平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

暴力団排除条例~「ごくせん」「ドン・キホーテ」が作られない時代に

2011年11月30日 | 事件・出来事
 朝まで生テレビで暴力団排除条例のことをやっていた。
 <暴力団排除>、この条例は<一般市民が暴力団とつき合わない。商売をしない。これらのことをすれば市民に罰則>というもの。
 しかし、そば屋さんに暴力団事務所から注文がきた時、あるいは暴力団員がアパートを借りに来た時、どう対処するのか、といった判断基準が曖昧だ。
 基準としては、個人としてならOKということだが、個人と組織の境界は曖昧だ。現実問題として「このご注文は組関係のものですか?」「部屋は組で借りるものですか?」などと聞けない。

 この件はエンタテインメントの世界にも影響する。
 過去のことでは島田紳助さんの引退。
 最近のことでは紅白歌合戦の出場歌手。
 巷で言われているように、常連の歌手が外されていたら、あの人は暴力団に関わりがある? と色眼鏡で見られてしまう。

 ドラマも、これからは「ごくせん」とか「任侠ヘルパー」とか「ドン・キホーテ」といった作品は作るのが難しくなってくるのではないか?
 もちろん、暴力団と任侠は違う。
 ドラマでも描かれているとおり、任侠は麻薬など犯罪には手を染めないし、お祭りで焼きそばを売ったり、揉め事を解決したりする土地に密着した集団である。
 ただ、暴力団排除条例が問題とする<みかじめ料>(飲食店などから監督・保護の対価という名目で取る金銭)を匂わせる描写は、これらのドラマでも多々見られる。
 となると、任侠を扱ったドラマはこれからは作られない。
 あるいは条例的にはOKであっても、スポンサーが嫌がるから企画が通りにくい。
 これはエンタテインメントの世界としては問題である。
 まだまだ見たいですからね、義理と人情の世界を。

 朝まで生テレビでも語られていたが、この条例の問題点とは何か?
 それは<国家が個人の私的関係に干渉してくること>である。
 現在は自由と人権が認められている社会なのだから、人が誰とつき合おうが自由。
 紳助さんだって、そのつき合いで法を犯すことをやっていたのなら問題だが、つき合うだけで辞めたりする必要はない。
 それは<国家が表現の世界に干渉してくること>にも繋がる。
 今のテレビはコンプライアンス(法令遵守)を徹底しているから、疑いのある歌手や任侠ドラマを排除してくる。
 法に触れていなくても自主規制してくる。
 もちろん、暴力団は問題である。
 ただし、それは犯罪を犯した時に、警察が取り締まり、逮捕すればいいこと。

 <暴力団撲滅>という誰もが納得する言葉の裏に、<国家の私的関係や表現への干渉>が見え隠れしているような感じがする。


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FUJIWARA 藤本さんの面白夫婦生活!

2011年11月29日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 先週の「メレンゲの気持ち」に木下優樹菜さんが出ていた。
 トークの内容は、夫であるFUJIWARAの藤本さんのこと。

★藤本さんは家では関西弁を使わず、木下さんに合わせて<若者言葉>を使っているらしい。(←番組では「あいつ、関西弁を捨てたな」と久本雅美さんにツッ込まれていた)

★以前、木下さんが夕食で酢豚を作ったが、あまり出来がよくなかったらしい。
 藤本さんは美味しくないという顔。ちょっと不機嫌。
 木下さんが「いくら美味しくなくても、そんな顔をしないでほしい」と怒ると、藤本さんはこう答えたらしい。
 「俺は酢豚の豚肉に怒っているんだ」(笑)

★ふたりでゲーム「桃太郎電鉄」をやっていた時のこと。
 ゲームで木下さんが劣勢、負けそう。
 すると藤本さんはゲームの電源を切って「にゃーちゃん(木下さんの愛称)をいじめるのはイヤだ」と叫んだらしい。(笑)

 強面の藤本さんですが、本当に優樹菜さんにメロメロなんですね。
 ギャップもすごいし、実にかわいい。

 <夫婦タレント>というジャンルがある。
 北斗晶さんと佐々木健介さん、品川庄司の庄司さんと藤本美貴さんとか。
 彼らは夫婦生活のさまざまな出来事をネタにしてお茶の間に笑いを届けてるが、どれも心温まる。
 基本的には、夫が妻の尻に敷かれているのが夫婦円満のコツ?

 藤本さん、優樹菜さん
 これからも、こういう面白エピソードを話していって下さいね。
 エピソードの積み重ねが夫婦生活だとも思いますし、エピソードという写真がいっぱい貼ってあるアルバムを作っていって下さい。


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江~姫たちの戦国~ 最終回「希望」

2011年11月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 江(上野樹里)は最終的にはこんな人物だったらしい。
 女性としての栄耀栄華を極めた人物。
 心の欲するまま、思うがままに生きた人物。
 太平の世を望んだ人物。
 希望。

 しかし、どうだったのだろう?
 確かに世間の尺度では<女性としての栄耀栄華>を極めたかもしれないが、別に自分の力でそうなったわけではない。
 たまたま、生まれがよかっただけ、乗った徳川という船がよかっただけ。
 徳川家に嫁いだのも自分の意思ではなく、秀吉によって無理矢理であったわけだし。

 次の<思うがままに生きた人物>となると完全にウソだ。
 先程の徳川家に嫁いだ経緯もそうだし、ただ歴史の流れに流されていただけだった。
 江はまったく歴史と戦っていない。
 江の行動で記憶にあるのは、当事者の所に乗り込んでいって論破されて帰ってくること(千利休など)、手紙を書き、写経すること(淀など)。
 これらは一応戦っているが、歴史に影響を及ぼしたとは言い難い。江はつねに敗れ去っている。
 もし、<思うがままに生きた人物>と描きたいのなら、江は武家を捨てるべきだった。作品中で秀忠(向井理)と「百姓になりましょう」という会話があったが、そうすべきだった。
 極論だが、それがいくさを嫌う人間が<思うがままに生きる>ということ。
 江の人生は歴史に流され、妥協に妥協を重ねてきただけの人生だった。

 <太平を望んだ人物>
 これは確かにそのとおりであっただろう。
 しかし、<戦略>や<非情さ>のない望みはただの夢想でしかない。
 秀忠はそのことに気づいて<鬼>になったが、江のスタンスは最後の最後まで曖昧だった。
 国替えなどを行う秀忠に、まだ「力で抑えることはあなた様には似合いません」と諫める始末。
 そして、息子の家光に「父上は太平の世を築くために重荷をひとりで背負っておられる。母上にはそれを理解してほしい」と諭される。
 江は理想ばかりを言うただの夢想家だった。
 自分から泥をかぶる覚悟も行動力もなかった。

 江が主人公になる分岐点はいくつかあった。
 今回の回想シーンでもあった、熱海で秀忠が将軍になるか迷っていた時のこと。
 ここで江は「将軍になって下さい。私がお支えしますから」と言った。
 ここから秀忠をしっかり支えればよかったのだ。
 江自身も<鬼>になる覚悟を持って、<太平のために非情なこともする>くらいの女性として描かれればよかったのだ。
 だが、江が「戦略や非情さのない望みは夢想でしかない」と気づいたのは、最終回後半になってからだった。

 そして<希望>。
 確かに小谷城落城の際の浅井長政にとっては、生まれてきた新しい命の江は<希望>であっただろう。
 しかし、それ以降はどうか?
 秀忠がラストで「そなたは私の希望だ」と語ったことに違和感を抱いてしまった。
 秀忠はひとりで苦しむばかりで、江がその苦しみを和らげることなど、少しもしなかったからだ。


 というわけで最後の最後まで<主人公>になれなかった江。
 この原因は、<歴史上の人物を無理矢理、現代のきれいな価値観に合わせようとしたこと>にある。
 その一番の象徴が<思うがままに生きた人物>という価値観だ。
 実際の江は、食うか食われるかという戦国時代の中で、決して<思うがままに生きた人物>ではなかっただろう。
 歴史や運命に翻弄され、諸行無常を感じ、時には保身や権力欲に取りつかれながら生きてきたというのが実際の所だろう。
 それを脚本・田渕久美子さんが求める<理想の女性像>に無理矢理あてはめたから、訳がわからなくなってしまった。
 もちろん、作品は現代人が見るものだから、現代の視点で人物を描けばいいのだが、それが度を過ぎると今回の江のようになってしまう。
 江の場合はほとんど資料が残されていないそうだが、作家はまず、出来る限り資料を集め、読み込み、対象となる人物の心の声に耳を傾けるべきである。
 そこから現代視点の創作が始まる。
 司馬遼太郎さんなど昔の歴史小説家は当然のごとく、それをやっていたんですけどね。(「坂の上の雲」執筆の時などは、神田古書街の日露戦争関係の本がすべて司馬さんによって買い占められたそうだ)
 今はほとんどそれがない。


※追記
 瀬戸内寂聴さんは、平塚らいてうを描いた小説「青鞜」の中で、主人公平塚らいてうへの作家としてのアプローチの仕方としてこう書いている。
「私は『青鞜』の社会的意義を、あまりに高く評価するがために、らいてうに対しても、かくあってほしいというイメージを理想化していて、そのイメージから外れるらいてうを見まいとして、勝手にらいてうとの間に霧を湧かせていたのかもしれない。
 そう考えついた時、私はふいに肩の力が抜けるのを感じた。ようやく、らいてうの声を聞く電気装置がつながれたような安心感があった」

 果たして、脚本・田渕久美子さんにこのような謙虚さがあったかどうか。
 田渕さんの場合は、<自分の描きたい人物像が優先。歴史上の人物はそれに合わせてくれればいい>みたいな傲慢さを感じる。


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AKB48コント番組「びみょ~」 アホキャラをやらせたらナンバー1の市川美織さん

2011年11月25日 | アイドル
 AKB48のコント番組「びみょ~」
 アホキャラをやらせたら、みおりんこと市川美織さんの右に出る者はいない。

★師匠と弟子(10/20放送)
 柏木ゆきりんが演じる剣術の師匠の所にテレビの取材が来て、その凄技を見せることに。
 その技の相手をするのが、弟子の市川さん。
 しかし、弟子の役の市川さんは自由でメチャクチャ。
 <面>を打つ段取りなのに<胴>を打ち、<胴>を打つ所に<スネ>を打つ。←ゆきりん、痛そう!
 真剣白刀取りでは、手の間をすり抜けて、頭に直撃!

 昔ながらの古典的なギャグなのだが、市川さんがやるとおかしい。
 これが個性であり、才能である。

★お弁当(10/20放送)
 お金持ちのお嬢様の市川さんが、貧乏人の生徒に持って来た豪華なお弁当を食べられる話。
 「あれは何?」と言われて、市川さんが視線を他に向けた隙に、お弁当を食べられる。
 「ここの勉強を教えて」と言われて教えている隙に、食べられる。
 当の市川さんは、お弁当が減っていることを変に思いながらも、食べられていることに気づかない。自分が食べたと思っている。
 「こんなにお弁当が減っているのに、あたし、全然お腹がいっぱいにならないなぁ」などとコメント。
 こうしたやりとりが何度も繰り返されるだけの単純なコント。

 これも市川さんならではである。
 同じ役を他のメンバーがやっても面白さは半減するだろう。

★メモ(11/3放送)
 このコントで、市川さんの<アホキャラ>は完全に定着。
 言われたことをすぐに忘れる小学生の市川さんは、メモを書くように言われる。
 言われたことを手に書く市川さん。
 「明日、大掃除を行います。A・B班の人はちりとりを、C・D班の人はぞうきんを持って来て下さい」という先生の言葉をメモ。
 しかし、翌日市川さんが持って来たのは、
 中華料理の<エビチリ> ←A・B班、ちりとりが<エビチリ>になってしまった(笑)
 ゾウさんのCD ←C・D班、ぞうきんが<ゾウさんのCD>になってしまった(少しきついか?)
 オチはこんな感じ。
 先生がメチャクチャ長い指示を出す。
 「明日、持ってくるのは算数のドリル、書き初めの道具、理科の教科書、社会の世界地図……」と長い指示を出されて、市川さんは自分の手には書ききれず、机に書き、先生の腕に書き、先生の顔に書く(笑)

 というわけで、アホキャラをやらせたらナンバー1の市川美織さん。
 もしかしたら、第二の藤山寛美になれるかも?
 こういうアホキャラは、一生懸命で純粋なんですね。人を疑うことを知らない。自分のしていることも疑わない。
 まさに「フレッシュレモンになれる」と信じている天真爛漫な市川さん、そのもの。
 もっとも最近、AKBINGO!などでその<フレッシュレモン>キャラに疑惑が出てきているようだが(市川さんの家の冷蔵庫にはレモンが1個もないらしい)、アホキャラが自然に出来ることはひとつの才能。
 さらなる成長、ブレイクを!


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相棒10 「ラスト・ソング」~「ともかく歌いたかった。ただ歌いたかっただけ」

2011年11月24日 | 推理・サスペンスドラマ
★なぜ安城瑠里子(研ナオコ)は”WHEN LOVE KILLS YOU”を歌わなかったのか?
 ここがポイント。(以下、ネタバレ)
 ここで犯人が分かれる。
 つまり、もし瑠里子が犯人だとすると、歌わなかった理由は、歌の内容が<人を殺した瑠里子にとって生々しかったから>。
 しかし、歌わなかった理由は他にあった。
 それは”LOVE KILLS YOU”の演奏の時に使う<ミュート(弱音器)がなかったから><ミュートが犯行現場に残されていたから>。
 そして、これが犯人解明につながる。

★それにしても人間の心というのは深く不可解だ。
 作品では、瑠里子の動機が、伊丹(川原和久)が推理したはずれの動機も含めて3つ語られる。

 まず伊丹が推理した動機。
 それは金銭トラブル。
 瑠里子のギャラが<不当に低いギャラ>であったため、怒りで殺したという動機。

 しかし、右京(水谷豊)はそれで良しとしない。
 そこであがったのが、<真犯人である男を守るため>に瑠里子が偽装工作をしたという動機。
 <愛ゆえに>という動機だ。

 だが、それも違っていた。
 ここが「相棒」が他の刑事ドラマと違う所。
 普通の刑事ドラマなら、<愛ゆえの偽装工作>ということで終わってしまうだろう。
 しかし、「相棒」はさらにひねる、
 
 瑠里子は別に真犯人の男を愛していなかった。
 自分しか愛せない自己愛人間だと思っていた。
 それでも瑠里子が男を守ったのは、次のような理由からだった。

 「でもね、あいつじゃないとダメなのよ。あいつがいなければ、それまでのように歌えない。あの男のアレンジと演奏と、後ろにあいつがいる時だけ、自分の望むように歌えた。ともかく歌いたかった。少しでも長くあの場所に立っていたかった。ただ歌いたかっただけ」

 <歌手の業>である。
 「ただ歌いたかっただけ」という<歌手の業>が瑠里子に偽装工作をさせた。
 先日、亡くなった立川談志師匠は「落語とは人間の業の肯定である」と語ったそうだが、この作品もどうしても抑えることの出来ない<歌手の業>を描いている。
 これは普通の人間には理解しがたい動機。

 そしてラストの余韻。
 瑠里子は客のアンコールに応えようとしない。
 なぜなら、自分を最高の歌手にする男が逮捕されてステージにいないからだ。
 『その男がいなければ、自分は納得する歌を歌えない』瑠里子はそう考えたのだろう。
 それに瑠里子は既に最高のコンサートをしている。
 右京が”WHEN LOVE KILLS YOU”をリクエストし、男が逮捕される前に行ったコンサートだ。
 『このコンサートが終われば、男は逮捕される。だから、これが自分の最後のコンサート』
 こう考えたからこそ、瑠里子は、米澤さんが言う<最高のコンサート>が出来たのだろう。
 そして<最高のコンサート>の記憶を胸に、自分の歌手人生を終わらせたかったのだろう。
 これも<歌手の業>である。


 
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けいおん!~「あずにゃ~ん」に癒される

2011年11月23日 | コミック・アニメ・特撮
 アニメ「けいおん!」の豊崎愛生さんの声は、癒される。
 豊崎さんが演じているのは、平沢 唯という主人公のボケキャラ。マイペースキャラ。
 唯はせりふの端々でこんなふうに話す。

 「どうしよう~」
 「そうかな~」
 「う~ん」(悩む)
 「ふむ!」(納得)
 「おーっ!」(関心)
 「ありがとう!」
 「あずにゃ~ん」←後輩の中野 梓に甘えて
 「うい~」   ←妹の憂(うい)に甘えて

 唯が天然キャラであるせいもあって、これらが実にかわいい。
 
 「ふむ!」とか「おーっ!」といった感嘆詞だけで、心をくすぐられるというのもすごい。
 「あずにゃ~ん」「うい~」が名セリフになってしまうのも画期的。
 以前の記事(「けいおん!~何もないことの魅力。夢や恋愛、正義からの解放」)でも書きましたが、「けいおん!」の魅力は、日常を淡々と描き、劇的なドラマが起こらないこと。まったりとしたボケ・ツッコミライフ。
 なので、「ふむ!」や「あずにゃ~ん」が名セリフになってしまうのだ。
 逆に唯が、かっこいいことや意味のあることをしゃべったらシラけてしまう。

 というわけで「けいおん!」の魅力を言葉で表現するのは非常に難しいのですが、まったりとしてクスリと笑いたい方は必見!!
 見れば、「けいおん!」ワールドに絶対にハマる。
 この作品が多くの人に愛されていることは、第1期シリーズ13話、第2期シリーズ24話、番外編3話、劇場映画(12/3に劇場公開)が作られていることが物語っている。
 ちなみに劇場公開の前宣伝として、不定期ですが、現在TBS深夜で再放送中!


※追記
 短いセリフの名セリフとしては、琴吹 紬(寿美菜子)の「うん!」もある。

※追記
 監督の押井守さんは現在のアニメをこう批判しているそうだ。
「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」
 つまり、この押井さんの言葉を掲載した記事に拠ると、こういうことらしい。
「制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメはオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから「表現」が制作者から無くなった。確かに11年9月から始まった20本近い新作テレビアニメを見ると、さえない男性主人公の周りに美少女が群がる「ハーレムアニメ」が驚くほど多く、過去にヒットした「ハーレムアニメ」作品と共通する内容がかなり多い」(J-CASTニュースの記事より抜粋)。

 確かにそうした面もあるかもしれないが、ならば押井さん、「けいおん!」をぜひ見て下さい。
 ここには、<思想的なもの>を信じないという作り手の思想があるし、<劇的なドラマ>を作らないという創造性もある。
 <劇的なドラマ>を作らないで、作品を面白く見せるというのは、いかに難しいことか!
 「けいおん!」も美少女が出て来る「ハーレムアニメ」かもしれないが、美少女が群がる<さえない男性主人公>は登場しない。というか男性キャラは、楽器屋の店員の他は全く出てこない。



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南極大陸~男だけの<王道ドラマ>は現代でウケるか?

2011年11月22日 | その他ドラマ
 男たちの物語である。
 それと犬たち。
 ここに女性はいない。
 その象徴が美雪(綾瀬はるか)。
 彼女の東京でのシーンは様々な形で挿入されるが、決してメインのストーリーに絡まない。あくまで蚊帳の外。
 倉持(木村拓哉)は美雪のことなど、時々思い出すくらいだ。
 「私が恋愛できない理由」など、女性メインの作品が多い中、<男だらけ>の作品を作りたい。
 これが製作者の意図なのではないか。
 倉持と氷室(堺雅人)の関係なんか、そのまま同人誌が作れそうだし。

 男たちの人物配置も絶妙だ。
・熱血と理想の人 倉持←典型的なヒーロー。
・クールな理論派 官僚的な氷室。
・「まあまあ」と温厚な調整役を担いながらみんなをまとめていく星野(香川照之)。
・主人公・倉持の補佐役 内海(緒形直人)。
・気の荒い人情派・鮫島(寺島進)。
・少し頼りない若者 犬塚(山本裕典)。
・食事を作り、ドラマの緊張を和らげる山里(ドロンズ石本)。
・生まれた子供の話題で、サブエピソードを展開する横峰(吉沢悠)。

 ここにはドラマを作る上で必要な人物配置がすべて盛り込まれている。

・ヒーロー  倉持
・敵     氷室(主人公の行動にブレーキをかける。障害になる)
・リーダー  星野
・補佐役   内海
・トラブルメーカー 鮫島(いざという時には、力を発揮して頼りになる。突破力になる)
・  〃      犬塚
・ムードメーカー  山里
・サブエピソード担当  横峰

 ドラマの人物配置としては、いささか古い感じもするが、反面、<王道>とも言える。
 この人物配置を応用すれば、物語はわりと簡単に作れる。(「妖怪人間ベム」などもこの配置にのっとっている)
 そして、この人物配置の王道であるがゆえの<古さ>を補うのが、太郎、次郎を始めとする犬たちだ。
 犬たちがいなければ、あまりにもオーソドックス過ぎて、現代のわれわれには退屈な作品になってしまったかもしれない。

 さて、<王道>をいくこの作品、視聴率はだいぶ下がってしまったようだが、最終的にどう評価されるか?
 女性がほとんど絡まない<男だけの世界>というのは、逆にドラマとして新しいと思うのですが……。


※追記
 先程のドラマにおける人物配置を「家政婦のミタ」で当てはめてみる。

・ヒーロー     三田 灯 ←ヒーローではあるが、誘拐はするし殺そうとするし、完全なアンチヒーロー。
・トラブルメーカー 恵一
・  〃      結
・  〃      翔
・  〃      海斗
・  〃      希衣
・  〃      うらら

 といった具合に、ほとんどがトラブルメーカーで、<王道>をぶち壊している。
 だから「南極大陸」は古くて、「家政婦のミタ」は新しいんですね。
 ヒット作は<王道>をぶち壊す所から生まれるのかもしれない。



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江~姫たちの戦国~ 第45回「息子よ」

2011年11月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 上手いですね。
 秀忠(向井理)と家康(北大路欣也)の問題、次期将軍の後継者問題を一気に片づけた。
 ふたつの問題の共通の答えは、<やさしさ><弱さ>。

 秀忠も竹千代(水原光太)も、やさしく、自分の弱さを知っている人間だった。
 家康が秀忠を二代将軍に選んだのは、<やさしさ>があったからだった。
 やさしく、自分の弱さを知っている人間は簡単に争わない。<人が死ぬこと>や<いくさ>が嫌いで、争いごとを避けようとする。
 これからの平和な時代には、そういった秀忠の資質こそが大切だと家康は考えたのだろう。
 ただし、時には覚悟を決めて、<鬼>になる必要もある。
 そのことを学ばせたくて、豊臣を滅ぼす役を秀忠に科したのだろう。

 そして竹千代も秀忠と同じ資質を持っていた。
 秀忠との問答で、竹千代は「わたしは弱き男。いくさが嫌い」と言い切った。
 前回、そして今回も回想として描かれた<千(忽那汐里)が悲しむ姿を竹千代が柱の陰から見ているシーン>も竹千代のやさしさを表すエピソード。
 竹千代は千の痛み、つらさを深く理解し、感じたのだ。
 この繊細な感受性。
 これは才気煥発な国松(松島海斗)にはないもの。
 才気に溢れ、ある意味、自信家の国松は、問題が起きた時、簡単にいくさに拠る解決に踏み切ってしまうかもしれない。
 それは戦国の時代なら君主として必要な資質だが、平和な時代には不向き。

 竹千代の化粧が<母親を求めていたから>という理由づけも上手い。
 少なくとも僕は予想できなかった。
 これにより竹千代の印象はマイナスからプラスへ。
 視聴者を見事に裏切り、同時に竹千代の繊細さも描いた上手い作劇だと思う。
 ただし、少し客観的に見ると、この竹千代の<繊細さ><母親を求める気持ち>に最後の最後まで気づかなかった江(上野樹里)はおバカさん。
 せっかく秀忠との問答で、竹千代が「いくさがない世を作ることは、母上が望んでいることだと思います」と母を求める意思表示をしているのだから感じてあげないと。
 福(富田靖子)も知っていたのなら、もっと先に話すべきだし、ラストで母と子が抱き合うシーンに涙するのも、今までの福の描かれ方から考えると不自然、唐突。

 そして秀忠と家康の語らい。
 北大路欣也さんの名演技もあってよかった。
 「そなたは立派な将軍よ」「そなたがかわいいのよ」
 「今、父上を失いたくないと思っております」
 「不器用よの」「親子ですから」
 父と子の関係というのは、おおむねこんな感じ。
 父親は抽象的な形でしか愛情を示せず、敢えて息子に試練を与えたりする。
 息子は乗り越えるべき存在として、父親に反抗する。
 そして、死ぬ間際になるまで腹を割って話そうとはしない。

 秀忠が二代将軍にした理由を「自分(家康)の意のままに従う人間だから」と考えていたのに対し、家康は「自分に反抗的な人間だから」と考えていたのも面白い。
 家康は、自分にない秀忠の資質を理解し、認めていたのであろう。

 <やさしさ><自分の弱さを知っていること>
 今回は秀忠と竹千代を通して、その大切さを描いた。


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ブラタモリ~上野動物園はワンダースペース!

2011年11月18日 | 東京探訪
 タモリさんが様々な場所を散歩して歩く「ブラタモリ」。
 番組全体のまったりした感じが心地いい。癒される。
 バラエティって、基本的には機関銃のようなアップテンポ・ハイテンションですからね。
 しかし、そろそろこれらが見直されてもいい時期かもしれない。

 この番組は、想像力も刺激される。
 昨日(11/17)に放送されたのは、上野動物園。
 パンダなどに隠れて地味な場所なのだが、上野動物園の中の<子供動物園>には必見の動物がいる。
 <木曽馬><野間馬>
 日本オリジナルの在来馬だ。
 体は小さくて、脚も短い。
 タモリさんに言わせると顔も<和顔>をしているらしい。
 明治になると、体の大きな軍馬が必要になり、西洋の馬とかけ合わせたため、日本の在来馬は現在ごくわずかだとか。
 想像力を刺激されるのは、この在来馬に戦国時代の武将たちが乗っていたことだ。
 体の小さな在来馬に鎧をつけた武将が乗っている姿を想像すると、どこか滑稽で微笑ましい。
 映画や大河ドラマで、馬に乗ってかっこよく戦う武将の姿はウソだったのだ。
 現実は乗れば足がついてしまうロバのような馬に乗っていた。
 なお、この<子供動物園>には他にもアグーという沖縄の豚や日本オリジナルのヤギなどがいて、貴重な在来種の宝庫らしい。
 そして、こちらの方がパンダよりも大人の好奇心をそそる。
 <子供動物園>と称しているが、実はここは<大人動物園>なのかもしれない。

 その他にも上野動物園には隠れた見所スポットがある。
 上野動物園には坂があり、窪地になっている1ヘクタールの地域があるが、そこが明治に作られた最初の上野動物園だったらしい。
 上野動物園は、その窪地からどんどん増殖して(何と14倍の大きさになって)、現在の姿になったのだ。
 また隣接している寛永寺・寒松院には、戦国武将・藤堂高虎を始めとする藤堂家の墓所があるらしい。
 一般公開されていないそうだが、番組で紹介されたのは、何と高さ4メートルの高虎の巨大な墓。
 何という大きさ! 威容!
 その他にも<冬眠している熊>を観察できる場所や、ヘビを脚で叩き殺して食べる<ヘビ食いワシ>、巨大な動かない鳥<ハシビロコウ>などがいる。
 ちなみにこの<ハシビロコウ>、本当に動かない。まるで剥製のよう。
 恐竜時代、まだ地面を二本脚で歩いていた<鳥の祖先>のような雰囲気もある。
 動かないことが、<ハシビロコウ>の鳥としての進化に影響したのかもしれない。

 というわけで上野動物園はまさに<ワンダースペース>。
 東京には目を懲らしてみれば、ワクワクするような面白い場所がたくさんある。
 「ブラタモリ」は、その発見の仕方を教えてくれる。
 

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相棒10 「消えた女」~「彼女はいいジャーナリストになりますよ」

2011年11月17日 | 推理・サスペンスドラマ
 職場にもマンションにも存在しない女・山原京子(森口彩乃)。
 彼女のいたホテルでは殺人事件が起こり、殺された男は紛争地を渡り歩いている男。
 ホテルの駐車場からは外務省ナンバーの車が乗りつけ、捜査をする右京(水谷豊)たちには上から圧力。

 一見すると、<国際事件><国家的謀略>を思わせる巨大な事件。
 しかし、蓋を開けてみると……。

 以下、ネタバレ。


★事件はふたつの事件が絡み合っていた。
 ひとつは<麻薬売買>に関わるトラブル→殺人。
 もうひとつは人材派遣業を隠れ蓑にした<売春>。政治家や霞ヶ関官僚を相手にした高級娼館。

 ひとつひとつは単純な事件だが、それらが絡み合うと事件は複雑になる。
 ひもや電気コードが絡まって、わけがわからなくなるのと同じで、事件は難しくなり<国家的謀略>に見えて来る。
 その絡まったひもを解きほぐしていくのが、右京の役割だ。
 これは連立方程式を解くのと同じで、一方の答えが出て来ると、もうひとつの答えが出て来る。

★面白いのは、人材派遣業(この作品では<ブレイブスタッフ>という会社)の設定だ。
 政治家や霞ヶ関官僚を相手にした高級娼婦の派遣。
 その派遣部署は<営業促進部>という名で公にされていない。
 マンションの5つの部屋を社宅として借りていて、犯行隠しのために別の派遣スタッフを住まわせる。管理人も派遣スタッフで入れ替え、警察が聞き込みに来た時に備える。
 実際にありそうで、上手い設定だ。
 現実にある職業の背後にこんな<裏の仕事>が隠されていたなんて、実にワクワクする。

★余韻は右京のラストの言葉。
 通信社の記者をしている守村やよい(本仮屋ユイカ)について、右京は「彼女は『助けてくれ』という山原京子の心の声を聞いていた。彼女はいいジャーナリストになりますよ」と語る。
 確かに、人間を相手に取材するジャーナリストにとって<感じる力>って大切ですよね。
 今の多くのマスコミは、感じることはせず、対象を批判・弾劾して、それを商売にしている。

 あと、味があるのは右京たちと伊丹たち(川原和久)の関係。
 「ヤバい捜査は特命係に」(笑)、「立っているものは特命係でも使え」(笑)。
 伊丹たちは「正義感の強いおふたりだから」と言って特命係を利用し、右京も利用されることを良しとしている。
 この屈折した共闘関係。
 なんだかんだ言って、両者は理解し合っているんですね。


※追記
 今回の「消えた女」は、W・アイリッシュの「幻の女」、あるいは短編「階下で待ってて」を意識しているのか?
 また、会社の中に特殊な秘密の部署があるという設定は、黒田研二「ウエディング・ドレス」(講談社刊)にある。


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