平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

最後の恋の始め方

2008年08月31日 | 洋画
 ヒッチ(ウィル・スミス)は恋愛コンサルタント。
 彼の多くのアドバイスでモテない男の恋愛を成功させてきた。
 現在扱っているのは、さえない男・アルバート(ケヴィン・ジェームズ)のコール財団のセレブ、アレグラ(アンバー・ヴァレッタ)への恋。

★この作品で描かれるヒッチの恋愛アドバイスは次の様なもの。
・彼女の注意を引け!インパクトのある出会いを!
・彼女のことを理解し、彼女のために戦え!
・自分には他の男にはない魅力があるのだと自信を持て!
 男性誌などで一般的に言われていることなので文章にするとイマイチだが、さえない男アルバートの具体例で見せられると、うなずいてしまう。

 またヒッチがアドバイスするキスの仕方はこう。
・デートが終わって彼女を家のドアまで送って行った時、すぐ鍵穴に鍵を入れず鍵を探していたらキスを待ってるサイン。
・キスは男性が90%の距離まで顔を近づけ、女性が残り10%の距離を縮めてくるまで待つ。
 これが現実に当てはまるかどうかはわからないが、練習でヒッチとアルバートが男同士でキスをするシーンなどは笑ってしまう。

★この様に描かれる恋愛テクニック
 しかしテクニックだけでは恋愛は成立しない。
 最後の決め手となるのはやはり『相手を真剣に愛する心』。
 これがこの作品のドラマ部分になっている。

 ヒッチは恋愛の達人でありながら、ゴシップ記事専門の新聞記者・サラ(エヴァ・メンデス)の気持ちを得ることができない。
 それはヒッチが本心をぶつけることに臆病だったからだ。
 ヒッチが身につけた恋愛テクニックもその臆病さを補うためのもの。
 テクニックを使うヒッチのことをサラは詐欺師と思ってしまう。
 恋愛にはインパクトのある出会いや演出が必要だが、『詐欺師』と『恋人』を分かるのはやはり『相手を思う心』だ。
 それはさえない男・アルバートの恋も同じ。
 ヒッチとアルバートは無器用に自分の気持ちをぶつける。

★この物語は『テクニック』と『愛する心』の物語
 さえない男・アルバートはヒッチの『テクニック』を使ってセレブのアレグラとの恋がうまくいくが、うまく行った理由は実はヒッチの『テクニック』ではなく、アルバートがアレグラのことを『真剣に愛していた』から。
 現にアレグラがアルバートのことを好ましいと思った部分はヒッチが行ったアドバイスとは違った部分だった。←この作劇はうまい。
 『テクニック』はアルバートに積極的行動をさせるためのきっかけだったのだ。(ヒッチのコーチがなければアルバートはアレグラのことをただ遠くから見ていただけだろう)


 それにしてもアメリカの恋愛映画はおしゃれですね。
 無器用な恋愛を描いていてもジメジメしない。


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正義の味方 第8話

2008年08月29日 | ホームドラマ
★遊び心
 この作品は遊び心に溢れているから好きだ。
 今回の圧巻は、美恵子(吉行和子)叔母様が車椅子から立つ所。
 「アルプスの少女ハイジ」そして「2001年宇宙の旅」。
 美恵子が立つシーンの曲は「ツァラストラはかく語りき」。
 「2001年宇宙の旅」で猿が立ち上がり道具を使うことを覚えるシーンで使われているのと同じ曲。
 遊んでいますね。

 その他にもディティルに遊びがいっぱい。
・毎回必ず出る熊アイテム。今回はかき氷を作る器械。
・ものほし台には『鉄男』の五郎(佐野史郎)らしく電車のつり革が掛かっている。
・嫌みを言われたら「微笑み返し」

★ジャンボとは何者か?
 ジャンボ(入江甚儀)の立ち位置もシュールだ。
 容子(志田未来)の家の事情に通じているくせにほとんど存在を認められていない。
 容子の隣に住んでいる幼なじみなら1話ぐらいを割いて描かれてもいいくらいだが、ずっとこの扱い。毎回30秒の出演。
 しかし短い出演ながらジャンボというキャラクターは着実に浸透している。
・乙女座でオカマのうわさがある。
・勉強は出来るらしく容子の宿題を手伝ったこともあるらしい。
・水泳は潜水が得意。
・体がそんなに大きくないのに”ジャンボ”!どうして?
 すごい立ち位置のキャラだ。

 この作品はマニアックに楽しめる。
 個人的には知佳(西内まりや)のスカートがなぜ毎回長いのかが気にかかる。

★それにしても……
 容子って使える女の子ですね。
 勉強はできないけれど、現実対応能力は抜群。
 法事の準備も滞りなく出来るし、似顔絵も上手い。
 法事列席者のプロフィールも調べ上げてるし、将来探偵としてやっていけますよ。
 葬儀社さん、似顔絵描きも出来るかもしれない。
 すべて槙子(山田優)のおかげ。

 しかしチキンハート。
 美恵子叔母様に挨拶する時はメチャクチャ緊張。
 それが可愛い。
 さて容子の恋はどうなるか?

 嫁姑戦争は美恵子という後ろ盾がついて今回で決着がついた様です。


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スターリングラード

2008年08月27日 | 洋画
 この作品はスターリングラード攻防戦を描いたエンタテインメントだが、『戦争』についてのいくつかの示唆がある。

★ひとつは戦争には『英雄』が必要だということ
 青年ヴァシリ・ザイツェフ(ジュード・ロウ)は羊飼い。
 そして射撃の名手。
 共産党の青年将校ダニロフ(ジョセフ・ファインズ)は兵士の士気を高めるため、ヴァシリを『英雄』に仕立て上げる。
 ドイツの将校を次々と狙撃していく彼のことを新聞で伝えるのだ。
 「今日は5人、昨日は6人狙撃。彼はソヴィエトの英雄だ」
 国民を戦争に駆り立てるには国家統制も必要だが、こうした英雄譚も必要。
 それで人々は希望を持てる。自分もそうなりたいと思う様になる。

 この作品はそんな戦争の一面を切り取って見事なエンタテインメントに仕上げた。
 英雄となったヴァシリを倒すためにドイツ軍きっての狙撃の名手ケーニッヒ少佐(エド・ハリス)が送り込まれるのだ。
 ヴァシリは撃たれればソヴィエトの士気を低下させることが出来る。
 ヴァシリVSケーニッヒ少佐。

 英雄に祭り上げられたヴァシリがそのために命の危険にさらされる。
 これも戦争の悲劇、そして喜劇だろう。

★銃を持たずに突撃
 これも戦争の喜劇。
 ソヴィエトは銃が足りなかったのだろうか、突撃にあたりこんな指示が出される。
 「銃を支給されなかった者は銃を持っている者が撃たれたら、その銃を使って闘え」
 武器を持たずに突撃させられるのだ。
 しかも撃たれて死んだ者の銃を使えと言われる。

 非合理がまかり通るのが戦場。
 やはり異常な状況だ。
 スターリングラードを死守する理由も指導者スターリンの名がついた街だったかららしい。

★ラストはアメリカ映画
 スターリングラードの攻防戦が終わり生き残ったヴァシリ。
 仲間を失って虚しさにとらわれるが、何と死んだと思っていた愛するレジスタンスの女兵士ターニャ(レイチェル・ワイズ)が生きていた。
 恋人の再会。ハッピーエンドだ。
 この作品は合作らしいが、このラストはアメリカ映画らしい。
 日本映画「男たちの大和」では主人公の恋人は広島の原爆に遭って命を落とした。
 戦争の虚しさ、悲惨を伝えるためには後者の方が有効だと思うがどうだろうか?


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悪魔を憐れむ歌 エミリー・ローズ

2008年08月26日 | 洋画
★「悪魔を憐れむ歌」
 連続殺人事件。
 犯人は毒を盛り殺害すると胸に文字を書く。
 犯人はリース(エリアス・コーティアス)。
 彼は敏腕刑事のジョン・ホブス(デンゼル・ワシントン)によって逮捕され、死刑になるが、「俺は戻ってくる」という不気味な言葉を言い残す。
 そして数日後、毒を盛り胸に文字を書く同様の殺人事件が起こる。
 ホブスは模倣犯の仕業として事件を追うが……。

 推理ドラマとオカルトが融合した作品。
 この連続殺人事件を模倣犯(コピーキャット)の事件としても描くことが出来るが、敢えてオカルト要素を持ってきた。

 この連続殺人事件を行っているのは悪魔のアザゼル。
 人の体に乗り移って自由に操ることが出来る。
 アザゼルは自分の存在に気づき始めたホブスを葬り去るために、殺人事件を起こしホブスを犯人に仕立て上げようとする。
 ホブスとアザゼルの戦い。
 ローリング・ストーンズの名曲「Time Is On My Side」が効果的に使われている。

 推理ドラマ×オカルト
 この作品は違ったジャンルのものを掛け合わせることで新しいストーリーが生まれることを教えてくれる。

★「エミリー・ローズ」
 もうひとつオカルトと掛け合わせた作品「エミリー・ローズ」。
 これは法廷ドラマ×オカルト。
 実際にあったエクソシスト裁判をモチーフにしているらしいが切り口がいい。

 物語は次の様なもの。
 神父による悪魔払いを受けた女子大生エミリー(ジェニファー・カーペンター)が死亡し、過失致死罪で起訴された神父ムーア(トム・ウィルキンソン)は法廷で裁かれることに。
 原告の検事は「ムーア神父が精神病の治療をやめさせ、悪魔払いの儀式を行わなければエミリーは助かっていた」と主張し、弁護側は「悪魔は確かにいて精神病の治療は悪魔払いにマイナスでしかなかった」と主張する。

 ここで描かれる対立は、エミリーは悪魔に取り憑かれたのか?精神病だったのか?という対立だ。
 科学の時代の常識で考えれば「精神病」の判断が正しいのだろうが、見ているうちに「本当にそうなのか?今の科学は万能で正しいのか?」と思えてくる。
 例えば今の科学とは別の科学体系があってもいい。
 錬金術や魔術は荒唐無稽なものとして打ち捨てられてきたが、錬金術や魔術から生み出される別の体系の可能性も考えられる。
 人間の脳はまだ一部しか使われていないというのだから。
 また普段我々は目に見えるものを正しいと思うけれど、目に見えないものについても考えてみるべきではないか?
 そんなことをこの作品は考えさせてくれる。
 
 テーマが逸れてしまったが、推理ドラマ×オカルト、法廷ドラマ×オカルト、異質なものを掛け合わせることで新しい物語が誕生する。


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篤姫 第34回「公家と武家」

2008年08月25日 | 大河ドラマ・時代劇
★じわじわと見せる対立図式
 今回は「公家と武家」、その対立図式を見事に見せていますね。
 まずは扇で顔を隠す和宮(堀北真希)。
 次に江戸城に入った和宮が見る葵の紋が入った調度品。
 将軍・家茂(松田翔太)との対面前では「上様が位負けしないか」と不安の描写を入れる。
 そして家茂の対面が無事に終わり、天璋院(宮崎あおい)との対面。

 小道具などを使ってじわじわと対立図式を見せていき、天璋院との対面がどうなるかとヤキモキさせる。
 うまい盛り上げ方。

★天璋院の立ち位置
 そして天璋院との対面で表面化し爆発する対立。
 上座、下座の問題。敷物なしの問題。
 武家のしきたりか?御所ふうか?
 そして『天璋院へ』と呼び捨ての証文。
 滝山(稲森いずみ)などは「それ以前の礼節の根本の問題」と怒る。

 公家と武家。
 ここで問題なのは天璋院の立ち位置だ。
 「何という無礼な」と天璋院が怒ってしまっては主人公でなくなってしまう。
 天璋院は悪口を言う武家方の侍女たちに言う。
 「悪口を言って気が済んだか?いがみ合っていては何も生まれない」
 優等生的発言だが、こう言わなくてはならないのが大河ドラマの主人公。
 侍女といっしょに悪口を言っていてはダメ。
 滝山と同じレベルでもダメ。
 大河ドラマの主人公は公明正大で大きな人間でなければならないのだ。

★対決・第2ラウンド
 このドラマのパターンとして天璋院は対立する人物のもとに行って対決する。
 和宮との対決・第1ラウンドは上座・下座問題で大混乱。
 さて第2ラウンドで天璋院がどう解決するかは今回最大の見せ場。

 まず天璋院は先日の上座・下座、敷物の件を謝る。
 これは単なる謝罪で終わらない。
 武家が公家に頭を下げたこと。幕府が朝廷に頭を下げたこと。
 つまり幕府の権威の失墜に繋がる。
 そんな背景のある謝罪。

 篤姫らしいとも言えるこの謝罪だが、彼女も大きく成長した。
 謝罪した後で「しかしながら……」とつけ加える。
 以前の篤姫なら出来なかった対応。
 「しかしながら……」の後に言ったことは「徳川家に嫁いだのなら武家も公家もなく徳川家のことを第一に考えるべき」という主張。
 それはかつての自分がたどり着いた結論。
 うまいですね。
 かつての自分がたどり着いた結論だけに説得力がある。
 視聴者も知っている。
 それは同じ境遇にある和宮の心にも届いた様だ。

 また天璋院は下の者に対して威を示すことも忘れない。
 和宮に嫁としての心得を説いた天璋院に文句を言おうとする庭田嗣子(中村メイコ)を一喝!
 「控えよ!」
 そして議論をするのではなく論点をはずして
 「何とも素敵な御髪でございますね?」と言う。
 これでは論争にならない。

 天璋院は於一から比べると大きく成長しましたね。
 したたかにもなった。
 大河ドラマの人物は偉くなってしまうと<嫌な人間>として描かれることが多いが、天璋院の場合はそれを感じさせない。
 凛とした格好良さだけが際立つ。
 見事な人物造型です。


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星野ジャパン敗北の理由

2008年08月24日 | スポーツ
国際試合の厳しさ痛感=力不足認める闘将、星野監督〔五輪・野球〕(時事通信) - goo ニュース

 金メダルをとった女子ソフトボールと星野ジャパンを比べてみる。

★中心選手の不在
 女子ソフトボールでは上野投手がいた。
 彼女の力投にナインも応えようと思う。
 打撃と守備で返そうと思う。
 そこに熱い相乗効果が生まれる。
 一方、星野ジャパンはシステマチックな継投。
 ある意味プロ野球。
 結果論になるがソフトボールの上野投手の様な騒擾効果は望めない。

 星野ジャパンにはみんなを引っ張っていく中心選手がいなかった。
 熱いプレーで皆に勇気と力を与える存在。
 女子ソフトの場合は上野選手。
 WBCではイチローがいた。
 星野ジャパンのキャプテンは宮本慎也選手だそうだが、試合に出なければ皆を引っ張れない。(これは宮本選手の問題でなく、試合に出ない選手をキャプテンに据えた首脳陣の問題)

★何のために戦うか?
 星野監督の口からは「日の丸、日の丸」という言葉がよく聞かれた。
 でも『日の丸』というのは結構抽象的で共感しにくいもの。
 選手たちにしてみてもオリンピックが終わってしまってシーズンに戻れば、意識からなくなってしまう概念。

 一方、女子ソフトボールの選手たちは何のために戦ったか?
・仲間のため
・中学などでソフトボールをやっている後輩選手のため
・宇津木元監督のため
・アキレス腱を切って出場できなかった選手のため
 『日の丸』という意識はあっただろうが、むしろこれらの『人』のためという意識の方が強い。
 『日の丸』という抽象概念と『人』とではどちらがパワーを発揮するかと言えば具体的で身近な『人』であろう。
 普段馴染みのない抽象概念では劣勢にまわった時、気持ちは折れてしまう。
 「試合が終わって仲間やお世話になった人と抱き合いたい」「喜びを分かち合いたい」と思う方が気持ちとしては断然強い。

 報道で知る範囲での論評だが、この両者を見てこんなことを考えた。


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ゾンビ

2008年08月23日 | 洋画
★画期的なモンスター・ゾンビ
 ゾンビっていうのはすごいモンスターですね。
・動きが遅い
・思考能力がなく道具も使えない
・あるのは人間を食べるという本能のみ
 
 人間を食べるというのは怖いが、その他は圧倒的に人間の方が強い。
 モンスターの方が強いという常識をくつがえしたのがゾンビの画期的なこと。

 しかし観客は見ているうちにゾンビの秘められた怖ろしさに気づいていく。
 まずは集団、数の怖ろしさ。
 倒しても倒しても増殖してくる存在の怖さ。
 そして思考がないことの怖さ。
 怒りとか憎しみとかももちろん怖いけど、相手が無思考というのは逆に不気味だ。
 怒りとか憎しみなら自分と照らし合わせてまだ理解の余地があるけれど、無思考というのは……。

 ゾンビはファシズムの暗喩なのだろうか?
 ファシズム期の人間は基本的に同一思考。
 個人が思考するということが許されない。
 そして圧倒的集団。
 別のことを考える個人がいたらたちまち排除される。

 この様にゾンビは実に奥深いモンスターなのだ。

★物語も奥深い
 物語の主人公はデパートに閉じこめられた男女。
 彼らはゾンビと戦うために武器・食料を確保し、デパートのドアを閉じて要塞を作る。
 テレビゲームで言えば、戦うためのアイテム探しだ。
 ここは物語としてはRPG。
 強い武器を求めてモンスターのいるダンジョンに入るゲームのキャラクターたちの様に主人公達はゾンビのいるデパートに潜入して武器を確保する。

 そして安全を得た主人公達は次にどんな行動をするか?
 ありあまるデパートの物資で贅沢な生活を始めるのだ。
 好きな洋服を着て化粧をする。
 豪華なワインで食事。
 あまりに暇を持てあました彼らは、壁の塗り替えやヘリコプターの操縦練習なども始める。
 ここは人間というものをよく描き出している。
 恐怖の時が過ぎ、安全が得られるとよりよい生活を考える。
 よりよい生活が得られると退屈を感じるようになる。
 まさに人間だ。
 ホラー映画でありながら、こんな人間像を描き出した所にこの作品の偉大さがある。

 そしてクライマックス。
 主人公達の生活は何によって壊されるか?
 人間だ。
 ゾンビではない。
 他の土地からやってきた強盗団の人間が「俺達にもいい思いをさせろ」とデパートに乗り込んでくる。
 主人公達と戦いが始まるが、戦いの中でゾンビの大群が襲ってきて……。

 人間によってふたたび生命の危機が襲って来るという皮肉。
 この作品は実に奥が深い。


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ソフトボール・金メダルで考えたこと

2008年08月22日 | スポーツ
五輪=ソフトボール日本代表、上野の気迫の連投で悲願の金(ロイター) - goo ニュース

 熱戦でした!
 金メダルはもちろん素晴らしかったが、もっとよかったのが試合後。
 日本、アメリカ、オーストラリアの選手がボールで2016の数字を作り、2016年オリンピックでのソフトボール復活をアピールしたこと。
 闘い争っていたチームが試合後ひとつになる。
 これぞスポーツの醍醐味。
 オリンピックの意味。
 
 ソフトボールが復活するためにはアフリカなど他の大陸の国々が参加することだそうだが、ぜひ広めてほしい。
 これが文化交流。
 その過程で友情が生まれる。相互理解が生まれる。
 これがスポーツなどの文化の力。

 現代日本は個人の時代。
 ひとりひとりがバラバラでどこかで連帯を求めている。
 ひとりが極端になると秋葉原の事件となる。
 オリンピックやワールドカップは、バラバラな個人が一体になれるイベント。
 日本という国を感じさせてもくれる。
 ナショナリズムは戦争やテロで感じるのではなく、オリンピックなどで感じてほしいですね。

 武器や兵器を持つよりはバットやボールを持つ時代。
 戦争でたくさん人を殺した人がヒーローになるよりは上野投手がヒーローになる時代。
 そんな時代の方が健全だ。
 
 秋葉原の加藤容疑者は上野投手の力投を見て何を思うのであろう?
 「自分とは違う」と思ってひがむのかな?
 だが少なくとも心を揺さぶる何かは感じたはずだ。

※追記
 オリンピックと政治の問題。
 オリンピックは国を意識するイベントだが、国威発揚に利用されるオリンピックはよろしくない。


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正義の味方 第7話

2008年08月21日 | ホームドラマ
 <槙子に虐げられる容子>という図式を手を変え品を変え見せてくれるこの作品。
 そのアイデアの豊富さには頭が下がります。

 さて今回は嫁姑戦争。
 槙子(山田優)と良川の母(山口いづみ)との間で振りまわされる容子(志田未来)。
 容子は平和主義者なんですね。
 両方から買収されるという利益も得たが、何とか両者を仲良くさせようとする。
 世の中、間に入って調整する人間が一番大変。
 サラリーマンのお父さんたちは容子に共感するのでは?
 
 そして事態はさらにフクザツになる。
 この両者の戦争に槙子(田中好子)の母と良川の父(平泉成)も参戦。
 槙子の母は漬け物戦争。
 良川の父は「書」のことで「聞きたいことがある」。

 これらを丸く収めようとする容子はたくましくなるよ。
 現に容子は姉譲りの機転をきかせて不良にからまれてる知佳(西内まりや)を助けた。
 「不良なんかお姉ちゃんに比べたら」と語る容子は不良など物ともしない。

 逆境こそ人間を鍛える。

 容子を「三国志」に例えても面白い。
 『天下三分の計』
 槙子と良川の母という二大勢力の中で重要な位置を占める容子。
 容子がどちらにつくかで勢力バランスが変わってくる。
 この緊張感。
 
 結局ドラマは<戦い>なんですね。
 医療ドラマでは病気と戦うし、刑事ドラマでは犯人と戦う。
 ホームドラマでは嫁姑、夫の実家と妻の実家。
 容子や槙子の様にドラマの主人公は戦わなければならない。

 それにしても良川さん(向井理)はいい人。
 ちょっと甘すぎる気もするけど。
 そして男は母親より嫁の味方になる。
 母親は哀しい。
 良川さんは槙子の本性を本当は理解してるのかな?それとも完全に騙されているのか?
 その辺も気になる。


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ALLDAYS 二丁目の朝日

2008年08月20日 | 邦画
 ゲイの街、新宿二丁目が誕生するまでの物語。
 タイトルは「ALLDAYS 二丁目の朝日」。

 素材といい、タイトルといい面白いんだけど(「三丁目の夕日」と間違えてDVDを借りた人は絶対いるはず)、内容としてはイマイチ。
 主人公のマサオ(三浦涼介)の心情描写が描かれていないからだ。

 自分の性に違和感を感じているマサオ。
 戦災孤児でストリップ一座でコントをやっている。
 そこへやって来る家出娘の踊り子サトコ(谷桃子)。
 サトコはマサオのことが好きになるが……。
 ここが第一のドラマポイント。
 ここでサトコのことが好きだけど抱けない葛藤を描かなければ。
 ここは「仮面の告白」にしなければならない。
 
 物語はさらに続く。
 ゲイの迫害。
 八百屋のセイさんはゲイであることがバレてまわりから迫害される。
 マサオはそんなセイさんを応援するが……。
 ここが第二のドラマポイント。
 セイさんと仲良くしているのを一座の親方に見られてお前はゲイかと聞かれる。
 そこでマサオは「違う」と答える。
 その返事はいいのだが、ここでもっとマサオに葛藤させないとドラマにならない。
 保身のためにセイさんを裏切っていいのか?自分を偽っていいのか?
 そんな葛藤描写があっさりしているため、セイさんを裏切った罪の意識が伝わって来ない。

 ドラマは単にストーリーを描けばいいものではない。
 例えば「三丁目の夕日」では茶川先生は、淳之介を受け入れるか拒絶するかで常に葛藤している。

 物語はさらに進む。
 セイさんと恋人のヤクザとのダイナマイト心中を見て、愛に生きる凄まじさを知った(←これの描写も足りないが)マサオは子供の頃自分にキスをした兵隊・前田太郎探しをする。
 マサオは前田のことが忘れられなかったのだ。
 だが前田がいるという当時の新宿二丁目は公娼廃止運動で争いが起きている場所。
 それに巻き込まれるマサオだが、ここで前田太郎探しは頓挫してしまう。
 おまけに公娼廃止運動にサトコが加わっていて、サトコはストリップ一座で仲間だったヒロシに犯されて、彼の子を身ごもっていて……という展開。
 まあ、そこまでは許容範囲として、さらに一年後サトコの産んだ子をめぐって前田太郎がヒロシに刺されて、怒ったサトコにヒロシが刺されるという事件が起きてしまう。
 これはいただけない。
 ストーリーのご都合主義にも程がある。
 そこに至る心情描写がしっかり描かれていればまだいい。
 だが、それがカットされている。
 マサオがゲイだと知った時のサトコのリアクションとかを見たかったな。
 絶対ドラマになったのに。

 残念な作品でした。
 いっそのこと「三丁目の夕日」のパロディに徹すればよかったのに。

 
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