平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

悪夢ちゃん 第6話~歪まず真っすぐ生きて来た人間なんて会ったことがない

2012年11月18日 | 学園・青春ドラマ
 メインのストーリーに関しては、彩未(北川景子)の心の闇がまたひとつ明らかになったこと。
 幼い彩未が地下鉄の線路に落とした女性は友達の母親だった。
 動機は、自分には母親がいなくて、友達にはいて幸せそうにしていることが憎かったから。
 ならば、友達の母親を殺して奪ってしまえ、と。
 こんな感じか?
 実際、彩未じゃなくても、こんな現実は目を背けたいですよね。
 忘れてしまいたいし、心の奥底に封印したい。
 でも、それはさまざまな形で現れる。彩未の場合は、自作のHPとか机の上にマジックで書くとか。
 そして、心から笑うことを奪う。
 彩未は、封印した記憶を認めて解放されなければならないんでしょうね。

 あと面白かったのは、ふたつのせりふ。
 彩未は琴葉(優香)に「なぜ教師という仕事を選んだのか?」と聞かれてこう答える。
「人生、生ぬるく安定して生きたいから」(笑)
 実際の教師の仕事はかなりハードらしいが、彩未らしい職業観。
 彩未は仕事に<夢>とか<自己実現>とかを追わない。何も期待しない。
 ただの安定した収入がほしいだけ。
 この職業観は、両親がいなくて苦労して生きてきた彩未なら当然のことかもしれない。
 今までの生涯がハードなものだったから<生ぬるく>生きたいし、お金も安定してほしい。
 子供相手の小学校教師ならいくらでもダマせるし、チョロいと考えたのではないか。
 悪夢ちゃん・結衣子(木村真那月)が現れてからは苦労ばかりのようだが。

 ふたつめのせりふは、保健教師・琴葉のせりふ。
「歪まず真っすぐ生きて来た人間なんて私は会ったことがない」
 確かに人間、生きていれば歪む。
 体が歪んで姿勢が悪くなるように、心も歪む。
 それは社会という壁が立ちはだかり、自我というものが生まれるからだ。
 まずは男の子、女の子という選別。
 学校や会社などで教えられる常識という拘束。
 犯したら罪になる倫理や法律という拘束。
 競争社会という拘束も、人の気持ちを荒んだものにしていく。勝った者は負けた者を蔑み、負けた者は劣等感にさいなまれる。
 こうして、人は多かれ少なかれ歪んでいく。
 心が真っ白なのは、子供の時だけだ。
 子供は何をしていても遊びで楽しいし、やっていることの意味を問わない。食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。感情のままに泣いたり、笑ったりする。
 それが大人になるに従って失われていく。
 特にこの作品の舞台になっている小学五年生あたりから抑圧は大きくなり、人を歪ませていく。
 今回の清水莉音(豊田留妃)も母親の期待という抑圧で歪んでしまいましたし。

 人の心の歪み、これは矯正できるのだろうか?
 たとえば、ドラマや映画や小説やコミックなどの物語。
 これらには矯正する力があると思うのですが、どうでしょう?


コメント
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