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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「こどもたち」 茨木のり子~子供から大人になるとはどういうことか?

2025年03月23日 | 
 こどもたち
              茨木のり子

 こどもたちの視るものはいつも断片
 それだけではなんの意味もなさない断片
 たとえ視られても
 おとなたちは安心している
 なにもわかりはしないさ あれだけぢゃ

 しかし
 それら一つ一つの出会いは
 すばらしく新鮮なので
 こどもたちは永く記憶にとどめている
 よろこびであったもの 驚いたもの
 神秘なもの 醜いものなどを

 青春が嵐のようにどつと襲ってくると
 こどもたちはなぎ倒されながら
 ふいにすべての記憶を紡ぎはじめる
 かれらはかれらのゴブラン織を織りはじめる

 その時に
 父や母 教師や祖国などが
 海蛇や毒草 こわれた甕(かめ) ゆがんだ顔の
 イメージで ちいさくかたどられるとしたら
 それは哀しいことではないか

 おとなたちにとって
 ゆめゆめ油断のならないのは
 なによりもまづ まわりを走るこどもたち
 今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
 この栗鼠(りす)どもなのである

 ………………………………………………

 茨木のり子さんの詩「こどもたち」

 そう、こどもたちが見ているものって〝世界の断片〟なんですよね。
 硬かったり柔らかったり、熱かったり冷たかったり、痛かったり楽しかったり。
 それが何を意味するのか、わからない。
 同時にすべてが新鮮で驚きに満ち溢れている。

 大人になるということは、バラバラだった〝世界の断片〟が繋がっていくこと。
 思春期になり自我がうまれた時、子供たちに世界はどのように見えているのだろう?
 茨木のり子さんはこう綴る。

『その時に
 父や母 教師や祖国などが
 海蛇や毒草 こわれた甕(かめ) ゆがんだ顔の
 イメージで ちいさくかたどられるとしたら
 それは哀しいことではないか』

 本当にそうですね。
 成長した子供たちの見る世界が「歪んだ醜い世界」だったら哀しい。
 茨木のり子さんの人生で言えば「軍国主義の社会」を意味するのだろうか?

 この前のパートの言葉のチョイスが秀逸。
「どっと襲って来ると」
「なぎ倒されながら」
「ゴブラン織」
 これが詩を詠む楽しみだ。

 ラストは見事なユーモアで落とした。

『おとなたちにとって
 ゆめゆめ油断のならないのは
 なによりもまづ まわりを走るこどもたち
 今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
 この栗鼠(りす)どもなのである』

 それまでは「認識論」や「子供論」や「社会論」を語っていたのにクスリと笑わせて終わった。

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「山林に自由存す」 国木田独歩~ポンコツで干からびた心を何とかしたい……

2024年09月06日 | 
「山林に自由存(ぞん)す」
               国木田独歩

 山林に自由存す
 われ此(こ)の句を吟じて血のわくを覚ゆ
 嗚呼(ああ)山林に自由存す
 いかなればわれ山林を見すてし

 あくがれて虚栄の途(みち)にのぼりしより
 十年(ととせ)の月日 塵(ちり)のうちに過ぎぬ
 ふりさけ見れば自由の里は
 すでに雲山千里(うんざんせんり)の外にある心地す

 眦(まなじり)を決して天外をのぞめば
 をちかたの高峰(たかね)の雪の朝日影(あさひかげ)
 嗚呼山林に自由存す   
 われ此の句を吟じて血のわくを覚ゆ

 なつかしきわが故郷(ふるさと)は何処(いずこ)ぞや
 彼處(かしこ)にわれは山林の児(こ)なりき
 顧みれば千里江山(せんりこうざん)
 自由の郷(さと)は雲底に没せんとす
 ………………………………………………………

 やっぱ文語体はいいな。
 文章にリズムがある。
 読んでいて心地いい。
 硬質で過度に感傷的にならない。

 人間、生きていると、さまざまな垢がつく。
 いろいろなものに囚われてがんじがらめになる。
 息苦しい。呼吸ができない。

 では、どうすれば心の解放を得られるか?
 どうしたらイキイキとした感受性を取り戻せるのか?
 国木田独歩は「山林に行け」と言う。

 山林……?
 今はどこも観光地化されているからなぁ。
 独歩の歩いた「武蔵野」はない。
 暑いし、疲れるだけじゃないのかなぁ。

 こんなふうに僕の心はポンコツになってしまった。
 干からびてカサカサになってしまった。

 でも取り戻したい。
 どこに僕の「自由の郷」はあるのだろう?

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百人一首に収められた紫式部、清少納言、赤染衛門、道綱母、藤原公任の歌

2024年04月03日 | 
 百人一首には、大河ドラマ『光る君へ』の登場人物の歌が入っている。
 紫式部、清少納言、藤原道綱の母、赤染衛門、藤原公任、清原元輔(清少納言の父)。
 中納言兼輔(藤原兼輔)は紫式部の曾祖父だ。

 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かげ 紫式部

 やっとめぐり逢って、見たのが月だったのかもわからないうちに、
 雲の中に隠れてしまった夜半の月よ、月と同じようにあなたは姿を隠してしまいました。

『光る君へ』を見ていると、ここで言う「あなた」は道長のように考えてしまうが、
 文学史的には、紫式部の幼友達(女性)を指すらしい。
 同じ歌を収録した『新古今和歌集』の詞書にはそのことが書かれている。
 でも……。
 紫式部の幼友達って『光る君へ』では三郎(道長)ではないか!
 脚本の大石静さん、ここまで考えて書いていたのか。
 ちなみに、この歌、『紫式部集』の巻頭歌になっていて、紫式部にとって大切な歌だったらしい。


 夜をこめて鳥のそら音(ね)ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ 清少納言

 夜が明けていないのに、孟嘗君の食客のように鶏の鳴き真似をしても、
 逢坂の関の関守はだまされませんし、私もだまされて戸を開けてあなたと逢ったりしませんよ。

『光る君へ』にも登場している藤原行成とのやりとりを描いた歌だ。
 孟嘗君の食客が鶏の鳴き声の真似をして、関守をだまして函谷関を通った逸話をもとにしている。
 清少納言、自分の漢籍の教養をひけらかしている!笑

 これに対する行成の返歌もなかなか粋だ。
 逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか。
 逢坂は誰でも越えられる関なので、鶏が鳴かなくても関を開けて待っているらしいですよ。

 ……………………………………………………………………………

 その他の登場人物の歌は簡単に。

 嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る 道綱母
 嘆きながら一人で寝る夜が明けるまでの時間はどんなに長いものか、
 あなたにはわからないでしょうね。

 この歌は『光る君へ』でも紹介されていましたね。

 やすらはで寝なましものをさ夜(よ)ふけてかたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門
 ぐずぐずあなたの訪れを待ったりせず、さっさと寝てしまえばよかったのに、
 夜が更けて西の山に月が傾くまで月を見てしまいました。

 この歌は赤染衛門が姉妹の代わりに書いたものらしい。
 赤染衛門の姉妹は藤原道隆と恋仲だったが、道隆にすっぽかされてしまった。
 その姉妹の思いを赤染衛門は代わりに書いた。
 
 滝の音は絶えて久しくなるぬれど名こそ流れてなお聞えけれ 大納言公任
 滝の水音は絶えてから長い年月が経ったけれども、その名声は今も世間に流れて聞えて来る。

 藤原道長が公任らを伴って大覚寺の滝殿を訪ねた時の歌。
 滝になぞらえているが、道長の名声を讃えた歌だと言われている。

 人物のことを知っていると、その歌もよりリアルに迫って来ますね。

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「永訣の朝」 宮沢賢治~けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

2024年02月06日 | 
 昨日は雪が降った。今はみぞれになっている。
 そんな時に思い出したのが宮沢賢治のこの詩だ。
 死にゆく妹とし子に求められて、賢治は雪をすくいに行く。


 永訣(えいけつ)の朝
                  宮沢賢治
 けふのうちに
 とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
 (あめゆじゆとてちてけんじや)
 うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
 みぞれはびちよびちよふつてくる
 (あめゆじゆとてちてけんじや)
 青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた
 これらふたつのかけた陶椀(とうわん)に
 おまへがたべるあめゆきをとらうとして
 わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
 このくらいみぞれのなかに飛びだした
 (あめゆじゆとてちてけんじや)
 蒼鉛(そうえん)いろの暗い雲から
 みぞれはびちよびちよ沈んでくる
 ああとし子
 死ぬといふいまごろになつて
 わたくしをいつしやうあかるくするために
 こんなさつぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ
 ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
 わたくしもまつすぐにすすんでいくから
 (あめゆじゆとてちてけんじや)
 はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
 おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
 そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
 ……ふたきれのみかげせきざいに
 みぞれはさびしくたまつてゐる
 わたくしはそのうへにあぶなくたち
 雪と水とのまつしろな二相系(にそうけい)をたもち
 すきとほるつめたい雫(しずく)にみちた
 このつややかな松のえだから
 わたくしのやさしいいもうとの
 さいごのたべものをもらつていかう
 わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
 みなれたちやわんのこの藍(あい)のもやうにも
 もうけふおまへはわかれてしまふ
 (Ora Orade Shitori egumo)
 ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
 あああのとざされた病室の
 くらいびやうぶやかやのなかに
 やさしくあをじろく燃えてゐる
 わたくしのけなげないもうとよ
 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまつしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしい雪がきたのだ
 (うまれでくるたて
 こんどはこたにわりやのごとばかりで
 くるしまなあよにうまれてくる)
 おまへがたべるこのふたわんのゆきに
 わたくしはいまこころからいのる
 どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変って
 おまへとみんなとに聖(きよ)い資糧(かて)をもたらすやうに
 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


 ※あめゆじゆとてちてけんじや~雨、雪とって来て下さい。
 ※二相系~氷と水が二相をなしている。
 ※Ora Orade Shitori egumo
  あたしはあたしでひとりでいきます。
 ※うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる
  また人で生まれてくる時はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれて来ます。
 ※兜率の天~弥勒菩薩が衆生に説教し、天人が遊楽する宮殿。
 …………………………………………………

 美しく哀しい詩だ。
「末期の水」という言葉があるが、水は生命の源。
「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかい」からの産物であり、「兜率の天の食」でもある。
 これが宮沢賢治が見ている世界だ。

 Ora Orade Shitori egumo
 賢治はなぜこの妹の言葉をローマ字にしたのだろう?
 賢治にとって心をえぐる言葉であったに違いない。

 うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる
「自分のためでなく他者のために生きる」
 これは仏教を信仰する宮沢賢治が求めた生き方であったが、妹とし子も同じ考えを持っていた。
『銀河鉄道の夜』のカンパネルラはとし子のことなのだろう。

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「野原に寝る」 萩原朔太郎~5月の新緑の季節、詩人は野原に寝転がって自然の生命力を感じている

2023年05月10日 | 
 野原に寝る
                萩原朔太郎
               
 この感情の伸びてゆくありさま
 まっすぐにのびてゆく喬木(きょうぼく)のように
 いのちの芽生(めばえ)のぐんぐんと伸びる

 そこの青空へもせいのびをすればとどくように
 せいも高くなり胸はばも広くなった
 たいそううららかな春の空気をすいこんで

 小鳥たちが食べものをたべるように
 愉快で口をひらいてかはゆらしく
 どんなにいのちの芽生たちが伸びてゆくことか

 草木は草木でいっさいに
 ああ どんなにぐんぐん伸びてゆくことか
 ひろびろとした野原にねころんで
 まことに愉快な夢をみつづけた
 ………………………………………………

 5月──新緑の季節、世界が生命力であふれる時だ。
 朔太郎は野原に寝転がり、光輝く生命力を感じている。
 自然と調和して、自然の一部になった朔太郎。
 ここには「個」の苦悩や孤独はない。

 萩原朔太郎の旅の詩と言えば、
「ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し」
 で始まる「旅上」が有名だが、こんな詩もある。
 ………………………………………………

 閑雅(かんが)な食慾
                萩原朔太郎

 松林の中を歩いて
 あかるい気分の珈琲店(カフェ)をみた。
 遠く市街を離れたところで
 だれも訪づれてくるひとさへなく
 林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店である
 をとめは恋恋の羞(はじらい)をふくんで
 あけぼののように爽快な別製(べっせい)の皿を運んでくる仕組
 私はゆったりとふおうくを取って
 おむれつ ふらいの類(たぐい)を喰べた。
 空には白い雲が浮んで
 たいそう閑雅な食慾である。
 ………………………………………………

 ファンタジックですね。
・林の中のあかるい気分の珈琲店
・恥じらいを含んだ乙女のウエトレス
・ゆったりとフォークで食べるオムレツ
・空には白い雲
 情景が浮かんで来る。
 ゆったりとして、穏やかで、光輝いて、清らかで──
 朔太郎はここでも世界との調和を感じている。


 野原をさまよい歩いたら、こんな珈琲店に出会うかもしれません。
 野原に寝転がったら、あふれ出る世界の生命力を感じるかもしれません。
 せっかくのいい季節ですから、山野を歩いてみましょう!

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「第二の故郷」 室生犀星~東京が抱きしめてくれた! 庭のものは年々根をはって行った!

2023年01月05日 | 
「第二の故郷(ふるさと)」

            室生犀星(むろう・さいせい)

 私が初めて上京したころ
 どの街区を歩いていても
 旅にいるような気がして仕方がなかった
 ことに深川や本所あたりの海近い町の
 土蔵作りの白い家並(やなみ)をみると
 はげしい旅の心をかんじ出した
 しろい鷗(かもめ)を見ても
 青い川波を見ても
 やはり旅にいる気がやまなかった

 五年十年と経って行った
 私はとうとう小さな家庭をもち
 妻をもち
 庭にいろいろなものを植えた
 夏は胡瓜(きゅうり)や茄子
 また冬は大根をつくって見た
 故郷(ふるさと)の田園の一部を移したような気で
 朝晩つちにしたしんだ
 秋は鶏頭(けいとう)が咲いた
 故郷の土のしたしみ味わいが
 いつのまにか心にのり移って来た
 散歩にでても
 したしみが湧いた
 そのうち父を失った
 それから故郷の家が整理された

 東京がだんだん私をそのころから
 抱きしめてくれた
 麻布の奥をあるいても
 私はこれまでのような旅らしい気が失(う)せた
 みな自分といっしょの市街だと
 一つ一つの商店や
 うら町の垣根の花までが懐かしく感じた

 この都の年中行事にもなれた
 言葉にも
 人情にも
 よい友だちにも
 貧しさにも慣れた
 どこを歩いても嬉しくなった
 みな自分の町のひとだと思うと嬉しかった
 街からかえると
 緑で覆われた郊外の自分のうちの
 いきなり門をあけると
 みな自分を待っているような気がした
 どこか人間の顔と共通なもののあるいろいろな草花、いろいろな室(へや)のもの
 カチカチいう時計

 自分がいるとみな生きてきた
 みなふとった
 どれもこれも永い生活のかたみの光沢(つや)を
 おのがじしに輝き始めた
 庭のものは年年根をはって行った
 深い愛すべき根をはって行った


                      ※おのがじし~めいめい
 ………………………………………………………………………

 異邦人だった作者が次第に東京に馴染み、東京が「第二の故郷」になるという作品である。
 詩のモチーフは実にシンプルでわかりやすい。
「東京が第二の故郷になる話」と内容を一文で表せることは大切だ。

 面白いのは犀星の言葉のセレクトだ。
「東京が抱きしめてくれた」
「自分のうちの門を開けると、みな自分を待っているような気がした」
「自分がいるとみな生きてきた」
「みなふとった」
「おのがじしに輝き始めた」
 これらの主語はみな「物」である。
 通常、東京が抱きしめたり、物が待っていたりしない。
 でも犀星にはそう見える。そう感じる。
 この世界の逆転が面白い。
「ふとった」なんて表現を見るとワクワクする。

 世界と和解し、調和を感じている室生犀星。
 何て幸せだろう!
 こんなふうに世界を愛したい!

 ラストの締め方も上手い。
「庭のものは年年根をはって行った」
「深い愛すべき根をはって行った」

 根無し草の生き方もあるが、人にはこういう生き方もある。

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「頑是ない歌」 中原中也~思えば遠く来たもんだ。なんとかやるより仕方もない 。やりさえすればよいのだと

2022年12月28日 | 
「頑是(がんぜ)ない歌」
            中原中也

 思えば遠く来たもんだ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気(ゆげ)は今いずこ

 雲の間に月はいて
 それな汽笛を耳にすると
 竦然(しょうぜん)として身をすくめ
 月はその時空にいた

 それから何年経ったことか
 汽笛の湯気を茫然と
 眼で追いかなしくなっていた
 あの頃の俺はいまいずこ

 今では女房子供持ち
 思えば遠く来たもんだ
 此(こ)の先まだまだ何時(いつ)までか
 生きてゆくのであろうけど

 生きてゆくのであろうけど
 遠く経て来た日や夜の
 あんまりこんなにこいしゅては
 なんだか自信が持てないよ

 さりとて生きてゆく限り
 結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
 と思えばなんだか我ながら
 いたわしいよなものですよ

 考えてみればそれはまあ
 結局我ン張るのだとして
 昔恋しい時もあり そして
 どうにかやってはゆくのでしょう

 考えてみれば簡単だ
 畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
 なんとかやるより仕方もない
 やりさえすればよいのだと

 思うけれどもそれもそれ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気は今いずこ


                   ※頑是ない~子供じみて幼いこと
                   ※竦然~ぞっとずるさま
                   ※こいしゅては~恋しくては
                   ※畢竟~結局 
 ……………………………………………………

 海援隊の歌ではない。
 中原中也の詩の詩である。
 おそらく武田鉄矢さんはこの詩を本歌取りしたのだろう。

 前回「汚れっちまった悲しみに……」を紹介したが、
 この詩は対照的に、どこか心に余裕があって「前向きな明るい中原中也」である。

 十二歳の自分。
 将来に不安もあれば希望もあった。
 大人の世界に入ることに戸惑ってもいた。
 だが、今の自分は日常に流され、ただ漫然と生きている。
 将来に大きな希望もなければ不安もない。
 自分もすっかり退屈な大人になってしまった。
 そんな現在の自分を中也は肯定する。
 もはや、十二歳の自分には戻れないのだから。
 いろいろなものを背負っているのだから。
 だから中也は自分に言い聞かせる。

『さりとて生きてゆく限り
 結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
 と思えばなんだか我ながら
 いたわしいよなものですよ

 考えてみればそれはまあ
 結局我ン張るのだとして
 昔恋しい時もあり そして
 どうにかやってはゆくのでしょう

 考えてみれば簡単だ
 畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
 なんとかやるより仕方もない
 やりさえすればよいのだと』

 自分の現実の肯定。
 半ば諦めながらも、その日その日を懸命に生きていく。

「汚れっちまった悲しみに……」はつらい時に読みたい詩だ。
 一方、この詩は日常生活の何気ない時に口ずさみたい。
 口ずさんで今の自分を肯定し、命が尽きるまで歩み続ける。
 自分が死ぬ時、
「思えば遠く来たもんだ」とつぶやけたら穏やかな気持ちになれそうだ。

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「汚れっちまった悲しみに……」 中原中也~虚無の詩である。ここには「心の原風景」がある。

2022年12月26日 | 
「汚れっちまった悲しみに……」
              中原中也

 汚れっちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れっちまった悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる

 汚れっちまった悲しみは
 たとえば狐の革裘(かわごろも)
 汚れっちまった悲しみは
 小雪のかかってちぢこまる

 汚れっちまった悲しみは
 なにのぞむなくねがうなく
 汚れっちまった悲しみは
 倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

 汚れっちまった悲しみに
 いたいたしくも怖気づき
 汚れっちまった悲しみに
 なすところもなく日は暮れる……

                   ※懈怠~けだるい
 ……………………………………

 この詩を読むと、映画『火宅の人』を思い出す。
 真田広之さん演じる中原中也がこの詩を読みながら、泥酔して雪の中を歩いていくのだ。
 映画を見た当時の僕は詩心など欠片もなかったので、
「中原中也、カッコイイ!」くらいにしか思わなかったが、妙に心に残るシーンだった。
 そして年齢を重ねて改めてこの詩を読む。

「汚れっちまった悲しみに」

 生きるとは汚れることである。
 では「汚れる」とは何か?
 それはさまざまに解釈できる。
 たとえば、
 世間ずれすることであったり、
 ずるくなったり、嘘をついたり、裏切ることであったり、
 俗物になることであったり、
 性的なものであったり、
 悪事に手を染めることであったり、
 歳をとることであったり。
 それは人によってさまざまだ。

 そんな変わってしまった自分を中也は悲しみ、途方に暮れる。
 かつてはそんな自分に絶望したが、今は疲れ果て、もはや抗うこともしない。
「なにのぞむなくねがうなく」ただ惰性で生きるだけ、毎日、日が暮れるだけ……。

 虚無の詩である。
 そして、この詩がなぜか心に引っ掛かるのは、人の『心のふるさと』『原風景』だからだろう。
 人は心の奥底にこんな風景を抱えて生きている。

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「曠原淑女」 宮沢賢治~あなたがたはウクライナの 舞手のやうに見える

2022年05月28日 | 
「曠原(こうげん)淑女」

             宮沢賢治

 日ざしがほのかに降ってくれば
 またうらぶれの風も吹く
 にはとこやぶのうしろから
 二人のおんながのぼって来る
 けらを着 粗い縄をまとひ
 萱草(かんぞう)の花のやうにわらひながら
 ゆっくりふたりがすすんでくる
 その蓋(ふた)のついた小さな手桶は
 今日ははたけへのみ水を入れて来たのだ
 日でない日は青いつるつるの蓴菜(じゅんさい)を入れ
 欠けた朱塗りの椀(わん)をうかべて
 朝の爽(さわ)やかなうちに町へ売りにも来たりする
 鍬(くわ)を二挺ただしくけらにしばりつけているので
 曠原の淑女よ
 あなたがたはウクライナの
 舞手(まいて)のやうに見える
   ……風よたのしいおまえのことばを
     もっとはっきり
     この人たちにきこえるやうに云ってくれ……

                 ※曠原~広原
                 ※にはとこ~ニワトコ科の木
                 ※萱草~ワスレナグサ属の植物
 …………………………………

 童話作家・詩人の宮沢賢治は「農業」の人でもあった。
 農学校で教師として農業を教え、
 農家の相談を受ければ肥料などの農業指導をおこない、
 労働と文化は一体であるべき、と考え、農村での文化活動もおこなった。

『曠原淑女』は情景が浮かんで来る詩である。
 労働詩でもある。
 労働に勤しむ少女たちを賢治は賞賛し、光輝く存在として見ている。

 ラストの言葉
『……風よたのしいおまえのことばを
     もっとはっきり
     この人たちにきこえるやうに云ってくれ……』
 は実にやさしい。

 賢治にとって、風は生き物であり、畑も水を飲む生き物である。
 この詩人は、世界をどんなふうに見ていたのだろう?

『あなたがたはウクライナの
 舞手(まいて)のやうに見える』
 ウクライナが登場した。
 農業国ウクライナを賢治は知っていたのかな?
 現在のウクライナがこの詩のような世界に戻ることを願ってやまない。

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「冬が来た」 高村光太郎~冬よ、僕に来い。僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

2022年01月20日 | 
 冬が来た
              高村光太郎

 きっぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹(いちょう)の木も箒(ほうき)になった

 きりきりともみ込むような冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類(むしるい)に逃げられる冬が来た

 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のような冬が来た

 ……………………………………………

 大寒ですね。まさに冬真っ盛り。
 寒さで家を出るのも億劫になる季節。
 こんな時はこの詩を読みたくなります。

 特に後半の叩き込むような言葉のラッシュが見事!
「冬よ 僕に来い」
「冬は僕の餌食だ」
 何と「餌食」という言葉をチョイスして来た。
「火事を出せ」という言葉もすごい。
「雪で埋めろ」は少し考えれば思いつきそうだが、何と「火事を出せ」!
 ここで思考が一気に飛躍する。
 読者は一瞬戸惑う。
 でも、よく考えてみたら、火事は冬の風物詩。
 ストーブなどを使うから火事になりやすい。
「火の用心」の夜まわりも冬におこなわれている。

 高村光太郎は彫刻家でもあるが、この詩はまさに言葉の彫刻。
 冬という対象に向かい、鑿(のみ)でひとつひとつの言葉を彫っている感じがする。

コメント (2)
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