平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

カメラを止めるな!~ダメダメでクセのある連中が一致団結! トラブルを乗り越えて撮影に取り組む姿に拍手喝采!

2019年03月10日 | 邦画
『カメラを止めるな!』を見た!
 なるほどね~、DVDなどの特典についているメイキング映像を逆手にとったわけか。
 カメラのフレームの外では何をしてもOK!

 登場するのは、
・気弱で自己主張しない監督
・監督の妻で、役にのめりこむと台本無視で暴走する女優
・演出にいろいろ口出ししてくるイケメン俳優
・NGの多いアイドル系女優
・アル中の俳優
・売れたい俳優
・お腹の弱い俳優
・腰痛持ちのカメラマン
・なかなか自分で撮らせてもらえないカメラマン助手
・監督の娘で、クォリティにこだわるあまり現場でもめ事が絶えないAD
・テキトーなイケメンプロデューサー

 要はメチャクチャ、クセのある人たちばかりw
 だからリハーサルは大混乱!
 監督は彼らを制御できず、オロオロする。

 作品はゾンビチャンネルの生放送で、カメラは一台。
 生放送なので撮り直しはきかない一発勝負のライブ!
 カメラは一台なのでまわし続けるワンカット撮影!

 こんな制約とクセのある俳優・スタッフの中、作品はどうなってしまうのか?

 しかし、いったんカメラが回りだすと、
 やるっきゃないっ!
 皆は一致団結、協力し始める。
 アル中でゲロを吐いたり、お腹が弱くて便意を催すといったトラブルの中、互いにフォローし合い、時にはファインプレーもあって、困難を乗り越えていく!
 皆が一致団結する姿!
 必死で一生懸命な姿!
 これが痛快で、一種、感動なんだよなあ。

 同じ傾向の作品としては、三谷幸喜の『ラヂオの時間』があるが、ノンストップでスピーディな分、『カメラを止めるな』の方がスリリングで面白い。
 まあ、その分、『家族愛』とか『ダメな人間の再生』といったドラマは薄くなるんだけど、そんなものはこの作品では二の次のようだ。
 何かを得るためには何かを捨てなければならない。
 この作品がドラマにこだわっていたら、尖らない凡庸な作品になっていただろう。

 個人的には、腰痛で動けなくなったカメラマンの代わりに、女性カメラマン助手がカメラを担当し『回転レシーブ』で撮影するシーンに感動しました!

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シンゴジラ~ここで描かれた日本の復権。「日本も捨てたもんじゃない」思想

2017年11月14日 | 邦画
『シンゴジラ』を見た外国人の感想は、「日本はこんな緊急時に会議をしているのか……」だそうである(笑)

 確かに。
 でも、これが庵野秀明監督の描きたかったことのひとつなんでしょうね。

・会議ばかり開き、何も決められず対処できない日本。
・有識者会議が大好きな日本。
・法律に基づいてしか行動できない官僚(=これは法治国家として正しいことなんだけど)。
・官僚の縦割り。
・会議の名称や作戦名へのこだわり。

 こんなのもある。

・アメリカ追随(=すべてはアメリカ様の言うとおり)

 庵野監督はこんな日本を揶揄し、笑う。
 そして最終的にはぶっ壊してしまった。
 ゴジラの熱線で総理以下、閣僚が一気に死んでしまうのが、その象徴だ。
 日本の自衛隊やアメリカ軍がまったくゴジラにまったく歯が立たないのも、そのひとつ。
 ……………

 しかし、ドラマが進むにつれて、日本は復権する。

 主人公・矢口蘭堂(長谷川博己)が官僚の縦割りの垣根を越えたチームをつくり、ゴジラ対策に乗り出すのだ。
 それはまさに日本の官僚たちの英知を集めたチーム。
 環境省からは、市川実日子さんが演じる動物の専門家も参加する。
 そしてゴジラ対策で、皆が徹夜を重ねる中、矢口はこうつぶやく。

「この国も捨てたものじゃないな」

 政治家も機能し始める。
 ゴジラ撲滅のために東京に核爆弾を落とすことに対して、NOと言うのだ。
 今までは「アメリカ様の言うとおり」「国連の決議に従うしかない」だったのが、これに異を唱え、矢口の作戦を実行することを決めた。
 外務省は総力をあげてフランスなどを動かし、核ミサイルの使用を遅らせることにも成功した。
 これらの日本政府の動きに対して、アメリカの国務長官は言う。

「危機は日本の外交を進化させたようだな」

 そして、自衛隊以下、日本の総力をあげて、ゴジラの冷却に成功する。

 つまり、この作品のクライマックスからエンディングまでは『日本ってすごい!』である。
 僕はひねくれているので、『日本も捨てたものじゃない』『日本ってすごい!』ってメッセージを素直に喜べないんだけど、これを観た他の日本人はどう思ったのだろう?
 ある人がツイッターで「『シンゴジラ』をすごいとは思うけど、感動はしない」とつぶやいているのを見たが、僕も同じ感想。

 あるいは庵野監督は『日本も捨てたものじゃない』についてどう考えているのだろう?
 まあ、主人公を官僚にして、素直に物語をつくっていけば、必然こうなるんでしょうけどね。
 作品とは一定のイデオロギーや思想を伝えるものでなく、観る人によって、さまざまに解釈できるものですし。

 今回は『シンゴジラ』を別の切り口で、新たにレビューしてみました。
 前回のレビューはこちら。

『シンゴジラ~ゴジラは暴走する原発か?』

 なお、今回、ゴジラの進化の第5形態が明らかになった。

 

 これって、僕たちオタクにいろいろ深読みさせるよな~。

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「BAD FILM」園子温~むき出しの現実と人間の姿を目の当たりにして、観客は絶望する

2017年02月08日 | 邦画
 高円寺で繰り広げられる日本人不良グループと中国人不良グループの抗争。
 憎み合う日本人と中国人。

 まるで近い将来を暗示しているようだ。

 その抗争はヤクザの手打ちによって、いったん集結させられる。
 このヤクザっていうのはアメリカのことかね?
 日本と中国が戦争を始めたら、おそらくアメリカが仲裁に入る。

 こうして親睦を深めるようになった日本人と中国人の不良グループ。
 親睦野球をおこない、香港が返還になった時はいっしょにお祝いする。

 しかし、人間というのは争うことをやめない。
 虐げられていたゲイとレズのグループがグループの主流派に反旗を翻すのだ。
 日本人と中国人が仲良くするのを面白く思わない連中もこれに荷担する。

 おまけに彼らは銃を手にしたから暴力はエスカレートし、事態はますます凄惨になっていく。
 この〝銃〟に象徴されるものは、〝核兵器〟かな?
 人間は強力な武器を持てば使いたくなる。
 使えば、とんでもない事態になるのにそれをやめない。

 人間に対する絶望の物語である。
 人間は争うことをやめないし、武器を持てばそれを使い、凄惨な殺し合いを始める。
 日本人と中国人の女の子、カナとマギーはレズビアンで国境を越えて愛し合うが、〝LOVE&PEACE〟など、圧倒的な憎しみと暴力の前では霧散してしまう。
 マギーは醜い世界を一掃する<地球撲滅運動>の看板を掲げて街を歩きまわるが、これこそが人間に対する絶望の叫び。

 後味の悪い映画だが、後味の悪さこそが、この作品の目指す所だ。
 観客は、むき出しの現実と人間の姿を目の当たりにして、絶望する。
 ……………

 この作品は1990年代に園子温監督が主催した路上パフォーマンス『東京ガガガ』の参加者たちによって演じられている。
 手持ちカメラによる、渋谷のスクランブル交差点や新宿アルタ前で街宣活動やマジゲンカのゲリラ撮影。
 これでパトカーがやって来ることもしばしば。
 うん、この作品はこういう撮り方じゃないと成立しないし、リアリティが失われてしまう。

 路上パフォーマンス『東京ガガガ』については、改めて書きます。

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超高速! 参勤交代~雲隠段蔵、内藤政醇、コメディなのに<カッコいい男たち>が出てくる新時代劇!

2016年09月24日 | 邦画
 4日間で参勤交代しなければ藩がお取りつぶしになる!
 だから、江戸までを四日間で走り抜ける、超高速! 参勤交代(笑)
 そんなコメディでありながら、この作品にはたくさんの<カッコいい男たち>が登場する。

 まずは忍びの雲隠段蔵(井原剛志)。
 段蔵は<雇われ忍者>だ。
 カネで繋がった関係で、湯長谷藩に何の義理もない。
 参勤交代を阻止しようとする隠密と対峙した時には、「わしは牛久でいなくなるから一行を襲うならその後にしてくれ」と裏切りを宣言する。
 しかし、湯長谷藩の殿や家臣たちの人の良さや民を思う気持ちに魅入られて最終的には加勢してしまう。
 その時のせりふがこれだ。
 隠密の首領に「牛久でいなくなると言ったではないか!」と問われて、
「わしは雲よ。
 好きな時に好きな場所に行く」

 カ、カ、カッケーーー!
 自由人の段蔵らしいせりふだ。
 おまけに、世の中を斜に構えて見ていると思いきや、実は<熱い心>を持っている。

 隠密と戦って、しびれ薬を塗った手裏剣が足に刺さった時はこう言う。
「わしに毒は効かん。
 効くのは酒だけよ」

 カ、カ、カッケーーー!
 何だ、このカッコ良さは!
 先程の「わしは雲よ」もそうだけど、一度は言ってみたいせりふだ。
 おまけに段蔵は戦う時、必ず葉っぱを口にくわえている。
 どんなピンチの時にも離さない。
 口に葉っぱと言えば「ドカベン」の岩城だが、段蔵は岩城を超えた。
 ……………………………

 湯長谷藩の殿・内藤政醇(佐々木蔵之介)もカッコいい。
 内藤政醇は、言葉は田舎訛りだし、お人好しだし、閉所恐怖症だし、一見、いいところが全然ない。
 ところが、実は物凄い<居合いの達人>なのだ。
 襲ってくる隠密を居合いの技で切りまくる。
 その技の美しいこと。
 これを見るだけで、この作品を見る価値がある。
 しかもメチャクチャやさしい。
 遊女のお咲(深田恭子)が折檻で木に縛られているのを見て気の毒に思い、お咲を買う。
 しかしエッチなことはしない。
 肩や背中を揉ませながら話を聞いてやる。
 咲が隠密に捕まって人質にされた時は刀を捨てる。
 これで、固く閉ざされていたお咲の心はとろけてしまった。
 身分にもこだわりがない。
 侍も百姓もないと思っている内藤の信条はこうだ。
「時に侍、時に百姓。
 移りゆく世を楽しく生きるのみじゃ」

 ネタバレになるので書かないが、こんな内藤が、自分たちを苦しめた悪の老中・松平信祝(陣内孝則)に対して最後に何を言うのかは大きな見所。

 湯長谷藩の7人の侍たちもカッコいい。
・西村雅彦
・寺脇康文
・上地雄輔
・知念侑李(Hey! Say! JUMP)
・柄本時生
・六角精児
・近藤公園
 基本ボケで、ふんどし姿で道を走りまわるようなキャラでありながら、実は彼らは<一騎当千の強者>ばかりなのだ。
 まさにギャップ萌え!

 コメディなのにカッコいい男たちが出てくる「超高速! 参勤交代」。
 参勤交代に着目してコメディドラマにした所もお見事。
 新しい時代劇が誕生した!

 
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シンゴジラ~ゴジラは暴走する原発か? 3・11を再現した映画。そして現在の日本そのもの

2016年09月09日 | 邦画
 3・11の再現だった。
 最初のゴジラの上陸は<津波>。
 海から上がってきて町を破壊し尽くす。
 官邸は大混乱。
 根拠のない楽観論と前例重視の官僚主義と無能な有識者会議。
 二度目は<放射能>。
 進化したゴジラは<暴走する原発>であり、放射能をまき散らす。
 ゴジラを倒す方法が冷却というのも、水をぶっかけて原子炉を冷やしたのと同じ。
 凍ったゴジラが東京の真ん中で立つ姿は、現在の福島第一原発を思わせる。
 この作品、3・11がなければ完成しなかった作品だろう。
 庵野秀明監督が3・11や原発について、どう考えているのか、聞いてみたい。
 ………………………………

 ゴジラに対抗したのが、霞ヶ関のはみ出し者・オタク官僚だったのも面白い。
 昆虫のアリの世界は働き者ばかりだが、その中の何%かは働かずに遊んでいるアリがいるそうだ。
 彼らは何のために存在しているかというと、いざという時に力を発揮して危機を乗り越えるためらしい。
 はみ出し者・オタク官僚たちはまさにそれだった。
 はみ出し者は日本を救う。
 オタクは日本を救う。
 日本の中心で偉そうにふんぞり返っているやつはどうなんだろう?
 頭が硬直して斬新な発想が出てこない。
 ゴジラに対して彼らが考えたことは、自衛隊の投入や米軍の力を借りること。
 そして国連決議に基づく核ミサイルによる攻撃。
 何かこれは現実に起こりそう。
 日本がどこかの国と戦争になった時は絶対こういう流れになるよね。
 ………………………………

 シンゴジラの到来を予言した牧博士(岡本喜八)。
 博士はゴジラのデータを提示し、「私は好きなようにした。君たちも好きにしたまえ」というメッセージを残した。
 これは日本人に対する絶望のメッセージか?
 たとえば、ゴジラ=原発と読み解くと、「私は原発の危険を提示した。さて、君たちはどうする?」となる。
 経済優先の経団連や経産省、電力会社から献金をもらっている政治家など、日本の中枢は、3・11など忘れて原発を使い続けるんだろうけど。
 ………………………………

 これほど、<法律の適用>にこだわった映画もめずらしい。
 政治家、官僚、自衛隊は、法律を厳格・実直に適用してゴジラに対処する。
 拡大解釈はするが、法律に外れることは絶対にしない。
 これがアメリカ映画だと、法律などお構いなく、敵とガンガン戦っていく(笑)

 でも、これは現在、自民党がすすめている憲法改正の<緊急事態条項>に繋がりそう。
 <緊急事態条項>では、緊急事態が宣告されると、一切の法律は停止され、すべての権限が総理大臣に集中する。
 安倍ちゃんなどは、「ゴジラのような事態が起こったら法律は邪魔でしょう? だから緊急事態条項は必要なんです」と言い出しそう。
 だが、緊急事態条項には危険がある。
 もし首相がバカだったらバカに権力が集中することになるし、独裁的な人物だったら、それが長く続いた場合、独裁国家が誕生する。


『シンゴジラ』
 これは現在の日本そのものを描いた作品だった。

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桐島、部活やめるってよ~学校という狭い空間には、さまざまな思いがひしめき合っている

2016年06月30日 | 邦画
 学校という狭い空間には、さまざまな思いがひしめき合っている。
・恋愛、性
・文化部、運動部、帰宅部
・女と女の争い
・意味と無意味
・将来への不安、進路
・弱者と強者、スクールカースト
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかり合うと砕けてしまう」というテレビCMがあったが、学校生活はまさにそんな感じ。

 狭い空間にさまざまな思いがひしめき合っているから、場所の奪い合いもある。
 映画部の前田涼也(神木隆之介)と吹奏楽部の沢島亜矢(大後寿々花)の屋上や科学準備室裏の奪い合い。
 ふたりはなぜ相手がその場所にこだわるかがわからない。
 完全なディスコミュニケーションだ。

 ディスコミュニケーションと言えば、桐島がなぜ部活をやめたのか、誰も知らない。
 親友の菊池宏樹(東出昌大)も、カノジョの梨紗(山本美月)も、同じバレー部の仲間たちも。
 そのことが、桐島が最後まで現れない、という描写で象徴的に語られる。
 果たして今まで自分が見てきた桐島とはいったい誰だったのか?
 彼らはそれが不安なのだ。

 こんなディスコミュニケーションもある。
 沢島亜矢は菊池宏樹に自分を見てもらいたくて、屋上でサックスを吹き続ける。
 しかし、宏樹は気づかない。
 宮部実果(清水くるみ)は風助(太賀)に好意を寄せて応援しているのだが、伝わっていない。
 前田涼也と東原かすみ(橋本愛)は同じ中学で、昔はそれなり話をしていたが、高校に入ってからは同じクラスなのに話をしていなかった。

 作品は、こうした学校生活のディティルを積み重ねながら、〝ディスコミュニケーション〟と〝孤独と不安〟を描いていく。
 しかし、そんな彼らにも一瞬、心と心がふれ合うことがある。
 映画館の前で缶コーヒーを飲みながら映画について語り合う前田とかすみのシーンがそうだ。
 かすみは前田のマニアックな映画の話についていけなかったが(←ディスコミュニケーション)、前田の映画に対する熱い思いは理解した。
 あるいは、ラストの前田と宏樹の8ミリカメラについて語り合うシーンがそうだ。
「お前、将来は映画監督か? 女優と結婚か?」
「映画監督なんて無理だよ。僕が映画を撮るのは、僕の好きな映画と僕の映画がつながっているのを感じるからなんだ」
 おそらく宏樹には前田の言っていることをほとんど理解できていないだろう。
 だが、心はふれ合った。
 そして宏樹は、野球部の練習を見ながら、自分に野球部復帰をしつこく求めてくる野球部の先輩の気持ちを理解しようとする。

 リアルな青春映画ですね。
 おそらく現在、学校生活をおくっている人は、ここで描かれるディティルに共感するのだろう。
 他の青春映画だと、登場人物たちは葛藤を経て理解し合う。
 しかし、この作品は、現実はそんなに簡単ではなく、むしろディスコミュニケーションばかりで、仮に理解し合っても相手のごくわずかな部分なのだ、と語っている。 

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海街diary~そばにいるだけで背負っている心の重荷が少しは軽くなる。そんな四姉妹の物語。

2016年06月29日 | 邦画
 鎌倉を舞台にした四姉妹の物語だ。
 長女で、家族を背負ってきた真面目でしっかり者の幸(綾瀬はるか)。
 次女で、姉の反動からか、開けっぴろげで大ざっぱな佳乃(長澤まさみ)。
 三女で、対照的な姉ふたりの間にあって物事を客観的に見る癖のついた、ちょっと変わり者の千佳(夏帆)。
 そして、四女のすず(広瀬すず)。

 すずは腹違いの妹だ。
 すずの母親が幸たちの父親を奪って生んだ子。
 幸たちにとっては〝自分たちの父親を奪った憎むべき女の子供〟。
 だから拒絶の対象になってもいいのだが、悪いのはダメ男の父親であり、すずに罪はないと思っている。
 それどころか、〝やって来た新しい妹〟に興味津々で、すずの存在が家を活性化させていることを愉しんでいる。
 たとえば、
 すずがサッカークラブで大活躍すれば大喜び。
 同じサッカークラブの尾崎風太(前田旺志郎)との恋愛?をからかう。
 いっしょにシラスご飯を食べ、年末には障子張りをする。
 花火大会での浴衣。
 庭の梅の木に梅がなれば収穫~おおざっぱな佳乃などは、すずが一生懸命梅の実をもぐのを見て「いい妹が出来たねえ」と縁側で横になる(笑)
 すずが梅酒を飲んでしまって寝込むと、眠っているすずの顔を見て
「まつげ、長いね」
「こんな所にほくろがある」
「耳の形、お姉ちゃんに似てる」
「お酒を飲んだ乱れ方、佳乃にそっくり」
 新しくできた妹は、幸たちにとって〝宝物〟なのだ。
 
 やさしい映画だ。
 テーマは寄り添うこと。そばにいて話をすること。
 それで抱えている問題が解決するわけではないけれど、少しは心が軽くなる。
 ひとりで背負っている重荷を少しは背負ってあげられる。
 たとえば、幸が医者の椎名(堤真一)と別れた時は、佳乃が部屋にやって来て、関係ない別の話をする。
 ちくわカレーを食べながら千佳が「あたし、お父さんのことよく覚えていないんだよね」と何気なくつぶやくと、すずは「お父さんは釣りが好きだった」と話をする。
 それだけで人の心は軽くなるのだ。
 すずに関してもそうだった。
 すずは自分の母親が幸たちの父親を略奪したことに罪悪感を抱き、母親のことを考えたり、思い出したりすることを避けていた。
「わたしがいるだけで傷ついている人がいる」と考え、母親のことを心の奥底に封印していた。
 でも、すずは亡くなった母をまだ求めていて、泣きたいのを必死でこらえていた。
 そんなすずに幸は言う。
「お母さんのこと、話していいんだよ。すずはずっとここにいていいんだよ」

 この作品は、第39回日本アカデミー賞の最優秀作品賞ほか最優秀賞最多4部門を受賞。
 広瀬すずさんの透明感はハンパでなく、広瀬さんがなぜブレイクしたかがわかったような気がしました。


※関連動画
 「海街diary」広瀬すずの華麗なサッカーシーン&予告編(YouTube)
 
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ラヂオの時間~脚本家の悲痛な叫び 「お願いですから私の脚本とおりにやって下さい!」

2016年06月26日 | 邦画
 生放送のラジオドラマのドタバタ喜劇だ。
 役者のわがままに翻弄され、スタッフたちは右往左往する。
 それはこんな感じだ。
 ヒロイン役の千本のっこ(戸田恵子)のわがままで、役名が<律子>から<よしえ>に変わり、最終的には<メアリージェーン>に。
 職業も<パチンコ屋のバイト>から<女弁護士>へ。
 舞台も<熱海>から<ニューヨーク>に変わり<シカゴ>に。
 メチャクチャはさらに発展する。
 メアリージェーンは台本上、<海の事故>に遭って<漁師>の恋人ドナルドに出会うのだが、ドナルド役の役者のわがままで仕事が<パイロット>に変わり、シカゴには海がないことがわかり、<ダムが決壊>して昔の恋人に出会うことになる。
 一方、ドナルドは<パイロット>なのでハワイ上空で行方不明に。
 しかし、スポンサーに航空会社がいて飛行機事故はまずいだろうということになって、ドナルドの仕事は<宇宙船のパイロット>に変更され、宇宙で行方不明になる(笑)

 この作品を見た最初の感想は、
 新人作家の鈴木みやこ(鈴木京香)が可哀想だかなぁ。
 自分の脚本をメチャクチャにされ、結末まで変えられようとしてしまった。
 もちろん作品は喜劇だから、その変更は誇張されているんだろうけど、可哀想すぎる。
 これじゃあ、みやこが「これは私の作品ではありません」「お願いですから私の脚本とおりにやって下さい」「私の名を外して下さい」と訴えるのも無理もない。
 ついでにマジにツッ込むと、
 プロデューサーの牛島(西村和彦)が「ダメなものはダメ」と言い、ちゃんと仕切っていればよかったんじゃねえ?などと思ってしまう。

 こんな制作の現場について、ディレクターの工藤(唐沢寿明)は言う。
「ここにいるやつは誰もいい作品を作ろうなんて思っていないよ。
 牛島は女と自分の番組を成立させることだけを考え、編成の堀之内(布施明)は掛け持ちが多くて作品に愛情なんて持っていない。俺も仕事として割り切っている」
 なるほど、制作の現場ってこういうものなのか……。
 プロデューサーの牛島は次のようなことを言っていた。
「満足のいくものなんてそんなに作れるもんじゃない。妥協して、妥協を重ねて作ってるんです。それでも、いつかはみんなが満足するものを作れると信じている」
 何かいい話になってるけど、いやいや、牛島さん、今回のような姿勢じゃ永久に<満足にいくもの>なんて、作れないと思うよ。

 というわけで、僕はこの作品、みやこがあまりにも可哀想すぎた。
 喜劇と悲劇は表裏一体なんですけどね。
 <最後まで思いを捨てずに奮闘していれば、いいことが起こる>という三谷幸喜さんのメッセージも理解できるんですけど。
 みやこさんは、集団作業のラジオの現場より、個人の世界が反映されやすい小説などの世界に行った方がいいと思う。
 そんなことを考えてしまった。

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幕が上がる~「銀河鉄道の夜」をモチーフにした青春演劇ストーリー。さおりは果てしない世界に旅立つ

2016年06月25日 | 邦画
 演劇部の部長になった高橋さおり(百田夏菜子)は不安だった。
 自分には何もない。
 演技する力も、人をまとめる力も、演劇に対する思いも、どれも中途半端。
 演劇部に入ったのもユッコ(玉井詩織)に引きずられてのものだったし、自分が将来、何をしたらいいかもわからない。
 ただ負けず嫌いではあった。
 県大会の予選に進めなかったすべての学校に与えられる<優秀賞>という名の参加賞。こんなに人をバカにしたものはないと思っている。
 それと、自覚していない演劇的センス。
 さおりはユッコがいったん舞台に立てば人の目を惹きつける、<演劇の女王>のような資質を持っていることを見抜いていた。
 しかし、さおりじゃそんな自分をどう活かしていけばいいか迷っている。
 もやもやとした感じを持っているのだが、どう表現すればいいのか、わからない。
 
 そんなさおりを目覚めさせて、方向を与えたのは新しく赴任してきた美術教師・吉岡美佐子(黒木華)だった。
 美佐子はかつて舞台女優をやっていて、演劇の本質をわかっている。
 まず演劇は自己表現であること。
 さおりは新人オリエンテーションの演目に『ロミオとジュリエット』を選んだが、深く感情移入できない内容だったので、結局、失敗。
 美佐子はさおりたちに<肖像画>という課題で、自己紹介をすることを提案する。
 結果、<肖像画>は見る人の胸を打つ公演に。
 その過程で、さおりは他人の演技に何が欠けているかに気づく。
 祖父の良い所ばかりを演じて悪い所を表現しようとしない明美(佐々木彩夏)に違和感を感じ、がるる(高城れに)にムダな動きを多いこと(←れにちゃんらしい・笑)ことに気づく。
 さおりには演出家の才能があったのだ。
 美佐子先生はそれをしっかり見抜いていた。
 次に美佐子が教えたのは、演劇をするということが、とてつもなくハードだということだった。
 さおりたちには受験もある。
 それに演劇の高見を目指せば目指すほど、山頂がどんどん遠くに行って見えなくなってくる。ある地点にたどりついたと思ったら、道はさらにあり、もっと苦しみ、汗をかいて登らなくてはならない。そんな先の見えない行為なのだ。
 しかし、演劇の楽しさを知ったさおりは言う。
「いいです、人生が狂っても。だって私たちの人生だもん」

 真摯で真面目な高校演劇の物語だ。
 そして、さおりたちが演じた『銀河鉄道の夜』がそのまま作品のモチーフになっている。
 ジョバンニとカンパネルラの関係は、そのままさおりと美佐子先生の関係にあてはまる。
 ふたりは同じ演劇の旅をする同行者だったが、カンパネルラがいなくなったように美佐子先生もいなくなる。
 ジョバンニがそうであったように、さおりはこれからひとりで演劇の道を歩んでいかなくてはならなくなる。
 ふたたび道を失い、どこにたどり着けるかわからないことに脅えるさおり。
 一方、さおりは自分の手に<どこまでも行ける切符>があることを知っている。
 生きるということは大変で、不安でいっぱいなのだが、同時にどこまでも無限に行けるのだ。
 あとは、この切符を使って旅立てるかだ。
 さおりは吉岡先生に手紙を書く。
『先生、わたしをここまで連れてきてくれてありがとうございます。
 わたしはここから宇宙の果てまでを目指します』
 そして、幕が上がる5秒前。
 緞帳スタンバイ、5、4、3、2、1……
 さおりは演劇部員たちに叫ぶ。
『さあ、行こうか』

 さおりたちの旅は始まった。


 主題歌『青春賦』はこちら
 『青春賦』ももいろクローバーZ(YouTube)

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ソロモンの偽証~自分の罪は自分で認めて、背負っていくしかない。そして前に進む!

2016年05月29日 | 邦画
 テーマは、自分の罪を認め、向き合うこと。
 人は誰でも弱い心、醜い心を持っている。

 たとえば、三宅樹理(石井杏奈)。
 彼女の罪は、次の3つだ。
・大出俊次(清水尋也)を憎むあまり、ウソの告発状を送ったこと。
・ウソの告発状を送った樹理を責めた親友の浅井松子(富田望生)が激情に駆られ、交通事故で死んでしまったこと。
・学校裁判で、「死んだ松子が告発状を書いた」とウソの証言をしたこと。
 3つの罪を背負った樹理の苦しみは相当なものだっただろう。
 実際、それで声が出なくなってしまった。
 では、樹理はどうやって救われたか?
 それは保健室で、藤野涼子(藤野涼子)に本当のことを泣きながら話したことだった。
 話したことで、樹理は自分の罪を認め、向き合うことが出来たのだ。

 以後、登場人物たちはこの作業をおこなっていく。
 神原和彦(板垣瑞生)は裁判で自分の罪を語り、藤野涼子もいじめられていた樹理たちを助けず、逃げた罪を語った。
 いじめと暴力の大出俊次は和彦に問い詰められたことで、自分の罪を覚った。
 教師たちも裁判を通して、自分の罪を認めた。
 元校長の津崎(小日向文世)は、事件を曖昧に処理してしまった結果、松子を死なせ、生徒たちを苦しめたことを悔いた。
 元担任の森内恵美子(黒木華)は、柏木卓也(望月歩)が苦手で、早くいなくなってくれればいいと思い、教師として生徒に向き合う覚悟がなかったことを語った。

 キリスト教には<懺悔>というシステムがありますが、こうやって罪を認め、語ることは大切なんですね。
 そうすることで、新しい人生を歩んでいくことが出来る。
 罪を見つめることから逃げてばかりだと、心から笑えなくなるし、いずれ自分が崩壊する。

 この罪を語る作業が出来たのは、涼子たちが子供で、純粋だったからだろう。
 彼女たちは、自分の気持ちをうやむやにし、ごまかすことが出来なかった。
 一方、大人たちはどうか?
 23年後の城東第三中学校の校長(余貴美子)はこう語った。
「大人になると、自分が傷つかないように自分をごまかすことが上手くなるのよね」
「自分の見たいものしか見なくなり、自分の信じたいものしか信じなくなるのよね」

 というわけで、この作品をせっかく見たのですから、僕たちも自分の心の中に押し込めている過去の罪を見つめてみますか。
 生きていれば、ひとつやふたつは必ずあるはず。
 自分の弱さや醜さがわかってイヤなんですけどね。

 ……………………………………………………………

 なお、この作品の生徒たちは、全員オーディションで選ばれた子たちらしい。
 主人公・藤野涼子を演じた女の子(=蒼井優・武井咲に似ている)は、そのまま<藤野涼子>が芸名になった。
 以下、Wikipediaより引用。
『主人公・藤野涼子役をはじめとする1クラス分の生徒役を選ぶため、日本映画史上最大規模のオーディションが開催され、1万人のオーディションを勝ち抜いた新人女優が2014年8月8日の午前8時8分に発表された。この時点では主演女優の名は明かされず、その後10月31日に役名と同じ藤野涼子の名でデビューすることが発表された。藤野は発表当時14歳の中学3年生で、芸能事務所に所属してはいたがエキストラ以外の演技経験はなく、オーディションを受けたのも3度目であった。役名でのデビューは成島とプロデューサーの提案によるものである』

 生徒たちの純粋さを表現するには、シロウトに近い子たちの方がいいという判断だったのだろう。

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