平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

あいのり 1/30

2006年01月31日 | バラエティ・報道
 ひさよんが合流して、和泉とふたりで足して50歳コンビが登場しました。
 「田上くん、かわいい~」だって!
 「生活力とセックスの相性が大事」だって!
 「セックスだけで繋がることもある」だって!

 今田さんが言っていましたが、ひさよんと和泉と比べるとMIEが素朴に感じるます。MIEは確か21歳。
 女性の5年間というのは大きいんですね。

 そして、確かスーザンも25歳。
 ひさよん、和泉と比べると、スーザンも純粋に見えます。
 (かけ算はできないけど)
 もっとも、最初のうわべだけで判断してはいけないのが「あいのり」の旅。
 ひさよん、和泉が今後、どんな面を見せてくれるか楽しみです。

 それにしても、よくこれだけタイプの違う人間が集まりましたね。
 アウトローとスーザンは180度違うタイプだし、(アウトロー、後ろから抱きしめて頭にキスさせてだって!)、アレック・田上くんは足して50歳コンビに翻弄されそう。
 25歳オンナのバトルも凄そう。
 この女性たちにMIEはどう絡むか?

★研究ポイント
 180度違ったタイプが集まって共同生活をするなんてことは現実にあり得ない。
 現実では気の合う似たような人間がグループを作って生活しているし、異質な人間は仲間にならない。
 それはドラマ・映画でも同じ。
 物語の予定調和が崩れない程度に人物が配置される。
 だから「あいのり」は面白い。
 新しいドラマの可能性を感じる。
 未見のドラマファン、映画ファンの方はぜひご覧下さい。
コメント   トラックバック (1)

私の中のもうひとりの私

2006年01月30日 | 洋画
 マリオンは50歳。
 哲学科の教授で夫は優秀な医者。申し分ない人生。
 そんな彼女が本を書き始めるために部屋を借りる。
 部屋の隣は精神カウンセラー、患者と医者の会話が通気口を通じて聞こえてくる。
 その会話をきいて、自分と自分の人生をふり返るというのがこの作品「私の中のもうひとりの私」だ。
 ここでも、ウディ・アレンのテーマである辛辣な現実が描かれる。
 カウンセラーとの会話をきいて、自分の人生の空虚をマリオンは感じるのだ。

 精神科医に患者のホープ(ミア・ファーロー)はこう言う。
「私の人生は実のない人生。偽りだらけで生きてきた人生。自分で自分がわからない。傍にいる夫は他人のように見える」

 これが呼び水になって、マリオンは自分の人生をふり返り、むき出しの現実を知る。
 まず、医者の夫は浮気をしていた。
 ふたりは連れだって友人たちと夕食を毎日のようにとっていたが、それはうわべだけのこと。
 夫の心は離れていたのだ。
 夫の心が離れたのは、子供ができた時のこと。夫は子供を望んだが、マリオンは仕事が大事で子供をおろしたのだ。
 また、マリオンは数年ぶりに親友に会い、親友が自分を憎んでいたことを知らされる。弟に会うと、弟は優秀な姉に抑圧を感じ、彼女の親切を煙たがっていたことを聞かされる。
 すべてを得ていたと思われた現実がガラガラと崩れ去ったのだ。

 マリオンは理性的な人間だった。
 彼女は言われる。
 「いつも感情を抑え、冷たい頭脳だけの人間。そんな人間から人は離れていく」
 マリオンは理性的であるが故に、情熱的なことに尻込みしてしまう人間だった。
 情熱的、感情的になることで自分が失われてしまうことを怖れ、それらから逃げて来た人間だった。

 マリオンはある作家から情熱的な求婚をされていたが、結局、現在の医者の夫を選んだ。
 辛辣な人生がむき出しにされて、マリオンはその人生の選択が間違っていたのではないかと思う。
 そして、打ちのめされた彼女は、その作家が彼女のことをモデルにして書いたという小説を読み始める。
 その小説にはこう書かれていた。
「彼女は激しい情熱を持った女性だった。その抑圧を解きさえすれば」

 自分を愛し、自分を理解してくれていた存在がいたことに少し救われるマリオン。
 マリオンは浮気をした夫と離婚する。
 情熱的な自分を、作品タイトルである「私の中のもうひとりの私」を認識した彼女がその後、どの様な人生を送ったかは描かれていない。


★研究ポイント
 まず、自分と自分の置かれた現実を厳しく見据えよと語るウディ・アレン。
 それはまた別の空虚であるかもしれないが。
 理性的であることと感情的・情熱的であることとは? 
コメント   トラックバック (1)

セプテンバー

2006年01月30日 | 洋画
 自分はその人のことが好きなのにその人は別の人が好き。
 そんな男女の行き違いをこの作品は静かに描いている。
 舞台も田舎のカントリーハウス。
 その家の中だけで展開される室内劇。

 レーンは抑圧された女性だ。
 母親は自由奔放。
 若いころは一時、父を捨てて、ギャングの情婦になったという華々しい経歴を持つ。
 レーンはそんな母親を心の底で嫌悪し、自分はそうなりたくないと思っている。
 それが彼女の抑圧の原因だ。

 レーンは売れない作家のピーターに思いを寄せている。
 ピーターが感じ方が同じで繊細だったからだ。
 だが、ピーターに対して彼女の抱える抑圧から一歩踏み出すことができない。
 そんなレーンに母親は言う。
 「おまえは男性の前で身構えている。でも、心の底は愛の渇きでいっぱいだ。もっと心を開いて若いうちに楽しみなさい」
 母親に心の底で反発するレーンはその言葉が真実だとわかっていても受け入れることができない。

 また、レーンのことを好きな男性もいる。
 隣人のエドワードだ。
 エドワードはレーンに情熱的に迫るが、ピーターのこともあり受け入れることができない。
 エドワードを受け入れれば、レーンの愛の渇きは癒されるかもしれない。
 しかし、それができない。

 ウディ・アレンはこういう人間関係を作る。
 永遠に満たされることのない「愛の渇き」を直視して描く。

 そして、レーンにさらに残酷な試練を与える。
 ピーターがレーンの友人でたまたま遊びに来ていた人妻のステファニーに恋してしまうのだ。
 レーンの恋は実らなかった。
 それを知らないレーンは夢を抱く。
 「今、住んでいる家を売って、ピーターといっしょにニューヨークで生活する」
 そんな夢を見てレーンの心は躍るが、現実が彼女をさいなむ。

 ピーターとステファニーがキスをしている所を目撃し、母親はその奔放さから自分の言ったことを忘れ、「家を売るなんてとんでもない」と言い出すのだ。

 レーンの夢が一気に崩れていく。
 レーンは感情をあらわにして泣き叫ぶ。

 人生は生きにくく、愛はすれ違って満たされないことを描いてきたウディ・アレン。
 そこには甘いロマンはなく、辛辣な現実のみが描かれる。
 これをエンタテインメントである映画が描くのはどうかという議論は分かれる所だが、ウディの姿勢はいつも変わらない。

 ウディ・アレン自身が主人公の時もその姿勢は変わらない。
 ただ作品のタッチは変わる。
 コメディになるのだ。
 主人公ウディ・アレンは愛とセックスを求めてあがき、それがコメディになった。
 観客はあがくウディを笑いながら、自分も同じではないかと思い至る。
 それがウディ・アレンの作品だった。

 ウディが主人公でない女性が主人公の作品、例えば「ハンナとその姉妹」には救いがあった。
 「人のハートの筋肉は案外強くできているのよ」
 うろ覚えだが、そんなせりふがあって、力づけられた。

 だが、「セプテンバー」には、そんな救いもない。
 孤独で愛に満たされない現実のみが辛辣に描かれていた様に思えた。


★研究ポイント
 エンタテインメントは現実を辛辣に描くべきか。
 現実を描くために使われるコメディという手法。
コメント   トラックバック (1)

功名が辻 3

2006年01月29日 | 大河ドラマ・時代劇
 竹中半兵衛の計らいで会うことになった千代と一豊。
 その会話がうまい。

 千代は一豊と会いたかった理由をこう語る。
 「ずっと国境でのご無礼を謝りたいと思っておりました」
 もちろん千代の伝えたかったことではあるが、もっと伝えたいことがある。
 千代の一豊への気持ちだ。
 千代はがんばって言う。
 「国境で止めてくださったことを嬉しく思います」
 これで鈍い一豊も千代の思いに少し気づく。
 「美濃にやるのではなかった。愚か者め」
 これに対して千代は言う。
 「千代は愚か者でございます」

 千代も一豊も「好きだ」という言葉を一言も言っていないのだが、これでお互いの気持ちがわかる。

 後は「ロミオとジュリエット」。
 尾張に来る様に言う一豊に対し、千代は言う。
 「(自分を育ててくれた)不破の家を裏切るわけにはいきません。千代は一豊様にいただいたお言葉を今生の想い出にして生きて参ります」
 それでも食い下がる一豊に千代は言う。
 「それでは武士を捨てて、山中で小さな畑を耕して千代と暮らすことはできますか?」
 青雲の志に燃える一豊はそれをすることが出来ない。
 戦国時代を舞台にしているから、こうした物語が成立するドラマだ。

 物語はさらに続く。
 稲葉山城攻略。
 千代は稲葉山城にいる。
 城が落ちれば、千代は殺される。
 千代を救うため、そして千代の幸せを祈る半兵衛は次のような策を練る。
 稲葉山城攻略の方法を教える代わりに、千代を助けてほしいと言うのだ。
 半兵衛は信長に言う。
 「稲葉山城を造った道三殿に城を落とす方法があるかどうかきいてみます」
 時をおいて、半兵衛の意をくんだ秀吉が信長に言う。
 「道三殿は城の女子供を助けるのが城を落とす方法だと述べております」
 この秀吉の言い換えもすごい。
 しかし、信長もすごい。
 「明日中に落とさねば、女子供は斬って捨てる」
 信長の立場で安易に「そうか」とは言えない。
 しかし、半兵衛の知る攻略方法で稲葉山城を攻略して美濃を手に入れたい。
 そんな思いを踏まえて言った命令だった。
 おまけに「明日中に落とさねば」と言うことで、秀吉たちを必死にすることが出来る。

 半兵衛は「ながらの道」という城の二の丸に通じる裏道を教える。
 裏道を行くのは一豊だ。
 任務を与えられた一豊は「信長様と秀吉様のために命をかけまする」と言うが、半兵衛は次のように一豊に諭す。
 「千代殿のために命をかけよ」

 そして炎の中での再会。
 千代の叔父の不破市之丞とその妻は自害しようとしている。
 千代も一豊に会えたのは嬉しいが、叔父たちを裏切ることはできない。
 一豊は千代と共に生きたいと言う。
 迷う千代。
 千代が叔父のことを気にしていると考えた一豊は不破に懇願する。
 「生きて千代の幸せを見てやってほしい」
 千代も不破に言う。
 「生きて一豊様の妻になりとうございます」
 不破は千代を娘のように育ててきた。
 愛する千代の幸せを見届けたいと思っている。
 これで不破も折れた。
 織田に投降する。

 実に劇的な恋愛ドラマだ。
 歴史考証としてはこんなことはないだろうと思うが、ここはこのロマンに酔いたい。

 後日、不破は焼けた屋敷から地中に埋めた木箱を見つけ出す。
 その中には千代が婚礼に行く時のために用意した金子が入っている。
 千代は「不破の御家再興のために使ってほしい」と言うが、不破は聞き入れない。
 「生活のために使うのではないぞ。夫の大事の時のために使うのだ」と言って金子の入った箱を千代に渡す。

 実に感動的な親子愛だ。


★研究ポイント
 ・戦国時代だから描くことができる恋愛ドラマ、家族ドラマ。
 ・直接的に言わないせりふのうまさ。(千代と一豊の会話、半兵衛と信長、秀吉と信長の会話)
 ・「明日までに城を落とさなければ、女子供を殺す」というカセの与え方。
  これでタイムサスペンスが生まれると共に信長の非情さも描ける。
 ・小道具の使い方。不破の与えた金子がどの様に使われるか興味津々。次を見たくなる。

★追記
 一豊の部下の吉兵衛と新右衛門は役回りとしてはギャグメーカー。
 今回も一豊に「夜のことをどうやるか」を教えるのにどうするかでギャグシーンを作った。
 こういう味付けは楽しい。
 やっているのが、武田鉄矢と前田吟だというのも豪華だ。

★追記
 豪華といえば他のキャストもすごい。
 不破市之丞の津川雅彦はかつて「葵 徳川三代」で徳川家康をやった。
 六平太の香川照之は「利家とまつ」で秀吉。
 家康の西田敏行は「おんな太閤記」で秀吉。
 一豊の母役の佐久間良子は同じく「おんな太閤記」でねね。

 大河ファンには夢の共演だ。
コメント   トラックバック (1)

司馬遼太郎 「関ヶ原」

2006年01月28日 | 小説
 歴史小説家として名高い司馬遼太郎だが、人物造型にもたけている。
 以下は「関ヶ原」島左近の描写。
 
 謎の行動をとる左近に徳川の間者・源蔵が尾行する。
 膏薬陀羅尼助売り、山伏、女行者に姿を変えて。
 だが、左近はそれを察知し、きっかけを作り、源蔵と会話をかわすと同行しようと提案する。
 以下は、共に歩く左近と源蔵の会話。

源蔵「ご雷名はうけたまわっております。旅の空の下ではわれわれ卑賤の修験者がそばにも寄れぬ方でございます。島左近様と申せば、1万5千石のご身上。ご家来衆も連れず、御槍も立てず、御馬も曳かずひとり旅をなさるとはどういうご酔狂でございましょう」
左近「単に癖だ。気にするな。だが、御坊も妙な癖をもっている。船の中では女のまねをしたり、大坂の町中では陀羅尼助の荷を背負ったり」
   正体がばれてうろたえる源蔵。
左近「徳川殿とは風変わりな人だな。そのほうども伊賀甲賀の者を多数扶持されてなにをなさろうとしているのか」
   さらに家康と秀吉を比較して言う。
左近「わしは太閤をべつに好きではない。しかしながら、天性陽気な太閤は伊賀甲賀の忍びなどは使わなかった。そのことで太閤は後世まで人々に好かれ、家康殿は後世まで人柄の暗さを残すであろう」

 非常にかっこいい!
 源蔵に尾行された時「なにやつ?名をなのれ!」と普通に表現したのでは、こんなにキャラクターは立たない。
 軍師・島左近の描写として秀逸だ。
 島左近の秀吉・家康の人物観も会話の中でスムーズに語られている。
 これを地の文で書いたら単なる説明になりつまらない。

 後半、左近はこの源蔵に命を狙われる。
 源蔵は銃で狙撃すべく、左近を待ちかまえていたのだ。
 だが、左近は源蔵の視界に入る前に馬から下りてそれに備える。
 地形が伏兵をうずめるのに絶好な場所だからだ。
「まさかと思うが念のためだ」

 ここで司馬遼太郎は、こう表現する。
「戦術家の資格の第一要件は『まさか』という言葉を使わないことである。ささいなことでも念を入れることであった」

 こうして、左近は銃で狙う源蔵の背後に回り込み、源蔵を斬る。

 作品中には左近の政治観・人生観も描かれる。

 繁栄している大坂を三成は見てこう言う。
「太閤殿下の偉大さがわかるではないか。太閤殿下出ずるにおよんで、群雄を一手に沈め、五畿七道を平定し、この大坂に政都をもうけ、天下の民を安んじた」
 それに対して左近は「いま申されたこと、正気でござるか」と三成に言い、自説を述べる。
「古来、支配者の都府というものに、人が集まるのは当然で、何も大坂に限ったことではござらぬ。利があるから人があつまる。恩を感じてあつまるわけではない」
「大坂が繁盛していると申されるが、それは都心だけのことでござる。郊外二、三里のそとにゆけば、百姓は多年の朝鮮ノ役で難渋し、雨露の漏る家に住み、ぬかを食い、ぼろをまとい、道路に行き倒れて死ぬ者さえござる」

 左近はしっかりした歴史観を持った現実的な政治家なのだ。

 また、自分の人生観を病床の妻に語る。
 左近は家康との戦いで自分が死ぬかも知れないことを妻に語るのだ。
「勝つか負けるかは天と時の運だ。勝てば家康は地上から消え、負ければ、治部少輔どのはむろんのこと、わしは花野(妻の名)のもとを去る」
「男の最大の娯楽といっていい、自分が興るかほろびるかという大ばくちをやることは」
 そして、そんな生き方を妻の父はこう言う。
「おもしろし」


★研究ポイント
 キャラクターの立て方。
 その人物の人生観・政治観をしっかり描くこと。
 人生観・政治観を地文でなく、会話・芝居の中で語る手法。
コメント

推理小説作法 1

2006年01月27日 | エッセイ・評論
「推理小説は、もっと生活をかき込まねばならない。犯罪はどのように行われたかを書くと共に、なぜ行われたかも同じ比重で書くべきである。犯人の動機はわれわれの奥に持っている心理から引き出してもらいたい」
「われわれの日常生活には、心理的な危機がみちみちている。この部分を切り取って拡大してみせることも、これからの推理小説の行く道のひとつの方向であろう」

 松本清張は推理小説をトリック・謎解きのパズルだけでなく、動機に重点を置くべきだと主張している。
 動機を描くことで、その人間の抱える人生や背後に潜む社会悪をえぐり出したいと清張は考えたからだ。

 こうした動機主義の推理小説の対極をなすのが、次のような立場だ。
 つまり……
「動機は金か女か復讐か殺人狂か。そのどれかをできるだけ単純明快に出しておけば事たりた。動機よりも、いかにして前人未踏の新しいトリックを考案し、読者をして五里霧中の境地に遊ばしめるか、そして前人未踏のトリックを考案し解決を与えるかが、作家の苦心の的だった」という立場であり、「読者と作者との知的ゲーム」という立場である。

 シャーロックホームズを描いたドイルはトリック重視、動機はどうでもいいものであった。
 相手の服装や話しぶりを観察して、生地、職業、経歴、悩みまでを当ててしまうホームズはその推理で次のような方法をとっていた。
「ホームズの方法では犯人の意図が無視される。犯人の残したいろいろな気のつかない些細な痕跡から犯人を推理するのであって、犯人の動機、犯罪の意識、計画というようなものは、このような推理にとっては不必要である。このようなものが分かれば分かっただけ役に立つが、分からなくても捜査には差し支えない。かように意図、目的、計画、動機といったものを全部抽象して、単純な連想的推理をつみ重ねていくのが、ホームズの推理の特徴である」

 つまりホームズの方法では、Aという結果が出るために何がなされたかを推理する科学的手法で、そこには動機はほとんど介在していない。

 一方、シムノンのメグレ警部はホームズとは180度違っていた。
 シムノンの立場はこうだ。
「殺人犯人すらも根からの悪人と見ず、生育の途上において、そのようにゆがめられざるを得なかった不幸な人間と見なすのである」
「主人公のメグレ警部は、犯人を捕らえて処罰するよりは、これを理解し、同情しようとする。メグレは人間にたいする深い洞察を身につけた、偉大なヒューマニストなのである」
「かくして、シムノンの推理小説のライトモチーフは一貫して『人間であることのむずかしさ』ということになる」
「メグレの羅針盤は、事件の論理でなくて、熱情の論理である。彼の追う手がかりは、表情、言葉つき、身振りなどである。彼は殺人をひき起こした心理的危機に向かって、読者と共に模索を進めようとする。真実が解明された時、その時は人間の行動を左右する恐るべき圧力も正体を明らかにするのである。犯罪者に対する同情、赦免がもたらされるのが普通である」

 さて、この動機だが、江戸川乱歩はエッセイの中で次のように分類している。

1.感情の犯罪……恋愛、怨恨、復讐、優越感、劣等感、逃避、利他
2.私欲の犯罪……物欲、遺産問題、自己保全、秘密保持
3.異常心理の犯罪……殺人狂、変態心理、犯罪のための犯罪、遊戯的犯罪
4.信念の犯罪……思想、政治、宗教、迷信


                      「推理小説作法」(光文社文庫)
                       大内茂男「動機の心理」より

★研究ポイント
 ホームズの方法とメグレの方法。
 動機のいろいろ。
 推理小説の書き方。
コメント

課長 島耕作

2006年01月26日 | コミック・アニメ・特撮
 「課長 島耕作」のエピソード、Don't Be That Way はこんな話だ。

 初芝のポスターのデザインが他社に盗まれる。
 スペースシャトルを使ったものだ。
 どうやら宣伝会議のコンセプト確定の段階で盗まれたらしいのだが、これで1万部刷ったポスターは使えない。
 島は情報を漏らした社内のスパイを見つける役割を仰せつかる。
 給湯室などに盗聴器を仕掛け、社員のうわさ話を採取するのだ。

 そこで浮かび上がったのが、鳥海赫子という女性社員。
 出入りの印刷会社・陽光印刷の専務の矢部と赫子のポスターに関する会話が収録されていたのだ。(実はこの赫子、島とは不倫関係にあるのだが、ここでは触れない)

 島は矢部の犯罪を確定するため知り合いの探偵に調査を依頼する。
 そして、陽光印刷・矢部がやった証拠と初芝の販売促進部・庭部長の不正を突き止める。
 庭部長の件は、たまたま分かったことだった。
 庭はポスターが使えなくなることを見越して、陽光印刷に半分の5千部しか印刷させず、その差益を自分のものにしていたのだ。
 庭は同じ社内の人間だけに問題は大きい。
 この件を上司の福田部長に報告すると、福田は手を叩いて喜んだ。
 なぜなら、福田は宇佐美常務の派閥に属している人間であり、庭は派閥の違う水野専務派の人間だからだ。
 この不正を役員も出席する本部長会議で告発すれば、水野派の力を弱めることができる。

 そして本部長会議。
 福田は告発し、水野派の力は弱められた。

 常務の宇佐美は大喜びし、島の功績を認める。
 その結果、「今度、(宇佐美)常務がゴルフでもやらんかと言っていたぞ」と福田に言われ、宇佐美の派閥に取り込まれる。そして、出世街道であるニューヨーク転勤を内示される。
 この様な形で派閥に取り込まれることに戸惑う島。
 しかし、出世はしたい。
「やったぞ」と思い、「さっき部長から内示を受けたんだ。凄いだろう。ハハハ」と妻に電話をかけるが、妻は「仕事と家庭とどっちが大事なのよ」と怒り出す。
 その夜がクリスマスイブだったからだ。
 喜びを共有できないことに戸惑う島。
 友人の探偵を呼び出して酒を飲みながら愚痴を言う。
「男は扶養家族のために一生必死に働くんだ。そのくせ女共は家庭を顧みないとか言って亭主を責める。男って何なんだろうな」

 そして、街で偶然見かける。
 クビになった陽光印刷の専務・矢部が小さな娘の手を引いて街を歩く姿を。
 矢部は娘に乞われて、売られていたクリスマスケーキの一番小さいものを買う。
 そのやつれた矢部の姿を見て島は思う。

「会社をクビになったからといって早くも大きなケーキを買う金に困ったというわけでもないだろうが、矢部はいちばん小さいのを買った。家や車のローンを抱え、子供を学校に行かせる金も必要だし、しかも当面収入はないわけで……。そういったモロモロの不安がこの男の背中におおいかぶさってきて、一番小さなケーキを選んだのだ」

 矢部の件があって、島は出世した。
 しかし、矢部は島の告発のために地位を失った。
 かすかに罪の意識を抱く島。
 また、島は出世したが、妻と娘の信用を失った。

 何かを得れば何かを失う。
 島はその人生の苦い真実を噛みしめる。


★研究ポイント
 「喜び」の背後には「哀しみ」があること。
 何かを得れば、何かを失う。
 そんな両面を描くことでドラマは深くなる。
 大人の鑑賞に耐えうるドラマになる。

 陽光印刷の専務のケーキのエピソードを入れたことは秀逸。
 単に妻と子供が怒っているだけの描写では通常のドラマ作りで、これほどの深みは出なかっただろう。
 通常のドラマ作りよりも一歩踏み込んで考えること、他に何か描けないかを考えてみることが作品を他とは違ったものにする。

★追記
 島耕作の女性関係は非常に男性に都合よく描かれている。
 不倫関係にあった赫子は、島の不倫を武器にして事件の告発を押さえることができたがそれを行わない。(理由は「(島のことを)好きになりそうだったから」)
 田代友紀という女性社員と流れで関係を持ってしまったが、友紀は自分から身を引いて他の男と結婚してしまう。
 島にとっては、実に都合のいい女たちだ。

 出世して、しかもモテる。
 「島耕作」は、世のサラリーマンの理想である。
 だからウケた。
 おまけに「人生の苦さ」も描かれているから共感も生まれる。
 うまい作りの作品である。
コメント

松本清張 或る「小倉日記」伝

2006年01月25日 | 短編小説
 森鴎外が小倉に住んでいた時に書いていた「日記」。
 その日記が散逸してしまったため、鴎外の小倉での足跡がわからない。
 田上耕作は、小倉で鴎外がどの様な生活を送っていたかを調べ始める。
 生きている関係者の証言を集めて、小倉での生活を「採取」しようと考えたのだ。
 耕作は幼い頃から体が不自由であった。
 舌がまわらず、顔が曲がりうまくしゃべることができない。
 足をひきずって歩く。
 そんな耕作であったが、この鴎外のことを調べるという目標が決まった時、生活が変わり始める。
 生きる張り合いが出てきて人生が変わり始める。

 夫を亡くした耕作の母ふじは美しく再婚の話もあったが、耕作が嫁ぎ先で疎まれることを心配して再婚の話をすべて断ってきた。
 そして、目標を見つけた耕作に「よかった。耕ちゃん、よかったねえ」と言って応援をする。鴎外の話をする息子の目が輝くのが嬉しくてしようがないのだ。

 だが、耕作の仕事はうまく進まない。
 壁にぶち当たる。
 「このような調査が意味のあるものなのか?」「自分はひどく空しいことに懸命になっているのではないか?」という疑問にかられる。

 耕作は自分を助けて、いろいろ動きまわってくれる看護婦のてる子に恋心を抱く。耕作は葛藤する。
「耕作は自分の醜い身体を少しも意に介しないようなてる子の態度に少なからずたち迷った。耕作はこれまで自分の身体をよく知っていたから、女に特別な気持ちを動かすことはなかった。が、てる子から手を握られ、まるで愛人のように林間を歩いていると、さすがに彼の胸も騒がずにはいられなかった」

 母親のふじもてる子のことを喜んだ。
「てる子の来訪をひとつの意味にとろうとしていた。彼の家に、てる子のような若い美人が遊びに来ることはほとんど破天荒なことだった。ふじはてる子がくると、まるでお姫さまを迎えるように歓待した」
 ふじは耕作に話しかける。
「ねえ、耕ちゃん、てる子さんはお嫁にきてくれるかねえ?」

 結果は耕作の失恋だった。
 てる子は別の男と結婚する。
 てる子を失って、耕作の生きる意味は「小倉時代の鴎外」の調査に集約される。
 だが、調査は思うように進まない。
 こんなことをして意味があるのかという疑問が湧いてくる。

 そして、戦争。
 耕作、親子は窮乏する。
 そして、戦後。 
 インフレが襲い夫の残した家も手放さなくてはならなくなる。
 窮乏は耕作の身体を衰弱させ、彼は仕事を完成できずに死んでいく。
 母親のふじは、耕作の遺骨と風呂敷包みの草稿だけを荷物にして、熊本の遠い親戚の家に引き取られる。

 清張はこの親子の生涯を描いた作品をこう結ぶ。
「昭和二十六年二月、東京で鴎外の「小倉日記」が発見されたのは周知のとおりである。鴎外の子息が、疎開先から持ち帰った反故ばかりはいった箪笥を整理していると、この日記が出てきたのだ。田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない」


 松本清張の「或る『小倉日記』伝」は、「人生の目的の葛藤」と「母親の無償の愛」を描いた名作である。
 だが、実際の田上耕作は、清張が創作した人物とは違っていたようだ。
 作家の阿刀田高氏は実際の田上耕作に関して次のように紹介している。

・田上耕作の没年は昭和二十年。空襲により母と共に死んだ。
・耕作は母ひとり子ひとりの家族ではなく、ふたりの姉がいて、さほど貧しい環境ではなかった。
・田上耕作の病状も清張作品ほどひどくはなかった。
・田上耕作は郷土史家として知られており、鴎外の事跡を調べていたのは事実だが、「小倉日記」の再現だけを目標としていたわけではない。

 この事実をもとに阿刀田氏は、清張の「創作の秘密」について言及している。

「事実を知りながら小説としてすぐれた効果を作るためにイマジネーションを広げ、自分の想いを投影した」

 清張は、田上耕作という素材をもとにして、自分なりの味付けをしてひとつの料理を作り上げたのだ。
 田上耕作の人生に自分の気持ち・モチーフを託したのだ。
 清張が託したものとは「母親の愛」であり、「かならずしも成功者とは言えない弱者」であり、「事実を探求する人」である。

 阿刀田氏はこれを「史実の中に自分のモチーフをすべり込ませる技」と表現している。
 そして、「母親の愛」「弱者への視線」「事実を探求する人」こそが、作家・松本清張そのものであったと書いている。


★研究ポイント
 創作の方法。
 目の前の素材をどう料理するか?
 与えられた素材の中に自分のモチーフを滑り込ませる技。

 では、自分のモチーフとは何か?
 自分は何を描きたいのか?
 小説は事実の羅列ではない。
 事実に何を滑り込ませるかである。

コメント

ライブドア事件

2006年01月24日 | 事件・出来事
「世界一に」疾走暗転 堀江社長逮捕 (朝日新聞) - goo ニュース

 ホリエモンをどうとらえるか、がマスコミを賑わせている。
 とらえるかは「捕らえるか」ではなく「捉えるか」である。

 私たちは、自分と照らし合わせて「ホリエモン」を総括しなければならないだろう。
 それが今後の自分の生き方、生き様に関わる。

 東京地検は「額に汗して働く人」「リストラされて働きたくても働けない人」「儲かるとわかっていても違法なことに手を染めないで仕事をしている人」のために捜査をしていると発表した。

 なるほど、私たちが東京地検の見解を正しいと判断すれば、今後の自分は「額に汗して働くこと」「儲かるとわかっていても違法なことに手を染めないで仕事をしていること」を生き方として選ぶことになる。
 ただし、こういう地味な生き方をすれば、六本木ヒルズでの生活・専用ジェット機・タレントとの浮き名などは遠い夢物語だ。

 雑誌「アエラ」の記事によると、「堀江社長をはじめライブドアの幹部はフジテレビとの喧嘩に勝った時点から、自分は何でも出来ると過信し、謙虚さ・感謝の気持ちを忘れてしまった」と言う。

 なるほど、これで私たちは「謙虚さ・感謝の気持ち」を忘れてしまってはいけないと思う。

 あるワイドショーのコメンテイターはホリエモンを「空」だと言った。
 確かに、「放送と通信の融合」の画期的・具体的なプランは示されなかったし、「郵政民営化」をなぜ支持するのかと聞かれてホリエモンは具体的に答えられなかった。
 こうした言動を見る限りホリエモンは薄っぺらい。
 まさに「空」だ。
 8000億あったという時価総額は、あっという間に3000億になった。
 これも「空」。
 ライブドアの業務の実態は、バーチャルなマネーゲームだった。
 モノやソフトをもとにしたものではなかった。
 これも「空」。

 これで私たちは、企業は、ウソでない本当の実力をつけなくてはならないと思う。

 昨晩から考えていたこと……「ホリエモンをどう捉えるか?」


★研究ポイント
 「ライブドア事件」を私たちはどう総括し、生き方に反映させるか?
 作家はここから何を主張し、表現するか?
コメント

あいのり 1/23

2006年01月24日 | バラエティ・報道
 絵という目標を持ち、服装、食事など自分なりのスタイル・価値観を持っていたスーザンが揺れた。
 しっかり地に足のついているスーザンが揺れた。
 心動かされたのは、ハンガリーの英語教師アンディ。
 3日間限定のあいのり。

 30分の放送で描かれた内容では計り知れないが、3日間でスーザンの自分を現すキイワードである「パッション」を言い当てたアンディとは、やはり相通じるものがあったのだろう。

 そんなふたりに対して心穏やかでないMIE。
 3カ国スーザンと旅しているのに、彼の心に踏み込めない哀しさ。
 その表情は普通の女の子の顔であり、非常にせつない。
 「あいのり」はこうした役者の演技では出来ない表情を見せてくれる。

 「自転車ですれ違った人間が同じ服を着てたのを見た」だけで、その偶然の不思議に心を躍らせてしまうスーザン。

 すごい個性だ。
 こんなキャラクターを作家は描けない。


★研究ポイント
 「あいのり」に新しいドラマの形を感じる。

 ハンガリーで合流した新メンバーにも注目だ。
 ・歌舞伎町でホストをしながら歯医者をしているアウトロー。
 ・プロ雀士の和泉。

 「実際に生きている人間」は「ドラマで描かれている人間」より、すごいし面白い。
コメント   トラックバック (3)