ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第8回・田中康夫「昔みたい」その①

2018-11-14 | 戦後短篇小説再発見
 というわけで、中沢けい「入江を越えて」以降、ほぼ2年半ぶりの「戦後短篇小説再発見を読む。」シリーズ、ついに始まりましたけども。
 ここまで間があいたのは、いろいろ事情もあったにせよ、当の作品自体に魅力がない。というのがいちばん大きい。「論じたい!」という気持ちをここまで起こさせぬ小説ってのも珍しい。何これ中学生の作文?と訊き返したくなる幼稚な文体。「プチブル」としか言いようのないヒロインの環境。まるっきり起伏を欠いたストーリー。この短篇は、新潮文庫の『昔みたい』に収められてて(全15本の短篇集。電子書籍化ずみ)、どれも同工異曲だが、その中の一本として読めばまあそれなりに読めるのかも知れない。でも、三島だの大江だの小川国夫だの金井美恵子だの、この錚々たる猛者たちの中に置かれたら、いまどきの用語でいう「公開処刑」にしか見えない。昔でいえば「晒しもの」である。
 どこに挟んでも情けないが、就中(なかんずく)「入江を越えて」の超絶技巧の直後に置くとは……編者にはなにか悪意があったのだろうか……とすら思ったが、解説の川村湊は「……まるで『古典』であるかのような静かな輝きとクラシックな雰囲気をもつ作品」などと、まんざらでもなさそうなのである。「古典」と「クラシック」とは同義だから、この一節そのものがちょっと間が抜けてるのだが、川村さんは尊敬すべき文学者なので、あまり突っ込むのはやめておこう。
 デビュー作『なんとなく、クリスタル』は1980年に発表された。いわゆる「バブル」は1985年9月の「プラザ合意」によって始まったから、5年も先んじていたことになる。ゴダールの『中国女』が五月革命を予見したように、『ベルリン・天使の詩』が壁の崩壊を予見したように、とまで言ったら褒めすぎだけど、ブランド品のカタログ・リストのあいだにしょーもないポルノが挿入されたあの小説(?)は、いま読んでも「バブリー」としか言いようがなく、たしかにバブルを予見していた、というか、70年代末の時点ですでにバブルが準備されてたことの例証になるのは間違いない。
 つまり、文学的価値は限りなくクリスタルに近いけれども、社会学的価値は今でも高い。いやむしろ今だからこそ高い。
 「なんクリ」の注釈はそのご増補されたと聞くが、ぼくの手元にあるのは1983年にはじめて河出文庫に入ったときの本で、注の総数は442個だ。そして巻末には、「人口問題審議会」による「出生率の低下」レポートが附されている。
 ひょっとしたら、この442個の註とレポートこそが、この作品の本当の意味での「主人公」かもしれない。一橋大学法学部(石原慎太郎とまったく同じ)を出て、のちに政治家となった(これもシンタローと同じ)田中康夫の本領は、この注釈とレポートを附した「批評精神」ないし「社会意識」にこそ存するのだ。本編の小説だけじゃ意味はない。本編と注釈、そして巻末の付録とが一体となって初めて成り立つ作品なのだ、『なんとなく、クリスタル』は。
 ようするに、ねえオトナの皆さん知ってます? いま都会ではこんなネエちゃんニイちゃんがクリスタルでブリリアントなライフをエンジョイしてるんですけど、そのいっぽうで、ニッポンの人口はじりじり減り続けてますよね、このままだったら30、40年後にエライことになっちゃいますけど、そこんとこ、どう思います? と、当時24歳の田中康夫は読者の耳元でひそひそ囁いてたわけである。その囁きは届かない人にはさっぱり届かず、届く人にだけ届いたけれど、その数はたいへん少なかった。でもって、じっさい今、ニッポンはエライことになった。無策の果ての少子化・高齢化が止まらず、市場原理(グローバリズム、と読む)に身を売って、なりふりかまわぬ移民国家になろうとしている。
 さて。『なんとなく、クリスタル』で有名なのは、「昭和を代表する文芸批評家」の一人といわれる江藤淳(1932 昭和7~1999 平成11)が、これを絶賛したことだ。江藤さんは作者の「批評精神」「社会意識」にうっすらと気づいてはいたようだが、そのことを明瞭に口に出したわけではない。だから、「なんで江藤はあんなのを評価するんだ?」と、当時そこそこ話題になった。それというのも江藤氏は、その4年前、あの『限りなく透明に近いブルー』を「サブカルチャーにすぎん。」と一刀両断していたからだ。
 ふつうの感性をもった文学青年・文学少女なら同意してくれると思うが、虚心に「ブルー」と「クリスタル」とを読み比べて、後者のほうが「文学として優れている」と感じるひとはまずいまい。まして「サブカル」というならば、「純文学やるぜ!」と目いっぱい頑張っている「ブルー」に対し、「クリスタル」はそんな努力すら放棄しており、サブカル度合ははるかに大きい。むろん、サブカルっぽい固有名詞の掲出量も比較にならない。これはまあ、江藤淳という人がサブカルという用語の意味をよくわかってなかったせいもあったらしいけど、ともかくも異様なこととして、当時の「文壇」かいわいで話題になったわけである。
 当時ぼくは中坊で、ブンガクにさして興味もなかったが、「ブルーをけなしてクリスタルを褒めた江藤淳って評論家がいる。」という話はどういうわけか耳に入って、「おかしなオヤジもいるもんだ。」とは思っていた。

 江藤淳が「ブルー」をけなして「クリスタル」を持ち上げたことは、当時(1980=昭和55)ひとつの謎だったが、その種明かしをしてみせたのが、新進の文芸評論家・加藤典洋だ。
 82年に「早稲田文学」に発表された「アメリカの影」という論考で、これがデビュー作だったのだが、話題になって他の二本の評論と込みで85年には単行本として出版された。新人の文芸評論集なんて当時でもそんなに売れるものではなく、これほどすぐに本になるのは滅多にないことだ。そのご講談社学術文庫に入り、そのあと文芸文庫のほうに入って現在に至っている。ちなみにこの「戦後短篇小説再発見」シリーズも講談社文芸文庫で、その頃はぼくもよく買っていたのだが、さいきんは狂気すら感じさせるくらいの高値になってとても手が出せない。『アメリカの影』にしてからが、学術文庫版は960円だったのが文芸文庫版は1860円である。いくら値上がりっつったって、十年あまりでほぼ倍ってのは尋常ではない。どうなっておるのか。
 さて、その種明かしだが、じっさいに聞かされてみれば単純で、ようするに「ブルー」は基地(在日米軍)に抵抗の意を示している小説で、「クリスタル」はそれとは逆に、アメリカの存在を諦念をもって受けいれている小説だ、だからブルーはだめでクリスタルは良い、と江藤さんは言うのだよ、と加藤さんは言うのであった。
 念のため言うが、江藤淳って人はアメリカが嫌いなんである。大嫌いだけどどうやったって敵わないんだから従わなけりゃしょうがない、と、ご本人自身が諦念をもって受けいれている。だから安直に「ヤンキー・ゴーホーム」と言ってのける「ブルー」にはキレて、アメリカまみれのシティー・ライフを満喫してみせる「クリスタル」には「我が意を得たり。」と悦んだという、そういう話なのだった。
 おそろしく屈折している。
 とはいえそれも奇妙な話で、小説の値打ちってのはそういうことで決まるんですか、と率直にギモンを覚えるし、あと、ブルー(1976)とクリスタル(1980)とのあいだにぴったり挟まる「風の歌を聴け」(1979)の評価はどうなってんだ、というギモンも浮かぶ。ちなみに、江藤淳は終生、村上春樹をまともに評したことはなく、黙殺に近い態度を取った。それもまたぼくにはよくわからない。なんでそんなに突出して田中康夫が好きだったんだろう。江藤淳は石原慎太郎も大好きだったから、一橋大出身で若くして作家デビューして後に政治家になるタイプの人(といっても二人だけだし、しかも政治信条は正反対だが)に惹きつけられる星の下にでも生まれたんだろうか。どういう星だ。
 なお田中康夫氏は、2014年に『33年後のなんとなく、クリスタル』を出した。これも河出文庫に入っているが、読んでないからなんとも言えない。ただ、ネットを見てたら「小説の形をとった政治的マニュフェスト」と評している方がおられ、「なるほど」とは思った。やはり田中康夫という人は、作家というより社会評論家なのだ。
 「昔みたい」は1987年、まさしくバブルのさなかに発表された。もちろん注など付いてはおらず、体裁はまるきりふつうの小説である。プロデビューして7年も経ってるんだからとうぜんそれなりに熟(こな)れてはいるが、若い娘の幼稚くさい一人称で書かれてるところはクリスタルと一緒だ。そういえば上野千鶴子さんだったか、村上龍『トパーズ』(角川文庫)の文体を評して、「女の知性をバカにしている」と罵ってた記憶があるが、若い娘の口寄せをする田中康夫の文体についてはどういう意見をお持ちなんだろう。よもや、田中康夫は村上龍よりもリベラルだから批判なぞしないというんだろうか。だとしたらまったくもってくっだらねえ話ではあるが。


 その②につづく。



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