平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

JIN -仁- 第8話 自分の器を生きる 

2009年11月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 実に豊かな作品ですね。
 たとえば女形役者の田之介(吉沢悠)。
 単純に女郎・初音(水沢エレナ)に不義理している悪い奴と描かない。
 彼にとって稼いだ金は<血と肉>の結果であり、自分の身を削ろうとしないお坊ちゃん、恭太郎(小出恵介)を非難するのだ。
 悪を悪として描くのは簡単。しかし、悪にも悪の論理、プライドがある。
 それを描いてくれると人物が深くなるんですね。
 「この田之介、命には命で応じるさ。おととい来やがれ!」
 と、新ペニシリンを我が物にしようとする中条流の医者に啖呵を切る所もカッコイイ!

★さて今回のテーマは<器>。
 説得して五千両を引き出すことの出来る龍馬(内野聖陽)。
 新ペニシリンの開発費四百両を作れない仁(大沢たかお)。
 初音に眼鏡を与える費用を家宝の器を売ることでしか作れない恭太郎。
 三人三様の大きさの<器>が描かれる。
 そして仁と恭太郎は龍馬と比較して自分の器の小ささに劣等感を抱いている。
 でも人は<自分の器>の中で精一杯生きればいいんですね。
 仁は<医術>という器。
 恭太郎は<護衛>という器。
 <護衛>とは、この場合<他人のために身を捨てられる>ということ。
 恭太郎は江戸にタイムスリップした仁を身を捨てて助け、今回は身を捨てて新ペニシリンを守った。

 現代では<自分探し>ということがよく言われますが、自分探しとは他人と比較して自分も同じようになろうと言うことではなく、自分の器を見定めよということなんですね。
 ただ「自分の器の大きさは決まっていて、すごく小さい」と認めることはなかなかつらい。
 器の大きさが決まっているのだから、努力なんてしてもムダだとも考えてしまう。
 だが、この作品はそれにも答えを出している。
 ヤマサ醤油の濱口(石丸謙二郎)は仁に言う。
 「自分の器の中で精一杯生きることは美しい」。
 初音も前回同じことを言った。
 「小さな器も美しい」

★この作品にはこのような<人生の教訓>がたくさん盛り込まれている。
 「欲は生きる源じゃ」もそうだし、今回もうひとつ語られた「誰もが誰かに支えられて生きている」というのもそう。
 人はそれぞれ持って生まれた器が違うのだから、お互い得意分野で支え合っていくしかないのだが、そんな単純な真理も現代社会では忘れてしまいがち。
 「JIN -仁-」はある意味説教くさいドラマとも言えますが、せっかくドラマを見るなら何かを学び取っていきたいですね。

※追記
 人物の深さという点では初音もそう。
 恭太郎に思わせぶりをして、実は田之介に思いを寄せている。
 そんな自分を初音は責める。
 「あちきは人でなしでありんす。女郎のくせに嘘をつくことも出来んす」
 これが深い人間描写なんですね。
 初音にこのせりふを言わせるか言わせないかで、ドラマの深さが違ってくる。
 この初音の言葉に対し、「おのれの気持ちに嘘はつけませぬ。せんないことかと思います」と答えた咲(綾瀬はるか)のせりふも見事。
 このせりふは初音に言いながら、実は自分に言っているんですね。

 あらゆる登場人物に愛情を持って深く描き込んでいくこの作家さんは素晴らしい。
 比較するのはこれでやめますが、先週終了した某大河ドラマとはえらく違います。


コメント (10)   トラックバック (13)

ミスト

2009年11月29日 | 洋画
 昨日に引き続きスティーヴン・キング。
 この作品は<霧>という道具立てを持ってきた所がスゴイ!

 あたり一面に広がる濃霧。
 何も見えない視界ゼロ。
 主人公たちはスーパーマーケットに避難しているが、そこから出て行った者たちはみんな死んでいく。
 主人公は霧の中から出て来て人間を捕らえる奇怪な触手を目撃する。
 霧の中に何かがいる!!
 霧の中にいる物は何か!?

 この作品の怖さというのは、敵の姿が見えないこと、敵が何物かわからないこと。
 これは人間の原初的な不安・恐怖に根ざしている。
 たとえば山で視界ゼロの濃霧に遭遇した時、人は不安・恐怖を感じる。
 あるいは時をはるかにさかのぼって原始時代。灯りのなかった時代の夜の暗闇の不安・恐怖!
 スティーヴン・キングはこれら人間のDNAの中に刻まれている普遍的な怖さに着目し、エンタテインメントにしているのだ。

 しかし、こうした怖さも敵の実体がわかってしまうと怖さは半減する。
 敵は軍の実験がもたらした異次元の怪物たち。
 銃で倒せるし、火で燃やせることがわかると主人公達は事態打開に向けて戦い始める。
 これで物語は敵を倒して終わり?
 だが、キングは次なる恐怖を用意する。
 それは<人間>。
 避難したスーパーマーケットには宗教の狂信者がいて、「これらの災厄は神の裁き。神の怒りを鎮めるために生け贄を捧げよ」と言い出すのだ。
 そして通常ならそんな言葉に従わないまわりの人間達も恐怖から狂信者の言うことを信じるようになる。
 主人公達を生け贄にしようとする。
 この<人間>の怖さ!!

 こうしたふたつの恐怖を用意している点で、さすがスティーヴン・キング!!
 映画版「ミスト」のラストは、スティーヴン・キングが絶賛したという原作とは違う内容。
 ネタバレになるので書かないが、「あの時、銃を取らなければ」「あと5分思い留まっていれば」という人生のifを感じさせる。
 一瞬の判断ミスが人生を狂わせるという<恐怖>を描いているのかもしれない。


コメント

シークレット・ウインドウ

2009年11月28日 | 洋画
 映画「シークレット・ウインドウ」を見た。
 以下ネタバレです。

 さすがスティーヴン・キング!!
 基本的な物語の骨組みというのは、ヒチコックの「サイコ」と同じ。
 <現実を否定するために作り上げた別の人格が本体の人格を乗っ取って殺人を行っていく>という話。
 でも伏線の張り方が上手いんですね。
 <別人格が主人格を乗っ取った>という真相に向けて情報を小出しにしていく。
 たとえば謎の男・シューター(ジョン・タトゥーロ)が語ることはすべて主人公の作家モート・レイニー(ジョニー・デップ)の心の中にあること。
 それは……
 ★過去一度盗作をしたことがあること。
 ★自分ではなく別の男を愛した元妻を未だに愛し、裏切ったことを憎んでいること。
 ★新作が書けないこと。

 これらレイニーの心の中に抑圧されていることが、謎の男シューターの行動を借りて現出してくる。
 すなわち
 ★シューターが妻の可愛がっていた犬を殺すこと←妻への憎しみの表れ。
 ★シューターが妻や愛人を殺そうとしていること←妻と愛人への憎しみの表れ。
 ★シューターが妻殺しの小説「シークレット・ウインドウ」の書き換えを要求すること。

 シューターが要求した書き換えの内容はこうだ。
 それは小説のラスト。
 「やがて妻の死は俺にさえ謎になるだろう」
 これは主人格と別人格の意識が混濁して、なぜ彼が妻を殺したのかがわからなくなるということを主人公のレイニーが望んでいるから。
 レイニーは自分が妻を殺そうとしていることをはっきりと認めたくないのだ。
 だから別人格のシューターを作り出して、彼が行ったように思いたかった。
 小説のラストを書き換えてすっきりしたかった。

 それにしても別人格が主人格を凌駕して殺人を犯すということがあるんですかね。
 殺人の時だけは意識が別人格になっていて、自分のしていることを覚えていない。
 宮崎勤事件の弁護側などは、そんな主張をしていたようですが。
 いずれにしても人間の心とは不可思議で怖ろしい。

 怖ろしさのオチとしては別人格の男・シューターの名前の由来ですね。
 シューター→シュート・ハー(Shoot her)彼女を撃て!
 レイニーは妻を打ち殺すことを願って、別人格にシューターという名前をつけていたんですね。
 実に見事で怖ろしい。

※追記
 この作品はある意味、スティーヴン・キングらしい作品。
 人格が乗っ取られることは「シャイニング」。
 小説のラストの書き換えを要求されることは「ミザリー」。
 シューター→シュート・ハーはレッドラム(REDAM)→マーダー(MADER)殺人の読みかえのこれも「シャイニング」。


コメント

仕立て屋の恋

2009年11月27日 | 洋画
 仕立て屋のイール(ミシェル・ブラン)は疎外された男。
 誰も彼を好きになってくれないし、彼も自分を疎外する人間たちを嫌っている。
 また自分の心の中に踏み込んでくる人間がいればヒステリックに拒絶する。
 絶対の孤独だ。

 そんなイールが唯一癒される時間は、向かいのビルに住むアリス(サンドリーヌ・ボネール)を見つめる時だ。
 彼はアリスに恋している。
 そしてひたすら遠くから見つめる。朝も夜も着替える時も。
 それは世間一般の目から見れば<のぞき>という犯罪行為だが、彼にとっては恋愛行為。
 人間に傷つけられてきたイールは、アリスとの距離を縮めようとすることなど出来ないのだ。
 遠くから見つめることで成り立っている恋。近づけば、たちまちアリスに傷つけられ、彼の至福の時間はたちまち崩壊してしまうだろう。

 さて、そんな生活を送っていたイールだが、ある日、のぞきがアリスにばれてしまう。
 崩れるイールの理想の生活。抗議のアリスがイールの部屋の扉を叩く。
 だがアリスは抗議はしたが、イールを完全に否定はしなかった。
 イールの自分への気持ちを感じ、「あなたはやさしいそうだから、見られるのは嫌じゃない」と言い、おまけに食事にまで誘う。
 アリスがそうしたのにはある理由があるからだが、ここではネタバレになるので書かない。
 イールもアリスが自分に近づいてきた理由にうすうす感づいているようだ。
 ただ、イールはどんな理由でされアリスが自分を受け入れ、自分も彼女といっしょにいて心地いいことが嬉しくてしょうがない。
 灰色だったイールの人生に色彩が加わる。
 もう一度、人を信じ、距離を縮めてみようと思い、アリスとの生活を願うようになる。
 彼はアリスにこう言う。
 「私は君を人生を賭けて愛す。始めは愛してくれなくてもいい。君のペースで少しずつ愛してくれればいい」
 そして……。

 この作品は<せつない>作品だ。
 自分には誰も愛してくれる人がいない、そんなことを感じた時に見るとイールの孤独、愛への希求が染み入るようにわかる。
 ラストは決して救われるものではないが、少なくとも孤独な自分を深く知ることが出来る。
 映画は孤独を癒す装置なのだ。
 
※追記
 こんなシーンがあった。
 自分の部屋に抗議にやって来たアリスの残り香を嗅ぐイール。
 彼女がベッドに座った部分に鼻を当てる。
 そしてアリスがつけていたのと同じ香水を買って、彼女を感じる。
 何というエロティック!
 そして彼はこんな愛し方しか出来ないのだ。
 この作品は<エロチック>と<せつない>が同居している所がすごい。
 普通はエロはエロであり、他のものと結びついたとしても「氷の微笑」のような<エロ>と<サスペンス>ですからね。
 まさにパトリス・ルコント監督の真骨頂。


コメント

相棒 「フェンスの町で」

2009年11月26日 | 推理・サスペンスドラマ
 純粋推理と言うよりは捜査ものですね。

★まずは犯人像の確定。
 郵便局強盗の情況から犯人像を作り出すわけだが、フェンスの町で犯人が米兵、戦闘のプロと思わせる所がミソ。
 ところが右京(水谷豊)さんはへそ曲がり。違った可能性を模索する。
 スタンガンの改造銃は銃を買えなかったから、自転車での逃走は免許がなかったから。
 もしかして犯人は年少者?
 ただ強盗した時の動きはプロのものだから何らかの訓練を受けている者→サバイバルゲーム。
 <年少者>と<サバイバルゲーム>で犯人像を絞り込んでいって、犯人・土本公平(森田直幸)にたどりつく。

★さて、通常の刑事ドラマならここでめでたし、めでたしとなるのだが、さらに頑張るのが「相棒」。
 押収したパソコンで公平が爆弾を作っていたことが判明。
 公平は学校でいじめられていて、生徒と教師に復讐するためだと自供しているが……。
 聞き取りをしていくと、公平が米軍基地に恨みを持っていることがわかる。
 本当の動機はこちらにあるのではないかと思う右京。
 そして、もうひとり基地に恨みを持っている少年・村越良明(阪本奨悟)がいて、彼は公平をいじめていて……という展開。

★今回の<争っているふたりが実は共犯者だった>というトリックは、僕の大好きな映画「ナイル殺人事件」(アガサ・クリスティ原作)で使われているトリック。
 今回の作家さんがそれをご存じだったかはわからないが、もしご存じだったとすれば、上手く換骨奪胎されていると思う。
 ただ「ナイル殺人事件」を知ってる僕には番組後半の展開がわかってしまったため今回はイマイチ。
 僕なんかより推理小説を読まれている方は尚更そう思われたのではないか。
 また、その他の面でもちょっと。
 爆弾突入を考えていた村越が説得される理由<友情>もそんなものかと思ったし、右京さんの恒例のラストワード「きっと更生してくれるでしょう」もひねりがなくて当たり前過ぎた。
 あくまで「相棒」クォリティとしての不満だが。

※追記
 サバイバル銃の弾丸を尊(及川光博)がよけて、右京に当たる。
 尊はいざとなったら自分がかわいい?
 小技のギャグですね。


コメント   トラックバック (9)

ライアーゲーム 17ポーカー

2009年11月25日 | その他ドラマ
★「ライアーゲーム」の面白さというのは、数学的な世界に加えて心理戦が伴っているということ。
 今回の<17ポーカー>で言えば、秋山(松田翔太)が、菊地翔(眞島秀和)はカードを覗き見しているんじゃないかと言って最初のシャッフルをやめさせたことと、直(戸田恵梨香)の救済案に菊池が乗ってくるかどうか、秋山はそれをどう読むかという部分。
 またベットで何枚賭けるかというのも心理戦の部分。
 この心理戦で勝敗の行方が二転三転する所が面白いのだ。

★一方で「ライアーゲーム」にはこんな弱点もある。
 それはプレイヤーがあまりにも超人になってしまうこと。
 今回の菊池や秋山にはそう。
 菊池の<抜群の動体視力でジョーカーの位置を把握していること>、秋山の<17枚のカードの並びをすべて把握すること>は超人の域に入っている。
 特に秋山がやっていることは完全にコンピューターの演算の領域。
 これをごく短時間で出来るわけがない。

 また世の中はすべてが数学的にきれいに進むわけでなく、偶然の要素が入ってくる。
 たとえばディーラーがパーフェクトシャッフルを失敗したらとか、菊池が予想外のカード交換をしてきたらとかなど、いろいろな要素が入り込む余地がある。
 それを言ったらおしまいでしょうと言われそうだが、そのことに視聴者が気づいてしまうとドラマが興ざめになってしまう。
 また、どんなに絶体絶命でも秋山が勝つことが決まっていることも。
 「水戸黄門」のような予定調和に視聴者がどれだけ飽きずに耐えられるか。
 その危うさも「ライアーゲーム」にはある。

★ということで次回は大将戦! 直が登場!!
 これは面白くなりそうだ。
 直は決して<超人>ではないし、<数学的に行動できる人間>ではない。
 直には不安定さと何をしでかすかわからない不確定要素がある。
 これが面白いのだ。
 秋山のプレイなどより数倍面白くなるはず。
 なぜなら秋山は<コンピューター>で直は<人間>だからだ。

 かつて「ルパン三世」のファーストシーズンで、ルパンの行動をすべて<確率>で読んで攻めてきた敵にルパンは<気まぐれ>で対抗したことがあったが、直には是非この戦い方で対応してもらいたい。
 何をしでかすかわからない直には大いに暴れて欲しい。


コメント   トラックバック (13)

JIN -仁- 第7話 教え教えられる

2009年11月24日 | 大河ドラマ・時代劇
★人は教え教えられて前に進んでいく。

 今回はそんなお話でした。
 仁(大沢たかお)は江戸の人に医術を教えていますが、江戸の人から逆にさまざまなことを教えてもらっているんですね。
 洪庵(武田鉄矢)からは医の道について。これからの生き方について。
 仁は洪庵にこう言われる。
 「より良き未来をお作りなさい。誰もが笑って暮らせる平らかな世をお作りなさい」
 咲(綾瀬はるか)からは<天命>について。
 「いかに生きるべきか、天命を授かる時が来る」
 あるいは以前、仁が咲に語って忘れていたこと。
 「神は乗り越えられない試練を与えない」
 龍馬(内野聖陽)からは争う国内を<一つ>にするという手紙。
 これで仁は漢方と自分の医学を合わせた病院を作ろうと思う。

 仁は洪庵、咲、龍馬に与え、逆に彼らから与えられている。
 これが人と人の絆。
 だから仁は「孤独なんて感じませんでした。こんな自分を信じ支えてくれた方がいましたから」と語ることが出来たんですね。

★仁と洪庵、咲、龍馬の関係は面白いですね。
 まず仁と洪庵。
 彼らはお互いを<師>だと思っている。
 洪庵は病身で苦しいのにもかかわらず、仁が訪ねてくれば「私の師だ」と言って着物に着替えて応対する。
 仁も<先生>と言って、自分がどう生きるべきかを問う。
 
 仁と咲は名コンビ。
 一応、師弟という関係だが、咲の方が腹が据わっている。
 皮膚移植の手術。ペニシリンがないと聞かされて動揺する仁に、咲は「今日は蒸しますね、先生」と額の汗を拭く。
 未来に変えることに悩んでいると、咲は「南方先生が悩むのはそれしかありませんから」と、しっかり仁の心の中を読んでいる。
 ふらふらしている仁を何だかんだで助けているのは咲なのです。
 しかも同時に仁のことが好きで尊敬している。
 こういう女性は現代にはいませんね。

 そしてラスト、仁と龍馬。彼らは友人であり、良き競争相手。
 特に龍馬は仁に刺激を受けて、どんどん自分の道を歩んでいる。
 「南方先生はすごい方じゃ、自分も負けていられない」という気持ちを原動力にしている。
 今までは龍馬が仁の背中を追っていた感じだが、それもそろそろ逆転しそう。
 今度は仁が龍馬に刺激を受けてがんばる番だ。

 この三者三様の人間関係はいいですね。
 実にうらやましい。

※追記
 しょうゆメーカーのヤマサが登場!
 今回の放送でヤマサの売り上げが上がったのでは?
 ちなみにこの番組のスポンサー・東芝の創業者もこの時代の人。
 <からくり儀右衛門>
 どうせならスポンサーよいしょで<からくり儀右衛門>も登場させればいいのに。

※追記
 咲の兄(小出恵介)の描写が気になりますね。
 野風とともに「自分は蚊帳の外」とつぶやいている。
 もしかして龍馬を暗殺するのは咲の兄?


コメント (2)   トラックバック (10)

天地人 最終回「愛を掲げよ」

2009年11月23日 | 大河ドラマ・時代劇
★最終回。
 盛りだくさんでしたね。
 <夫婦><家族><平和><愛と義><ふるさと><景勝との主従><三成との約束><家康との和解><戦国の英雄たちのこと>etc

 この盛りだくさんがこの作品を象徴的に物語っている。
 つまり何を描きたいのか絞りきれていないのだ。
 たとえば「功名が辻」は完全に<夫婦>の物語であった。
 だからもう一度夫婦を繰り返すという最終回のラストシーンも見事だった。
 ではこの作品「天地人」は……?
 <夫婦><主従><友情><愛と義>などがどれも均等。
 いろいろな要素を描くなと言わないが、メインとするものは何かを定めないとすべてが中途半端に終わってしまう。
 個人的には僕は<夫婦>の物語にすればよかったのにと思う。
 なぜなら兼続(妻夫木聡)とお船(常盤貴子)が山に登ってふるさとを見るシーンや隠居して夫婦ふたりで過ごすシーンなどはそれなりに感じるものがあったから。

★ラストは<もみじの家臣>でしたね。
 「わしはもみじになれたかの?」と問う兼続にお船は「あなた様はまさしくもみじでございました」と答える。
 そして満足して死んでいく兼続。
 作家が描きたかった兼続とは、上杉という幹を守る<もみじの家臣>ということだったのでしょう。
 確かにこのことはブレていませんでしたし。

 しかし、この人物像が今に受け入れられるかどうかは疑問。
 何と言っても終身雇用が崩壊し、派遣切りの時代ですからね、幹を企業にたとえれば<もみじの社員>であることにどれだけの人が共感するか?
 兼続は上杉という会社でナンバー2になり立派に勤め上げたが、視聴者は「俺達は違うよ」になってしまう。
 逆に「障害となるものを一掃するために鬼になる」と言った信長や「世の中は金だ」と言った秀吉の方がインパクトがある。(信長は小泉純一郎で、秀吉は田中角栄か?)

 ということで僕は思う。
 なぜ、この時代に<直江兼続>なのか?
 この視点が製作側には欠けていると。
 だから主人公像がフラフラしてしまうし、何を描きたいのかわからない作品になってしまう。
 まさか<兼続>を選んだのは、兼続、幸村、政宗が人気があるからじゃないでしょうね?
 来年は<坂本龍馬>。
 「世の中を洗濯する」と言った龍馬はまさに今の時代に合致している。
 政権交代が起こり、官僚制度を含めた硬直した戦後60年余を<洗濯>している時代ですからね。
 龍馬はまさに今求められている人。
 さて、どう描かれるか?


コメント (7)   トラックバック (17)

古畑任三郎 その脚本の凄さ!

2009年11月22日 | 推理・サスペンスドラマ
 古畑任三郎「笑わない女」を見た。沢口靖子さんがミッションスクールの寮長をやっている話。
 上手いですね。古畑の捜査のすべてが沢口さんが演じる宇佐美のキャラクターから来ている。
 以下、ネタバレ。

 古畑は犯行現場で次のふたつの点に気づく。
・ドアを開け放していた犯行現場。
・被害者が握っていたガウンのボタン。
 犯人の行動としては不自然。
 なぜなら人に見られるかもしれないのに犯行時にドアを開けておくことはないし、死後硬直が始まっていないのなら手を開いてボタンを取り出したはず。
 この不自然さの理由は宇佐美が学校の定めた<戒律を守ること>を厳守する人物だったから。
 ドアを開けていたのは<男性とふたりきりでドアを開ける時はドアを開けていなければならない>という戒律があったから。
 手を開いてボタンを取り出さなかったのは<死んだ人間に触れてはならない>という戒律があったから。
 こうしたことから古畑は宇佐美を追いつめていく。
 そしてラストの落とし方も。
 情況証拠でしかないと反論する宇佐美に古畑は言う。
 「いいえ、あなたは自白します」
 その理由は戒律に「人をあざむいてはいけない」という言葉があるから。
 古畑は問う。
 「あなたは殺しましたね」
 戒律を守ることを自分のアイデンティティにしてきた宇佐美は黙ってうなずく。
 実に上手い。
 最初から最後の自白までこの宇佐美のキャラクターで描かれている。
 それはこんな所にも。
 宇佐美は最初から最後まで古畑の問いに<あざむくことなく>答えていたのだ。
 たとえば「死亡推定時刻にあなたは何をしていましたか?」と古畑に問われ、宇佐美は「部屋でマリア・カラスを聞いていた」と答えた。
 これはウソではない。
 宇佐美は犯行時に被害者の<部屋>にいて、その部屋に流れていた<マリア・カラスを聞きながら>殺人の事後処理をしていた。
 彼女は<部屋>とは言ったが、<自分の部屋>と言ったわけではないのだ。また本当に<マリアカラス>を聞いていた。

 ラストのやりとりも気が利いている。
 連行される宇佐美は古畑にこうつぶやく。
 「最初に『殺しましたね』と聞かれていたら、もっと早く『そうです』と答えていたのに」
 すると古畑はこう答える。
 「今の私の思いは、学校の戒律に『人を殺すなかれ』という項目があればよかったのにということです」

 上手い、上手すぎる。
 どこかで書く機会があるかもしれないが、宇佐美の犯行動機というのも実はすごく深い。
 人間の哀しさというものが見事に描かれている。
 「笑わない女」は古畑任三郎の中でも珠玉の作品である。


コメント

どうした、民主党?

2009年11月20日 | 事件・出来事
 民主党が法案を強行採決。
 僕は民主党を支持する立場だが、これをやってはいけない。

 政治家の方に釈迦に説法だと思うが、民主主義とは手間のかかる不効率なシステム。
 逆に効率がいいのは法も議会も関係ない独裁国家。
 即断即決、指導者の意思で政策をすぐに実行出来る。
 民主主義国家なら手間のかかることをよしとし、議論を尽くさなければ。
 どんな情況、どんな理由があっても。

 僕は別にいいのですよ。
 もと官僚が日本郵政の社長になっても。(役所が決めたものではなく政治家が決めた人事でもあるし)
 マニュフェストの実行が遅れたり、断念するものがあっても。(税収が40兆を割るのですから)
 多少のブレがあっても。(初めてのことで慣れていないのでしょうから)
 多少の政治資金に関する不透明があっても。(人間、生きていれば汚れはつくものですから)
 だが土台がしっかりしていなければいけない。
 土台とは民主的な手続き。議会でしっかり話し合うこと。
 国会運営の難しいことはわからないが、民主党はそこにこだわる政党であってほしい。
 
 また今回のことは民主党の戦略としてもまずい。
 民主党の戦略とは何かといえば、<自民党と逆のこと>をすること。
 <コンクリートから人へ>はまさに自民党とは逆のこと。
 <弱者救済><格差是正>もそう。
 国民はそれを支持したのだ。
 ところが今回の強行採決は自民党と同じことをやっている。
 何だ、自民党と同じか、と思ったら、国民はたちまち離れていってしまう。
 そうしたら、再び政治不信だ。
 新しい政治を信じようと思っている国民を失望させてしまう。
 民主党でも自民党でもないとしたら、国民はどこに行ったらいい?
 共産党やみんなの党では小さすぎるし。
 もしかしたら戦前のように軍部の方に行ってしまうかもしれない。

 ということで現在の民主党は民主主義という点でも重要なのですよ。
 ここで民主主義にこだわり踏ん張らないと、つまり議会で納得いくまで議論をしないと、この国の民主主義は崩壊してしまう。

 民主主義の不効率を大事にしましょう。


コメント   トラックバック (1)