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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「攻殻機動隊」~「映画監督の夢」夢と現実の中で戦ってこそ意味がある。他人の夢に自分を投影しているだけでは死んだも同然だ

2025年04月16日 | コミック・アニメ・特撮
 アニメ「攻殻機動隊」
 その一話一話がすぐれたSF短編小説のようで堪能している。

 たとえばシーズン1・12話の「タチコマの家出 映画監督の夢」

 草薙素子(CV田中敦子)はとある電脳世界にダイブする。
 そこは映画監督・神無月渉(CV槐柳二)の作ったミニシアターがあり、彼の作品が上映されている。
 たくさんの観客も見ている。
 素子も椅子に座って鑑賞して涙を流す。

 さて、ここからテーマが展開される。
 素子は神無月の作品に魅了されてシアターが出て来ない観客たちに違和感を抱いている。
 だから作品を作った神無月と議論する。

「どんな娯楽も一過性のものだし、またそうあるべきだ。
 始まりも終わりもなく、ただ観客を手放そうとしない映画なんて、それがどんな素晴しいと思えたとしても害にしかならない」
「われわれ観客に戻るべき現実があるとでも言いたいのかね?
 この観客の中には現実に戻った途端に不幸が待ち受けている者もいる。
 そういう連中の夢を取り上げ、あんたは責任を取れるのかね?」
「夢と現実の中で戦ってこそ意味がある。他人の夢に自分を投影しているだけでは死んだも同然だ」
「リアリストだな?」
「現実逃避をロマンチストと言うならね」
「強い娘よのう。いつかあんたの信じる現実がつくれたら呼んでくれ。
 その時、わしらはこの映画館から出て行こう」
 ……………………………………………………………

 僕は神無月の考えに共感するのですが、草薙素子は神無月の言うように「強い娘」ですね。
 作品は現実逃避のものなのか?
 作品世界に引きこもって現実逃避をするのはいけないことなのか?
 作品はどうあるべきか?

「攻殻機動隊」はこうしたさまざまなテーマを電脳世界を通して描いている。


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