平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

プリズンブレイク シーズン2 第6話

2007年06月30日 | テレビドラマ(海外)
 第6話「再会」SUBDIVISION
 ウエストモアランドの500万ドルを回収するためにユタ州トゥエレにやって来たマイケルたち。
 ティーバッグが隠し場所の地図を食べるなど相変わらずの怪物ぶりを見せるが、たどりついた隠し場所の農場は住宅地に。
 新たな障害だ。
 マイケルは木の高さが違うことから隠し場所の倉庫があった場所をつきとめるが(さすがマイケル!)、不安要素がふたつ。
 ティーバッグとトゥーイーナだ。
 トゥーイーナはヘマをしでかす。
 穴を掘るための道具を調達するために町の園芸店に行くが、トラブルを起こして店主とその友人を監禁。
 ティーバッグは倉庫のあった場所に家を建てた未亡人にご執心の様。マイケルたちは停電を起こし電気工事を装ってその未亡人の家に入り込むが、片手が使えないティーバッグが未亡人のご機嫌取りをする。ティーバッグは性犯罪者で殺人犯。セックスの会話の中で彼の犯した犯罪のことが見え隠れする。「電気工事を装うような面倒くさいことをするよりも黙らしちまった方が早いぜ」というせりふや飲み物の氷を砕くアイスピックも効いていてサスペンスとなる。
 この作品の作者は「倉庫が住宅地になっている」という大がかりな障害と共に仲間の不安要素という小技の障害も用意した。
 大小織り交ぜて実に巧みだ。

 またFBI捜査官マホーンが追いつめていく過程も見事。
 出現情報を分析して、マイケルたちの目的がウエストモアランドの金であることを推理する。
 ウエストモアランドが強奪した金を使ったガソリンスタンドの店員に聞いて、ウエストモアランドが1日に二度満タンの給油したこと。当時の車の燃費から距離を割り出し、ガソリンスタンドから半径100キロの所に金の隠し場所があることを確定。「半径100キロのどんな些細な情報も報告しろ」と指示を出す。
 そして網にかかったのがトゥーイーナの園芸店での事件。
 そこで園芸店主の証言を得たマホーンはマイケルたちがトゥエレの町にいることを確認する。
 マホーンはまさに「追跡者」のお手本。
 広範囲の捜査範囲をどんどん絞り込んで犯人を追いつめていく。
 地図を使ったその見せ方も効果的だ。

 そしてラスト。
 トゥーイーナは園芸店以外でも車に逃走用のガソリンを入れ忘れるというヘマをやらかしていた。
 マイケルは穴を掘っているうちにガソリンを入れてくる様指示を出すが、トゥーイーナはガソリンスタンドでマホーンに捕まって。

 うまい作劇だ。
 ティーバッグやトゥーイーナの狂気や弱さを不安要素にしてサスペンスを盛り上げる手法やマホーンの犯人の居場所を特定していく手法などを覚えておきたい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしたちの教科書 最終話

2007年06月29日 | 学園・青春ドラマ
 やはり最終回で破綻してしまった感じ。
 言いたかったことは「生きよう」。

 明日香(志田未来)の言葉。
 「今、自殺したら未来の自分にも過去の自分にも怒られる。今の自分は思い出と夢と共に生きている」
 壁に書かれたメッセージ、自分への手紙というのは手法として面白い。
 メッセージの内容もいい。
 しかしこのメッセージと珠子(菅野美穂)たちが闘ってきた内容とは直接関係ない。
 裁判の意味については珠子も言っていた様に曖昧に。珠子は迷う。「自分は何のために闘っているのか?」「明日香は裁判を望んでいたのか?」
 判決も形式どおり。
 明日香の死が事故だったためだが、判決は「明日香さんの死といじめには何の因果関係も認められない」
 できればここで裁判長にいじめについて一言言及してほしかった。
 明日香の問いかけ「世界を変えることができますか?」についても様々な意見が。様々な意見があって視聴者に委ねるということがあってもいいが、珠子や加地(伊藤淳史)の意見を描かなければ、ドラマとして成り立たない。裁判や明日香の事故に対して彼らがどう思ったか?何を考えたか?を描くのがドラマだからだ。

 結局、過去11回にわたって描かれてきたことは何だったのか?
 結論は出されずに「生きよう」というメッセージでお茶を濁された感じがする。
 その作劇上の原因は
★明日香や仁科朋美(谷村美月)が中盤で珠子の闘いに直接絡んで来なかったこと。最後の最後で実はこうでしたと言われても……。
★明日香の事故や雨木の息子・音也(五十嵐隼士)の立てこもりに対して主人公たちの意見、リアクションがないこと。「1年後」として省略されてしまった。
★珠子の闘う相手が最後には誰もいなくなってしまったこと。(最終回前で雨木副校長も改心)

 この作品で評価できるのは、
 明日香の作文を読んで珠子が立ち上がる第2話
 思い出の時計を売って教科書を買った明日香の無念を知って立ち上がる珠子を描いた第7話
 珠子の主張がことごとく覆される裁判と山田加寿子(鈴木かすみ)へのいじめが同時並行で描かれる第8話
 熊沢茂市(佐藤二朗)が証言する第9話だ。

 人間の激しい感情がドラマを面白くする。
 ぶつかり合いの中でテーマは描かれなくてはならない。

★追記
 様々な方のブログを読ませていただきわかったこと。
 珠子も加地も朋美も、明日香のことで過去に間違いを起こして苦しんでいる。
 そして未来を見られないでいる。
 プライベートスクールで茫然自失の朋美はまさにそう。
 加地も学校を辞めようと思った。
 珠子も裁判の意味がわからなくなった。
 それを明日香はそうではないと言っている。
 過去のことは当然背負っていかなくてはならないが、同時に未来も見なくてはならないと。
 この作品の構造はそういうことだたのか。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パフューム ~ある人殺しの物語~

2007年06月28日 | 洋画
 世界にふたつとない嗅覚を持ったグルヌイユ。
 彼は『至福の香り』を求めて生きていく。
 しかし『至福の香り』を持つ赤毛の少女はグルヌイユが声をあげられまいとして口を塞いだ時に謝って殺してしまう。

 この作品は天才の狂気を描いている。
 至福の香りを得るためには殺人をも厭わない。
 グルヌイユが分析するに『至福の香り』を作り出すには人間の体臭が必要らしい。しかし体臭を香りのエキスとして定着するには皮膚に油を塗り殺さなくてはならない。
 次々と殺人をしていくグルヌイユ。
 至福の香りを得ることが人生の目的である彼には何の道徳も罪の意識もない。
 天才の偏執である。

 さてこの作品がエンタテインメントとして難しいのは誰に感情移入していいかわからないことである。
 グルヌイユは嗅覚の天才だが、殺人者・モンスターだ。
 殺人をすることにためらいも葛藤もない人物に感情移入できない。
 観客は彼の狂気に距離を置いて見る。
 では彼に殺される人物たちはどうか?
 残念ながら彼女たちは作品ではあまり深く描かれていない。
 ローラという『至福の香り』を持つ少女が中盤現れるが、父親の愛を受けていること、侯爵のプロポーズを受けていること以外、人物造型に深みがない。
 だから殺される瞬間は怖くてもそれ以外は観客は距離を置いて見る。

 またこの作品は『天才の狂気を描いた悲劇』なのか『ホラー・サスペンス映画』なのかがはっきりしない。
 どちらかと言えば前者なのだろうが、作品のコンセプトがどっちつかずで曖昧なのだ。
 「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」の様な深さもない。それは自らの狂気に対する怖れや葛藤がないからだ。狂気に対する葛藤がなければジェイソンになってしまう。

 この作品がやっとドラマになるのは後半だ。
 ここでやっとグルヌイユが人間になってくる。感情移入できるようになってくる。
 それは「彼が誰にも抱擁されたことがない」「誰にも愛されたことがない」ということがわかった瞬間だ。
 グルヌイユはパリの魚市場で産み捨てられて母親に抱かれた記憶がない。
 その後は施設と過酷な労働の革のなめし工場。施設では異常な嗅覚を持つグルヌイユを気味悪がって子供たちは迫害した。
 彼は人間を拒み、赤毛の少女の持つ香りだけを愛した。
 そして香りの狂気に取り憑かれ、やがて自殺。
 この孤独。

 それにしても人間というのは奇妙な生き物だ。
 この作品のクライマックスシーン、CMや予告編などでもインパクトがあったが、裸の男と女が折り重なって抱き合う。
 これはグルヌイユの至福の香りがもたらした官能の結果だが、人間は時として非日常に生きる。
 この作品にはドラマがないと書いたが、グルヌイユやこうした人間たちの姿を目の当たりにするだけでも意味があることではないかと思えてしまう。

★追記
 小道具としての猫の使い方がうまい。
 ある娼婦を殺害するグルヌイユ。
 娼婦は猫を飼っているのだが、カメラは殺害シーンを直接描かずに、音と驚く猫の顔をアップにする。
 次に娼婦の体臭のエキスを作り出すことに成功したグルヌイユ。液を手に落とすとその猫がやって来る。飼い主だと思ったのだ。これでエキスを作り出したことに成功したことが伝わる。
 ラストはグルヌイユが殺人鬼であることがわかるきっかけ。
 猫が土を掘っていると女性の髪の毛が。
 グルヌイユが埋めたものだ。

★追記
 カットバックの手法も効果的だ。
 グルヌイユの殺人シーンと町の人間が対策と恐怖に脅えるシーンがテンポ良くカットバックで描かれる。

★追記
 18世紀フランスの死刑ってすごい。
 衆人監視の中の公開処刑。神父が破門を宣言する。十字架に作りつけられ鉄の棒で12回殴られ骨がくだける。その痛みの中で絞首刑。
 おそろしい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラブ・アクチュアリー

2007年06月27日 | 洋画
 9・11以降、怒りと憎しみが渦巻く中、世界にはこんなに愛が溢れているということを描いた作品。
 愛を求める人たちは次のとおり。
★秘書に恋をした英国首相
★義理の息子との関係に悩み、アメリカの女の子に思いを寄せる息子の恋の応援をする父親
★ポルトガル人のメイドと恋に落ちる小説家
★夫の浮気に気づき悩むの主婦
★アメリカならイギリス人はもてると思って渡米する若者
★シャイな男優とポルノ女優
★親友の恋人に思いをよせる新進画家
★新曲のクリスマスソングに起死回生を賭ける元ロックスター
 これらのエピソードが同時並行で進行していき、ラストのクリスマスでそれぞれの結実を迎える。
 実におしゃれな作りだ。
 それぞれのキャラクターもいい。
★英国首相は自分が思いを寄せている秘書がアメリカ大統領に抱きしめられているのを見ると、アメリカ外交に強硬姿勢。(その断固たる態度が支持率に繋がって)
★恋に悩む息子は「歌手」はどんなやつでもモテると思い、ドラムの練習。(部屋の扉に貼られる毎回のメッセージが楽しい)
★ポルトガルのメイドと恋に落ちた作家はポルトガル語の勉強。(外で執筆していた作家の原稿が自分のせいで風で飛んでしまい、メイドが沼に飛び込んで原稿を拾うシーンも美しい)作家の書いている小説がどんな内容か知りたくて、泣いてみたり(=悲劇)笑ってみたり(=喜劇)する仕草も魅力的だ。
★浮気をする夫はコミカル。浮気相手のためにネックレスを買おうと思うが、店員(Mrビーンのローワン・アトキンソンが怪演している)に翻弄される。
★アメリカに行く若者はアメリカでの根拠のないセックスライフに胸膨らませてハイテンション。
★シャイな男優はセックスシーンを撮りながら女優と会話。(セックスシーンってこう撮るのかということがわかる)
★親友の妻に思いを寄せてしまう画家は、親友の結婚式のビデオを見せてほしいと言われて見せるが、ビデオには思いを寄せる新婦の映像ばかり。
★元ロックスターはテレビでは放送できないひんしゅく言葉を連発。自分の曲がトップになったらハダカで歌を歌うと宣言。
 実に見事なキャラクター造型だ。誰もが愛すべき人物。
 そしてラストのクリスマス。
 英国ではクリスマスに「気持ちを打ち明ける」というのが習慣の様で主人公たちはそれぞれに告白をする。

 以下、ネタバレです。

★英国首相は秘書をいったんクビにしたが、クリスマスに秘書のもとへ訪ねていく。しかしわかるのは彼女の住む通りの名前ばかりで、彼は一軒一軒「ナタリー(秘書の名)はいないか」と言って訪ねていく。首相で顔が割れているのに。おまけにすごく無器用なやり方。
★恋に悩む息子はバンドで歌うが相手にされない。だが父親に促されてアメリカに帰る彼女を空港まで追いかけて告白。(ここでもビーンのローワン・アトキンソンが活躍)
★作家はポルトガルに向かう。そして「クリスマスだから言ってみるだけ言ってみる」と言ってポルトガル語で求婚。一方、メイドの彼女の方も英語を習っていて、英語で求婚に返事。「結婚してくれないか?」と聞かれて「それは優しい質問だわ。YES」と返すせりふや「英語を習ったのか?」という問いかけに「念のためにね」と返すせりふなどはおしゃれ。(彼の求婚を見るために一族郎党や町の人間がやって来るのはポルトガルの風習か?)
★夫に浮気された妻は悲しい。夫のポケットにネックレスの小箱を見つけた妻は自分への物だと心ときめかせるが、クリスマスプレセントで渡されたのはCD。ネックレスではなかった。妻は家庭を維持するため取り繕うが、それでも弟である英国首相に聞いたりする。「夫がネックレスを贈るのは単なるプレゼントか。セックス目的か。愛情か」
★アメリカに行った英国人の若者は彼の想像どおりアメリカで大モテ。この作品は英国映画だがそこにユーモアを感じる。
 英国と言えば、英国首相がアメリカの言いなりにはならないと宣言する演説でこんなことを言う。「イギリスは小さな国だが豊かな文化がある。チャーチル……、……ビートルズ、……ハリーポッター」
★シャイな男優はポルノ女優に告白される。「わたしがクリスマスでほしいのはあなたよ」女優は男優の誠実さに惹かれたのだ。
★親友の妻に思いを寄せる画家は親友の家のドア口で愛の告白。親友が部屋にいるから声を出して告白できない、だから画用紙にメッセージが書いてある。
「これから言うことを重荷に思わないで」「本音を言うのがクリスマスだから」「君は僕のすべて」「老人になっても(おばあさんのイラストが描かれている)」
「ずっと愛している」
 そのまま画家は去っていくが、親友の妻はキスをして家に戻る。
 キスをされて画家は「イナフ、イナフ(十分、十分)」と言って微笑む。
★そして最後に元ロックスターは永年迷惑をかけてきたマネージャーに愛の告白。そのマネージャーというのは……?

 これらのエピソードの中で僕が一番好きなのは画家のエピソードかな。
 いずれにしてもたくさんの愛が溢れている作品。
 これを憎悪や怒りの世情にカウンターとして持ってきた所に作家の工夫と志を感じる。
 監督はリチャード・カーティス。『ブリジット・ジョーンズの日記』『フォー・ウェディング』『ノッティング・ヒルの恋人』などの脚本家でもある。
 この人の名は覚えておきたい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロポーズ大作戦 最終回

2007年06月26日 | 恋愛ドラマ
 「どんなに困難であっても結ばれるしかない運命だと信じている」

 多田(藤木直人)の言葉だが、恋愛をしている人には勇気づけられる言葉であろう。
 自分の好きな人は『結ばれるしかない運命の人』だと思って突き進めばいい。
 相手にしてみれば結構ウザいけど、それが恋愛だ。
 鶴見尚(濱田岳)の例もある。
 「求めよ、されば与えられん」「扉をたたけ、されば扉は開かれん」だ。
 したがって、この作品のテーマはこう。
 「勇気を出して人にぶつかろう」

 さて礼(長澤まさみ)を自分のもとに走らせた健(山下智久)。
 その最後の大逆転に至った行動とは?

★好きだと自分の気持ちを伝えること。
 健は今まで正面から自分の気持ちを伝えることをして来なかった。
 格好つけて曖昧な言いまわしをして。
 披露宴の挨拶で健は言う。
 「礼を一番よく知っているのは俺です。一番礼を必要としているのは俺です。でも礼はとても大きな存在だから言えなかった」
 最終回にしてついに言ったか!!
 いかに『大きな存在』だったとしても、ウジウジし過ぎ!!(まあ「好きだ」と言ってしまえばドラマは終わってしまうのだから仕方がないのだけれど)

★過去の確認
 前回のブログで「礼の心を動かす方法は過去からさかのぼってふたりの気持ちや行き違いを確認することであろう」と書いたが、それを作者は健のせりふ「礼はとても大きな存在だから言えなかった」というひと言で表現した。
 たったひと言で表現するとはさすがにプロのシナリオライターである。
 もっとすごいのは健の挨拶の後のスライド上映。
 これを礼が見ることで「過去のふたりの気持ちや行き違い」を確認できる。
 礼はスライドを見ながら思う。
 「健三のやさしさはいつも遠回りをして自分の所にやって来る」
 「自分はそんな健三のやさしさを信じられずに逃げてきた」
 「すれ違いで傷つくのが嫌で目をふさいで、健三への思いにふたをしてしまった」
 これで礼は過去の気持ちと行き違いを確認する。
 その仕掛けとしてスライドショーをもう一度使ってくるとは!!
 実に見事な作劇・小道具である。


★追記
 この作品のもうひとつの結論。
 「過去をやり直して現在を変えるというのは小手先のこと。現在で闘うことで未来が生まれる」
 この結論にも好感が持てる。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冗談じゃない! 最終回

2007年06月25日 | 研究レポート
 「人間は予測不能だから面白い」
 これは半導体メーカーへの誘いを断った時の圭太(織田裕二)の言葉。
 理衣(大竹しのぶ)や絵恋(上野樹里)に振りまわされてきた圭太が最後に得た人間観。
 人生って「冗談じゃない!」の連続の方が楽しいんだ、というのが圭太の結論。
 理衣の離婚騒ぎや子供の迷子など、圭太は絵恋の家族のために様々な奮闘をしてきた。
 ふりまわされて「冗談じゃない!」と言いながら感じた傍に人間がいる有り難さ・温かさ。家族の素晴らしさ。
 普通「冗談じゃない!」は否定的な意味合いで言われることが多いのだが、この作品のラストでは肯定的な意味として使われた。
 それは「花嫁とパパ」の「ウザい」も同じ。
 「ライアーゲーム」の「バカ正直」も同じ。
 人間のとらえ方によって、言葉はプラスにもマイナスにもなる。
 またドラマはマイナスの言葉をプラスに変える力がある。
 今までマイナスでとらえられてきた言葉をプラスの発想でとらえなおしてみたら……。
 そんな発想で考えてみると思わぬドラマが誕生するかもしれない。

 ラストは圭太の絵恋への言葉。
「絵恋のいない人生なんて『冗談じゃない!』」


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライアーゲーム 最終話

2007年06月24日 | その他ドラマ
 正直者がバカをみる時代。
 騙しズルいことをしなければ上にあがれない時代。
 最近のニュースをみれば、そんな状況が飛び交っている。
 作品は社会状況の反映。
 この作品も例外ではない。

 メッセージは
★怒りや復讐は連鎖すること
 その当事者の心の中は常に嵐が吹き、少しも休まることのないこと。
★世界中の人たちが善良であれば争いがないこと。みんなが幸せになれること。
 出来れば、善意の連鎖をしたいこと。

 怒りの連鎖の代表は秋山(松田翔太)やヨコヤ(鈴木一真)。
 善意の連鎖の代表は直(戸田恵梨香)。

 この両者は対立する。
 悪は善を騙し、善を愚か者と笑うが、最終的には善良なるものが勝つ。

 この『善良なるものが勝つ』というメッセージには異論があるかもしれない。
 例えば今回のフクナガの改心などはあまり説得力がない。
 善が勝つというメッセージを描かんがために改心させたととらえられても仕方がない。
 逆にフクナガがあそこで改心しなければ、直は負けていた。
 善良なるものが悪に敗北した。
 直に残ったのは借金地獄。
 むしろその方が現実のリアリティに近いのかもしれない。

 しかし一方でドラマは『善良なるものが勝つ』というメッセージを描き続けなくてはならない。
 何故なら『悪』が連鎖するように『善』の連鎖するからだ。
 ちょうど直がまわりの人間を変えていった様に『善』のメッセージは見る者を『善』に変える。
 過去表現者は手を変え品を変え『善良なるものが勝つ』というメッセージを伝え続けるわけであるが、この作品は「ライアーゲーム」というゲームでそれを表現した。
「ライアーゲーム」という騙し合いの中に直という正直者を放り込むことでそれを表現しようとした。
 視聴者は直を「バカだなぁ」「人が良すぎる」と思いながら、直の持っている大事なものに気づかされる。ちょうど秋山らまわりの人物が気づいていった様に。
 それに、もし直が負けて「世の中には騙す人が沢山いるから人を信じるのはやめましょう」ではメッセージにならないし……。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしたちの教科書 第11話

2007年06月23日 | 学園・青春ドラマ
 雨木副校長(風吹じゅん)がいじめを隠蔽した理由は、『いじめを認めれば学校はバッシングに遭うだけで何の解決にもならない』ということらしい。
 確かに数字をとるためにマスコミは世間を煽るように叩く。
 しかし、それは薄っぺらな見方。
 真面目にいじめ問題を考えているジャーナリストもいる。
 珠子(菅野美穂)はジャーナリストではないが、真面目に考えている人たちの代表と言えるだろう。
 またマスコミが叩くのは、その組織に自浄作用がないからだ。
 社会保険庁しかりミートホープ社しかり。
 学校も雨木と同じ対応をしていては変わらない。
 雨木が学校の中で生徒たちと闘っていたのなら、隠すという選択肢もあり得ると思うが、それもしていない。それに雨木は何よりも加地(伊藤淳史)たち教師を信用していない。だから教師たちが彼女に反発した。

 さて雨木はTVゲームでいえば『ラスボス』。
 その行動理由がこれでは弱い。
 おまけに今回後半の展開。
 雨木の息子・音也(五十嵐隼士)の職員室立てこもり。
 刺された加地。
 仁科朋美(谷村美月)の話す真実。
 これらの意味する所は?
 ドラマが最後の最後で駄作になる匂いがしてきた。
 珠子たちが何と闘っているのか?(あるいは何と闘ってきたのか?)が曖昧になってきている。
 11回も真面目に見てきたのに……。
 最終回ではいったい何が提示されるか?
 その内容によって、この作品が訴えたかったことがわかる。
 願わくば『いじめを裁判の場で扱う』という面白さだけで作られただけでないことを祈る。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロポーズ大作戦 第10回

2007年06月19日 | 恋愛ドラマ
 小学校の時、健(山下智久)と礼(長澤まさみ)にはこんなことがあった。
 健がやった鉄棒からのジャンプ。
 礼もチャレンジして怪我。
 病院で腕に包帯を巻いた礼に健は「責任を持つ」と言う。

 さて、ここで9話から謎になっている「健三は何もわかってないよ」という「わかっていないこと」とは?
 それはその鉄棒の事件の時から20歳になるまで想い続けてきた礼の想いだ。
 礼は健が「責任を持つ」と言ってくれたことを覚えていて、健がそれを実行してくれることを望んでいた。もちろん、それは子供の頃のこと、勢いで言ってしまったことだということを礼は知っているが、そのことが彼女の心の中に焼きついている。しかし、健はいつの間にかそれを忘れてしまい……。
 礼の父親(森本レオ)の言う「礼の哀しみ」とは、そんな礼の想いと健とのギャップ。
 それゆえ礼は過去を捨てて、多田(藤木直人)との未来に生きようとしているる。

 この作品には『過去』というモチーフが一本貫かれている。
 タイムスリップして過去をふり返ること自体がそうだが、テーマとして描かれているのは『過去の積み重ねで現在はある』ということだ。
 礼はそのことを十分に理解していて過去にこだわっている。子供の時に言われたことまで覚えている。
 一方、健は(正確に言うとタイムスリップする前の健は)『過去の積み重ねで現在はある』ということに気づかず、過去のことなど忘れて生きてきた。披露宴の写真を見て思い出す程度である。過去の一瞬一瞬をないがしろにして生きてきた。
 ここに健と礼のギャップがある。
 礼は過去のことすべてで健のことが好きで、健はともかく現在の礼を取り戻したい想いで行動している。健は礼が過去を大事にする人間であることがわかっていない。
 健が礼の心を動かす方法は、鉄棒の過去からさかのぼってふたりの気持ちや行き違いを確認することであろう。
 ラストで鉄棒の過去のある小学校に連れて行った健。
 果たして健は何を語るのだろうか?
 鉄棒の過去からさかのぼって自分の気持ちを語るのであろうか?

★追記
 写真スライドによって過去を変えてきた健。
 鶴見尚(濱田岳)とエリ(榮倉奈々)の現在は変わっているのに健の方は変わらないのはなぜか?
 それは鶴が好きだと言い続けていること。
 写真スライドの間の時間も鶴は「好きだ」「つき合いたい」と言い続けていたことだろう。そう想像できる。
 一方、健は写真スライドの間の時間は、過去に行っていないので何もしていない。
 だから礼は「たまに優しくされるだけ」と思ってしまう。
 写真と写真の間に時間があることが健のネックになっていたのだ。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風林火山 第24回 「越後の龍」

2007年06月18日 | 大河ドラマ・時代劇
 関東管領・上杉憲政(市川左團次)に見切りをつけ、武田に下ることにした真田幸隆(佐々木蔵之介)。
 武田は仇敵。それに下るとは何事か。
 反対する一族に対する幸隆の考えはこう。
★自分の志は真田の地を取り戻すことにある。
★関東管領に従っていても志は全うされない。
 こんな幸隆の考えをさらに説得力のあるものにするために作者は次の様な仕掛けを作った。
 幸隆の妻・忍芽(清水美砂)の存在だ。
 忍芽も最初は武田に下ることに反対していたが、実家の兄に幸隆が責められた時にこう主張する。
★自分は幸隆の妻である。離婚はしない。
★幸隆は真田の地を回復するためにこの5年間苦しんできた。しかし兄はこの5年間、何をしてきたのか? 関東管領と共に遊興にふけっていただけではないのか?
 
 ある人物の意見を説得力のあるものにするために第三者を使う。
 この作劇は効果的だ。
 その第三者が今回の様に妻であれば『夫婦愛』を同時に描くことが出来るし、同僚であれば『友情』を描くことが出来る。
 まして今回忍芽は武田に下ることに反対していたのだから、なお効果的だ。

 さて幸隆のエピソードをもうひとつ。
 城に入った幸隆。彼を待っていたのは旧家臣団。
 村上に本領安堵されていたにもかかわらず、家と土地を捨てて駆けつけた家臣たち。「殿がまた家と土地を取り戻してくれますよ」という家臣たちはすがすがしい。
 この家臣たちや武田に下った幸隆のエピソードもそうだが、この作品「風林火山」には「過去を捨て大望に生きよ」というテーマが流れている。
 彼らは武田への過去の恨みでなく、未来の大望を選んだ。
 真田の旗印「六連銭」は死者に持たせるお金。一度死んだことを意味するものだと言う。確かに幸隆は一度死んだ。晴信(市川亀治郎)が勘助(内野聖陽)を斬った様に、幸隆も過去の恨みにとらわれていた自分を殺し、新しい自分に生きる決心をした。
 人間、生きるのなら、人への恨みでなく未来への夢で心を満たして生きたいものだ。
 そんなことをこの作品は教えてくれる。 

 あと今回描かれたのは由布姫(柴本幸)による勘助の人物評と彼女の想い。
 勘助は「自分の志のためには情を捨て手段を選ばない」覚悟を決めた人物。
 勘助は非情にならなければ天下など取れないことを知っており、晴信の代わりに非情を担っている。
 だから自分(由布)はそんな厳しい状況に自らを置いている勘助に喜びを与えたい。
 恋愛とも思える姫の勘助への想い。

 これに嫉妬したのだろうか、晴信はいくさで全員虐殺という非情を見せる。
 勘助・晴信・由布姫の三角関係。これは今後どう展開していくのか?


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする