ダウンワード・パラダイス

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24.07.13 「ネトウヨ」と「ネオリベ」

2024-07-13 | 政治/社会/経済/軍事
 2024(令和6)年7月13日朝、ふと思いたって「ネトウヨ ネオリベ」でgoogle検索を試みたら、知恵袋のQ&Aが上位にきた。
 日付は2021年となっているから、それほど昔ではない。
 以下、その質問を引用いたす所存なのだけれど、すこし文意が取りづらいところがあったので、ぼくなりに一部を編集させていただいた。関係者各位はあしからずご了承ください。




「ネトウヨは何故リバタリアンや新自由主義を志向する傾向があるのですか?


・国家を信用しない。
・自分の利益さえ確保できれば国がどうなろうが知ったことではない(自分の都合が悪くなったら海外に移住すれば良い)。
・これらの理由から、そもそも社会を改良するという発想をもたず、貧困や不平等などはあくまでもミクロ(経済学的)な問題として、すべて自己責任に帰する。


 といったところがリバタリアンや新自由主義者の特徴だと思うのですが、
 国粋主義な傾向をもち、「国家」という枠組を何よりも重んじるはずの自民支持者のネトウヨが、
 リバタリアンや新自由主義の思想と親和性がきわめて高いのは何故でしょうか?」




 これはシンプルなようで核心を突く問いかけである。ぼくも前から疑問に思っていた(だからこそ検索をかけたわけだが)。しかし残念ながら、ここに附された回答のほうは、ぼく個人としてはあまり納得のいくものではなかった。
 仕方がないので、どうにか自分なりに考えてみようと思った次第だが、ただ、そのまえにふたつ問題がある。
 ひとつは、「ネトウヨ」という概念が(これだけ一般に行きわたっていながら)、いまひとつ社会学的/政治学的にあいまいだということ。
 かくいうぼくにも、正直よくわかっていない。
 この質問のなかでは「自民支持者のネトウヨ」という使い方がなされている。
 これは「自民党支持者のなかのネトウヨ」ではなく、
 ずばり、「自民党支持者」≒「ネトウヨ」との含意であろう。
 たしかに、
「立憲民主党を支持するネトウヨ」
 という層はいる/ありうるのか?
 あるいは、
「自民党を支持しないネトウヨ」
 という層はいる/ありうるのか?
 と考えていくと、
 ほとんどもう「自民党支持者」≒「ネトウヨ」とみなしても、さほど大きな錯誤ではない気もする。
 ただ、自民党の支持者の中には、「ネトウヨ」と一線を画すひともいるだろう。だから「ネトウヨ」≦「自民党支持者」と書くべきかな?
 とりあえず、そういうことにしておきましょう。
 もうひとつの問題は、「ネオリベ(ラリスト)」≒「ネオリベラリズムの信奉者」≒「新自由主義者」という図式はまあ、よいとして、必ずしもそれが「リバタリアン」とは一致しない……という点である。「ネオリベラリスト」と「リバタリアン」とは厳密にいえば違うので、この点を突き詰めていくなら、また別の記事が必要になる。
 そこで細かい点には目をつぶり、
 上記の質問の中にあるとおり、
① 国家なるものをもともと信用せず、
② 「今だけカネだけ自分だけ」で、当面の利益さえ確保できれば国や他の国民がどうなろうと知ったことではなく、
③ 今はいろいろ都合がいいからニホンにいるけど、経済的な地盤沈下や、重税や、物価高や、治安の悪化やらでいよいよ住めなくなったら海外に移住すればいいや資産はあるし向こうに土地も買ってるし……などと考えており、
④ それゆえに、いま自分が住んでいるこの社会を改良するという発想を持たず(マスコミやネットに顔を出して「こうすれば良くなる」という提言をする論客も多いが、それらはじつは「ネオリベ」を加速するものばかり……)、貧困や不平等などはあくまでもミクロ経済学的な問題として、すべて自己責任に帰する……
 といった思想を、はなはだ乱暴ではあるがひとまずここでは「ネオリベ(ラリズム)」と呼び、そういう思想の持主を「ネオリベ(ラリスト)」と呼んでおくことにしましょう。
 「ネトウヨ」は(正直ほんとにぼくにはよくわからないのだけど)、痩せても枯れても「右翼」なのだから、「国家」という枠組みを重んじる人たちなのだろう……とは思う。だからやっぱり、ふつうに考えれば上記のごとき「ネオリベ」とは相容れない。
 ただ、上で述べたとおり、「ネトウヨ」≦「自民党支持者」と定義づけてしまえば、なんのことはない、「自民党の政策すべてを受容する層」ということで、ようするに、いまの(より正確にいえば小泉=竹中改革以降の)自民党の政策がまるっきりネオリベなのだから、結果として、「ネトウヨ」は「ネオリベ」を支持してるんですよ、という話になる。
 まことにどうも、拍子抜けするほど単純な話で、書いている私もびっくりしている。
 しかし本当にそれだけだったら、どうもあんまり情けないので(私ではなくこの国が)、もうすこしだけ考えてみたい。
 ひとつ思いつくのは、「国家」という概念に託しているものが、いわゆる「ネトウヨ」と「サヨク」とではまったく違うのであろう……ということ。
 なお、ここでいう「サヨク」とは、あくまでもネット用語としての「ネトウヨ」に相対するもので、これも社会学的/政治学的/文化史的にげんみつに定義されたものではない。ご了承のほど。
 ここからは、なんとも大雑把で、しかもやや観念的な物言いになってしまうが、
 「国家」なるものを、
 「サヨク」のほうは、
 〝「市民」たちが合意のうえで契約を結んで形成している共同体の総体〟
 とみる。
 それに対して、「ネトウヨ」のほうは、
 「国家」なるものを、
 〝もっともっと権威のある、位階秩序をもったシステム〟
 とみている……のではないかとぼくには思える。
 ここで重要なのは、「位階秩序をもった」という点で、こちらの国家観によれば、国家はけっして巨大な横並びの仲良しクラブではない。もともと不平等を前提としている。だから内部で弱肉強食の市場原理が猛烈に働くのも当然で、「勝ち組」と「負け組」とが分かれるのも自明、より極端にいえば「敗者には何もやるな」という話にもなる(じっさい、ここ10年くらいで、そういった内容のマンガやアニメがとても増えた気がする)。
 こう考えるならば、「ネトウヨ」と「ネオリベ」とが親和性を持つのは、まるで不思議ではない。どころか、むしろ当たり前……とも思える。
 しかし、こう考えてもまだ、いくつかの疑問は残る。そのことにつき、ここまでの3倍あまりの分量に当たる草稿を書いたのだけれど、うまくまとまらなかったので、投稿は見合わせ、また次の機会があれば……ということに致しましょう。やはり政治の話はむずかしい。