わりに「金返せ!」と電卓を見せる。
 でも、これはそれを視聴者が待っている「水戸黄門」だからいいのであって、現代劇では使い古された感じがする。

 今のドラマは難しい局面に立たされていますね。
 バラエティでは「ワンピース王決定戦」とか新しい形式がどんどん出て来ているのに。
 たとえ「医龍」や堤演出のような新しい形式が出て来ても、やがて飽きられ、つまらなくなっていく。
 テレビは消費し、どんどん新しいものに取り替えられていくメディア。
 そう言えば、これはバラエティだが、芸人さんもどんどん消費されていっていますね。

※追記
 とは言っても「SPEC」シリーズ前半の戸田恵梨香さんの怪演?は見物だった。
 「聞きたい?聞きたい?」「推理ものはこの長ぜりふがきついんですよね」
 もし録画などが残っていたら、1話から3話くらいまでの真相を暴くシーンの戸田さんをぜひ見て下さい。60分すべてを見る必要はありませんですので。
 すごいですよ。

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ここがダメだよ、民主党

2010年12月17日 | 事件・出来事
 民主党のダメな所。

★まずマニュフェスト。
 民主党は一般会計と特別会計の組み替えで16兆円だかの予算を新たに捻出すると言ったが、現実には絵空事であったようだ。
 そして子供手当、高速道路無料化などの政策はすべてこの組み替えを前提にしているわけで、結果いずれも中途半端なものになっている。
 これでは<公約違反><マニュフェスト詐欺>と言われても仕方がない。

 この<マニュフェスト詐欺>は普天間の基地移設問題や八ッ場ダムについても同じ。
 完全に公約の反故。
 ウソのマニュフェストで獲得した政権なのだから、これは一端返上して、今一度信を問うのが筋。

★次に尖閣問題。
 もし那覇地検の判断で中国人船長を釈放したのなら、野党が指摘しているように、この問題に関して政府はまったく関与していないことになる。
 こんな無責任な政府ってあるだろうか?
 筋としてはこうだ。
 「中国との外交問題を鑑み、指揮権を発動し、政府の判断で船長の釈放を行った。民主党は平和・友愛の党だから、紛争に繋がるようなことは避けたいので今回の措置をとった」としっかり宣言する。
 その際に中国に対する貸し、世界に対するメッセージとして、ビデオを公開するのもありだっただろう。
 対応としては異論もあるだろうが、これはひとつの見識だ。
 ところが政府は地検にすべてを押しつけている。政治の意思がまったくない。
 菅首相は「今回の対応が四十年後、五十年後に評価される」と言ったが、実は政府は何も対応していない。
 たまたま世界の世論が「中国横暴だぞ」と湧き上がったものだから、面目を保てたが、それは政府が戦略的に仕掛けたことではない。

★次に小沢一郎問題。
 単純に考えれば、「何もやましいことがない」のなら国会に出て、自分の信じる所を話せばいいんですけどね。
 なぜ、それが出来ない。
 小沢氏擁護の一部の民主党議員は「世論に動かされて公開裁判のようなことをするのは良くない」「現在の民意は間違ったマスコミの報道で作られている」と反論しているようだが、確かにマスコミに踊らされている面はあるにしても、国民はそんなにバカではない。むしろその議員が「国民をバカだ」と思っているから、その様な発言が出て来るのだ。
 議員は<小沢氏の立場>に立つのではなく、<国民の立場>、すなわち民意に立て。

 また自民党はかつて同じような状況でしっかり証人喚問に応じてきた。
 民主党はなぜ同じことができないのか?
 
 あるいは民主党が下野して逆の立場になった時、どう対応するのか?
 与党議員に疑惑があがった時、「世論に動かされて公開裁判のようなことをするのは良くない」と言って証人喚問の要求をしないのか?
 
★そして菅首相。
 APECでのメモを見てのあいさつもそうだが、「この半年間は総理として仮免だった」という発言がすべてを象徴している。
 要するに自分に甘いのだ。
 9月の代表選では「命がけで総理の仕事に取り組む」と言っていたが、じゃあ今までは命がけで取り組んでいなかったのかと僕は思った。
 そして代表選以降、<命がけ>で取り組んでいたのなら、決して<仮免>だったと言い訳することはないはず。
 プロ意識を持っていたら絶対に言わない。
 菅さんは市民運動家あがりで社会人の経験がないのかな?
 申し訳ないが、社会人は言い訳の出来ないシビアな所でギリギリやっている。
 「仮免だった」なんて言い訳したら、「そんなシロウトは来るな、別のまともな人間を呼んで来い」と取り引き先から言われる。

 また最近、人の器ということを考えるが、申し訳ないが菅さんは<総理の器>ではない。
 それに同じ党の一兵卒である小沢氏ひとりを説得できなくて、どうして野党や中国やロシアを説得できよう?
 菅さんには一刻も早く辞めてほしい。

★最後に。
 僕がこのようなことを書くのも忸怩(じくじ)たる思いがある。
 というのもほんの一年ほど前は民主党を支持していたのだから。
 この一年で完全に政治不信になったし、安易に支持を表明して現実に関わるのはやめようと痛感した。
 それでもこのような文章を書いてしまうのは、あまりにも民主党がダメだからである。


※追記
 21日沖縄での前原外相のコメントに関する記事。(時事通信)

『米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を受け入れない限り、同飛行場を継続使用すると前原誠司外相が明言したことについて、地元では21日、反発の声が一斉に上がった。
 同県の仲井真弘多知事は同日夕、県庁内で記者団に、「それは駄目だ」と強調。県幹部は「辺野古か固定化かという議論は県として受け入れられない」と不快感を示し、呉屋等宜野湾市議は「辺野古は無理だから、普天間の固定化というのは、無責任極まりない。いい加減にしてほしい」と前原氏を厳しく批判した』

 <辺野古移設を受け入れなければ、普天間は固定化>

 これでは完全に脅迫だ。
 頭のいい人なのかもしれないが、前原氏は本当に人の気持ちがわからない人だ。
 いいカッコしいの父っちゃん坊やだ。
 前原氏は次期首相として名前があがっているらしいが、この人だけは絶対に総理にしてはならない。

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SMAP×SMAP ワンピース王決定戦!!

2010年12月15日 | バラエティ・報道
 今週の<SMAP×SMAP ワンピース王決定戦>は面白かった。

 決定戦の参加者がアニメ「ワンピース」に関するマニアックな問題に答えるというクイズだが、ある意味クイズ・バラエティの革新。

 まず、その参加者の意外性。
 木村拓哉さん、ケンドー・コバヤシさん、格闘家の武蔵さん。
 およそ「ワンピース」とはかけ離れたイメージの人達。
 そんな彼らが熱くマニアックに語る。
 これで番組のつかみはOK。

 次に彼らとは対照的な「ワンピース」に全く興味のない稲垣吾郎さんをゲストとして配置する。
 稲垣さんはマニアックに語る木村さんたちを冷ややかな目で見ている。
 この図式が面白い。
 稲垣さんは変身するチョッパーのことを「この人、大きいの? 小さいの?」と突っ込む。
 そばに置いてあるキャラの模型には「この人、アントニオ猪木さんに似てる」「この人、縛られてるけどSM好き?」とコメント。
 これに木村さんらは大好きなキャラクターがバカにされたと言って怒りまくる。
 解答者VSゲスト。
 これは従来のクイズ番組にはない形式だ。
 解答者たちはクイズで王座を競うライバルでありながら、<ワンピースLOVE>という点で連帯している。
 そして愛するワンピースをおとしめるゲストと対立する。

 この対立は稲垣さん同様「ワンピース」に興味のないアナウンサーのMCにも向けられる。
 木村さんはMCのアナウンサーに「ああ、この人、MCのくせにワンピースに全然興味がないんだ?」と突っ込み、VTRからすぐに問題に移ろうとする司会進行について「もっとVTRの余韻を楽しませてよ」と文句を言う。

 新しいエンタテインメントは既存の形式を壊すことから始まる。
 この<ワンピース王決定戦>はまさにそれ。

 次回、12/20のSMAP×SMAPでは、決定戦の後半がオンエアされるようなので、興味を持たれた方はぜひ見て下さい。

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漫画規制条例改定に反対する。

2010年12月14日 | 事件・出来事
講談社・小学館・集英社もボイコット 都のアニメフェア(朝日新聞) - goo ニュース

 この出版社の判断を支持する。
 過激な性表現。そんなものはお上が規制すべきものではない。
 出版社の代表の方がコメントしておられたが、過激な性表現のコミックは<成人向けコミック>として表示されているし、ビニールで中が見えないようにもなっている。コンビニでは売られていないし、書店でも別棚になっている。
 出版社の自主性でしっかり規制されているのだ。

 それに石原慎太郎さん、あなたは<ペニスで障子を突き破る>といった表現をしてきた人でしょう?
 どうして人間には<光>と<闇>があり、人間には<闇>の部分が必要であることを認めないのか?
 健全な<光>の世界だけでは人間は息苦しくて窒息してしまう。
 <闇>の部分があるから発散され、ガス抜きがされる。
 その結果、人は浄化され、再び良識や道徳という<光>の世界に戻って来られる。
 保守系の人達が大事にしている天皇家だって、神道で<穢れ>というものをしっかり認めている。<穢れ>があるから<清浄>がある。

 それにいくら抑えつけても<闇>の部分は出て来ますよ。
 逆に抑えつければつけるほど、大きなエネルギーになって噴出してくる。
 そうなれば忌まわしい猟奇殺人や暴動・暴力の世界だ。
 秩序を保ちたいのなら、闇の部分を容認しないと。

 それに<有害><無害>の判定をする人って、マンガのことを何もわかっていない有識者と言われる人達なんでしょう?
 彼らは社会的にも認められていて、若者の鬱屈した感情や欲望なんて全く理解できない。
 勲章をもらうことだけにエネルギーを注いでもらっている内はいいが、抑圧の側にまわるとなまじっか権力がある分、始末に負えない。
 それに都議会の皆さん、こんなことにエネルギーを使わずに福祉とかもっと別のことにエネルギーを使って下さいよ。

 大手出版社は東京国際アニメフェアに出展しないことを決めた様だが、他のレコード会社、ゲームメーカー、アニメ制作会社もここは気骨を見せてほしい。
 アニメフェアに通っていたユーザーの皆さんも。
 これを許したら、いずれコミケとか同人誌も規制の対象になる。

 閑散としたアニメフェアで、石原都知事や都議会員は自分達のしたことの愚かしさを思い知ってほしい。


※追記
 21日時事通信では次のような記事。

『主要漫画出版10社が来年3月の「東京国際アニメフェア2011」への参加拒否を表明した問題で、同フェアの事務局を務める日本動画協会は21日、「このままの状況では実質的に実行不可能な事態になる」と憂慮する声明を発表した。
 声明は、東京都の漫画・アニメ規制強化に抗議する10社の姿勢を支持する一方で、「大幅な出展撤回が避けられず、これまでのようなクオリティーを保つことが極めて困難」としている。
 同協会の両角孝保専務理事によると、ボイコットにより同フェアの出展数は当初の約650ブースから3分の2程度に減る見通し。コミック10社のうち角川書店と集英社は、自社刊行の漫画を原作とするアニメ作品についても、出展しないようアニメ会社などに働き掛けているという』

※追記
 19日産経新聞ではこんな記事。

『変態を是認するみたいな著書はあの頃あんまりなかった。私は間違っていました。
 過激な性描写のある漫画の販売などを規制する改正都青少年健全育成条例について、石原慎太郎知事は17日の定例会見で、記者から昭和47年発行の自著「真実の性教育」(光文社)に「いかなる書物も子供を犯罪や非行に教唆することはない」と書いていることを指摘されこう応じた。
 また、少女愛を描いたナボコフの小説「ロリータ」を引き合いに、「当時ショッキングだったが、あの程度なら叙述の美しさもある」とした上で、少女強姦(ごうかん)などを肯定的に描写した漫画は「害があって一利もない」とした』

 つまり過去の考えを撤回して、現在が正しいということらしい。
 歳を取ると頭は固くなるんですね。

※追記
 28日読売新聞より

『アニプレックスや角川書店などアニメ関連会社8社は28日、来年3月26、27日に、千葉市の幕張メッセで「アニメコンテンツエキスポ」を開催すると発表した。
 同じ日程で、東京・有明の東京ビッグサイトでは、石原慎太郎東京都知事を実行委員長とする「東京国際アニメフェア2011」が開かれるが、8社のうち6社が参加予定だった。
 エキスポ事務局によると、露骨な性行為などを描写したアニメや漫画の販売などを規制するとした都青少年健全育成条例改正に反対するためフェアへの出展を取りやめ、代わりに新作発表の場として開催するという』

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