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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

べらぼう 第29回「江戸生蔦屋仇討」~俺のできる仇討ちは佐野の奪ったおまえの笑顔を取り戻すことなんだよ

2025年08月04日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は実験的なエピソード。
 作家としては〝実際の創作の過程〟と〝作品の内容を具体的に描くこと〟を
 やってみたかったのだろう。

〝実際の創作の過程〟では──
・編集者・蔦重(横浜流星)のダメ出し
・拗ねる作家・山東京伝(古川雄大)
・編集者のアイデア提示で創作意欲が湧いてくる作家
 が描かれた。
 その過程で恋川春町(岡山天音)、喜三二(尾美としのり)、あるいは鶴屋喜右衛門(風間俊介)が
 協力する所がいい話。
「何かお手伝いすることはありますか?」
「おまえはこちら側の者だ」
「これから吉原に来る出そうぜ」
 友情で結ばれた仲間たち。
 喜三二は相変わらず遊び人だけど。
 鶴屋喜右衛門もすっかり蔦重の仲間になった。

〝作品の内容を具体的に描くこと〟ではオールキャストに拠る劇中劇!
 浮き名を残すために奮闘する若旦那を描いた。
 これの意図する所は、
 家名を残すために刃傷に及んだ佐野政言(矢野悠馬)を笑い飛ばすこと。
〝浮き名〟のために奮闘する若旦那と〝家名〟のために事に及んだ佐野政事は同じではないか?
 と問いかけた。
 いわゆる隠喩だ。
 とはいえ、これだけではわかりづらいので、若旦那の名前を「仇気屋艶二郎」に変えた。

 この隠喩が江戸の人たちにどこまで伝わったかはわからないが、作品は大ヒット!
 いつの間にか佐野政言は庶民の口の端にのぼらなくなった。
 これで佐野政言は神様ではなくなった。

 そして誰袖(福原遥)が笑った。
「俺のできる仇討ちは佐野の奪ったおまえの笑顔を取り戻すことなんだよ」
 憑きものが落ちていつもの自分に戻る誰袖。
 自死しようとするが怖くてできなかった自分の弱さも吐露。
 でも、これが人間だ。
 誰袖の弱さも含めて意知(宮沢氷魚)は受け入れてくれるだろう。

 江戸城でも蝦夷の揚げ地が成って、仇討ち完了?
 だが一橋治済(生田斗真)はしたたかだ。
 異を唱えず揚げ地に乗った。
 治済は遠まわりしたり引くことを厭わない。
 じっくり待つこともできる。
 それでいて着実に歩を進めている。

 一橋治済の権力への執着は凄まじい。
 佐野政言や誰袖のように執着は人の心を壊すが、治済は壊れない。

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べらぼう 第28回「佐野世直大明神」~俺は筆より重いもんは持ちつけてねえんで

2025年07月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 刃傷(にんじょう)に及んだ佐野政言(矢本悠馬)が善になり、
 幕府と民の経済を立て直そうとした田沼が悪となる。
 米の値段を下げる働きをしたのは意知(宮沢氷魚)なのに、世間は──
「佐野様が田沼様の息子を斬ったから米の値段が下がった」
 世間の価値観・正義とはこのように非合理な論理によってくるくる変わる。
 今回のように情報操作されて、意図的に仕込まれる場合もあるから、
 現代に生きるわれわれも十分に注意しなければならない。

「俺は筆より重いもんは持ちつけてねえんで」
 蔦重(横浜流星)、そして田沼意次(渡辺謙)の仇討ちの仕方は違っていた。
 意次は蝦夷開発を実現して、意知の名を後世まで残すことで仇討ちをしようとした。
 蔦重も誰袖(福原遥)がふたたび笑顔になることで仇を討つことを考えた。
 なぜなら誰袖がふたたび笑うことは意知の願いであるから。
「暴力には暴力を」という発想が蔦重と意次にはない。
 そんな彼らの姿勢と現代を比べてみれば、現在の世界はイスラエル・ガザ、イスラエル・イラン、インド・パキスタン──〝暴力の連鎖〟の社会。

 脚本の森下佳子さん、以上のような現代のテーマを踏まえて今作を書かれている。
 ………………………………

 正義についてはもうひとつ。
 庶民の気持ちを代弁したふく(小野花梨)の言葉が印象的だった。
 絶対的な飢えを経験したふくは、結果として米をもたらした佐野を拝みたいという気持ちはわかる、と語る。
 これを聞いた〝田沼びいき〟の蔦重は「ためになりまさぁ」
 蔦重は柔軟だ。
 反対意見を素直に聞いて理解する度量もある。

 意知の葬列に石がぶつけられるシーンは衝撃だった。
 暴動は一個の石を投げることで始まるんですね。
 それだけ庶民の不満がたまっていたということなのだが、
 戯作を読んで笑って不満を解消する時代ではなくなって来たのかもしれない。

 神様も簡単につくられる。
「佐野世直大明神」
 政事は自分が神として拝まれることを予想していなかったと思うが、
 切腹の際、何を考えていたのだろう?
 彼の中で佐野家の桜は咲いたのか?
 満足のいく死だったのか?
 その判断は視聴者に委ねられた。

 意次が語った「志は誰かの心の中に生き続ける」
 これは確か平賀源内(安田顕)が言った言葉でしたね。
〝源内の志〟〝意知の志〟はしっかり蔦重に受け継がれている。
 今作を貫くモチーフなのだろう。

 てい(橋本愛)は美しい。
 録画や再放送で、三浦庄司(原田泰造)を送り出す時の所作をぜひ見て下さい。
 そして意次の書状を読んでいる蔦重の後ろにいきなり現われて口止めされると、
「心得ております。お口は巾着で」
 ここのおていさんはかわいい。
 おていさんがどんどん魅力的な人物になっている。


※関連動画
 土曜スタジオ 橋本愛(YouTube)
 橋本愛さんが、おていさんについて語っています。

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べらぼう 第27回「願わくば花の下にて春死なん」~かくして佐野政言は凶行に及んだ……

2025年07月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 一週間遅れのレビュー。
 ひとりの人間がいかにしてテロリストになったかを丹念に描いていた。

 佐野政言(矢本悠馬)は鬱屈した人間だ。
 出世ラインから外れ、自ら道を拓く才覚や機転がない。
 家の再興を切望する父親のプレッシャー。
 ダメな自分、父親の期待に応えられない自分、八方塞がりでどうしていいかわからない。

 こういう時、人はどう振る舞えばいいのか?

 ひとつはダメな自分を笑い飛ばす。
 戯作者や狂歌師の姿勢だ。
 屁をこいて、遊びに一生懸命になり、自分を含めて世の中のすべてを笑い飛ばす。

 ふたつめは自分を責める。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ! 自分は社会不適合者だ。
 これの行き着く先は自死……。
 こうなる前に戯作者・狂歌師の姿勢をぜひ身につけてほしい。

 そして三つ目。
 上手く行かない理由を外に求める。
 自分が上手く行かないのは社会のせいだ。あいつのせいだ。
 佐野政言はこの状態に陥ってしまった。
 その時、目に入ったのは田沼意知(宮沢氷魚)。
「米の値段が下がらないのは田沼のせい」
「田沼は米騒動で暴利を貪っている」
「現に意知は花魁を身請けしようとしている」
「田沼は元々佐野の家臣だったのに無視して家系図もなかったことにした」
「鷹狩りの時は自分を出汁にして上様の株をあげた」
「自分は意知に利用された」
「自分が上手く行かないのは田沼のせいだ。意知のせいだ」
「悪の田沼、討つべし! 正義は自分にある!」

 かくしてテロリストが誕生した。
 そんな佐野政言は一橋治済(生田斗真)に踊らされていることを知らない。

 見事な作劇ですね。
 上に書いたような心理描写を、政言のせりふで語っていない。
 出来事と芝居の中で描いている。

〝枯れた佐野家の桜〟と〝満開の田沼の桜〟が政言の心理を表わす小道具になっている。
 凶行シーンも、満開の桜を見て幸せを願う誰袖(福原遥)と蔦重(横浜流星)のシーンとカットバック。

 語り口が見事で良質な短編時代小説を読んでいるようなエピソードだった。
 …………………………

 その他の部分では有能なおていさん(橋本愛)。
 蔦重に「一挙五得」というアドバイスをした。
 おていのようなアドバイスをできなかった歌麿(染谷将太)は少し寂しそうだった。

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べらぼう 第26回「三人の女」~おていさんは俺が、俺のためだけに目利きした、俺のたったひとりの女房でさ

2025年07月07日 | 大河ドラマ・時代劇
 神回でしたね!
 てい(橋本愛)の蔦重(横浜流星)に対する心の動きはこのような感じだ。

・戯作者、絵師などさまざまな人物が店に訪ねて来る。
 この人のまわりには人が集まっている。この人は決して人を拒まない。 
・見事なセールストーク
 本当の商人というのはこういう人のことを言うのだろう。
・米騒動の打開策として狂歌本でめでたい気持ちをつくる。
 てい、いはく「本当によく思いつきますよね?」
・幕府の偉い方が意見を聞きに来る。
 この人は測りしれない。何という人なのだろう?

 ていは感服する。
 蔦重は非常に有能で自分にはないものをたくさん持っている。
〝品の系図〟を作るという自分の提案を受け入れ、自分に任せてくれた。

 これで、ていは蔦重のビジネスパートナーとして歩んで行くんだな、めでたしめでたし、と思ったが、次の展開は違っていた。
 品の系図を仕上げると、何とていは出家するために寺に向かった。
 理由は──
「江戸一の利き者の妻はわたくしに務まらない」
「わたくしは石頭のつまらぬ女です。もっと才たけた女性の方がふさわしい」
 ていの劣等感は根深くて、自己評価はあまりにも低かった。
 なるほど、ていはそういう人物なのか。
 完全に見誤っていた。
 まだまだ読解力の修行が足りない。

 そしてドラマ。
「それは随分な言い草ですね。あんたは江戸一の利き者だ。
 けど、女房の目利きだけはしくじった。おていさんはそう言いてえんですね?」
 蔦重はていを高く評価していて全面的に肯定した。
 ていにとっては意外なことで驚きであっただろう。
 心の底からじわじわと嬉しさが込み上げて来たのかもしれない。
 蔦重はさらに続ける。
「出会っちまったって思ったんでさ。
 俺と同じ考えで、同じつらさを味わって来た人がいたんだって。
 この人なら、この先山があっても谷があっても一緒に歩いてくれるんじゃねえか、いや、一緒に歩きてえって。
 おていさんは俺が、俺のためだけに目利きした、俺のたったひとりの女房でさ」
 これで、ていは心の奥底で蔦重と繋がった。
 頑なな心が溶けた。
 そして最強の夫婦が誕生した。

 見事な恋愛シーンでした。
 いったんていの出家という形で谷に落として、それから一気に山に駆け上った。
 考えてみると、ていは蔦重にいろいろなものを与えているんですよね。
 品の系図もそうだが、蔦重とその母つよ(高岡早紀)の関係修復の仲立ちもしてくれた。
 これからもたくさんのものを与えていくのだろう。
 ………………………………………

 一方、歌麿(染谷将太)。
 おそらく歌麿はていが蔦重の最高のパートナーになることに気づいていたのだろう。
 そうなればパートナーとしての自分の居場所はなくなる。
 だから出て行こうとした。
 そして……。
「よかったな、蔦重……」
 そして、
「女に生まれたかった」

 江戸城パートはますます不穏に。
 松前廣年(ひょうろく)、佐野政言(矢本悠馬)が恨みを募らせ、一橋治済(生田斗真)は何かを企んでいる様子。
 あと米不足・米騒動については田沼意次(渡辺謙)が推進した貨幣経済、商品経済がもたらした結果でもある。

※次回のレビューは海外に行くため遅くなります。
 
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べらぼう 第25回「灰の雨降る日本橋」~陶朱公の女房になりませんか?

2025年06月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 蔦重(横浜流星)とてい(橋本愛)が結婚。
 意外と早かったな。

 噴火の灰の対応で、ていの蔦重の評価に対する評価が変わったことが大きい。
 以前は「吉原者」~忌み嫌うべきもの。
 現在は「陶朱公」~移り住んだ土地を富み栄えさせるもの。

 聡明なていは自分にはない蔦重の才覚を評価した。
 自分には居場所がないと考えて出家しようとした。

 こんなていに対し蔦重は利を説いた。
「俺には自分にはこんな大きな店を切り盛りした経験がないから手を貸してほしい」
「人づき合いは得意だが学のない男と人づき合いは苦手だが学のある女」
 ふたりが組めば最強になる。

 ていを口説くには利を説くことが有効なのだ。
 もちろんこの蔦重の言葉の裏には〝やさしさ〟がある。
 蔦重はこう考えたのだろう。
 ていは生まれ育ったこの店にまだ未練があるに違いない。
 現実に負けて去って行くていを放っておけない。

 ていも蔦重の裏の気持ちを理解しているからこう答える。
「日本橋では〝みせ〟ではなく〝たな〟、〝俺〟ではなく〝わたし〟」

 上手いせりふですね。
「よろしくお願いします」「手を貸しましょう」では興ざめだ。
〝陶朱公〟を持って来た所も、ていのキャラクターに合っている。
 ……………………………………………

 誰袖(福原遥)と田沼意知(宮沢氷魚)──もうひとつの男女関係も進展。

〝西行は花のもとにて死なんとか、われ、袖のもとにて死にたし〟

 歌に託した意知の告白だ。
 好いた女子に間者のようなことをさせたくないとも語った。
 これを受けて誰袖は、わっちのもとで死なんしと返して膝枕をさせた。

 このシーン、どう読んだらいいのか迷っている。
 僕は意知が別れを告げたのだと解釈した。
 理由は──
 これから松前藩との激しい攻防が始まるから。
 その戦いに誰袖を巻き込むわけにはいかないから。

 でも、たまたま目にしたネット記事には恋愛の成就と書かれていた。
 予告でも誰袖が「身請けなし!?」と叫ぶシーンがあった。
 ………………………………………

 共同作業は人と人をつなぐ。

 浅間山噴火の灰棄て作業。
 蔦重の先導で、競争が始まり、楽しくあっという間に処理することができた。
 作業をしている時、皆は笑顔。
 鶴屋喜右衛門(風間俊介)も笑っていた。
 それからお疲れ様でしたの宴会。

 ここには理屈はない。
 言葉でいくら説いても他者の心はなかなか動かないが、
 いっしょに作業をすることで心を通わせることができる。
 幾千の言葉よりひとつの行動。

 ここで敢えて説得の言葉を上げるなら、
「遊びのためなら吉原者は草履の裏だって舐めまさぁ」
 この言葉は鶴屋喜右衛門の心に響いたらしい。
 蔦重に暖簾を渡して、すべてを遊びに変える吉原の気風を評価した。
 なにしろ鶴屋喜右衛門に欠けているのは〝遊び心〟ですからね。

 そう言えば、蔦重はていとも共同作業をしていた。
 いっしょに畳を拭く作業だ。
 畳を拭きながらふたりは互いの評価を語り合った。
 こういう時に、言葉は人の心に染込んで来る。

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「べらぼう」 第24回「げにつれなきは日本橋」~どんなに落ちぶれようとも吉原者といっしょになるなどあり得ません!

2025年06月23日 | 大河ドラマ・時代劇
 丸屋のていさん(橋本愛)、なかなかの人物であるようだ。
・漢籍を読んでいる。
 韓非子「蟻の巣穴」のエピソードをすぐに引用できる。
・書籍に対する愛情
 本は屑屋に出せばただの紙屑。手習いの子に渡れ渉れば活きてくる。これが「本の本懐」。

 一方、コンプレックスも。
・結婚が遅かった。
・夫となった男にお金をだまし取られた。お金目当ての結婚だった。
 それを見抜けなかった情けなさ。
・父から受け継いだ店を廃業に追い込んでしまった。

 まとめると、「世俗のことには疎い、本好きのインテリ」という感じ?

 ていに欠けているのは、世俗のこと、俗な人間たちの世界。
 この点で蔦重(横浜流星)は相手としてうってつけだろう。
 なぜなら世俗のことに長けている商売人。
 おバカに徹する狂歌師たちや粋な喜三四(尾美としのり)や生真面目な春町(岡山天音)や酸いも甘いもかみ分けた須原屋市兵衛(里見浩太朗)や武家の田沼意知(宮沢氷魚)ら、さまざまな人間とコミュニケーションできる。
 ていにとって蔦重は自分に欠けているものを埋めてくれる存在になることだろう。

 蔦重はていの「本に対する愛情」に共感したようだ。
 現状では、ていのことをWinWinのビジネスパートナーと考えているようだが……。
 ていは「丸谷の暖簾を残せる」、蔦重は「日本橋に店を出せる」。
 店の名前は「丸屋耕書堂」。
 蔦重は「愛」ではなく「利」で口説いた。

 果たして〝蔦重×てい〟はどのような相乗効果を生むのか?

 とりあえず蔦重はていの心を開かせる必要があるが……。
 乗り越えるべきハードルは──
 ひとつは男性不信。
 ふたつめは吉原者への嫌悪
 みっつめは丸谷を廃業に追い込んだ原因の蔦重への怒り。

 蔦重に「俺といっしょになるのはどうです?」と問われて、
 ていは「どんなに落ちぶれようとも吉原者といっしょになるなどあり得ません!」
 ………………………………

 抜け荷の証を手に入れる誰袖(福原遥)の策略は一進一退。
 だがラストで大きく前進した。
 藩主・松前道廣(えなりかずき)がやって来て、
「松前家と吉原で、琥珀で大儲けせぬか?」
 でも、これには裏がありそうだ。素直に信じてはいけない感じがする。
 ………………………………

 この作品、物語以外で楽しいのは、町人の江戸仕草を見られること!
・町人口調
・地口
・歩き方
・衿の直し方
・煙管の吸い方
・客が来た時の座り方
 特に蔦重・横浜流星さんの所作がなめらかで美しい。

 町人は町人らしく、武士は武士らしく、花魁は花魁らしく。
 江戸時代は所作に個性があった。
 これも文化だ。

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「べらぼう」 第23回「我こそは江戸一利者なり」~蔦重、日本橋へ。勝算を問われて自分には人がいる、と答える

2025年06月16日 | 大河ドラマ・時代劇
 蔦重(横浜流星)、日本橋へ。
 しかも吉原の親父さんたちの全面的な支援を受けて。
 その背景には市中で差別されている「吉原者」の屈辱がある。
 市中の偏見をなくすには、吉原者が日本橋で成功することが一番。
 これで「吉原者はたいしたものだ」と見返すことができる。

 しかしリスクもある。
 失敗すれば「やっぱり吉原者はダメだな」と言われる。
「勝ち目はあるのかい?」と問われて蔦重は、自分には歌麿(染谷将太)や喜三二(尾美としのり)や春町(岡山天音)や山東京伝(古川雄大)や大田南畝(桐谷健太)らがいる、と答える。
 人は財産であり力なのだ。
 市中にも須原屋市兵衛(里見浩太朗)のように応援してくれる人もいる。
 吉原の応援もあるし、これで勝てないわけがない。

 上手いですね。この展開。

 日本橋進出の当座の敵は丸屋てい(橋本愛)。
 蔦重のせいで店を潰されたと思っている、めがねの女性。

 これまた上手い人物設定ですね。
 吉原の女性たちとは違った地味なめがね女史。

 歌麿は迷っている蔦重に
「行きなよ、蔦重。何がどう転んだって俺がとなりにいるからさ」
 と背中を押した。
 歌麿は蔦重のことが好きですよね、BL的な感じで。

 今作は蔦重の〝なりあがり〟出世物語だ。
 商人の出世物語としては『黄金の日々』を思わせる。
 脚本家の三谷幸喜さんは『黄金の日々』が大好きだそうだから今作を見て「そう来たか!」と思っているかもしれない。
 来年の『豊臣兄弟』も出世物語になるのだろうが、秀吉の出世物語はたくさん語られて来たからなぁ。
 どれくらい新しさを出せるのか?

 誰袖(福原遥)の〝抜け荷の証〟奪取作戦も着々と進行中。
 手練手管で松前廣年(ひょうろく)は落とした。
 しかし、まだ先には手強い敵が待っている。
 蔦重と大文字屋市兵衛(伊藤淳史)が抜け荷と身請けの話をしている時、誰袖は無表情だったが、何を考えていたのか?
 やはり蔦重への思いを残しているような気がする。

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「べらぼう」 第22回「小生、酒上不埒にて」~春町、覚醒! 源内の言葉が実現されて物語は次のステージへ!

2025年06月09日 | 大河ドラマ・時代劇
 プー、プー、プー、プー!
 先週に引き続き「屁」だった!
 戯作者、絵師、摺師、狂歌師、役者──みんなが歌い、踊っている。

 平賀源内(安田顕)の言葉が思い出される。
「書を以て世を耕す。書でこの国をもっともっと豊かにするんだよ」
 源内が亡くなって三年、その思いが実現された。

 源内の思いは田沼家でも。
 蝦夷地開発、蝦夷地でのロシアとの交易。
 これで幕府を、国を豊かにする。
 
 そんな源内の思いが蔦重(横浜流星)と田沼意知(宮沢氷魚)を結びつけた。
 蔦重は次のステップへ。
 物語は次の展開へ。
 次回はその前フリで、次々回は選挙特番で?、次に「日本橋編」が始まる。
 
 見事な構成力ですね。
 1年間の大河ドラマはかくあるべし。
 僕は行き当たりばったりでない、きっちり構成されている作品が好きです。
 ………………………………

 恋川春町先生(岡山天音)復活!
「俺は戯けることに向いたおらんのだ!」
「俺のような辛気くさい男がいてもいいのか?」

 遊びが苦手でスコ真面目な人が言いがちな言葉だ。
 まわりはそんなに気にしていないのに、自分で壁をつくってドツボにはまっている。

 こんな春町にかける言葉は──
「たかが遊び、そんなにカッカしなくても……」
「俺は上手い下手ではなく春町先生の絵が好きです」
「考え過ぎる所がいい所」
 蔦重たちはありのままの春町を肯定した。
 春町の「皮肉屋」としての資質を見出して、
「そう来たか! 皮肉屋の恋川春町!」

 これで春町の心の壁が少しずつ壊れていく。
 殻を破って現実に歩み寄っていく。
 そこで出た言葉が北尾政演(古川雄大)への
「そなたの無駄字づくしが読みたい!」

 春町のような人は生きづらいんですよね。
 性分だから根本から変わることはできないし。
 でも少し歩み寄ることはできる。
 ちょっと自分を変えることはできる。
 そうすることで少しは世界と和解することができると思う。

 案外、人はいい加減なもの。
 まして春町のまわりはいい加減の度が過ぎる連中。

 春町は蔦重の所に来てよかった。
 性格は鶴屋喜右衛門(風間俊介)に似ていて鶴屋の方が居心地がよかったかもしれないが、
 きっと潰されていた。

 さて次は歌麿(染谷将太)のターン。
 なぜ春町に「なぜおのれの色を出した絵を描かないのか?」と問われて、
「おのれの内から出て来る色はいいものになるかわからない」
 過去の暗い記憶がいまだに歌麿の心の中に根づいている。
 歌麿が解放される時はいつ来るのか?
 ………………………………

 誰袖(福原遥)は単純に田沼意知に一目惚れしたようだ。
 近づいたのは蔦重のためではなかった。
 乗り換え、はやすぎ!

「ここは日々がいくさでござりんす。だまし合い、かけひき、修羅場でござりんす」

 さて松前廣年(ひょうろく)を上手くハメることができるのか?
 誰袖は、流されがちだった瀬川(小芝風花)と違って、自分で積極的に動くタイプのようだ。
 福原遥さんもいい感じ!

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「べらぼう」 第21回「蝦夷桜上野屁音」~俺たちは屁だ。屁、屁、屁、屁、屁

2025年06月02日 | 大河ドラマ・時代劇
 今日出んと(京伝と) 女にもてぬと焦りける 人の褌ちょいと拝借

 気散じと(喜三二と) 名乗らばまずは根詰めろ 詰めるも散らすも吉原の閨

 恋川春町(岡山天音)の北尾政演(後の山東京伝・古川雄大)と朋誠堂喜三二(尾美としのり)に対する作家評だ。
 真面目で鬱屈している春町。
 自分のアイデアを膨らませてヒット作を作った北尾政演が許せない。
 狂歌師たちのバカみたいなノリについていけない。
 政演はチヤホヤされているし、時代は自分を求めていないと考えて、
「恋川春町、これにて御免!」
 ついに爆発した!

 さすが作家、しっかり人間観察しているんですね。
 政演に対する歌は怒りがあるせいかキレが今ひとつだが、喜三二は的を射ている。
 友達だったのに、喜三二をこんなふうに見ていたのか?
 予告に拠ると、辛辣な批評家の春町は〝皮肉〟で復活するようだ。
 ……………………………………
 
 真面目な春町が嫌いな狂歌師たちのノリはこれ。
「俺たちは屁だ。屁、屁、屁、屁、屁」
 そして歌詠みが始まる。

 七へ八へ へをこき井手の 山吹のみのひとるだに 出ぬぞきよけれ

 芋を食い 屁をひるならぬ夜の旅 雲間の月を すかしてぞ見る

 芋の腹 こき出てみれば 大筒の 響きにまがふ 屁い(兵)の勢い

 バカで無意味なことに懸命になる狂歌師たち。
 これに勝川春章(前野朋哉)ら絵師たちも加わる。
 江戸文化、ここに極まれり!
 吉原文化といい、平和で安定した時代は文化を生み出す。

 そんな中、春町と共にこのノリについていけない人物がいる。
 喜多川歌麿(染谷将太)だ。
 それは歌麿がつらい人生を送ってきたからなのだろうけど、
 歌麿は自分を守っている。バカになりきれない。
 現状、他人の物真似で満足しているようだが、
 そんな歌麿が開花するのは〝自分を解放した時〟なのだろう。
 今のままでは器用なだけ。自由になって初めて自分の絵を描ける。
 ……………………………………

 というわけで前回までの蔦重(横浜流星)の快進撃は1回お休み。
 作家に的確なアドバイスを与える編集者としての腕は鶴屋喜右衛門(風間俊介)の方が上のようだし、摺りものに対するノウハウも西村屋与八(西村まさ彦)の方が上のようだ。
 つまり「指図の差」
 蔦重も基本を学ぶ修行をしてこなかったと認めていた。

 まあ蔦重は「そう来たか!」のアイデアの人ですからね。
 思いついたアイデアを人選した作家や絵師に発注して出来上がりを待つ。
 その過程でアドバイスや口出しをしない。
 今で言えば編集者・ディレクターというよりプロデューサーという感じだろうか。

 そんな蔦重はこんなアイデア・コンセプトを思いついた。
・大田南畝(桐谷健太)の青本
・狂歌の指南書
・吉原を背景にした美人画(錦絵)
 …………………………………………

 江戸城の田沼意次(渡辺謙)のアイデアは「蝦夷」。
 蝦夷を天領にできればロシアとの交易ができる。
 蝦夷には金山銀山がたくさんあるらしい。
 これで財政を豊かにして幕府を堅固なものにできる。
 時代は〝権威〟だけでは治まらず、〝カネ〟が物を言う時代なのだ。

 しかし蝦夷の「上知」は容易ではない。
 松前道廣(えなりかずき)と一橋治済(生田斗真)は昵懇なのだ。
 こうして蝦夷を通して意次と一橋治済の戦いが始まった。
 ポイントは松前藩の「抜け荷の証」。
 何か危ういな。
 意次の息子の意知(宮沢氷魚)と一橋治済ではしたたかさ、あくどさの違いは歴然……。

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「べらぼう」 第20回「寝ぼけて候」~了簡ひとつで何でもめでたくなるものよ

2025年05月26日 | 大河ドラマ・時代劇
「あなうなぎ いづくの山のいもとせを さかれて後に 身を焦がすとは」

 狂歌──
 上記の歌のお題は「うなぎに寄せる恋」
 くだらないことを一生懸命やって、クソ真面目に論じて大笑いしている。
 その場かぎりのもので後には残さない。
 決して『古今和歌集』に残したいと考えない。
 世に広く評価されたいとも思わない。
 粋だねえ。
 無意味に徹して遊びまくっている。

 狂歌の大田南畝(桐谷健太)は言う。
 せんべいを独り占めできてめでたい。
 畳が焼けていてめでたい。
 障子に穴が空いていてめでたい。
「了簡ひとつで何でもめでたくなるものよ」
 粋だねえ。
 南畝はシンコクにならず軽々と人生を渉っている。
 ………………………………………………

 快進撃の蔦重(横浜流星)。
 利用されじわじわと追い込まれていく田沼意次(渡辺謙)。
 今回も前回と同じ構図で物語は進行していった。

 蔦重は市中の本屋に自分の本を売ることに成功した。
 市中の本屋には耕書堂のヒット作が並んでいない。
 だから市中の本屋は鶴屋喜右衛門(風間俊介)言う。
「そろそろ蔦重との取引を認めてもらえませんかね?」
 ここにあるのは商売の基本〝重要と供給〟だ。
 これにはいくら問屋が禁じていても抗しきれない。

 蔦重の進撃は続く。
 西村屋与八(西村まさ彦)の『雛形若菜』に代わる『雛形若葉』を出し、『細見』発行の邪魔をした。
 つまりライバル潰しだ。
 蔦重もダーティな戦い方をするようになった。

 そして今後の展開としては、今回の『狂歌本』の出版。
 次回、狂歌は江戸の大ブームになるらしい。
 喜多川歌麿(染谷将太)の描く絵も重要な商品だ。
 歌麿の描く絵は市場を席巻する。
 西村屋の錦絵を凌駕していくのだろう。

 果たして蔦重は鶴屋喜右衛門に「蔦屋の作った本を読みたい」と言わせることができるのか?

〝需要と供給〟という点では江戸城中でも。
 将軍家治(眞島秀和)の跡を継ぐ世継ぎがいないのだ。
 当然、世継ぎとして一橋家の豊千代がクローズアップされ、家治の養子となり、次期将軍になることが決まった。

 すべては一橋治済(生田斗真)の策略どおり。
 この過程で田安家の排除もなされたが、田安家の恨みの矛先は一橋治済ではなく田沼意次に。
 治済はすべてを意次のせいにして決してオモテに出て来ない。
 何というしたたかな悪党だろう。
 意次は「一橋包囲網」が出来ていることに気づいているが、されるがままになっている。
 意次の拠り所は、前回家治が語った「血筋は譲るが、知恵は譲らない」という言葉だが、果たして?

※追記
 今回の象徴は〝ワイン〟でしたね。
 意次も深夜グラスのワインをまわして飲み、大奥の高岳(冨永愛)もワインをまわして飲んでいた。
 いずれも一橋治済(生田斗真)の思惑どおりに進んでいるという象徴。

コメント (2)
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